オルクセン競馬史   作:Tesuta2199

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戦災復興競馬

 時を飛ばして、約一年後の八七八年五月、戦災復興競馬開催日。

 この日のために、様々な準備に取り掛かったが、エルフィンドに残っていた馬主たちが数少なくなっていた競走馬をこの日のためにかき集め、調教師、厩務員、騎手たちが恥ずかしくないように仕上げてきた。

 荒廃したティリアン競馬場は未だ再建の途中だが、それでも久々の娯楽だと多くの市民たちが押し寄せており、中にはオルクセン側将兵も賭け事と聞いて、手が空いてる者は生活に支障がきたさない程度の金を握りしめて競馬場へとやってきた。

 プルケルにとって嬉しい誤算だったのは、オルクセン王国国王グスタフ・ファルケンハインとその妃ディネルース・アンダリエルがこの日を天覧されたことである。

 もちろんエルフィンド側からはエレンミア・アグラレスが主催として国王と王妃を持て成すために来場しており、さながら降伏調印式の再来のような厳しい警備体制下での開催であったが、それでも国民感情抜きにして、かなりの熱気に包まれていた。

 この際プルケルは初めてグスタフ国王とディネルース王妃の両名に謁見し、その際に老オークが占領軍総司令官のシェヴェーリン元帥と知り、眩暈を起こして倒れそうになっていた。

 この事にグスタフ国王は大いに笑ったとされており、少なくとも競馬開催中の空気はとても和やかなものであったのだったと記録されている。

 

 レースが開催されると、最初から番狂わせが起きていた。

 一番人気であった馬が四着に入線し、一着から三着までが人気薄の馬たちで決着がついたのだ。

 その際のオッズはかなりの高配当になるのだが、ディネルース・アンダリエルがそれを見事に当てたのだ。

 どうして当てられたかはのちの取材にて『誕生日で決めたら当たった』との事だが、これに関しては八百長などは行われていない。(当初はオルクセン側に競馬協会から配慮があったのではないかと陰謀論めいた話があったが、のちに公式に否定されている。)

 かくして開催初日から珍事が起きたのだが、レースが進むたびに徐々に会場が熱気を帯びていく。

 この時、警備担当を行っていた兵士の日記によると「喧嘩による暴行事件が3件、スリによる窃盗被害20件、その他のトラブルが数えきれない程であったが、皆表情は明るく、この時だけは去年まで戦争があり、種族間による差別がまるでなかったかのように皆が浮かれ、楽しんでいる雰囲気が会場に流れていた」と記している。

 そしてメインレースとなる12R前にとあるアクシデントが起きる。

 11Rに出走していた騎手が落馬し、負傷退場する事態になったのだ。

 代替え出来る騎手が居らず、調教師と馬主は出走を取り消そうかと考えている時に、とあるエルフが声をかけてきた。

 競馬協会の関係者だったらしく、どうやらこのアクシデントに憂慮したオルクセン王国から一人腕利きの騎兵を紹介するとの話があるらしく、もしよければ乗せてもらえないだろうと話を持ちかけてきたのだ。

 ここに調教師と馬主は自分の愛馬を見知らぬ騎兵に預けることとオルクセン側からの配慮を断るという政治的憂慮に悩んだが、最終的にはこれを承諾した。

 詳しい話は明かされていないが、その調教師と馬主にとって一生あるかどうかの日に万全に仕上げてきた愛馬を出走させられない方が辛いと考えると、この申し出はある意味僥倖だったのかもしれない。

 そして選抜されたのは、護衛として国王夫婦に同行していたイアヴァスリル・アイナリンドその人であった。

 

 騎手落馬による一頭出走取消をするかもしれない、という情報が国王夫婦に耳に入った時、グスタフ王は「替えが居ればよいが…」と側近に語った時、お祭り気分に感化されたディネルース妃が代わりに出ると言い始め、側近や競馬協会がディネルース妃を落ち着くよう説得する事態になった。

