ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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ヴィルシーナは失恋し、トレーナーの人生に楔を打つ

 海。

 私にとっては特別な思い入れがある。私と同じ勝負服の色、シュヴァルとヴィブロスに憧れになっているこのキラキラとした青い海。

 太陽の光はその海を透過させ、そして見るものを魅了するほど輝かせている。勿論、今は月明かりによって太陽光程の光ではありませんが、むしろそれは神秘的にも感じています。

 

「最後に海が見たい、だなんて。珍しいね」

 

 トレーナーさんは堤防の上に腕を乗せていき、そして海を眺めていました。彼の瞳には海から反射している月明かり。少しだけ何処か幼げにも感じてしまいました。

 

「はい、なんだか見たくなりまして。ここ、昔はシュヴァルとヴィブロスの三人で来たこともあるんですよ」

「はは、君にとっての思い出深い場所だってことだね」

 

 トレーナーさんは腕を大きく上に伸ばしてはその疲れを取っていくようにしていました。私も彼の動きを模倣したくなり、自然と一緒に腕を伸ばしては一緒に下ろしていく。彼と視線が合えば、頬が緩んでしまった。

 

「水族館に行って、その後運動して…ご飯も食べて、今日は本当に楽しかったよ」

「私もです。良い息抜き…いえ、お出かけになりました」

 

 彼に車で運転をして頂き、午前は水族館でイルカショーを見に行っては、通路がガラスで包まれ、そして紫の光でイルミネーションされた、非現実な世界。そんな世界を彼と一緒に歩いていきました。私は自然とトレーナーさんの手に自分の手を伸ばしては、彼は握り返してくれた。

 その体温は今でもこの手に残っていると錯覚をしていました。

 

 水族館を楽しんだ後は2人で運動をしに行きました。私はトレーナーさんの前でお父さん仕込みの投球をし、それに驚いては教えて欲しい、と子供のようにせがんできました。その姿が可愛く、一緒に握り方を教え、そして隣で真似ていく。

 それ以外にもサッカーやバドミントンをしては2人で何気ない小さな遊びを楽しんでいました。

 

 それらが終わった後には2人でレストランに入って食事をしていきました。高級ではない、所謂大衆向けのレストラン。でもそんな何気ないものが私にとってはとても嬉しかった。

 

 1つ1つ、今日の出来事を振り返るたびに、私の胸がぽかぽかと暖まるのを感じていく。彼と共に歩いた3年間。4年目は果たしてどんな人生になるのでしょうか。

 

「…早いものですね、もう4年目ですよ」

「…だね、ヴィルシーナと歩く4年目はどんなものなんだろうな」

 

 トレーナーさんは堤防に背中を凭れ掛からせ、そして月明かりを見上げていました。まるで感慨深そうに。私もまた彼に倣っては堤防に凭れ、そして見上げる。背後からは海が凪いでいる音、そして海が運んでくる夜風が気持ちよかった。

 私の焦がれている熱を冷やすように、とても涼しかった。

 

 私はちらり、と彼に視線を見つめていく。彼は月を見上げたまま瞳を閉じており、今日の出来事を噛み砕くように、そしてしっかりと残そうとしているようにも見えてしまった。

 たかが3年、されど3年。私にとっては余りにも濃厚で、そして長い時間。

 彼が言った4年目はどうなるのか。きっといつもの様にレースの世界に身を投じていくのでしょう。何気ない毎日を今日のように過ごしては、終える毎日。

 

 私はそれだけでは足りないと思ってしまった。

 

 傲慢だと思われるかもしれません。だけど今の関係のまま、4年目を迎えたくないという思いがありました。ウマ娘とトレーナーという関係ではなく、1人の女性として、貴方の隣に立ちたい、と。

 

 それを意識してしまえば、告げたくなってしまう。抑えよう抑えよう、と何度も深呼吸を繰り返しても一度溢れ出してしまえば、もう止まる事はありませんでした。私の心という器は、既に彼への想いで溢れ、溢れても尚注がれていく。

