さて視点は遡って八七九年七月。
オプティマール、キュクノス、プルートーが新馬戦として出走することが決まった。
おおよそ七月から九月の間にかけて新馬戦が行われ、ここから勝ち上がれば重賞、そしてG1競走に出走可能となるのだが、十一月末までに行われる未勝利戦までに、この期間中一勝を上げないと強制的に競走馬としての資格をはく奪される。
その後の活躍の場としては荷馬車になるか、乗馬または警邏の騎馬隊に転職するという方法もあるが、誘導馬など競馬場に残る方法も取られており、一部地域ではホースセラピーとして病状が思わしくないまたは精神的不振に陥った者に寄り添う生き物として活躍しているものもいる。
深く語りたいところであるが、ここでは別の機会に語ろうと思う。
さてこの黎明の三頭で一番に勝ち上がったのは誰か?と訊ねられると、一番早かったのはキュクノスである。
そしてその同新馬戦でプルートーと対戦することになるのだが、このレースはゲフ調教師とリリッシュ調教師とのちょっとしたトラブルに発展することになる。
キュクノスの馬体は小さく、他馬に囲まれることを酷く嫌った。
どんなに気性の優しい馬に会っても、視線を逸らし、その場から立ち去ろうとするきらいがあるため、リリッシュ調教師はまず馬に慣れさせることを優先的に調教を行った。
カイザリン厩舎に所属する比較的性格が温和な競走馬を帯同馬にさせて追切や併せ馬を行い、徐々にではあるが馬の中でのコミュニティが生まれ、見知った馬が居れば、臆せず近づいていけるぐらいまでには社交性を育て上げたのだが、見知らぬ馬や威嚇する馬が近くにいると途端に落ち着かなくなる。
これではレースに出走させられないと考えた時に、馬車などで使われる“遮眼革”と呼ばれる馬具を思い出した。
それはキュクノスのように神経質な馬の視界を一部遮ることにより、馬の意識を前へと誘導させ、周囲に影響されず、集中して走らせることが出来る代物なのであるが、これを競走中に使うことは出来ないか?と考えたのだ。
一応繋駕速歩競走の一部の馬にも用いられているため、効果があると考えたリリッシュ調教師は早速特注でキュクノス専用の遮眼革の制作を馴染みの工房に依頼して、後日それを装着して走らせると見事に調教を走り終えることが出来たのだ。
その足で、オルクセン競馬協会にその馬具を使用することの許可を得ると、この日からキュクノスの成長は格段と上がった。
これがのちに“ブリンカー”と名を改めて、様々な名馬を生み出すための必需品として広まるようになるのだが、これもまた別の機会に話そう。
とにかく新兵器であるブリンカーのおかげで、驚異的とも言えるスピードを得たキュクノスはまるで水面で羽ばたく前の白鳥の如く昇華した。
そして圧倒的なスピードとスタミナを得たキュクノスの戦法は、とにかく逃げる。
その性格故に他馬に囲まれることを嫌うため、囲まれるぐらいなら一気に逃げてやろうという魂胆となり、リリッシュ厩舎は満を持して七月の新馬戦へと送り出すのである。
一方リーレン厩舎の問題児は…。
相変わらず他馬が近寄れば蹴散らしに行き、人が近づこうならば噛みつきにいき。
すでにプルートーの周りのお世話を行うのは人族ではなく、オークとコボルトとドワーフのみという決まりが生まれたほどである。
常人では扱えないほどの暴れ馬はこの時六〇〇kgとされており、普通の馬よりも大きかったと記録されており、当時としては国内最高記録の馬体重であったとされている。
そんな暴れん坊が唯一心を許した人物がいた。
ビーグルタイプのコボルトで、リーレン厩舎の調教助手だったバッハ・シュテルツェ氏である。
同氏はかつてオルクセンのメラアス種の飼育を担当していたことがあり、その優秀な腕を買われてゲフ調教師の知り合い伝手にこの厩舎へとやってきた年長者であった。
ゲフ自体も彼にアドバイスを聞いたり、他の調教助手や厩務員の相談に気さくに乗り、親身に聞いてくれることから、厩舎の兄貴分として存在していた。