 終始不服そうだったディネルース妃が代案としてイアヴァスリル中佐を選出すると急遽として陣営に話を振ったのだ。

 イアヴァスリルは当初断られるだろうと思っていた。

 騎乗に関しては一定以上の技術を持っている自負はあるが、競馬に関しては門外漢である。

 ずぶの素人が金銭のかかるレースに乗せてくださいと話しても首を縦に振る人間などいるはずがないと高を括っているところ、許可が下りたと話が来るとあれよあれよと着替えをさせられ、調整ルームに連れていかれたのであった。

 この際騎手の体重は52kg以上あるとレースに出れないのだが、イアヴァスリルは問題なくクリアし、出られる事となる。

 初めて会った調教師と馬主、負傷した騎手と短いながらも打ち合わせを行い、レース場へと向かうのであった。

 イアヴァスリルはこの時の心境を「処刑台に上がっていく囚人の気分だった」と語っている。

 

 12R「戦災復興競走特別“キンググスタフステークス”距離2400m」はこの日のために新たに設営されたレースである。

 スタートゲートは観客席の前からで、コースを左回りに一周し、第四コーナーから最終直線400m辺りに設置されたゴール板にゴールするという形にしており、当時は国際競争基準を満たしていないため、G1に指定されていないが、競馬協会側はこれを現状執り行える中では最大級のレースとして位置づけており、賞金も精いっぱいに出せるものとしていた。

 出走頭数フルゲート20頭。

 その中には戦前の中唯一戦災から生き残っていたG2馬“インランドシー”がいた。

 他は未勝利や一勝クラス馬のみの中で、実績がある馬はこのインランドシーのみで、当然ダントツの一番人気となっていた。

 イアヴァスリルが騎乗する“スプリングオブリバティ”は20頭のうち唯一の牝馬だったが、調教師曰く「牡馬にも負けないスピードとスタミナを持つ牝馬」と評していた。

 後方に控えての仕掛けは素人には出来ないが、先行さえしてしまえばどうにかなると考えていた陣営はイアヴァスリルに「ゆっくりと逃げること」を指示していた。

 後ろが追い付きそうになればスピードを上げ、少し間が開いてしまったら抑えるようにと話すと、真剣だが、今にも吐きそうな表情でイアヴァスリルは頷いていたという。

 

 インランドシーに乗るエピゾール・ゼーンは国内に数少なく生き残った騎兵の一人でありながら、戦前は騎手として一線を走っていた古兵である。

 馬を大事にする騎乗法は、派手ではないが馬を長く走らせることが出来るとして馬主からの評判は良く、戦後も生き残ったため今回の騎乗依頼が舞い込んできた。

 「ミスをしなければ今回のレースは勝ったようなもの」と考えていたが、その考え方を崩されたのはゲートが開いて第二コーナーに入る手前の出来事だった。

 インランドシーは中団の最内に馬郡に囲まれながら控えていたが、遥か前方にまるで暴走機関車の如く走る馬影を目撃した。

 馬群に囲まれていたために、誰かが漏らした言葉が聞こえる。

 「飛び入りで入ってきたオルクセンのダークエルフが馬を制御できずに暴走させている」

 侮蔑と怨念のが籠ったような声色だったが、誰が放ったのかは分からなかった。

 周りも「騎兵とはいえ、スタンブレット種を扱える訳なんかない」と高を括ったが、エピゾールだけはその馬影を見て言い表せない恐怖を感じていた。

 本来馬が暴走していた場合、手綱などで制御するのが騎手の役目であるが、騎手は制御している様子はなく、時折後ろを気にするそぶりを見せるが、むしろ馬に体を預けているような状態でゆったりと走っているように見えた。

 他の騎手はこんなに早く前方約10馬身以上も離してスピードを出しているのだから最終直線に入る前までには垂れるだろうと予測していた。

 エピゾールもそう思っていたが、第四コーナー手前で会場がどよめいていた。

 

 イアヴァスリルは内心「やらかしてしまった」と思っていた。

 メラアス種に乗っているからスタンブレット種も変わらないだろうと思っていたが「これは本当に牝馬なのか?」と思うくらいには馬体が雄大で、乗り心地もスピードもメラアス種とはあまりにも違ったのだ。

