オルクセン競馬史   作:Tesuta2199

5 / 39
2

 競馬学校が設立された頃、キャメロットから遠路はるばるやってきた若き調教師がいた。

 名は“ディレック・トール・オンレイアン”

 名伯楽と名高い調教師の下で修行し、つい先日独り立ちをしたばかりの新進気鋭の調教師は、異国の地を踏みしめた際、心を高鳴らせていた。

 本国キャメロットではどうしても自分と比べられ、肩身が狭い思いをするかもしれないと師匠である名伯楽の誘いで、一から始められるオルクセンへと舞い降りたのだ。

 その際の心情がのちに自叙伝で書かれている。

 『我が師匠であるボルジャーノン師は「もう少し若ければ、息子に全てを任せ、本国からオルクセンへと渡航し、一から作り上げていきたいが、老い先短い身ではどうしても故郷から離れるという気にはなれなかった。ディレックよ、お前は今とても幸運に恵まれている。一からその国の競馬を作り上げられるというのは、何事にも代え難い経験になるだろう。」そう言って僕の背中を押してくれた。師から離れるのは寂しい思いであったが、このオルクセンで結果を出し、世界に誇れる競走馬を仕上げてこそ真の恩返しになるだろう』と語られている。

 ディレックの他にもこのチャンスを物にしようとやってくる競馬関係は数多く、オルクセンはまるでゴールドラッシュのように沸き立っていた。

 故にとある問題が起きてしまったのだ。

 定員50名弱の調教師枠が200名以上集まってしまい、オルクセン競馬協会は頭を抱えてしまった。

 招聘した者は優先的に採用するが、それでも40名の枠を200名が取り合う事態に陥ってしまったのだ。

 流石に追い返すことも、だからといって過剰に採用するのも問題なため、急遽競馬協会はショーン校長をも含めて会合を開き、一週間掛けて調教師採用に伴う試験問題を作成した。

 これがのちの調教師試験問題の基礎になるのだが、当初にしては難しいものであったと語られている。

 落とすため、わざと難しくして作成されたという話もあるが、調教師を志した者にとっては何も難しいことはなく、自動車免許を取得する際に“基礎中の基礎の中に引っ掛け問題を盛り込んだ物”ばかりで、各国語に翻訳されたものが用意されていた。

 合格発表が行われたのは競馬協会の前に設置された掲示板であり、書かれた受験番号に歓喜するものや悲観するものが混じっていた。

 ディレックは難なく合格をし、無事調教師の道を歩むことになるのだが、この時神の悪戯が起きていた。

 自叙伝ではこう語られている。

 『急遽設けられた筆記試験と実技試験には大変驚いた。魔術師と呼ばれたショーン元騎手が考案したとされている試験は同じキャメロット人としても大変にやりごたえのあるものであり、他の国の者にとってはかなりの難問になっただろう。かくいう僕も自分の受験番号をORA(オルクセン競馬協会の略称)前に置かれていた掲示板の合格発表表に自分の番号を見るまでは安心はできなかったが…。なんとか合格した僕だったが、隣の男が真っ青な顔をして立ち尽くしていた。あぁ彼は落ちたのだと理解してその場から離れるのだが、後ろを向いた瞬間に後ろから何かが倒れた音がしたのだ。振り返ると彼が泡を吹きながら倒れていたため、ORAの前ではちょっとした大騒ぎになった。(中略)なぜか僕が病院での身元保証人となってしまい、警察と協会関係者も帰ってしまった。途方に暮れたまま気絶した男ジミー・ウォンフィールドとの邂逅になった。』

 

