話はまたまた遡って、2000ラングステークスの敗北後である。
厩舎に帰ってきたプルートーはあからさまに落ち込んでいるのが分かっていた。
いつもは癇癪を起こして『あーだこーだ』と難癖を付けながら口を付けない飼葉を黙々と食べてすごすごと厩の中へ入って拗ねていた。
他の厩務員達が、気を使ってそっとしておこうとしていた時に、来たのはグリムヒルト騎手だった。
その時の様子を飲みの場で、懐かしそうに語ったバッハ主調教助手が語っている。
『グリムがね、プルートーに言うんですよ。『今日のお前はダサかった』と。プルートーは頭が良いからね。馬鹿にされたと分かると、どんなに落ち込んでいても怒気を放って向かってくるんですよ。いつもの如く、グリムの喧嘩を買おうとして向かうんですけど、すぐにあいつ戸惑ったんですよ。いつも鞍上で、喧嘩するグリムがもう人目も憚らず泣いていてね。あの時は聞かなかったですけど、やっぱり悔しいものがあるんでしょうねぇ。2000ラング捨てるとは話してたけど、グリムも本当は勝ちに行きたかったんですよ。騎手ですからね。負けたくないって気持ちは人一倍あったと思いますよ。』――――――――――――――――――――バッハ主調教助手の話。
『でも一番ダサかったのは私だった。』と話は続き、その場で泣き崩れながらプルートーに謝り続けていたという。
プルートーは確かに気性難で、ティリアン競馬場の問題児であったが、能力は天性の物があった。
それを知っていてなお、上手く操る事が出来なかったグリムヒルトは、己の無力さを思い知らされていたのだという。
グリムヒルト・ウィローバンクはアンファウグリア旅団の騎兵だったが、人一倍責任感が強く、人一倍白エルフを憎む兵士だった。
一族を民族浄化で失い、命からがら逃げてきたが、元々はとある部族の長の妹だった。
姉は勇猛果敢で、強きを挫き、弱きを助ける。
知恵もあり、狩りの腕も上手い姉を誰よりも尊敬し、その姉の右腕になりたいと誰よりも思って、訓練を怠らなかった。
しかし、民族浄化時に、姉と共に故郷を守る事は叶わず、姉は無残にも殺され、守るべき仲間も、渡河に成功した時には3名しか残っていなかった。
そして来る復讐のために、グリムヒルトは軍に志願。
一番命の危険性がある先遣隊として任を賜ると、誰よりも前に突撃を敢行した。
気が付いたときには、共に軍に志願した生き残りの仲間も失って、天涯孤独の身になっていた。
退役後、彼女に残されたものは何もなかった。
故郷に戻っても、小さな部落だった為に、誰も帰ってくることはなく、廃村と化した故郷を復興する気力もなく、だからといって復讐すべき白エルフ達は、すでにオルクセンに占領されている。
もう復讐すべもない、ただの一人の空虚なダークエルフだけが、その場に残されていた時だった。
退役するダークエルフ向けの求人で、騎手を募集する広告を見て、そういえば自分は馬で駆けるのが何よりも好きだったことを思い出す。
そして、大好きだった姉に『お前は私より馬を駆るのが上手いな』と褒められた事も同時に思い出したのだ。
そして惹かれていくように競馬学校に入学すると、一年という異例の早さで卒業をした。
これは今でも破られることのない記録ではあるが、当時の彼女の騎乗センスは天性の者だったと関係者は語っている。
とにかく、彼女は騎手になったが、いくら天性と言えども、勝負勘を得るには時間がかかった。
ダークエルフに勝たせまいと、周りの先輩である白エルフの騎手たちから様々な妨害を受けてきた。
それでも彼女は挫けずに、戦い続けてきた。
そんな彼女が、初めて惚れた馬がいた。
それがプルートーである。
こんなに巨躯な馬が走れるのか?と疑念を抱いたが、いざ鞍上に乗って走ってみると、確信した。
『この馬は、どの馬よりも強い。』
ただ、プルートーの気性難は、常に彼女のトラブルとして付きまとった。
何度も振り落されたし、何度も蹴られそうにもなった。
それでも彼女はめげず、負けず、必死に食らいついて彼に乗り続けた。
誰も乗れない駄馬だと後ろ指差されても、失格降着する問題児でも、この鞍上は誰にも渡したくなかった。
誰にもこの馬の真の強さを知らせたくなかった。
この鞍上だけは命をかけても守り続けたかった。
そんな思いが、彼女をプルートーへと向かわせ、徐々にスキルを磨き上げていた。
例え作戦とダルケンに伝えようとも、チャンスがあれば誰よりも勝たせたかったのが、グリムヒルト本人である。
だから無様に敗北した時、プルートーよりも悔しかったのはグリムヒルトだった。
自分が無力だったから、無能だったから。
彼を勝たせる事が出来なかった。彼を競馬へ向かわせるための努力が足りなかった。