 彼の隣に立ち、妹2人とは違う海として、彼を包み込んでは一緒に寄り添いたい。

 

 息が苦しい、胸の鼓動が早くなっていく。レースと同じほど、もしかしたらそれ以上かもしれません。自分の胸元に手を置き、その鼓動が少しでも弱まって欲しい、彼に聞こえないで欲しい、と胸の中で告げていく。

 

「…大丈夫?」

「えっ…?そ、その…大丈夫…です」

 

 トレーナーさんは覗き込むようにしては顔を近づけていました。彼の表情は月明かりで良く見えており、私の抑えようとしていた心臓の鼓動はより早鐘を打ってしまう。

 大丈夫、と答えましたがそれは嘘です。意識した私にとって貴方という存在は劇薬で、意識を混濁させてしまうほどでした。

 

 少しだけ首を横に振っては私は正気を戻していこうとする。彼から一歩離れては「すぅぅ、はぁぁ」と大きく深呼吸をしていきます。

 彼は私のその動きに首を傾げて、不思議そうにしていました。

 

「トレーナー、さん」

「どうしたの?」

 

 彼の名前を呼ぶだけで口の中は乾き、唾液は全て無くなっているようでした。その後の言葉を出そうとしても、喉に引っかかっては発声することは出来ませんでした。

 

「あの……その……」

 

 ようやく絞り出せた声は何とも情けないものでした。だけど彼は茶化すことはなく、私を見つめたまま、その言葉を待っています。喉を絞り、ようやく出せた声。小さく、でも彼に伝えるこの言葉。

 

 

 

「──────好き、です」

 

 

 

 海の凪いでいる音だけが聞こえる。トレーナーさんはその言葉がはっきりと聞こえたのか、一瞬だけですが瞳を見開いた後に、直ぐにいつもの柔らかな表情へ。

 

「俺もだよ、トレーナーとして君のことが一番だ」

 

 違います。その答えではありません。私が求めていたのはそうではなく─────

 

「ちが…トレーナーさん、違うんです。私は…トレーナーさんの事を─────」

 

 違う、違う、これは間違い、と否定していく。もし言ってしまえば元の関係に戻れなくなってしまうのではないか。これは私の人生で一番間違いの選択をした、と脳裏を過ぎるも既に止まるための理性を持ち合わせていませんでした。

 

 

 

 

「一人の男性として─────好き、なんです…」

 

 告げた。トレーナーさんに告げた。

 勇気を出して、彼に伝えた。ここまで頑張ったのだから、私にとってきっと幸せな、ハッピーエンドが待っているはず。

 トレーナーさんの答え、きっとそれは高揚感に溢れさせ、私を─────

 

 

 

 

 

「すまない、君を……そういう風には見れないんだ」

 

 

 

 

 

 視線を合わせてくれませんでした。彼は唇を強く噛ませながら、瞳は揺れていました。私に対して罪悪感を抱いているようにも見えてしまいました。

 対する私は、足元から全て落ちてしまいそうな、このまま奈落に消えてしまう、そう思えてしまった。倒れそうになる体を堤防に寄りかからせては、脳内がくらくらとしていました。酸素が足りずに心臓の鼓動は早く、そして呼吸を浅く何度も繰り返していく。酸素を求めているも、満たされることのない私の肺。

 

「ヴィルシーナ…」

 

 トレーナーさんの声が聞こえると私は其方に視線を向けていく。彼と視線が合うと、直ぐに逸らされてしまった。ちらり、と様子を窺うその表情は複雑なものでした。

 

 自分の唇が震えているのを感じる。必死に、今だけは必死に表情を作る。一度顔を上げては落ちてしまいそうな雫を瞳にしまっては、私は彼を見つめていく。

 今だけは泣かないで。

 

 私は強いお姉ちゃん、そう言い聞かせては彼に告げていく。

 

「…私は、大丈夫ですから…今は、1人にさせてください」

「…夜も遅いし、その…送っていくよ」

 

