右前脚浅屈腱炎。
屈腱炎は、競走馬の脚部に発症する病気の一つであり、現代では「競走馬のガン」と呼ばれている不治の病である。
スプリングオブリバティが競走を終えて、厩舎に戻る際に、厩務員が歩様に違和感を感じてすぐさま検査を行うと、獣医から「競走馬能力の喪失」を宣告された。
命に別条はないが、これ以上は走ることは医師より不可能と宣告されたため、レレミアン師と馬主は即日オルクセン競馬協会に引退の通達を行う。
あまりにも電撃的な引退に当初競馬協会は呆然としていたが、後世に血を遺せるならばとこれを承諾した。
翌日になり、スプリングオブリバティの引退はスポーツ紙で一面を飾り、レースファンから惜しまれつつもターフを去った。
セレクレイトもエルフィンドカップの勝利からなかなか調子を戻すことが出来ず、復帰までに約三か月かかることとなったが、怪我することなく復帰戦では快勝を収めていた。
しかし年が変わり、八八〇年にはグロワールへ移籍することを発表する。
この際、オルクセン競馬協会側から引き止められたとの話もあったが、マイケル側から辞退を申し込まれ、取り付く島もなかったという。
理由は定かではないが、この後、セレクレイトは快進撃を続け、グロワールからキャメロットに渡り、八八一年にて競走を終えるまで五四戦五四勝無敗のまま騎手兼馬主であるマイケルと共にターフを去る。
そして引退後はオルクセンへと舞い戻り、奇しくもスプリングオブリバティが繋養されている牧場で繁殖牝馬として余生を送ることになる。
その牧場にはマイケルも共に過ごすことになるのだが、この牧場主はオプティマールの馬主であるヒューブリテ・エーデル氏の所有するものであった。
この二頭は、ヒューブリテ氏が両頭の馬主に直談判で繁殖牝馬として活躍させたい、血を後世に残したいと強く願い、両馬主は快諾して氏に売却をしている。
その金額は世には出ていないが、合わせると当時の市民の生涯年収に達したとされている。
そしてこの二頭がのちのオルクセン競馬史における国内二大牝系となって支えるのはまたの機会にである。
二大巨頭がティリアン競馬場から去る事となってしまったオルクセン競馬であったが、時代は進むものである。
レースファンはターフを去る英雄の後ろ姿を惜しみつつ見送るも、その視線は新たな英雄の誕生に向いていた。
八八〇年一月。
年明け早々にオルクセン競馬協会は“オルクセンクラシックレース”の開催を宣言。
一冠目である二〇〇〇ラングステークスと一〇〇〇ラングステークスは四月、二冠目であるオルクセンダービーとオルクセンオークスは五月、三冠目であるファルケンハインステークスとアンダリエルステークスは間を置いて十月に執り行われる事と決まった。
戦争から数年、未だ全土では戦火の跡は色濃く残る中、建築物だけではなく、文化の復興も行われていたのであった。
ティリアン競馬場では予定されていた復興計画が進んでいた。
それは戦災で住居を失ったものを積極的に雇用し、経済的独立を促す試みが行われていた。
まずは近くの駅からティリアン競馬場まで輸送を行う荷馬車を運転する運転手や荷馬が排泄する糞を回収する清掃員。
これはティリアン競馬場の近くに駅が開設されるまで名物として存在し、駅開通後も一部文化は残されている。
競馬場内に設営されている飲食店もほとんどが戦災の被災者たちが始めた物がほとんどであるが、伝統的なエルフィンド料理やオルクセン料理、移民してきたグロワール、キャメロットの料理など種類は多岐に渡り「競馬場でフルコースを味わうならティリアン競馬場」と称されるほど、現在では雑誌などで特集を組まれるほどである。
ティリアン競馬場で働くものが皆、被災者であるが、全体的な数で見ればごく少数しか救えていないのが事実であり、効果に対して疑問視される部分はあるが、それでもこの復興計画に救われた者は存在している。
対象は白エルフだけではない。
ダークウルフを含め、傷病で軍を退役せざるを得なかった者も出来うる限りで雇用を行った。
互いの種族が対立しないよう上層部は大層気を使っていたそうだが、競技者側と比べてみれば、比較的穏やかな関係性であったとされている。
ティリアン競馬場は戦災復興だけではなく、文化の発祥の地でもある。
上記にも記しているが、様々な国の料理を扱う飲食店が場内に出店しているが、観戦しながら飲食を楽しめる軽食文化もオルクセン以上に発展していた。
エルフィンドのレモン風味のクリームが乗っけて焼き、その後木苺のジャムをかけて食べる“タルトパイ”キャメロットの白身魚とジャガイモを揚げた“フィッシュアンドチップス”グロワールの卵とそこにホウレンソウやベーコンなどを混ぜて焼き上げた“キッシュ”や様々な具材を挟んで食べる“サンドイッチ”オスタリッチの平たいパンを揚げ、チーズなどをふりかけただけのシンプルな“ラーンゴシュ”オルクセンのじゃがいもを平たく切り、焼いただけのものを塩を振って食べる“ソテーポテト”から始まり、様々なジャガイモ料理とソーセージも用意されていた。
競馬を観戦しない者でもこの豊富な料理に魅了され、自宅へ持ち帰る者も少なくなく、混雑を避けるために場外に専門店を制作した。
これがオルクセンのチェーン店の形式を作り上げ、のちに分店舗化し、全国土に広がっていくこととなる。
チェーン店だけではない。
一部の経営者が、自店舗の料理だけではなく、ペンやスポーツ新聞など雑貨を販売し、それがのちのスーパーやコンビニエンスストアの原型となって発展していく。
そしてこの際に使用されていた荷馬車などはベレリアント戦争後に民間に払い下げられた物が多く使用されており、ここから輸送会社の多数が起業し、その中に大手輸送会社も存在している。