オルクセン競馬史   作:Tesuta2199

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 父セイントレイヴン母一〇〇〇ラングステークス覇者チェリーブロッサムという良血の両親に生まれた牝馬は、プルートー産駒の牝馬であるプル―ムーンと同期であった。

 名はノーブルサクラメント。

 高貴なる者同士の間に産まれたという意味で、この名が付けられたが、父の無念、母の悲願を早々に叶えた孝行娘である。

 新馬戦では五馬身差で他を圧倒。若い牝馬の登竜門であるクロッカスステークスに出走せず、若武者達の登竜門と化したフィシュステークスを並み居る男馬達を蹴散らして三馬身差で勝利。

 翌年一〇〇〇ラングステークス前哨戦となるペルシカムステークスに出走すると後方から一気に抜き去り七馬身差の勝利を見せつける。

 当然そのまま一〇〇〇ラングステークスを勝利し、牝馬路線にそのまま進むものかと思われていたが、ここでとんでもない行動に移す。

 事前に出走登録だけを済ませていた二〇〇〇ラングステークスにそのまま出走。

 中二週程度の休養で、この牝馬が更なる躍動を見せつける。

 当時筆頭優勝筆頭候補だった若駒を赤子の手をひねるが如く、簡単に蹴散らし、二馬身差で優勝する。

 きわめて非常識とも呼べる勝ち方をしてしまい、当時その場にいた者達は、歓声を上げる事よりも沈黙し、恐怖するしかなかったのだ。

 たった数年で、スプリングオブリバティ、セレクレイトに並ぶ牝馬が誕生した。

 その衝撃は、新たなティリアン競馬場の女王の到来を予感させるには充分な実績であった。

 その後のオルクセンオークスにも出走。

 難なく勝ち上がると、次走は時間をおいてアンダリエルステークスを目指して初の牝馬三冠を目指すものと考えられていた。

 陣営が次に選んだのはオルクセンダービーであった。

 

 人々はこの馬に再び恐怖した。

 最終直線に入る前からまくり始め、残り最終直線二〇〇mほどになると、他の男馬は遥か後方にいた。

 牝馬牡馬二冠を達成し、クラシック四冠馬という偉業を、上半期の時点に決めてしまった。

 この馬を調教していたのはデオヒルド・ヘルウィンと呼ばれるエルフの調教師だった。

 オルクセン競馬界の頂点に立ちたいという野望を抱き、過酷とも呼べるローテーションを組んだのは、彼女の雇用主である馬主と、彼女の野望が合致したためであり、ある意味ノーブルサクラメントは被害者のような存在であった。

 確かに彼女は最強といって過言ではなかった。だが、彼女は怪我を知らないアキレースではなかった。

 前哨戦であるレースに出走したノーブルサクラメントであったが、最終コーナー直前で、突如失速、騎手は落馬を免れたが、ノーブルは足を止めてしまった。

 観衆が何事かとざわついた時、近くて待機していた獣医が診察を開始すると、右前脚の指関節と呼ばれる部分が粉砕骨折しており、これ以上彼女を助けるのは不可能と診断された。

 黒い幕が囲われ、運搬用の馬車に彼女が積載されると、会場の魔導式音響装置から知らせが入る。

 『ノーブルサクラメントは最終コーナー直前で、故障を発生し、競走を中止しました。』

 

