八八〇年三月。
二〇〇〇ラングステークス前哨戦となるG2ツヴィリングステークスが開催された。
この時、初めて黎明の三頭が勢ぞろいする。
その他にも新進気鋭の若駒達が揃い、将来のスターホースを見ようと、多くの観客が押し寄せていた。
先月行われた王室大賞典は本命不在と言われながら、キャメロットから転籍したウォーターフォールが、見事勝利を収め、新たなティリアンの主が生まれたばかりで、皆がこの王に立ち向かうのは誰かと今か今かと心待ちにしていたのだ。
このレースに出走したのは全18頭。
一番人気はキュクノスであった。
オプティマール、プルートーはそれに続く形で人気を譲る形になったが、オッズは拮抗していた。
当時の馬券師たちは「こんなオッズでは、穴馬が入らなければ、おまんまの食い上げ」とばかりに渋い顔をして出来うる限りローリスクハイリターンの組み合わせを、まるで難戦に頭を抱えている参謀総長の如く熟慮していたが、純粋なレースファンの過熱な応援ぶりは、現代の推し活のようなものにも似ており、勝ってほしいから馬券を買うといった者も多かった。
それゆえに当時発行された馬券などは一部のマニアの間では人気の代物になっており、誰かに自慢したい者は「大昔にあのレースを現地で見ていた」などと自慢する者も少なからず存在している。
それがオルクセン内での競馬ブームの始まりだったかは定かではないが、競馬に興味のない人達の間でも娯楽の一環としてニュースで耳を傾ける者も少なくなかった。
酒場の話の肴から職場の雑談、家庭の世間話へと伝わっていくまでには、そう時間は掛からなかったのである。
事実、長命族である魔物たちの間では今でも競馬には詳しくないが、その世代の馬の名は知っているという事実も存在しており、現在を生きる人間族の観光客兼マニアからは羨ましがられている。
それほど当時のオルクセンの競馬というのは世界的に見てもその過熱ぶりは異常とも言えるものであった。
のちにサー・マーティン・ジョージ・アストン卿が、のちに開かれる第一回万国平和会議が開かれた際、記念で行われたレースを観戦した際「競走馬がゴール板を駆け抜けていく度に、地が揺れ動くようなほどの歓声が上がる。キャメロットでは競馬は紳士淑女の娯楽でドレスコードが必要とされるが、オルクセンではどんな身分の者でも気軽に観戦することが出来、他種多様の騎手が平等に祝福される。これは世界的に見てもそう簡単に見れるものではない」と手記にて綴っている。
さて話は脱線してしまったが、それほどこの三頭で人気を三分してしまうとなると、この前哨戦の時点では、誰もがどの馬が勝つかを計りかねていたのだ。
当然それは競馬関係者たちもそうだった。
一番人気はキュクノスではあるが、騎手的な事を考えれば、実績のあるジミー鞍上のオプティマールも能力的には負けていない。
そして暴れ馬ながらに無限の可能性を秘めているプルートーも末恐ろしいほど秘めた能力を持っているとさえ評価する者もいた。
とにかくこの三頭以外あり得ないとされながら発表された出走表がある。
【画像参照】
アクシデントと言われれば、因縁深きキュクノスとプルートーが隣同士になった事であろう。
当時カイザリン厩舎は競馬協会に馬番の変更を申し出たが、これは厳正な抽選で決まった事なのでと却下されたと憤慨していたとの話もある。
リーレン厩舎もこの馬版には頭を抱えたという。
変更できるならば変えてほしいとも思ったし、この決定を運命づけた神を恨んだとも話されている。
胃が痛くなる結果ではあるが、一方でオンレイアン厩舎はこの馬番は大変喜ばしい結果であると語っている。
曰く「因縁同士が近いことはアクシデントが起きやすい状況。勝負の世界でこれは致命的な枷になるだろう」とほくそ笑んでいたと話している。
その周りにいる競走馬の厩舎もリーレン厩舎に「トラブルを起こさないように」という旨を事前から話しており、何か曰く付きのレースになり巻き沿いになるのではないかと恐怖していたという。
当日になり、出走時間になった頃にも小さなトラブルが起きた。
キュクノスが馬場入りしようとした際に、先に馬場入りしているはずだったプルートーが馬道にて抵抗をしていたのだ。
