オルクセン競馬史   作:Tesuta2199

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プロット作らないからレース日程がぐちゃぐちゃだよ!!
なんか矛盾あったら指摘してクレメンス!!


黎明の三頭、羽ばたく女王、オスタリッチからの脅威

 平地競争を行う際、競走体系というものが存在する。

 図のように現在では、勝った馬はさらに上のレースへと向かえるようにされており、G1がその最も上にあるクラスである。

 

【挿絵表示】

 

 その中で、勝利する馬も存在すれば、敗北する馬も存在するのである。

 しかし、一度の敗北は必ずしもその馬が弱いという証明にはならず、何度負けても勝ち上がり、年老いてから全盛期を迎える競走馬も存在するのである。

 その中で、公平性を保つために、勝ち残ったもの同士と敗れた同士で戦いながら、またその中から勝者と敗者を選別するのである。

 敗者側にはさらに厳しい現実が存在する。

 負け続ければ、それだけ出られるレースが狭まってくる。

 場合によっては協会より、引退勧告を厩舎や馬主に突きつけられる場合がある。

 例えば、一度も勝てず、賞金を稼げない場合と、故障や加齢などによる衰えで、競走馬としてレースに走ることが適切ではないと協会側が判断する。

 そうなると馬主や調教師がどんなに泣こうが喚こうが引退せざるを得ないが、この例は稀有なケースである。

 馬主も調教師もいつまでも勝てない競走馬を見てはいられない。

 この時代では、そのままターフを去ることになるのだが、後年になると地方競馬へと移籍して、収得賞金を稼いで、中央へ返り咲くケースも増えている。

 競走馬によっては、雌雄の性別や年齢、距離適性など様々な要因で、得意不得意のレースが存在するため、この黎明期では適正なレースが存在しない為、勝ちきれず、ターフを去った馬が数多かった。

 中には大枚を叩いて買った良血馬も存在したが、レースとは残酷で、敗者に慈悲は与えられなかった。

 黎明期に新設された厩舎、調教師は50名。

 エルフィンド競馬時代の厩舎、調教師は25名。

 騎手は約150名。

 各厩舎に平均で5~10頭ほどが預けられていたので、最初は多くても750頭の競走馬が存在した。

 そんな中で、数少ない重賞のタイトルを取り合うため、なかなか厳しい世界ではあるが、それは競走馬だけではない。

 騎手も調教師も厩務員も馬主も、皆がタイトルが欲しかったのだ。

 

 さてそんな厳しい世界で、今最も謳歌しているのは、スプリングオブリバティだろう。

 ※OG1(※olkssengreat1の意味)、当時の国内G1競走としての名だが、キンググスタフステークス後に、八七八年末に行われた第一回エルフィンドカップを悠々と勝ち、翌年に行われていた八七九年の第一回王室大賞典すらも勝利し形式上初の“オルクセン古馬三冠”を達成している。

 第一回の国内G1を圧勝しているスプリングオブリバティの存在はまさに“異様”とも言われていた。

 ディレックは自叙伝に『キャメロットでも通用する牝馬』と書き残しており、時代が時代とはいえ、数合わせと評されながらも未勝利で出走し、キンググスタフステークスを逃げ切ったその強さは、もし仮にもう少し遅く生まれていたら国内初の牝馬三冠も夢ではなかっただろう。

 しかし、当時は三冠馬という概念がなく、もし仮に三冠の定義と当てはめるなら、スプリングオブリバティは残念ながら外れてしまうのだが、これは完全に蛇足である。

 惜しくも黎明の三頭と呼ばれたオプティマール、キュクノス、プルートーとはターフにて相まみえる事はなかったが、とある逸話が各陣営にて残されている。

 

 『その日は未勝利戦出走の為に、オプティマールを入厩させ、疲れが取れた次の日に調教場にジミーと向かっていた。やはり輝く馬体は他の馬よりも美しく、僕とジミーは誇らしく思っていた。そんな時、突然オプティマールが立ち止まり、じっと動かなくなってしまった。牧場時代から群れのリーダーとしての風格としていつも山のようにドンと構えて、何事にも動じなかったのに、この時に限ってはどこか落ち着かなくなっていた。オプティマールの視線の先には、当時ティリアンの女王と呼ばれていたスプリングオブリバティが悠然と歩いており、ちょうど我々とすれ違う形で調教を終えて厩舎に帰るところだった。もしかして畏れているのか?と思っていたが、どうもそうではない。彼女をジーっと眺めては、すれ違っていく後ろ姿を見続けていた。次の日から調教場に行く度に落ち着かなくなっては、しばらく何かを探している仕草をしていたが、考えてみればあれは彼女に一目惚れしたんだろうね』

 

『キュクノスを入厩させ、調教場の走りを見て着実に成長している姿を見て私自身、もしかしたら逸材かもしれないと考えていた時であった。ある時からキュクノスは馬房の影から向こう隣の馬房を覗くようになっていた。そこには我が宿敵と言えるスプリングオブリバティの馬房がある。スプリングオブリバティが馬房から顔を出すとキュクノスは顔を隠し、彼女が顔を引っ込めるとキュクノスは寂しそうに鳴き始める。厩務員の一人は「こいつ年上の女に惚れたみたいですよ。ませてますねぇ」と笑っていたが、なんとなく彼女に惚れる気持ちは分からなくはなかった。』

