ルーエデューの初となる敗北に、報道陣はリーレン師に詰め寄った。
無敗の二〇〇〇ラングS覇者が、大穴とはいえ、圧勝していた相手にこの様は、ある意味ゴシップ達の餌食となっていた。
「敗北の原因は?」「馬に故障は?」「不調が原因だったのか?」「それとも八百長なのでは?」様々な憶測で物を言う者も現れた中で、リーレン師は一言。
『ある意味、調教のようなものだ。敗北とは言えない』
この発言は、かなりの批判を呼び、槍玉に上がる事となると、世界初のオークの調教師という英雄から、一転として連勝に驕った調教師として誹謗中傷の的になっていた。
しかし後年、これは悪意に満ちた捏造だったと判明する。
とあるゴシップ記者がかなりしつこく聞いて回り、たまりかねたリーレン師は「前哨戦で気が緩まっていたかもしれない。気を引き締めて本番に挑みたい」という旨の発言と、たまたまリーレン厩舎の調教助手と厩務員たちが「本番に勝てさえすればいい」という不意に漏らした発言を曲解させて、上記の発言を捏造したものである。
このことが発覚したのは、そのゴシップ記者が酔いの席で、その事を時効とし、つい自慢げに語った事から判明したのだが、経歴も長く、この時、副編集長の座にいたが、これがきっかけに編集部はお詫びの文章を雑誌に掲載し、本人は懲戒解雇処分を受けた。
それでも当時、リーレン師はこのことに関して、撤回要求も何も行動を起こさなかった。
この件が公になった際の取材では、リーレン師はこう語った。
『この記事が上がった時、かなりの批判はありましたが、皆には口を紡ぐように指示しました。槍玉に上がるのは私だけで良いですし、それに本当の部分もありましたから』
と、気にしている様子はなく、笑ってその場を後にした。
この騒動の張本人たるルーエデューはというと、敗北も気にしている様子はなく、ただいつも通りに無駄なく調教を行い、整理整頓された飼葉桶の中の食事をぺろりと平らげていたという。
ようは外部の人間だけが大騒ぎをしており、当の馬達にとってはこの騒動は羽虫の音にも満たない細事であった。
八八六年五月オルクセンダービーは異様な熱気に満ちていた。
一番人気はヴンダヴァールノヴァに繰り上がり、ルーエデューは二番人気と人気を譲る形になっていた。
これを過剰人気だと馬券師たちは軒並み語って忌避し、だが前走二着で敗退したルーエデューを安易に金を突っ込んで良いものなのか?とやや日和見で新聞に印を付ける者もいた。
ヴンダヴァールノヴァは依然人気なのは、やはりルーエデューがヒールとして印象を付けられていたのもあるが、相変わらずパドックでは、素晴らしい仕上がりになっていた。
ディレック率いる陣営も、この頃「ダービー請負人」と呼ばれるほど、ダービーだけで見ると、随一の勝率を上げており、ここだけは決して譲れなかった。
それに、ルーエデューは確かに凄い馬だと評価はするが、それでも土を付けられ続けられている以上は一矢報いたい気持ちもあった。
他陣営も同様で、18頭立てのレースは、ルーエデュー対17頭という異様な雰囲気となっていたのだ。
それでもルーエデューは勝利した。
それも七馬身を付けての圧勝である。
最後方に控えた競馬で、前が一つの塊になって、ルーエデューを前に出させまいとしていても、大外を涼しい顔でぶん回し、観客にその走りを見せつけるように駆け抜けていく様は、既に同世代の中では太刀打ちできない者はいないことを証明する形になっていた。
この時、オーク族初のダービー調教師になったリーレン師とダークエルフ族初のダービージョッキーになった鞍上グリムヒルト騎手の間で、とある共通の確信を得ていたという。
「三冠馬」
この概念が生まれたのは、キャメロット初の「ノーザンキャメロット」と呼ばれる馬が始まりである。
初戦は敗北したが、その後のキャメロットクラシックレースを含めた10戦を連勝し、11戦10勝という輝かしい経歴でターフを去った。
その際、三冠を意味する「tripleclown」と表記はされなかったが、事実上世界初の三冠馬である。
そしてその後現れる「アーモンド」と呼ばれる競走馬がいた。
別名悲劇の馬と称されたその馬は、晩年持病である喘鳴症、いわゆる“喉なり”に人生を振り回され、その後、殺処分されてしまったが、この馬も16戦無敗のままターフを去り、キャメロットクラシックを総ナメにした際に、紙面に初めて「tripleclown」と表記された。
これが三冠馬の概念の始まりとされており、これが星欧諸国に広まっていた。
しかし、オルクセン競馬の前身であるエルフィンド競馬でもこの三冠馬は存在していない。
つまりエルフィンド、オルクセン含め、史上初のオルクセン三冠馬が誕生する可能性が出てきたのだ。
次走ファルケンハインステークスは距離三〇〇〇mの長距離戦である。
若駒たちにとってこれは前例のないレースになるが、リーレン陣営は何も懸念も不安もなかった。
父プルートーはこのレースを制覇しているし、何より鋭い末脚で隠れているが、ルーエデューが持つ無尽蔵とも言われるスタミナは二四〇〇mであるダービーでも何事もなかったかのような振る舞いをして、颯爽と厩舎に帰ろうとしていた。
不安視されていた脚部も、この時には既に完成されていると言っても過言ではない。
三冠馬の王座まで手が届くところまで来ていたのだ。
少し短いですが、少しでも前進しよう()