そしてキュクノスを見つけた途端に、一気に敵意を剝き出しにして睨みつけていたという。
キュクノスはパニック状態に陥り、前足を跳ね上げながらその場から逃亡しようと試み始め、あわや大事故に繋がる!と思われた時、場を収めたのはオプティマールであった。
キュクノスとプルートーの間に立ちはだかると、ジッとプルートーを見つめていた。
プルートーは嘶きながら耳を絞るが、オプティマールは怯まず、堂々と立ちはだかったとされており、その間にキュクノスはプルートーから睨まれないように、オプティマールの影に隠れると、それを見たジミー騎手は、共に先に馬道から脱出を試み、見事成功した。
このちょっとしたトラブルは、関係者の口からスポーツ紙に伝わり、それを知ったキュクノスのファンからは英雄のような扱いをされたとの話も存在しているという。
この時からか、キュクノスとオプティマール二頭の関係は良好であり、引退後の種牡馬時にも仲良く交流を持っており、オプティマールが先に馬房へ帰ると、寂しくて鳴いてるキュクノスの姿がよく目撃されていたという。
一方でオプティマールとプルートーとの因縁はここから始まったと断言してもいい。
オプティマールが成績優秀な王子様であるならば、プルートーは荒くれ者を束ねる暴走族の総長と例えれば分かりやすいだろうか。
水と油のような関係性は生涯として良化されることはなく、宿敵として引退まで続いた。
レースが始まると、ディレックの展開とは少々予想が違った。
キュクノスがハナを切る形で走っているのはよかったが、プルートーの標的はキュクノスからオプティマールへと変わったらしく、オプティマールの後ろを執拗とも思えるぐらいにつけていた。
当時鞍上だったジミー騎手も当時をこう振り返る。
『あのレースは酷かった。人間からの敵意は感じたことはあるが、馬から殺気を感じたのはあれが初めてでした。プルートーは馬ではありません。獰猛なライオンです。ですがオプティマールは動揺せず、むしろ弄んで楽しんでいるような雰囲気を背中から感じていました。ある意味性格が悪いですね』―――――――――――――――ジミー騎手にインタビュー。月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』“黎明の三頭の蹄跡を辿って”より抜粋。
最終コーナーまでキュクノスが先頭であったが、大きく事態が動いたのは第三コーナー手前であった。
先に動いたのはオプティマールで、馬群の中団やや後方に控えていたのが、徐々にスピードを上げていき、キュクノスを射程に捉える動きをしていた。
他の騎手たちは動揺を見せたが、ここでの判断は見に徹した。
早仕掛けからのスタミナが消耗して垂れていくと判断したからだ。
しかしこの動きについていったのはプルートーであった。
鞍上の言うことを聞かず、半ば強引に大外から強襲していたが、目的がゴールではなく、オプティマールの方へ向かっていたため、ジミー騎手にとってこれは好機と捉えていた。
最終直線に入ると、先頭はキュクノス、三馬身開いてオプティマール、その後ろにプルートーであったが、無駄な動きが多かったプルートーは自慢の末脚が発揮できず、なかなかオプティマールに追い付くことが出来ない。
オプティマールは大捲りともいうべき作戦を取りながらも依然として脚質は衰えず、キュクノスを完全に射程に捉えていた。
キュクノスは徐々にスピードを落とす展開になったが、それでも必死に先頭は譲らないと鞍上のアデル騎手は鞭を振るい続けた。
最初にゴール板を駆け抜けたのはオプティマールだった。
半馬身差で二着キュクノス。三着にはセイントレイヴンだった。
プルートーは道中の掛かりが原因で五着になったが、二〇〇〇ラングステークスには賞金が足りているため、出走自体には問題はなかった。
初めての黎明の三頭の対決は鮮やかというべきオプティマールの勝利で決着が着いたのであった。
更新遅くてすいませんorz
感想とか訂正など様々に届いており、大変感謝しております。
今後も不甲斐ない私ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。