セレクレイトも素知らぬふりをして涼しい顔をしていたが、相手から感じる威圧感に久々の強敵が現れたと感じ取っていた。
この翌日の調教時ですら愛するマイケルの声さえも届かず、来る決戦に備えやや掛かり気味になっていたという。
『セレクレイトは他者を畏れることはしません。ただスプリングオブリバティと通り過ぎた時、彼女の様子はいつもと違う雰囲気になっていたことはよく覚えています。さすがティリアン競馬場の女王と呼ばれる馬ですね。気品は他の馬と全く違います。今までのどの国の馬よりも強敵になるでしょうね』―――――――――レース前日、取材陣の囲い取材に答えるマイケル騎手の談話より。
八七九年十一月。
オルクセン競馬最後の総決算、第二回エルフィンドカップが始まろうとしていた。
会場に詰め掛けた観客数は収容人数を大きく超えて、会場の外に締め出される者が現れた。
正確な人数は把握されていないが、推定五万人とも六万人とも言われており、当時としては異常とも言える事態であった。
これだけギャンブルのひとつとされる競馬に白熱したのは、旧エルフィンド領内の内情を鑑みれば理解されよう。
ベレリアント戦争以降、高尚な種族と自負してきたエルフが、自分より下等と見下していた種族に敗北し、国土を焼かれ、住む場所を失い、国名すら失ってしまった。
そんな中で、名は違えど、旧エルフィンド領内で育成された競走馬が、オルクセン国内で無類の強さを誇り、星欧のどの馬よりも強いとして称えられているこの状況。
今まさに英雄を渇望する彼女たちにとって、スプリングオブリバティの存在は希望の星であった。
未だ他種族に対して差別的な感情を抱いている環境で、彼女たちの誇りを示せるティリアン競馬場の女王をオルクセン王国が称賛する事は、ある意味政治的配慮も含まれてのことであった。
実際のところ、一部オルクセンのレーシングファンが白熱しての行動力でここまで開設されてきたオルクセン競馬ではあるが、当時の政治局的には、無謀に多額の賭け金を賭けて破産し、犯罪行為を行ったり、ギャンブルに依存し、生活を疎かにする者が増加するのではないかと治安悪化を懸念して規制を呼びかける運動もあった。
事実、現在でもギャンブル依存症者は現れ、多額の賭け金で破産し、悪事に手を染める者も存在するが、当時の占領軍総司令のシュヴェーリン元帥はこれに関し『現状これ以上エルフィンドから何かを取り上げる事はしない』とこの運動を一蹴し、一時は沈静化した。
グスタフ王からの祝辞もそういった面がある。
レーシングファンではなくても、元自国の文化を褒め称えられては悪い印象を受けにくい。
“さすがはエルフィンド”と褒めおだてられれば、ほんの少しでも敵愾心を減らしてくれればいいとの考えもあったかもしれない。
首相公邸での会食もそういった政治的利用が見え隠れしていたのは事実で、レレミアン師に「勝てるか?」と訊ねたのは「エルフィンドに希望をもたらせるか?」と訊ねていると同義であったという。
事実本人の口からではないが、側近の一人の手記からそういった配慮をすべきとの提言がされており、元帥自身も頷いたと語られているが、真実は定かではない。
そういった事が関係していたのか、当日シュヴェーリン元帥とグスタフ王の名代として“黄金樹の守護者”であるエレンミア王女も観覧する事となり、会場の熱気はさらに上がった。
会場が異常な盛り上がりを見せる中、出走する各陣営は比較的穏やかに過ごしていた。
ジミーも一度とはいえ、異国にてタッグを組んだスプリングオブリバティを気遣い、当日は関係者席で見守っていた。
レレミアン師も出来うる限りの情報を収集し、ミーテン騎手に事細かくセレクレイトの攻略法を伝えていた。
唯一マイケルだけが一人、セレクレイトを撫でながら何かを囁き続けていたという。
他にもスプリングオブリバティがいない間にセレクレイトとしのぎを削りあった猛者たちがエルフィンドカップに集った。
一頭一頭がパドックから本馬場に入場すると、歓声が上がるが、中でも凄かったのはやはりスプリングオブリバティとセレクレイトだった。
地を割れんばかりの拍手と喝采だったが、人気はセレクレイトが前年度覇者スプリングオブリバティに譲った形となっている。