 

『スプリングオブリバティの名は知っていました。彼女は当時のエルフィンド、いやオルクセン競馬の象徴みたいな存在でしたからね。私としても彼女のような馬を育てたいと考えておりました。調教場で走っている姿も美しかったし、エルフィンドカップの勝ち様も鮮やかでした。…そうそう、スプリングオブリバティと言えば、うちのプルートーがやらかしたのを思い出しましたよ。調教場でいつも通り暴れているプルートーでしたが、調教場で走っていた彼女を見つけるとレイン(当時の調教助手)の手綱を無視して突っ込んでいってね…。鼻息荒くして必死に彼女の尻を追いかけて行ったんですが、やはり強かった。涼しい顔して去っていくもんですからプルートーも悔しかったんでしょうね。今度は戻ってきた彼女の前に立ちはだかって、嘶くもんですから、周りにいた皆で、彼女を守ろうと身構えてたんですよ。そしたら彼女いきなり前脚を上げて「どけ!」ってプルートー以上に嘶いたもんですから、プルートーがびっくりして固まってしまったんですよ!その隙に彼女は調教場から颯爽と去っていったんですが、あの時が一番胃が痛いながらもいつもプルートーに苦しめられている我々にとっては痛快でしたね。』

 

 同時期に走っていた三頭は同時期に同じ年上の女性に恋慕を抱いている事がのちに判明し、これは関係者の中でも今でも酒の肴となっている。

 しかし馬も競馬関係者もそれだけ彼女の美しさに驚き、誰かは“魔性の女”とも称していた。

 そんな彼女に海外渡航プランが浮上する。

 

 ベレリアント戦争後、オルクセン国内もやや落ち着きを取り戻し、一旦ではあるが、国際情勢も平穏を取り戻していた時期があった。

 そんな際に、グロワールレーシング(グロワール帝国内の中央競馬協会の総称)から王室大賞典後に招待を受けたのである。

 それはグロワール帝国の牝馬限定レースの中でも名誉あるレース“メルヴェイユ賞”である。

 グロワール帝国の競馬史における女傑“メルヴェイユ”から由来されるもので、元はグロワール牝馬クラシック三冠の一つとして存在したが、現在は四歳以上の国際G1として存在している。

 スプリングオブリバティが招待されたのはその国際競争元年の年であった。

 これはオルクセンどころかエルフィンド競馬時代から一度も行われなかった海外遠征で、スプリングオブリバティ陣営だけではなく、オルクセン競馬協会を交えての大会議となった。

 グロワール帝国の元競馬関係者で、現オンレイアン厩舎所属だったジミーもこの会議に出席し、メルヴェイユ賞の説明と、海外渡航の厳しさを説明し、各専門家との協議が連日昼夜行われていた。

 断ることもできるが、まだ始まったオルクセン競馬の意地を見せつける絶好の機会が早速来た!と息まく者がいる中で、陣営が下した結果は“出走する”であった。

 もしかしたら勝てるかもしれない。でも遠征は失敗するかもしれない。そんな感情が渦巻く中で、スプリングオブリバティの厩務員が口を開いた。

 『私は彼女の実力を一番知っていたます。私は彼女を信じたい。』

 この一言に馬主以下調教師の二人の腹は決まり、初の海外遠征が決まった。

 これには陣営、人種の垣根を超えて“チームオルクセン”として結成することとなった。

 スプリングオブリバティの調教師、レレミアン師はまずグロワール帝国のレース場に詳しいジミーに騎手を打診した。

 いきなり出た大抜擢にジミーは最初固辞しようとしたが、馬主から『勝ってほしいが、必ず勝てとは言わない。数%の可能性が上がるなら、グロワール人にしてグロワールで騎手をやっていた君に、リバティを任せたい。』と頭を下げられた。

 主戦騎手であったミーテン騎手もこれには賛同し『彼女を預けたい』と逆にお願いされたほどである。

 まだ悩んでいたジミーではあるが、ディレックから「ここは受けていた方がいい」と薦められた。

 馬主に恩を売る事もでき、負けてもマイナスなことはないが、プラス面に働く事が多いからだと考えたからだ。

 負けたら「次はリバティの仔で!」ともなるし、勝てば騎手としての名声も上がる他に、馬主に恩を売れることにもなる。

 そしてジミーの経験はこの時代の騎手からしても珍しい体験でもある。

 この当時、海外遠征とは莫大な費用と身体的負担が大きいもので、よほどの勝算がないかぎりは行わないのが通説ではあるが、成しえれば国の英雄並みの名誉を得られる。

 ハイリスクハイリターンの賭けではあるが、遠征費はオルクセン競馬が負担するとも話をしているし、滞在中はバックアップすると馬主も話しているので、ジミーとディレックには何もデメリットは存在しなかった。

 またオルクセンクラシックレースが開設されてもいない状況下で、ジミーほどの騎手を遊ばせているのも勿体ないし、出走しただけでも自厩舎の馬ではないが、実績が付く。

 ディレックはジミーの背中を押し、ジミーは腹を括った。

 こうしてオルクセン競馬初の海外遠征にして初の海外G1挑戦が始まったのである。




オークス本命はエンブロダイリーです。
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