八七九年八月。
新馬戦が着々と行われる中で、キュクノスとプルートーは同じレースで相まみえる事となる。
そしてリーレン厩舎所属グリムヒルト騎手も騎手人生として初めてのレースで、この時をこう振り返っている。
『大勢の観客がいる中でのレースは初めての体験で、野良で行っていた仲間内のレースとは違うことに今更気が付いた。しかも周りは白エルフばかりで、明らかに敵意らしきものを肌で感じ取っていた』―――――――――――自叙伝より抜粋。
グリムヒルト騎手の初陣もそうだが、ダークエルフが正式な形で騎手になったのもグリムヒルト騎手が初である。
のちに続々と騎手は増えていくことになるが、この時の民衆の中にも『裏切者』という感情をダークエルフにぶつける者は少なくなかった。
それは競馬界でも存在していた事実であり、揉め事があった際には、ダークエルフと白エルフの諍いがあったのは少なくない事例である。
そういう訳で、グリムヒルト鞍上のプルートーの人気は十二頭立て中十二番人気であった。
一方カイザリン厩舎のキュクノスはダントツの一番人気で、厩舎人気もさることながら、馬主であるカイサオンのネームバリューも押しての人気であった。
能力や血統などが二の次で、やや判官贔屓が入っていなくもないが、それだけ同厩舎への期待が高まっていた。
レースは新馬戦右回り一六〇〇m。
プルートー以外がすんなりとゲートに入るが、プルートーがなかなかゲートに入らない。
周りにいる作業員を総動員させて5分後にようやく押し込むことが出来たが、ゲート内でもかなり暴れていたため、ゲートが開いた瞬間、他の馬よりも出遅れてしまった。
レースはキュクノスがハナを取る形になり、馬群から6~7馬身離れてプルートーが出遅れる形になったが、状況が変わったのは最終コーナーであった。
先頭はキュクノスで、他馬を寄せ付けない粘り強い逃げを見せつけたが、会場をどよめかせたのはプルートーの怒涛の追い上げと鋭い末脚であった。
最終直線は約四〇〇mだが、グリムヒルト騎手が鞭を一度叩きつけると、歓声をかき消すほどの嘶きと共にプルートーが前にいた馬群を追い抜いていき、キュクノスに追い付こうとしていた。
しかしキュクノスも意地の粘りを見せるが、ここでとある事件が起きてしまう。
ゴールまで約二〇〇m。
プルートーとキュクノスの差が半馬身までに迫ってきたが、出遅れの影響か、プルートーがキュクノスにあと一歩というところで届かない。
業を煮やしたプルートーがキュクノスに噛みつきにいってしまったのだ。
さすがのグリムヒルト騎手もこれには驚き、なんとかして離そうとしたが、どうしても捌ききれない。
馬体は傷つけることはなかったが、尻尾の方には噛みついてしまい、そのままゴール板を駆け抜けてしまう。
一着キュクノス、二着にプルートーとなったが、プルートーの噛みつき行為により、審議状態になり、結果として失格処分となった。
リーレン厩舎もこれを受け入れざるを得ないと承諾したが、事態はこれで収まらなかった。
検量室にてグリムヒルト騎手とキュクノスの鞍上であったアデル騎手が取っ組み合いの喧嘩を始めてしまったのだ。
そしてそれを収めようとしたリーレン厩舎と喧嘩に参加しようとするカイザリン厩舎の関係者で大立ち回りが始まってしまい、そこから警備隊が到着するまでレースが中断する事態になってしまった。
この事件で、両厩舎の三週間の謹慎処分が下り、グリムヒルト騎手とアデル騎手も同様の騎乗停止処分が下ったのである。
キュクノスの馬主であるカイサオンも怒りが収まらなかったとされているが、即日プルートーの馬主から迅速な謝罪があり、これ以上何も言うことはないと怒りの矛を収めた。
この時の話はついぞ語られることはなかったが、やはりダークエルフと白エルフとの間にある溝が原因であるとして語られている。
八七九年九月。
この間にもスプリングオブリバティがメルヴェイユ賞を勝ち、ティリアン競馬場の周りもお祭り騒ぎに沸いていた頃。
プルートー二度目の出走は、再び出遅れながらも難なく一着を得た。
芝右回り二〇〇〇mの未勝利戦一〇頭立てで、断然の一番人気であったが、観客席からの視線は冷たいものであった。
『完全にヒール役でしたね。皆馬券を当てたいという気持ちと負けてしまえという気持ちが混ざっていて、当時一部の地方紙では罵詈雑言に近い文言で書かれていましたからね。自業自得のやりにくい環境ではありましたが、グリムヒルトとプルートーは全く気にしている様子はなかったみたいです』―――――――――――――――ゲフ調教師にインタビュー。月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』“黎明の三頭の蹄跡を辿って”より抜粋。
それでも観客は徐々にではあるが、プルートーの異次元の強さに嫌でも気が付かされる。
十月に行われた一勝クラスも出遅れたが、難なく勝利を収め、一一月に行われるG3シュタインボックスステークスでも同世代の上澄みですら難なく撃破し、黎明の三頭の中で一番早く重賞馬になっていた。
『来年開設されるオルクセンクラシックの中では、悔しいがプルートーの一強体制ではないか?』と語られる中、キュクノスも同年九月の一勝クラスを難なく勝ち上がり、一一月に行われたG3ヴァッサーマンステークスにて破竹の三連勝になると、プルートー一強体制は崩れたとされ、新馬戦からの因縁対決はクラシックで行われるのではないかと、ファンの間ではどちらが強いかで議論が重ね続けられていた。
その舞台裏で、オンレイアン厩舎のオプティマールが静かに出走していた。
十月頃、ジミーがオンレイアン厩舎に戻ると、早速オプティマールに騎乗し、その仕上がりに驚いていた。
その乗りこなしはスプリングオブリバティ以上じゃないかと思うぐらいに乗り手に対し順応で、どんな指示でも難なくこなすほどであった。
しかも鞭を見せるだけで、速度を自ずと上げることから、これほど頭の良い馬は生まれて初めてだとジミーは語っている。
それどころかここまでの仕上げにしたディレック師も「これほどの馬だとは思っていなかった」と後に語っている。
そしてそんな馬がレースに出れば、破竹の勢いで勝つのは至極当然の事であった。
プルートー、キュクノスの二頭から遅れ、十月の未勝利戦で危なげなく勝利を収めると、十一月の一勝クラスでも勝利を収め、そして十二月のG3フィシェステークスも五馬身をつけて勝利を収めた。
ここに来て、当時発行されていたスポーツ紙や新聞でもどの馬が強いのか?と議論が上がり、こうしてようやく三頭が表舞台での直接対決は近づいていた。
そしてその年の末頃、スプリングオブリバティの引退が発表された。
すいません。夏バテと諸々でサボってましたorz