 トレーナーさんの優しさ、それが今の私にとっては苦しいものでした。彼のその優しさを受け入れないように、これ以上甘えてしまわないように私は首を横に振っていく。

 

「大丈夫です。門限までには…帰りますから」

「だけど────」

「本当にっ……大丈夫ですから」

 

 彼の言葉を遮ってはその優しさを否定していく。彼の優しさは、今の私にとってより心を締め付けるものでした。

 必死に、笑顔を浮かべてトレーナーさんに答えていく。私の視界は歪んでおり、まともに彼の表情を見ることもできませんでした。

 

「……わかった。その…また明日」

「はい、また明日」

 

 私に背を向けては歩き出していくトレーナーさん。何度か此方の様子を伺うように視線を向けていました。私は彼の姿が見えなくなるまで視線で追っては、その場にしゃがみ込んでいく。

 

「…っ、だめ…泣いたら、だめっ…」

 

 自分の顔を両手で覆っては溢れ出しそうになる涙を必死に押さえていく。だけど、その行動は無意味で、指の隙間から流れ出してしまう。

 

 言わなければ良かった。

 彼が水族館で手を繋いでくれたのは私が好きなのではなく、ただはぐれない様に心配する兄としての姿。

 スポーツの時に見せたあの幼げな彼の姿はただの興味本位。

 レストランで食事したのは彼のただのお礼。

 

 舞い上がっていたのは私だけでした。

 勘違いしていたのは私だけでした。

 

 この想いを秘めて、彼に伝えなければここまで苦しむことは無かったのに。あの時感情に身を任せて告げてしまった私は愚者です。私という海でトレーナーさんを包み込みたくても、拒絶されてしまえばそれは叶わない。

 この想いを告げてしまったが故に彼との距離が離れてしまうのを感じていました。あの時に見せた優しさは私を振ったが故の同情です。

 

 きっと、彼は私が恋心を抱かないように距離を取る事でしょう。

 それが、とても耐えられなかった。

 

 私の耳に入る海の音。体を起こしては、堤防に身を預けて海を眺めていく。

 

「…綺麗ね…こんな気持ちなのに…」

 

 静かな世界。この世界で私だけが取り残され、誰も居ないと思ってしまうほど静かでした。静かであればトレーナーさんの言葉が胸の中で繰り返され、また涙が出そうになってしまう。

 

「……帰らなきゃ…」

 

 哀れな私。悲劇のヒロインではなく、ただ1人の恋心を抱く乙女として帰れば良かった。何度も後悔を繰り返しても時間は戻る事はありません。

 

 青くて深い海。

 どうか、私の心を癒すほど、深い紺碧となってください。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

「ヴィルシーナさん…今日もおやすみですか…?」

「…えぇ、ごめんなさい…体調が優れなくて…」

「その、無理はしないでね…?」

「ありがとう、タルマエさん」

 

 ぱたん、と寮の扉が閉じられていく。タルマエさんが部屋から出ていくのを見送れば、私はベッドの上にまた体を預けていきます。

 あの日から3日が経ちました。私の心はまだ癒えておらず、それどころかより曇りがかっています。寮に帰るなり、私はタルマエさんに泣きついてしまいました。優しく撫でてくれる彼女の手が暖かく、私はみっともない姿を見せてしまい恥ずかしくなってしまった。それ以上その姿を見せたくなく、私は事情を話せてはいません。1人で抱え込んでしまっている状況。だけどこれは私1人で飲み込み、噛み砕き、受け入れなければいけません。

 

 タルマエさんを巻き込んでしまうのは、私のプライドが許せませんでした。

 

「…顔、洗わなきゃ…」

 

 夜になっては頭から布団を被り、暗い部屋で1人すすり泣く毎日。朝起きれば目を腫らしては起床をし、そして夢のせいでまともに眠ることは出来なかった。毎日のように見る彼に振られた夢。その夢は時間が経てば経つほど、より鮮明に、そして私の中でより最悪のものへ変わっていました。

