大統領杯は20頭立てとなっていた。
そしてヴンダヴァールノヴァとルーエデューの枠順は極端に離れていた。
ヴンダヴァールノヴァが一枠二番。ルーエデューは十枠二〇番となっていた。
まだこの時は出走頭数の限度が三〇頭までであったため、頭数が少ない場合もあるが、かなりの数が走ることもあったが、大体の厩舎はせめて着順五着以内を狙っていた。
それほど、絶望的なレースを強いられるのが、レースの覇者による絶対王政の時代であり、今まさに“ルーエデュー朝”といって過言ではないだろう。
出走時刻になった。
けたたましく、そして厳かに鳴り響くファンファーレ。
鳴り終わった瞬間、会場が湧き、ゲートの前では、戦士たちが次々と枠の中に入っていく。
オルクセンレースの一ページが、書き記され始めた。
スターターの旗は振り下ろされ、ゲートは開かれた。
皆が一斉に走り出すと、遠くからも聞こえる地響きのような足音と共に、再び群衆が沸き、各々にレースを見守った。
それは群衆だけではない。
馬主、調教師、厩務員。
全てが等しく高速に走る塊を眺めて、誰が最初にその中から抜け出すのか、見守り続けた。
レース展開はいつもと変わらないと思われていた。
後ろに控えて最終直線で差し切る為に、後方前目に付くのがヴンダヴァールノヴァの作戦である。
そして、それを後ろから狙うように、足を貯めて追い込み、鋭い末脚で差し切るのがルーエデューの作戦であった。
場内がどよめいたのは、ゲートから出て間もなくのことである。
『前からアンドロメダ…なんと!前目三番手にヴンダヴァールノヴァが先行していきます!これはどうしたことでしょうか!?』
これにはいつも冷静な実況を行っていたハアシム・カザーン氏も驚きを隠せなかったという。
差し馬が今まで行っていなかった前目での競馬は、あまりにも破滅的な作戦とも言えよう。
実際に、差し馬だった競走馬を前目で逃がして勝つ事例はあるが、それを元に戻そうとなると賢い馬は前のレースを学習してしまい、指示系統が混乱してしまい、レースが下手糞になる可能性があるからだ。
そうして予後を泥で塗った競走馬は数が多い。
しかし、ヴンダヴァールノヴァはそれを行ったのだ。
全ては、ルーエデューに完敗という二文字を背負わせるために。
鞍上グリムヒルト騎手もこれには驚いていたという。
だがレースは始まってしまった以上は、平穏を保ち、挑むしかないと腹を括ったという。
レースはややスローペースで、前も後ろも動かない状態のまま最終コーナーに差し掛かる時であった。
最初に動いたのはデービット騎手であった。
不意に鞭を上げると、それに答えたヴンダヴァールノヴァはまるで誰かから逃げるように加速を開始した。
他の騎手は驚くも、デービット騎手のミスだと判断して、最終直線まで足を溜める体勢を取り続けた。
それはグリムヒルト騎手もそうであったが、ただ一頭、この作戦に気が付いた。
当時の詳細を書き記した資料では『ヴンダヴァールノヴァが仕掛けた瞬間、ルーエデューが今まで見たことのない掛かりようを見せた。』と描かれている。
グリムヒルト騎手はこの時を振り返り、のちに『とりかえしのつかないミス』と答えている。
デービット騎手は、ディレック師からこう告げられていた。
『最終直線に入り、ルーエデューから約15馬身差を付けるように前目で走ること。』
並の馬なら無理難題かもしれないが、ヴンダヴァールノヴァだったからこそ、これが成しえた作戦だったと語られている。
最終直線、加速を続けているヴンダヴァールノヴァは後方の集団から約8馬身、後方に控えていたルーエデューからは約13馬身程、差をつけて前を走っていた。
グリムヒルト騎手が手綱から力を抜いて、加速を始めるが、前との差が縮まるのが、いつもと比べて遅く感じたという。
しかし、それでも絶対王者としての意地を見せた。
集団から隙間を縫って抜け出すと、前を走るヴンダヴァールノヴァに差し迫る。
さすがに足が鈍り始めたが、ヴンダヴァールノヴァを激励するように鞍上デービット騎手は風車のように鞭を振るわせる。
ルーエデューがヴンダヴァールノヴァの横に並んだのは、ちょうどゴール板の横であった。
会場は騒然とした。
それこそ、勝者を讃えるために拍手万雷になるはずだったのだが、勝者がどちらか分からなかったのだ。
それは、レースを主催するオルクセン競馬協会の職員でさえ、目視では判断が不可能だったからだ。
ゴール板の前にいる観客からは『勝ったのはルーエデューだ!』と騒ぐ者も居れば『いやヴンダヴァールノヴァの体勢が有利だった!』と騒ぎ立てる者もいて、一時喧嘩騒ぎにもなった。