それだけスプリングオブリバティに対しての期待が高いものがあったが、ほぼ同じオッズといってもいいほどであったため、どちらが強いかは会場にいる観客にも量りかねている状態であった。
馬場は快晴のおかげで良馬場、風もなく、この時期にしては珍しくやや温かい日差しが差していた。
だが、会場は来ていたコートを脱ぎ出す程に熱狂していた。
そして出走時刻。
旧エルフィンド軍の演奏隊がファンファーレを流すと割れんばかりの拍手と共に演奏が響き渡る。
シュヴェーリン元帥はこの時の光景を振り返り、酒を飲みながら側近にこう語ったとされている。
『私は競馬という文化を知識としては知っていたが、実際に初めて見たのは戦災復興競馬の時が初めてだった。戦争終結後間もないのに、あの日の会場は、様々な種族が関係なく会場に入り乱れてレースを観戦し、盛り上がる様は、まるで長きに渡る禍根がなかったかと誤解させるような風景であった。普段穏やかに過ごされているエレンミア王女もエルフィンドカップ当日では、高速で駆け抜けていく競走馬を見て目を輝かせていては側近の方と盛り上がられていたのは、無礼ながら年相応な少女にも思えた。私も年甲斐なくはしゃいでしまって、いやはやギャンブルだ娯楽だと馬鹿にするものはいるが、競馬の持つ言語にしがたい不思議な力には目を見張るものがある。』――――――――とある会食にて、シュヴェーリン元帥のお言葉より。「とある側近の手記より」
さて、場所は会場から馬場に戻ろう。
出走頭数十四頭。
セレクレイトは三枠五番、スプリングオブリバティは七枠十四番。
多少距離ロスがあるものの、馬群に揉まれず、逃げに徹するスプリングオブリバティには若干有利と考えられている。
セレクレイトの最大の武器は、恐ろしいほど速い末脚である。
マイルにて当時世界記録を持っていたアスカニアの快速馬パイルよりも速い上がりタイムを保持しているとされており、詳しいデータは残されていないが、中距離以上の距離を走ってもこのスピードは衰えることはなかったとされており、並の馬ならばどんなに馬身を開いていても容易に捕まってしまうだろうとされていた。
定石で戦う相手ではないと考えたレレミアン師がミーテン騎手に指示したのは、追い付けないほどの大逃げであった。
ゲートが開くと、出遅れる馬はおらず、横一直線に出馬する。
ミーテン騎手は作戦通り、後ろを振り返ることはせず、いつもより速いペースの大逃げを繰り出した。
会場もこれには動揺を隠せなかったが、次第に歓声へと変わっていく。
これは戦災復興記念のキンググスタフステークスの再現だ!と誰かが騒ぐと、皆がスプリングオブリバティの勝ちを確証した。
約二十馬身ほどスプリングオブリバティが離れて大逃げを繰り出している中で、セレクレイトとは言うと、馬群の先団で静かに様子を見守っていた。
周りの騎手は当然スプリングオブリバティよりもセレクレイトを徹底的にマークして様子を見守っていたが、向こう正面に入った時に、セレクレイトは突如として馬群から抜け出した。
他の騎手もこれに合わせようとしたが、徐々に一頭、また一頭と脱落していき、第四コーナーに入ってからはセレクレイトに十馬身取り残される形になっていた。
それでもセレクレイトの猛追は止まらない。
セレクレイトとスプリングオブリバティとの差は最終直線に入ってから約十馬身残っていた。
普通の馬ならば届くか危うい距離をセレクレイトは猛追する。
普通の馬ならばバテてもおかしくないペースで大逃げしたが、スプリングオブリバティは二の脚をふり絞ってセレクレイトに追い付かれまいとする。
ゴール百m手前でようやく三馬身まで縮まる。
このデッドヒートに観客は会場を大きく揺らしていた!
そして一頭が頭差でゴール板を駆け抜けていった!
会場は一瞬にして静寂に包まれた。
二頭の馬たちは徐々に走るペースを下げていき、一人の騎手が拳を上げて勝利を確信した。
結果は一着セレクレイト、二着にスプリングオブリバティ、大差を開いて三着にグレートモーンとなった。
スプリングオブリバティにとって初の敗北にして最後のレースとなった。