 ゲートは上手く出れたものの、作戦通りとはいかなかった。

 馬群から少し離れたため、手綱を引っ張ったが、言うことを聞くことはなかった。

 それどころか徐々にスピードを上げていくスプリングオブリバティにイアヴァスリルは恐怖を抱いたが、同時に楽しそうに走っているこの馬に魅了されたという。

 そしてこの馬が、スタンブレット種の中でも上澄みの馬であることを確信すると、馬に出来るだけ負担を掛けず、身を任せることにしたと後に語っている。

 馬体には汗が滲んできているが、それでも苦しいという雰囲気が見えない。

 むしろ「ようやく思い切って走れる!」とスキップのように弾んでいるような走り方であった。

 会場からはどよめきが聞こえ、魔導式拡声器から漏れ出る実況の声も戸惑いと興奮が混じったような声が聞こえていた。

 イアヴァスリルとスプリングオブリバティはただ一組、馬群から約20馬身以上をつけて第四コーナーへと進入していた。

 

 「会場が地鳴りのようにどよめいていた」

 当時、会場にて取材を行っていた旧“エルフィンドタイムズ”の記者が備忘録にて書き記している。

 未勝利馬が、牝馬が、他の牡馬を置き去りにして涼しい顔をして最終直線へと入ってくる。

 直線400m、スプリングオブリバティの一人旅に会場の困惑が悲鳴にも思える歓声へと変わり、後続の馬たちが大慌てで上がってくる。

 一番人気インランドシーも内から猛烈に追いかけてくる。

 パチン、パチンと叩く鞭の音は歓声の中でも聞こえてくるのは、それほど熾烈な鞭の叩きあいだったのだろう。

 しかしすべてが遅すぎたのだった。

 『なんと!紅一点のスプリングオブリバティが涼しい顔でゴールに近づいている!後ろからは何も来ない!後ろからは何も来ない!影すら見えない!影すら踏ませないままゴールイン!』

 スプリングオブリバティがゴール板を過ぎた瞬間、外れ馬券が紙吹雪のように観客席から大量に撒かれた。

 現在では禁止されている行為であるが、この時は勝ち馬を祝福するライスシャワーのような扱われだった。

 二着は猛追した一番人気インランドシー、三着は追込で差した四番人気フィスティーシア、一着に入線したスプリングオブリバティは二十番人気だった。

 「悪夢のようにも思えたが、必然だったのかもしれない」

 インランドシー鞍上のエピゾールはそう語る。

 その後のスプリングオブリバティは鞍上がイアヴァスリルから元の騎手に戻り、最終的には24戦23勝し、うちG1一勝とG1級レースを三勝する旧エルフィンドでは最強牝馬の座に就いた。

 今でも「オルクセン王国で一番強い牝馬は誰だったのか?」と論争が起きる際には、必ず上がる一頭であり、高齢者の中でも根強いファンが多い。

 イアヴァスリルにも「代打でありながら騎手史上最高の仕事をした」として是非騎手として活躍してほしかったと競馬ファンの中でも語り継がれているが、これに関しては固辞されたという。

 勝利者インタビューでは、汗を拭いながら「スプリングオブリバティは素晴らしい馬だった。私はただ彼女の走りを邪魔しないようにする事に精一杯だった」と語っている。

 

 インランドシーはキンググスタフステークス後に戦績は振るわなかったが、種牡馬として活躍し、のちにスプリングオブリバティとも交配を行ってもいる。

 その血にはプルケルが愛したシュヴァルノワールの血も入っている。

 

 かくして第一回の戦災復興競馬は大盛況で終了した。

 国王夫婦も大変喜び、占領軍総司令官シュヴェーリン元帥もプルケルの腕がもげそうになるほどの熱い握手をしたと記述がある。

 その後、様々な名馬を輩出した“キンググスタフステークス”は国際競争基準を満たし、名を変えて“キンググスタフ&クイーンディネルースステークス”と名を変えて国際G1 の中でも大変名誉あるレースとして世界中に広まることになる。

 

 これは余談であるが、上記レースはファンの人気投票で出走馬が決まるという珍しいレースであり、その年の競馬の上半期の総決算としてもファンに愛されている。




とある馬に捧げます。
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