 

【ごめん、君をそういう風に見れない】

 

 帰ったその日に見た夢。彼が遠ざかり、そして私は夜中に起きてしまいました。

 

【ヴィルシーナ、君は妹として見ている】

 

 次の日に見た夢。私を異性としてではなく、家族として見ている。私がシュヴァルとヴィブロスを見るような瞳で告げられた。

 

【すまない…他に好きな人が居るから】

 

 今日見た一番最悪の夢。トレーナーさんはこんな事を言っていないのに私の中で勝手に書き換われ、お前に希望は無い、諦めろ、と告げるようなものでした。

 その時は夢の中で「違いますっ!」と叫んでしまった。まさか現実でも叫んでしまっているとは思いもしませんでしたが。

 

 その悪夢を見てしまうせいで、私はまともに眠ることが出来なかった。眠ってしまえばあの悪夢が襲い来る日々。でも体の欲求には逆らえず、最後には泣き疲れて子供のように寝てしまう。食事も喉を通らず、最低限のエネルギーで生きている。

 死人とはまさにこのことを指すのでしょう。

 

 ベッドからふらつくようにして立ち上がっていく。窓に視線を移せば、私の心とは真反対に晴れており、私を嘲笑うかのように太陽の光が部屋の中を照らしていました。

 

「…私だけ、置いていかれてるみたい」

 

 私だけがあの日で立ち止まり、足踏みを続けている。前へ足を踏み出そうとしても、あの日の後悔が私の脚を掴んでは行かせないように引っ張り続けてくる。纏わりつくこの体の重さはいつになったら晴れるのでしょうか。

 

 タオルを手に持ってはゆっくりと歩き出しては部屋から出ていく。既に寮の中は静かになっており、殆どのウマ娘は学園へ向かったのだと分かりました。

 私は洗面所へ向かって歩いていく。洗面所に辿り着いてはそこで私の顔。久しぶりに見た自分の顔は酷いものでした。

 

「…ふふっ…隈もあって、やつれて…こんなの強いお姉ちゃん………ではないわね…」

 

 自分を嘲笑うかのように呟いていく。少しでもその心を晴れやかにしたく、蛇口を捻っては水を出していき、顔を洗っていく。ぱしゃり、と水音を立てながら何度もあの日を忘れようと、顔を手で拭いていく。

 自分の濡れた顔を鏡で見つめても、そこには先ほどと同じ表情の私が居ました。

 

「………トレーナーさん…」

 

 洗面台に両手を付いては、1人零していく言葉。トレーナーさんに振られたというのに、彼の事をまだ引きずってしまっている。私にとってそれだけ彼の存在は既に大きくなっており、私の人生の一つにもなっていました。

 

 私はトレーナーさんに支えられ、そしてここまで走り抜けることが出来ました。私という人生は既に彼によって深く、鮮やかな色どりを植え付けられてしまっている。

 私の海の様な青色。愛しい家族という色。そしてトレーナーさんという傍に居てくれた色。

 その綺麗な私の人生という色は何度も何度も混ぜられ、深い黒色へと変わり始めている。

 

 ぽたり、ぽたり、と自分の前髪から、頬から濡れた雫が垂れていく。私は今まで何をしていたのだろうか、そんな事さえも考えてしまうほどに心が疲弊していた。

 ふと、視線に自分の長い青髪が入る。それを自分の手で掬い上げては、見つめていく。

 

 失恋した時には楽になるために髪を切って短くする、と聞いた事があります。

 

「………そうね…たまには…良いかもしれないわね」

 

 普段は長く伸ばし、そして手入れもしているこの長い髪の毛。これを切ることによって私の心が晴れるのであれば、少しでも前を向けるのであれば、その行為に縋りたかった。

 自分の顔をタオルで拭いていき、そうして洗面所から離れていく。顔を洗ったことで少しだけ頭の中が晴れたような気がしている。

 