様々な思いが今、ここでこみ上げてきていたのだという。
その日、プルートーはいつまでも目の前で泣いている“相棒”の姿を眺め続けたという。
翌日からのプルートーは人が、いや馬が変わったかのように、グリムヒルトの操る手綱や鞭に応えたという。
リーレン調教師もバッハ主調教助手も厩務員たちも目を見開いて驚いたが、厩舎に戻ると相変わらずの暴君気味で、なんだったんだと顔を見合わせていたという。
ただ、一つ確実として変わったのは、明らかにグリムヒルトとプルートーの間には、強い絆が芽生えていたと語られている。
いつもは鞭を見せても無視をして、自分勝手に走っていた併せ馬も、グリムヒルトが鞭をちらりと見せた瞬間に、加速して、相手であった馬を置き去りにしてしまっていたり、やや掛かり気味になっても、グリムヒルトが手綱を少しだけ引けば、プルートーは抑えたという。
これは目を見張るほどの成長であったが、この情報が洩れなかったのは、ある意味当時の記者諸君の取材不足だったのではないかと問いただしたい所はあるのだが、マークされない状態を生み出せると考えたリーレン調教師は好機と考えて、情報統制を敷いた。
そして、その作戦が見事にハマったと言えるだろう。
リーレン調教師は、厩舎メンバーとグリムヒルト騎手と心血を注いで、プルートーの調教を繰り返した。
深夜を過ぎ、夜が更けてもなお、寝ずに作戦を練り上げ、資料を読み漁り、調教を繰り返した。
その真価が今まさに発揮されているのだ。
『残り200m!キュクノスは一杯一杯だ!オプティマール、プルートーが伸びる!』
パドックで、プルートーの体がガれているように見えたのは、彼の元の体重を考えてみれば、確かに痩せ細っていたのだろう。
『金色が弾む!影が迫る!』
だが、無駄な脂肪を全て削ぎ落し、全てを筋肉に変化させたプルートーの馬体は、鋼鉄のように硬く、しかしゴムのように弾み、そしてそのスピードは東洋の刀の如く鋭かった。
『オプティマールか!プルートーか!オプティマールか!プルートーか!どっちだ!どっちだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
ハアシムの実況が会場に木霊すると、一瞬の静寂が訪れ、その後、弾けるような歓声が上がる。
ティリアン競馬場一の問題児はこの日、冥界を司る神へと昇華し、超越者に食らいついたのだ。
レース結果はハナ差での決着となった。
一着はオプティマール、二着にプルートー、三馬身差を空けて三着はセイントレイヴンだった。
激闘、激走、死闘、死走。
どの言葉にも当てはまる、第一回オルクセンダービーは、オプティマールの戴冠と、プルートーの覚醒で終了した。
そして、この時点を以て、これ以降、黎明の三頭が直接対決することはなかった。
キュクノスは四着だったが、距離適性的に考えても2000mまでが限界であった。
むしろよく2400mのダービーを四着で、入着したのだから、やはり能力はあったのだろう。
これ以降、キュクノスが走れるG1競走はこの当時存在しておらず、重賞を3レースほど獲得し、早々に引退をしている。
オプティマールはこのダービー後に、海外遠征プランを発表。
グロワールにして星欧諸国最高峰の芝G1レース“凱紀門賞”に出走するが、当時グロワールの英雄と称されたファントムペインに大敗。
キャメロットへの遠征プランも持ち上がったが、調教後に跛行が発生、大事を取り、そのまま引退する。
一番長く走ったのは、皮肉にも問題児であったプルートーであった。
最終戦績30戦7勝。
主な勝ち鞍は、ファルケンハインステークス、王室大賞典、エルフィンドカップと輝かしく、引退時には、あの暴れん坊の姿はなく、一人の王者としてターフを去った。
黎明の三頭の中で、誰が強かったか?と議論に上がることはあるが、これはあまりにも空虚な論争である。
筆者が思うのは、この時、この時代に彼ら三頭が間違いなくまだ拙く歩き始めたオルクセン競馬に燦然と輝きを放ちながら駆け抜けた事実だけである。
彼らがいなければ、今日のオルクセン競馬は存在していないだろう。
これは過言ではなく、ここから競馬に恋焦がれる者、競馬に魅了された者、競馬に憧れを抱いた者が少なからず存在した。
そしてその一人に、後に天才ジョッキーと呼ばれたミリエム・トッカーナを競馬の世界に引き込んだ実績があるのだ。
だが、今この幼いオークは、一人の騎手と一頭の馬に憧れた可愛らしい少女に過ぎない。
彼女が表舞台に出てくるのは、だいぶ後の事になる。
まだまだ続けたい半面、いやいい加減時代移ろうや、という色々な気持ちが入り混じり、このオチで一旦黎明の三頭編を終了したいと思います。
まだベレリアント戦争からそんな経ってないんですよ…(驚愕)