判定は、当時最先端だった写真判定に委ねられることになった。
魔導式のカメラは、当時の技術としては最先端を行くものであったが、現代の物と比べると、明らかに粗悪なものだった。
風景などを残すならばある程度、映し出せるかもしれないが、この時のパトロールカメラというものは、高速で動く物体を綺麗に映し出すことは不可能に近かった。
それでも、どの国よりも早く、この写真判定制度を取り入れたのは、公平な運営を行っているというオルクセン競馬としての喧伝と、長命ながら技術革新を怠らない国民性であると思われる。
それでも今でも残されているその当時の写真は、黒い塊が二頭横並びに並んでいるようにしか見えず、競馬博物館に現存されているが、これで公正な判断を下せたかは、筆者としても微妙と言わざるを得ない。
当時のレース関係者も、そこまで期待はしていなかったとされているが、ここまで写し出されている物が微妙だと、これを証拠にするのは難しいと考えた。
どうしたものかと頭を抱えている時、とある職員が持ち出した定規が、その采配を分けた。
『内側の馬の方が、やや前に出ている気がする。』
定規を用い、赤いインクで線を引くと、確かに内側の方がゴール板を先に抜けているようにも見える。
その長さ、実物大で言うとハナ差2㎝とされている。
ただこれに関しては、現在でも公正な判断であったかは、賛否が分かれるところであり、そもそも同着でよかったのでは?との声もあるが、当時の協会は内側、つまりヴンダヴァールノヴァの体勢有利として決着を付けた。
絶対王者、G1にして初の敗北を喫することになったのだ。
レース後、この判定に喜ぶ者半分、怒り出す者半分で暴動になりかけた。
施設の警備部だけでは事を鎮圧できないと判断され、警官隊が動員され、事を収めるのに三時間を要し、施設の一部では破壊行為まで確認された。
一部観客からは、公正な判断とは到底言えないと、不服を申し立てて、裁判沙汰になる始末であったが、鶴の一声で、これらは沈静化の一途を辿る。
王命である。
『賭博行為にて、不正ではない限り、確定事項を覆す横暴はあってはならない。余の名において、このレースのみ余自らが責任を持って預かる。』
騒動から二日後に、各新聞社の一面に記載された声明は、今まで賭博行為に関しては、不干渉を貫いてきたグスタフ王の怒りが見えた文章であったとされている。
「※王国侍従長録」には、この事件のグスタフ王の不機嫌さが捉えられているという。
『暴動となった話題を聞き、各関係者を速やかに招集、王自ら尋問し、詳細を聞く。王は深くため息をつき、競馬協会会長に対し、厳しく御達し申し上げる。競馬協会会長は、青ざめ、言葉を失い、深く項垂れている様子だった。王は、常々賭博に関しては、無関心で、深く干渉しないと申し上げられているが、此度の件に関しては、国営の賭博故に、責任者は余であると下がらず、関係者はこれを聞いて深く反省の意を示していた。』と書き記されている。
そもそもは戦災復興から始まったのが、オルクセン競馬の成り立ちである。
国家運営で、税収を得ている以上、胴元はどう足掻いても国だ。
そして、大統領、そして議会に国政を移行しても、国の長として君臨しているのはグスタフ王である。
全ての事態を聞き、考えた上での声明は、国民たちの不満を沈黙させるには一番効く行為であった。
しかし、王自らの声明に一番応えたのは、当時の競馬協会関係者である。
辞任までとはいかなかったが、減給処分として、上層部は給料を自主返納した者は少なくない。
世が些細に乱れる中で、当の本人たちも荒れていた。
ルーエデュー陣営は、リーレン師がグリムヒルト騎手に対して信頼を置いていたが、今回のレースに関しては、ルーエデューの動きを阻害したとしてそれをきつく問い詰めていた。
グリムヒルト騎手もそれを認めていたが、リーレン師の言い様に腹を立てていたという。
かつてオルクセン最高の黄金コンビとも言われた二人の間に溝が出来始めていた。
この時から、グリムヒルト騎手がリーレン厩舎所属馬から徐々に離れていき、他厩舎の馬に跨るようになっていたとされている。
そうなると、厩舎に残された新人騎手二人に馬が回ってくるのだが、グリムヒルト騎手専用で調教されていた馬もいるため、なかなか勝率が上がらなかった。
リーレン厩舎の黄金時代は、ここにきて暗礁へと乗り上げてしまったのだ。
最近お返事返せず、申し訳ございません。
気が向いたら返せるよう努力してまいりますorz