 自室へと帰ってこれば、私はタオルを置いて、そして私は机の引き出しからハサミを取り出していく。このハサミは私自身の髪の毛を整えるために購入したもの。それを手に持ち、私はシャワー室へと向かっていきました。

 

 シャワー室に入れば、正面の鏡を見つめていく。

 

 私は青毛の長髪を掬い上げるようにして、見つめていました。その髪に自分のハサミの刃を当てては、ぴたり、と手の動きが止まってしまう。自分の長い髪、これを全て切ってしまうのは過去の自分を断ち切ってしまうのと同じ。

 

「…違うわ…これは…私が前へ進むために…」

 

 いつまでも立ち止まっていられない。これ以上、足踏みをすることは私自身を許せなかった。

 

 ハサミを自分の首元近くの髪へ持っていく。そのままじょきっ、と耳元で刃が自分の髪を断ち切る音。静かな部屋に響き渡る髪の落ちる音。少しだけ深くハサミを入れては、また切り裂いていく。ぱさり、と乾いた音を立てながら、私の髪が落ちていく。

 一度切り始めてしまえばあとは簡単でした。ただ、この重さから、苦しみから逃れるように髪を切り、自分の頭部が軽くなるのを感じている。

 

「………」

 

 自分の髪を切り終え、私の腰近くまであった長い髪は、今は肩までの長さになっていました。足元に広がる自分の青い髪の毛。その髪はいつもよりも深い青で、深海に近いほどの黒さ。

 鏡に自分の姿を見ていくもその表情は変わらず、ただいつもの私がいるだけ。自分の手からハサミが滑り落ちていき、その鏡の中の自分に手を伸ばしていました。

 

「……なにも…変わらない…じゃない…」

 

 小さな声で呟いていく。物理的な重さは軽くはなりました。ですが、私の心を縛る枷は強くなっていくばかり。自分の唇を噛みしめ、私は両手で顔を覆ってしまう。

 

「…なにを…してるの……こんなの…私じゃない…」

 

 髪を切ったことでいつもの私ではない私。それがどうしても見ることが出来なかった。鏡に映る自分はより醜く、ヴィルシーナという私なのに、違うヴィルシーナというウマ娘に見えてしまう。

 

「トレーナーさん……」

 

 彼の名前を呼んでいく。呼んだところで彼が助けに来るわけではないのに。

 彼を愛おしいと未だに思ってしまう。もう叶わぬ思いなのに。

 彼に会いたいと思ってしまう。出会っても苦しむだけなのに。

 

 ぽたり、何かが落ちる音が聞こえた。

 

「……?」

 

 最初は水の音だと思いました。視線をシャワーへ向けてもそこには何も垂れてはおらず、水も出るはずがありません。

 

 ぽたり、とまた落ちる音。

 その音を追うように私は床に視線を向けていく。

 

 床に広がっているのはあの時に見た海と同じ紺碧の色。だけど、その紺碧は普段よりも色鮮やかではなく、もっと深く全てを飲み込んでしまうような色でした。

 この色は─────なに?

 

「…トレーナーさん……は…私を……振った」

 

 失恋をした。その失恋は私の人生に大きく、深い傷を残してしまった。彼のせいではありません。私が想いを伝えたのが良くなかったのです。

 

 あの時彼は言いました。そういう風には見れない、と。私を1人の異性としてではなく、担当のウマ娘としか見れないのだと。だから彼は私を振ったのだと。

 また鮮明に思い出しそうになってしまう。髪を切ったから、この過去を断ち切れると思ったのは浅はかでした。

 

「………ま、って……」

 

 ふと、彼の言葉を思い出してしまう。

 そういう風には見れない、という言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………あ…ふふっ……そういうことなのね…」

 

 トレーナーさんの言葉の意味に気づいてしまう。その気づきは私の中で最初は疑念へ。だけど、少しずつ私にとっての都合の良い解釈を進めてしまう。私は彼を包み込む海になりたいと思っていました。

 ですが、それでは彼の心を掴むことはできません。

 