 ジミー・ウォンフィールドはグロワール人である。

 幼い頃は貧乏な牧場の三男坊として育ち、幼学校を卒業してからは実家の手伝いをさせられていた。

 彼の趣味と言えば、実家にいた牛追い馬を乗って走ることぐらいだった。

 そんな彼に転機が訪れたのは、たまたま近所にあったスタンブレットの生産牧場に手伝いとして乗馬に来ていた時だった。

 グロワールの調教師にその騎乗センスを見止められ、グロワールで騎手にならないかと誘われたのである。

 そのまま調教師はジミーの両親を説得し、ジミーはその調教師の下で厩務員をしながら騎手として育て上げられる。

 道のりは決して容易くはなかったが、18歳になった時、ジミーはグロワールの騎手としてデビュー。

 華々しい勝利こそなかったが、着実に勝ちを重ねていき、20歳で自身初のG1勝利を収めた。

 だが彼の快進撃はここまでであった。

 師匠であった調教師の急死は、彼の騎乗依頼を急激に減らし、ついには一つも無くなってしまったのだ。

 悲観に暮れたジミーであったが、亡き師匠の妻が教えてくれたオルクセン競馬協会の話を聞き、一念発起。

 多くない貯金を使いながらグロワールからオルクセンを陸路でやってきたのだ。

 今度は“調教師”として師匠のような調教師になるために…。

 

 『私は途方に暮れていた。奥さんから教えられていたのは「試験は面接のみ」と聞かされていたからだ。それを応募枠から異常な量の受験者が押しかけたために、急遽筆記試験と実技試験が行われることになったのだ。その間の滞在期間中の身の回りの保証はしてくれるらしいが、実技試験はともかく、筆記試験に関してはあまりにも絶望的だった。私は簡単な読み書きしか出来ない。それでも出身国の文章で出してくれると話していたので、なんとかなるかもしれないと楽観していたが、いざ試験に挑むと全く読めなかった。頭の中が真っ白になりながら試験が終わると私はどうやって宿に戻ったかを覚えていなかった。合格発表の日までは食事が喉が通らなかったし、何をしていたか覚えていない。そして合格発表の日、私はものの見事に落ちており、そのまま気を失った。目を覚ませば見知らぬ天井と少しだけ見覚えのある男が傍らにいたのだ。』

 

 ジミーが晩年自身を振り返った話を取材した記者が、競馬関係者の話として纏めた本が文として残っている。

 試験に受かった者と落ちた者の落差を象徴するようなものであったが、傍らにいた男がジミーにとって救いの主であった。

 

 『まずは場所を尋ねるとオルクセンの病院だという。私は食事を抜いたことと過度なストレスによる貧血で倒れたらしく、安静にしていれば明日にでも退院できると医者の先生が話していたそうだ。

傍らにいた男はディレックという男で、調教師を目指してここに来たのだという。私と同じ受験者だったが、彼と私の違うところは受かったか受かってないかの違いだった。「そうかおめでとう」と素直に褒めるとディレックは不思議そうな表情を浮かべていたが「ありがとう」と彼が返答をしたよ。ちょっとの沈黙があり、少し気まずかったので、私から身の上話をしているとディレックが「君もしかして騎手なのかい?」と訊ねてきた。私が「ああそうだよ。でも師匠がいなくなってからは馬に乗れなくなったけどね」と答えると彼は「なら僕の所で騎手をやってみてくれないか?」と誘ってきたんだ。私にとっては救いの神とも思えたね。「いいのかい?私はそんなに上手くないよ?」と話すんだけど「G1を一回勝ってるんだろ?僕なんか騎手として大成しなかったからね」と肩をすくめていた。だけど彼は障害だが、アマチュア騎手の中ではとても上手い騎手だったんだ。後から知ってびっくりしたけどね。私は言ったさ「なんだいディレック。君も上手じゃないか」と。彼は「僕は馬を調教している方が性に合うんだ」って。最後まで彼が騎手になりたがらなかったのは分からなかったが、年が近いのに、彼の調教師としての腕はまるで達人のようで素晴らしかったのは、一緒に働いていて思い知らされたよ』

 

 かくしてのちに“オルクセンゴールデンコンビ”と称される名伯楽と名手は邂逅し、星欧競馬二人旅は始まったのであった。




NHKマイル本命はマジックサンズでワイドでショウナンザナドゥとトータルクラリティ買います
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。