そんなプルートーとバッハの付き合いは入厩した時からであった。
同馬がバッハに慣れる前までは、噛むは蹴ろうとするはで生傷が絶えず、誰もがお手上げ状態だった。
しかし、バッハだけは最後まで根気よくプルートーに付き合い、プルートーのそばから離れずに過ごしたという。
ようやくプルートーが大人しく調教を受けるようになったのは三週間後の事で、その際の鞍上はバッハであった。
そこから時間は掛かったが、他の人間が跨る際には大人しくするようにはなったが、相変わらず調教では掛かるは言うことは聞かないはの暴れん坊を発揮してゲフやバッハ達の頭を抱えさせる毎日は続いていた。
馬房もバッハを含めた数名しか入る事が許されておらず、それは引退するまで続いた。
『まるで暴君のような振る舞いでしたが、それをする事を許されたぐらいには強かったですからね。しかし、あの我儘っぷりにはバッハ兄も私も毎日頭抱えてましたね。毎日食べる飯すらもその日の気分で変わるものですから、余計に金が掛かっていたと思います。』―――――――――――――ゲフ調教師にインタビュー。月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』“黎明の三頭の蹄跡を辿って”より抜粋。
とにかくこの暴れん坊を操る騎手を探さねばレースには出れないと考えたゲフは片っ端から頼み込む毎日が始まるのだが、すでに調教場での振る舞いが有名になっているため、乗る事どころか近づく事も拒否されてしまい、どうしたものかと考えていた時であった。
ある日、一人の騎手が厩舎の門を叩いた。
名をグリムヒルト・ウィローバンク。
元アンファングリア旅団で騎兵として活躍していたが、ベレリアント戦争後に退役しており、競馬学校に入学。
元々の騎乗センスが認められ、特例として飛び級で卒業したばかりのダークエルフの新人騎手であった。
メラアス種の中でも特に、誰も手が付けられないような暴れ馬を乗りこなすのが得意な騎手で、アンファングリア旅団にいた際は、誰よりも前へと出て戦う勇敢な女性だった。
退役理由は深くは語られていないが、命のやり取りが嫌になったというのが伝わっている。
ゲフ調教師は早速プルートーに会わせると、当然のようにグリムヒルトに威嚇していた。
耳を絞り、唸るような声を上げても、グリムヒルトは視線を外さずにジッと立ち尽くすと、小一時間経って、先に折れたのはプルートーであった。
『グリムヒルトとプルートーに会って、睨み合ってから小一時間ぐらい経った時に、プルートーが先に折れて馬房の奥に戻っていきました。グリムヒルトも息を止めていたのか、ホッと一息つくと苦笑いしながら「あんな自己中心的な子初めて見ました」と言ったので、彼女になら任せられるかもしれないと直感で感じました。あれは私の調教師人生の中で、指に入るぐらい正しい判断だったと思ってますよ』――――――――――――ゲフ調教師にインタビュー。月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』“黎明の三頭の蹄跡を辿って”より抜粋。
正式にリーレン厩舎所属となったグリムヒルトは、プルートーの調教を付けるようになった。
最初の頃は振り落さんとばかりに暴れていたが、次第に諦めたのか、渋々調教を受けるようになっていく。
そしてグリムヒルトとゲフ調教師、バッハ調教助手との作戦会議にて決まった戦法は後方からの追い込みであった。
道中掛かり過ぎて前へ行き過ぎ、そのままバテてしまうが、後方で待機してからの最終直線で繰り出される末脚は、国内最高クラスの爆発力があり、これを武器にして戦おうという結論に至った。
かくしてキュクノス対プルートーの直接対決が迫っていたのだった。
誤字脱字チェックありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ
これからもよろしくお願いします。