 そういう風に見れない。裏を返せば、少しのきっかけでそういう風に見てくれるという事。それに気づいてしまえば、私の口元は緩んでしまいました。

 

 誰よりも一番に私の今の姿を見て欲しい。誰よりも一番に肯定をして欲しい。それを思ってしまえば私の脚は自然と外に向かっていた。

 だって、私は頂点を目指すのだから。それはレースでも、トレーナーさんの人生においても頂点でなければ、嫌だった。

 

 トレーナーさん、今から貴方に会いに行きますね。そして今度は私の欲しい言葉を言ってくださいね。貴方が好きで告白をしました。そして振られた私は髪を切り、別の私として貴方に会いに行きます。だから………間違えないで下さいね?

 

 彼を包み込む深い、深い海は──────────彼を飲み込む深海へ、変わりました。

 

 

 

 

□■□■□■□■

 

 

 

 

 ヴィルシーナがトレーニングに来なくなり、3日が経った。彼女にLANEを送って聞くべきだとは思うが、彼女の想いを振った自分が聞きに行くのはなんとも残酷な行いである。

 だからこそ、彼女が立ち直れるまで俺は出来る限りそっとしておこうと思った。これが彼女にとって正しい選択であるはずだ、と目を逸らしながら。

 

「……悪いことしたよな、やっぱり」

 

 繰り返されるあの日。ヴィルシーナに告げた言葉は本心だった。

 俺は彼女の事を1人の担当ウマ娘として見ている。それは1人の異性としてのヴィルシーナ、ではなく、担当ウマ娘で教え子のヴィルシーナ、としてだ。あくまで自分は彼女を指導するトレーナーという立場。そこの一線を履き違えてしまうのはまた別の話である。

 

 とはいえ、彼女に告げた言葉は余りにも突き放すような言葉であったことは後悔している。もう少し返答の選び方は無かったものか、と思い、他の返答をしたくても戻る事の無い時間。

 

 彼女が来た時にはしっかりと話し合う必要がある。1人の大人として。

 

「仕事…するか」

 

 ヴィルシーナの事を考えてしまえば仕事の手も止まってしまう。だけど雇われている以上は最低限の事をしなければ。そう思い、パソコンに向かってはキーボードを叩こうとすると

 

 こんこんっ

 

 とノック音が聞こえた。

 壁時計に視線を向けると時刻は午前11時。こんな時間に来客とは珍しかった。

 

「…どうぞ?」

 

 扉の向こうにいる主に対して声をかけていく。

 がらら、と音を立てながら開いた先にはヴィルシーナが居た。思わず椅子から立ち上がり、彼女の名前を呼ぶ。

 

「ヴィル──────シーナっ……?」

 

 扉を開けた先に立っているヴィルシーナはいつもと様子が違っていた。正確に言えば雰囲気がまるで別人のようだったのだ。

 俺は彼女の名前を呼ぼうとしても途中で喉に詰まりかかり、出てくるのは吐息の様な言葉。

 彼女の髪は肩まで短くなっており、そして此方に笑顔を浮かべていた。

 

「お久しぶりですね、トレーナーさん」

 

 彼女が脚を踏み入れては、扉を閉めていき、2人だけの空間へ。

 

 かちゃん

 

 と扉の鍵が閉められる音が聞こえるのと同時に俺は胸の中が締め付けられてしまう。

 ヴィルシーナは一歩一歩近づいてくる。その表情はいつも見せている笑顔なのに、何処かいつもの彼女ではないものを感じてしまう。

 

 彼女の歩く音だけが部屋の中で響いている。彼女は先ほどの言葉を告げた後に何も発さず、ゆっくりとした動きで近づいてくる。

 ぴたり、と彼女は脚を止めていく。俺と彼女の距離はまだ数歩以上あった。

 

「トレーナーさん。似合ってますか?」

 

 ヴィルシーナの問いに俺は答えることが出来なかった。

 柔らかな笑顔、その笑顔に俺は視線を合わせられず目を逸らしてしまった。似合っていますか、それに対する肯定と否定は彼女に答えるには、あまりにも重すぎた。

 