 八戦八勝の無敗馬は、道半ばでこの世を去ることとなった。

 父の無念、母の悲願を叶えた孝行娘は、父よりも母よりも誰よりも早くこの世を去り、関係者は悲観に暮れた。

 この悲劇を機に、オルクセン国内では、とある議論が上がり出した。

 『いくら経済動物とはいえ、馬にも命がある。過酷なローテーションで酷使するのは、奴隷に鞭を打つが如く野蛮にして愚かな行為なのではないか?』

 これに関してはかなり紛糾した。

 この時代、馬主の方が調教師よりも権力を有し、馬主の意向が調教師に反映される事が多々あった。

 例外だったのは、ずぶの素人だったカイサオン氏とカイザリン師、ダルケン氏とリーレン師。全てをオンレイアン師に任せたヒューブリテ氏位だろうか。

 とにかく馬主たちは金を稼ぎたい、投資目的とギャンブル目的の意味で、馬たちを酷使し続けた。 

 ある馬は、もう引退しても良い年齢をゆうに超え、二〇〇戦も走り続けさせられた馬も存在する。

 故に動物愛護の観点からもこの問題はいつの時代にも付きまとうのだが、なかなか勝ち上がれない馬や逆に走り続けた方が調子のよい馬も存在するので、様々な考え方が存在する。

 ただ中一週や中二週で走らされる競走馬は大分減ったので、ようやく倫理観が成熟したと思いたい。

 この悲劇により、ある程度の休息を挟む事を奨励し始め、ハイスピードで走る動物が如何に儚いかも理解されただろう。

 ただ、これはノーブルサクラメントという伝説の名馬の悲劇があったからであって、その以前にも彼女のような故障をして予後不良になった名もなき馬たちの事も忘れてはならない。

 

 この悲劇から間もなくして、オルクセン本国ではとある施設がお披露目となった。

 名をシェーンシュケント競馬場。

 ヴィルトシュヴァインにて建設されていた、通称“白の離宮”と呼ばれる白亜の競馬場は、総収容人数約八〇〇〇〇人で、星欧諸国でも類を見ない位、巨大にして荘厳な飾りを持つ建築物になった。

 一般人では立ち入りが規制されている馬主席に関しては、贅を凝らした装飾が施され、至る所にオルクセン国内の高級な調度品が設けられ、一番目立つ入り口には、オルクセン王国国王夫妻の肖像画が大きく飾られ、この競馬場の主は王であるという証明として誇示されていた。

 ちなみに、このシェーンシュケント競馬場は、国王所有の建物ではない。

 この競馬場の建設に関与した富裕層たちが勝手に喧伝して「王様!貴方に贈り物ですよ!」と非常に重いプレゼントを手紙にしたためて、渡したのである。

 王はこれに関して丁重に断りの手紙を送ったが、お披露目の際には、義理堅く参加され、喜ばれたと記載されている。

 ちなみにこの手紙を読んだディネルース妃は大層苦笑いされたと伝えられており「少しは遠慮するってことを考えろ」と頭を抱えていたという。

 一般人が入場できる観客席も、当時としては非常に近代的なものであり、立見席とベンチが置かれたB席、テーブルが設置されているA席などが設営されており、近代スポーツのスタジアムと比べても遜色ない位、素晴らしい作りであった。

 パドックもティリアン競馬場のものと比べると大変広く作られており、大勢がパドック内の馬を観察できるようすり鉢型に作られている。

 ここは、競走終了後には舞台にも変わり、当時にしては珍しいトークショーやミニライブなどが設けられる事となる。

 競馬場内には飲食店が多数設けられており、他にも子供たちに飽きさせないよう誘導馬達とのふれあいコーナーや比較的大きな公園なども設営されており、現代のテーマパークのような立ち位置として今日まで続いている。

 これだけ広いと、災害が起きた際や有事が起きた際には、避難所や物資などを備蓄できるようにしており、当然の如くその周囲の木々はドングリで占められており、畑なども作られては、時期になると競馬場内で販売消費されている。

 シェーンシュケント競馬場は競馬場でありながらテーマパークであり、有事の際の拠点にもなっているのだ。

 ちなみに近代化改修が施され、近年では、競馬場地下に食品工場などを建設し、競馬場内で販売される弁当やお土産用のお菓子など生産されている。

 定期的にディネルース妃も訪れており、競馬を鑑賞され、そして御帰宅される際には、今でも玄関入り口に飾られている王の肖像画を眺めておられているという。

 

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