オルクセン競馬史   作:Tesuta2199

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 一着はキュクノス、二着にオプティマール、三着はセイントレイヴンだった。

 馬券師にとってはあまりうま味のないオッズとなってしまったが、レースファンはこの結果に熱狂した。

 さらに注目が集まったのは、四着だったフルムーンであった。

 チェリーブロッサムには敗れたが、現クラシックの中でも上位勢の牡馬たちに負けず劣らずの末脚を見せた牝馬は、次走の動向に注目が集まった。

 牝馬ながらダービーを制したものは近代競馬発足以来二頭しかいない。

 今回ハイスピードなレース展開だったが、あの末脚がもし2400mのダービーで上手く発揮されたら、エルフィンドとオルクセンの競馬史含め、初開催のダービーにして初の牝馬ダービー馬が誕生するのではないか?と青写真を描く者もいた。

 その後、陣営はオルクセンオークスへの出走を決定し、その夢はまた次世代に委ねることになったのだが、このオルクセンオークスにてフルムーンは敗れたチェリーブロッサムに五馬身の差を付けて勝利している。

 一方、プルートーは11着であった。

 入着後、すぐ陣営は治療に当たり、その度合いを確認したが、その傷は深く、結果、完治後には三日月形の傷跡が目立つように残った。

 この時、首には何の問題はなかったのは不幸中の幸いであったが、とにかく馬場を管理する作業員は、プルートーが走った後には血の痕跡が色濃く残っていたと証言が残されている。

 そしてグリムヒルト騎手は、御法不良(みのりふりょう/レース前あるいはレース中の騎乗に際して、騎乗馬を制御できなかったと判断された場合、騎手に対して制裁が与えられる事を指す)と下され、軽くない制裁点数と罰金が科されている。

 

 さて優勝したキュクノスだったが、初めて所有した愛馬が、初G1出走にして、クラシック初優勝という偉業を成し遂げ、馬主であるカイサオン・ページョは歓喜のあまり、喜びの唄を熱唱している。

 突然のゲリラライブとなったが、会場にいた彼女のファン達は熱狂し、さらに盛り上がりを見せ、その日は閉幕となった。

 その後、歓喜の熱が収まらないカイサオンは、競馬場近くの酒場を貸し切り、来る客来る客に酒を振る舞い、夜が明るくなるまで宴は続いたという。

 

 二着だったオプティマール陣営はそこまで悲観的にはなっていなかった。

 異常ともいえるラップタイムに、レコードクラスの破滅的な走りに付き合う必要はないとジミー騎手は考えていた。

 決して手綱を緩ませた訳ではないが、遮二無二に勝ちに行く必要はないと考え、次走の為に足を使うことを控えたのだ。

 この判断にはオンレイアン師も同調し、二人の共通認識が再確認された時でもあった。

 

 『出来れば三冠を、と思っていましたが、キュクノスの破滅的な逃げの前には運がなかったと思います。ですが、あの時我々は2000ラングステークスの敗北よりもダービーの栄誉だけは誰にも譲ってはいけないと考えていました。』―――――――――――――――オンレイアン調教師にインタビュー。月刊『OJ‐オルクセンジョッキー‐』“黎明の三頭の蹄跡を辿って”より抜粋。

 

 ダービーとは。

 後世でとある人物がこう語った。

 『ダービーオーナーになることは、一国の宰相になるよりも難しい。』

 事実、年間行われるダービーの名を冠したレースは、その国に対して一レースのみ。

 そして挑めるのは激戦必至の三歳クラシックただ一度のみ。

 生涯一度の晴れ舞台に立つ事を許されるのは、現在オルクセン国内での競走馬年間生産数約8000頭の内、18頭のみ。

 そしてその栄冠を賜ることが出来るのはただ一頭のみ。

 その栄冠を掴むために挑んだ名馬は数多く居れど、敗れた者の数の方が圧倒的に多い。

 馬主は語る。

 『ダービーオーナーになれるのであれば、死んでもいい』と。

 調教師は語る。

 『ダービーの頂きは何物にも代えがたい位に美しい』と。

 騎手は語る。

 『ダービーを獲れるなら騎手を辞めても構わない』と。

 とある学者は語った。

 『ダービーはどの幻酒や悪名高い麻薬よりも酔いしれるものである』と。

 

 2000ラングステークス翌日、各陣営は休む暇なくダービーへの対策に乗り出した。

 各馬を放牧に出すが、2000ラングからダービーへの日付間隔はあまりにも短い。

 出来る事なら出走をしたいが、馬体の状態によっては回避せざるを得ない状況にもなってくる。

 馬の回復に専念しつつ、最高の状態で仕上げなければならないという糸を針の穴に通すような繊細なプラン構築を求められているため、その期間の競馬場は、ある意味戦場よりも殺気立っていた。

 プルートーのリーレン調教師も、この期間寝ることが出来なくなり、以降躁鬱を繰り返し、不眠症にまでなってしまい、飲酒の量が増えた時期であったと語っている。

 

  『あの頃は、厩務員に買いに行かせただけでなく、自分自身で馴染みの酒屋に行くのが日課になっていまして、いつも飲んでる度数の高い安いワインでは効かなくなっていて、「何かもっと強い酒はないか?」と訊ねましたら、酒屋の店主に「飲んだくれになってはダメですよ」と叱られながら、火酒の類を渡されましてね。あちらさんも商売ですから商品は出してくるのですが(笑)それをスキットルに入れて懐に忍ばせておくと、なんだが安心するようになってしまいまして。それ以来お守り代わりに持ち歩くようにしてるんですよ。それから不思議と度胸がついたと言いますか、いちいち一喜一憂する必要がなくなってましたね。』―――――――――――――――リーレン調教師にインタビュー。書籍『飲んだくれ達の挽歌』より抜粋。

 

 一方余裕があったのは、オンレイアン厩舎であった。

 オーナーであるヒューブリテが所有している生産牧場に滞在し、その殺伐としたティリアン競馬場の調教場からは離れており、オプティマールと共に英気を養っていた。

 その際、ジミーも同行し、オプティマールの調教を行っていたが、この時運命の出会いが訪れる。

 ヒューブリテが所有する生産牧場には他種多様の種族が集まっていたのだが、一人の白エルフと出会うことになる。

 名をヘティ・エクウス。

 地方から競走馬の生産、馴致などを勉強しに来た若いエルフである。

 若いと言ってもジミーの何倍もの年上なのだが、エルフにしては排他的な感情もなく、好奇心旺盛で、誰にでも優しく接する彼女に、ジミーは惹かれていった。

 ヘティもジミーの優しい性格や紳士的な態度に惹かれていくものがあり、二人がくっつくのはそう遠くない話であった。

 異種族同士の結婚はこの当時、珍しいものであったが、大鷲族とコボルト族が結ばれた例もあったため、偏見などはあまり聞こえてくるものではなかった。

 ただしこの場合、子を成しえない事実があり、この二人は結ばれるものの、子孫が残ることはなかった。

 そして私生活も深く語れることはなく、大きいレース以外では彼女が表舞台に現れることはなかった。

 しかし、周囲の証言によれば、それはそれは仲睦まじい夫婦として知られており、ジミーがこの世を去る際には、悲しみ続け、生涯彼の功績を語る語り部となり、喪服に身を包んで暮らしているという。

 ちなみにヘティ・エクウスは元エルフィンド競馬協会広報官にて、戦災復興競馬に尽力したプルケル・エクウスの遠縁にあたり、これは後に判明することになる。

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