 綺麗だね、は

 似合ってないよ、は

 前の方が好きだったよ、は

 

 全てヴィルシーナという存在を縛り付ける呪いの言葉だった。

 呼吸が浅くなる。肺の中の空気は少なく、気づけば吐いた息の方が多くなっていた。ごくり、と唾を飲む音だけが嫌に響く。

 

「答え、られませんか?」

 

 ヴィルシーナが1歩、近づいてくる。外は晴れているのに、この部屋だけは雨が降った時のようにじめり、としている。俺の背中と額にはいやな汗が伝うのを感じた。

 

 立ったまま、彼女の問いにどう答えればいいのか、ただ閉口している。この空気を変えたい一心で俺は彼女の方に視線を向けると

 

 

 

 

 既に俺の横にいた。もう彼女との距離は殆どなく、脚を踏み出してしまえばぶつかってしまう程近かった。

 

「俺…は…」

 

 必死に絞り出す声。その声に反応するように彼女は口元に手を当てて、くすくす、と楽しそうに笑っている。その笑い方は以前の彼女にそっくりなのに、別人のように見えてしまう。

 

「ふふっ、珍しく…動揺されてますね?」

 

 彼女の言葉は明るかった。だが、その言葉の奥底は何か、形容しがたい黒い何かが潜められていた。その何かは俺にとっては良くないものだと感じ、脚を動かそうとしても、動かせなかった。

 

「その……」

「いいんです、分かっていますから。トレーナーさんのこと」

 

 ヴィルシーナの真意が掴めなかった。彼女に見つめられ、そして俺もその瞳を見つめていく。彼女の瞳は深海と同等なほど暗く、飲み込まれてしまいそうになる。

 咄嗟に、本能的に視線を逸らしていく。これ以上見ることは俺にとって耐えられない事だったからだ。

 

 だけどその行動を否定するように、ヴィルシーナは俺の両頬に手を伸ばし、そして挟み込んでいく。彼女の手は冷たく、それは海の冷たさだった。

 

「見てください、私の目。綺麗ですか?」

 

 自然と彼女の瞳と合ってしまう。本当ならここでお世辞でも言うべきなのに、喉から声を出そうとしても、息が漏れるだけだった。

 

「ふふっ…言葉が出ないほど、なんですね?」

 

 笑っている。ヴィルシーナはただ、笑顔を浮かべている。

 俺は言葉を発していないのに、何も告げていないのに、全て彼女にとって無言の答えは解釈の良いように書き換えられてしまう。

 

「トレーナーさん、そういう風に見れない…と言いましたよね」

 

 ヴィルシーナを振った時の言葉。頬を挟まれながら、ゆっくりと頷いては応えていく。これが出来る限りの答え。その答えに対して目を細め、顔を近づけてくる。俺の耳元に彼女は口を近づけてきた。

 彼女の息が当たっている。

 

「私は…頂点を目指したいのです。レースだけではありません。トレーナーさんの人生の頂点としても。だから、トレーナーさん。貴方が私をそういう風に見れるように努力をします。私の担当ウマ娘ではなく、1人の異性として。それでも、努力しても叶わぬというのであれば……トレーナーさんの人生で一番、深い深い楔を──────────植えつけます。どんな相手と結婚しても、恋愛しても、常に私という存在を思い出させるように」

 

 ヴィルシーナの唇が離れていく。彼女の両手は俺の顔をを包み込む様に、頬から覆っていく。冷たい指の一本一本の感覚が嫌という程感じてしまう。

 俺の身体はいつの間にか体温を奪われており、震わせていた。

 息が苦しい。海の中にいるようで、水中で溺れてしまっているかのように、空気を欲しても満たされることの無い呼吸を繰り返している。

 

「トレーナーさん」

 

 彼女の言葉は全てを飲み込んでしまうほどに、暗く、そして、冷たかった。

 

「次は…間違えないで下さいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

「似合っていますか?」

 

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