多くの観客が見守る中、ゲートが開いた。
横一線、綺麗にスタートするとハナを切ったのは、スプリングオブリバティだった。
各陣営これに関してはおおよそ予想通りの展開であり、鞍上のジミーもこの時綺麗に出れたことはホッとしていたという。
続いてアスカニアの快速馬パイル、続いてミット、ディジエーム、一馬身空いてソワが内に入り、その後ろにイチェベルグ、ノレッジ、外にワグテイル、トレーフル、二馬身空いてシェラン、インテレクチュアルが最後方で走る形になった。
第二コーナーを通り過ぎて、ペースはややスロー。
焦れたパイルが先頭に立とうとするが、スプリングオブリバティはこれを許さなかった。
ミット、ディジエームもスプリングオブリバティを射程に入れてジリジリと圧を掛ける。
しかしスプリングオブリバティは決して先頭を譲ることも、ペースを上げることも許さなかった。
第三コーナーに入って最初に仕掛け始めたのは、前年度覇者ディジエームだった。
得意の大まくりで、前年のメルヴェイユ賞を制覇し、今年もその戦法を用いた。
スプリングオブリバティは初めて先頭を譲る形になったが、ジミーはディジエームの後ろにぴったりとくっ付いていく形でペースを上げていき、続いて馬群も加速していくとそのまま魔のフォルスストレートに進入する。
先頭はディジエームとスプリングオブリバティの二頭。
五馬身空けて馬群が徐々に近づき最終直線に入ると、場内は歓声で揺れに揺れた。
各陣営、各国大使達が固唾を飲んでレースの行方を見守る中、最初に脱落したのはディジエームだった。
自分のペースに持ち込めなかったのが原因とされており、徐々に脚が鈍くなり、スピードが落ちていく。
しかし、スプリングオブリバティの脚は衰えず、ただ一人先頭となった。
続いて後続にいたパイルも後退し、ミットとトレーフル、ワグテイル、シェエランの脚も思うように伸びない。
まさかこのまま逃げ切られてしまうのかと思ったその時であった。
最内から馬群を抜けてするどい末脚でソワが強襲。
その後ろをマークしていたイチェベルグ、ノレッジも負けじと追走。
多少距離をロスしてしまったが、馬場が比較的良い大外からキャメロットオークス馬インテレクチュアルも豪脚を使って襲い掛かる。
徐々にスプリングオブリバティとこの四頭が襲い掛かる。
しかしここでスプリングオブリバティに乗っていたジミーにトラブルが発生してしまう。
鞭を振るおうとして、一度振り上げたのだが、そのまま滑り落してしまったのだ。
汗ばんだ手が原因だったとのちに語られているが、これでは馬に上手く指示が出せない。
すぐさま切り替えて手綱を使って、馬の頭を前に前に押し出すように動かし始めると、スプリングオブリバティもなんとか答えた。
四頭のうち、ソワだけが先頭を捉えようとしていた。
鞍上の鞭にも力が入り、大きな歓声の中でも叩く鞭の音が響く。
そしてゴール板直前で、二頭が並ぶとそのまま駆け抜けていった。
そこから長い審査が始まったのである。
三着は三冠牝馬として意地を見せたイチェベルグ、四着はインテレクチュアル、五着にノレッジであった。
ソワとスプリングオブリバティだけが、まだ着順が決まっていなかった。
『ゴール板を駆け抜けた時「やられた!」と思って、ソワの方を見たが、ソワの鞍上であったオグル騎手も同じような表情を浮かべていた。戻ってみると、どちらが先にゴール板を駆け抜けたのかを協議しているとレレミアン師から聞いており、遠くからはソワ陣営が「我々の方が先に駆け抜けた!」と喚いていた。レレミアン師からは「君は勝ったと思う?」って聞かれたけど、私には「分かりません…」としか答えられなかったよ』――――――――――ジミー騎手にインタビュー月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』より、当時のオルクセン競馬関係者に聞くオスタリッチの至宝とティリアンの女王についてより抜粋。
時間は異例の三〇分以上掛かった。
現代ならば写真判定などで確認できるが、この時代ではまだ人の目で確認し、決断するというルールが設けられていた。
ゴール板前に一人、その向かいにも一人、そして観客席に設けられた審判席からも望遠鏡での確認という三名体制で行われていたが、その三人の中でも揉めに揉めていた。
ゴール板側にいた者はソワが先着したと語っているが、その向かい側にいた者はスプリングオブリバティの方が体勢が有利でハナ差で勝っていると話しており、望遠鏡で見ていた者からは同着しているとの報告が上がり、グロワールレーシングの上層部で急遽議論が始まった。
グロワールレーシングの一部の人間からはソワが勝ったことにしてしまえと、若干私感が入った提案が出されていたが、公平性が無くなるとして一蹴、当時のグロワールレーシング会長であるヴォレ会長は『自身が判断を下す』として再び審判を聴取した後に、結果を発表した。
結論は『二頭同着』とした払い戻しとなり、G1としては異例の同着優勝という形として今季のメルヴェイユ賞は終了した。
最後までソワ陣営は同陣営の勝利を疑わずに再度審議に入るよう、グロワールレーシング側に提訴していたが、オグル騎手が説得し、これは取り下げられた。
もしこの時期に、現代の技術があれば、との声が未だに取り上げられるが、当時のレーシングファンからは好意的に受け止められており「良いレースが見れた!」と口々に語られたという。
さてレレミアン師もスプリングオブリバティ陣営も初海外遠征にして初G1勝利を収めるという大金星を得て故郷に凱旋できると胸を撫で下ろしていたが、落ち着いている暇はない。
多少の休養を経てからティリアン競馬場に凱旋帰国するつもりではあったが、そのティリアン競馬場にはあのセレクレイトが待ち構えている。
女王不在中に不埒を働く不届きものを成敗すべく、陣営たちは息巻いていたが、レレミアン師には一抹の不安が過っていた。
ところ代わり、オルクセン国内のレーシングファンは沸きに沸いていた。
連絡が届いたのは一週間後ではあったが、スプリングオブリバティの偉業は王宮内でも明るいニュースとして報じられており、グスタフ王より祝辞を賜ることとなる。
ティリアン競馬場の周囲でもちょっとしたどんちゃん騒ぎとなっており、これがのちにレーシングフェスティバルとして名を変えて、様々な催しが行われる祝祭として長い期間設けられることとなる。
この報にオルクセン競馬関係者にも「我も続け!」と沸いたが、目の前に立ちはだかるあまりにも巨大な壁に現実を見せられることとなる。
この時、セレクレイト破竹の一二連勝中の出来事であった。
宝塚記念本命はプラダリアです(紐だけど)