青々とした芝のコース。その上を風を切るように走る2人のウマ娘。前方は長髪の青毛。後方には短髪で鹿毛色。脚を踏み出すたびに2人の間は少しずつ離れていき、蹴り上げられた土は宙を舞っていた。
数秒後、ゴール板の前を通り過ぎた彼女。その1、2秒後にももう1人が通り過ぎた。
「はぁ…はぁ…ヴィルシーナさん…ありがとうございます…!」
「此方こそ。良い走りだったわ」
ぱぁ、とその鹿毛色の子は表情を明るくした。嬉しそうに何度も頭を下げた後にヴィルシーナはその場からトレーナーの方に向かっていった。
「お疲れ様、ヴィルシーナ」
「ありがとうございます」
両手を重ね合わせて丁寧にお辞儀をしていくヴィルシーナ。
彼女の元に並走を頼むウマ娘は日に日に増えており、彼女自身もそれを断ろうとはしていなかった。皆のお手本になろうとするヴィルシーナ。その姿はまるで称えられ、そして憧れる女王の姿といっても過言では無いだろう。
「本当、君は凄いね。ここまで多くの人を惹きつけるだなんて」
「トレーナーさんのおかげですよ」
「俺の?」首を傾げてしまう。
えぇ、と彼女は一言呟いた。
「私をここまで導いて下さったのですから」
少しだけ背中がむず痒かった。ヴィルシーナにそう言われてしまうも、やることをしただけなのだ。困ったように眉を下げてしまうと彼女はふふっ、と楽しそうに笑った。
「…さて、取り敢えず今日は─────」
「ヴィ…ヴィルシーナさんっ!」
言葉を遮るようにまた1人。今度は芦毛の子だった。
「わ、私も…並走をお願いしたいです…!」
「えぇ、良いわよ。明日でも構わないかしら?」
「はいっ!ありがとうございます…っ!」
頭を下げては嬉しそうに、軽やかなステップで立ち去る。それを見送ってはふぅ、と1つ息を吐く彼女の姿。ちらり、と視線を其方に向けては
「…並走を受けるのもいいけど…オーバーワークじゃないか?」
「折角お願いをしてくださっているんですもの。受けなければ失礼に値します」
腕を組んでは考え事をしていく。4年目にも入り、彼女の実力は目を見張るものになっている。彼女は強いだけではなく、面倒見もよかった。それはもう見すぎではないのか?と心配をしてしまう程に。
ヴィルシーナは長女である。大好きな妹2人のために付き合うこともあり、そして後輩や同期の子に凛とした強さを見せている。
心配事はそれだった。
彼女は誰かに頼まれては快く受けている。勿論、オーバーワークになるときは止めている。しかし、結局は並走を受けたり、レース理論を教えているのだ。皆のお手本になるような、頂点を目指すのであれば当然だと言うように。
ヴィルシーナの行動は尊重したい。しかし、それが彼女の体力を超えるのであれば望ましくはない。
(並走をすればその分実力を確かめることもできる。だけどヴィルシーナの場合は…)
明らかに度を越えている。
そう思えてしまったのだ。流石にこれではトレーニングどころではない。
「ヴィルシーナ、今日はもう終わりにしよう」
「…えっ?いえ、私は大丈夫ですよ」
「ううん、今日はこれでお終い。昨日も今日も並走をしてるし…ここ最近は色々としすぎだから…明日からは軽めの内容に変えるよ」
「そう…ですか。分かりました…」
一瞬、彼女の視線が地面へと揺れた。
「先にトレーナー室に戻ってて。俺は少し片づけとかするから」
「分かりました、待っていますね」
そう告げるとヴィルシーナは荷物を持ってコース場に背を向けていった。彼女が立ち去る中でその表情は何処か、物憂げに見えてしまった。
****
コース場で使用していた物品を片付けてはトレーナー室へ足を運んでいく。まだ日は高く、外にはトレーニングをしているウマ娘もいた。静かな学園内。ウマ娘達の掛け声と、指導をするトレーナーの声が廊下に響いていた。
トレーナー室へ辿り着き、扉を開けていく。
「お待たせ、ヴィル──────シーナっ!?」
まず視線に入ったのはヴィルシーナが倒れていたこと。ソファーに突っ伏すような形で彼女は身を投げ出していたのだ。彼女に近づいては、上半身を持ち上げていく。
「…あれ…トレーナーさん…?」
「大丈夫かっ!?」
彼女の声は細く、しっかりと聞いていないと消えてしまいそうなほどだった。ヴィルシーナの表情は血の気が引いているほど青ざめており、彼女の体には蝕まれていることが分かった。
「とにかく保健室に…」
彼女を抱き抱えて運ぼうとすると、自分の袖を引っ張られる感触。其方に視線を向けるとヴィルシーナが首を横に振っている。まるで拒絶をするように。
「…大丈夫、ですから」
「倒れているのに大丈夫なわけないじゃないか。とにかく保健室に─────」
「本当に…大丈夫です…からっ」
強い拒絶。自分の袖を更に強く引っ張られていく。小さな子が駄々をこねるような姿。ヴィルシーナがここまで拒絶反応を見せるのは珍しい事だった。
何か事情があるに違いない。そう思っては彼女をソファーに座らせて、横並びになるように座っていく。
「どうしたんだ、一体」
前屈みになりながらヴィルシーナの表情を覗きこんでいく。彼女は視線を下に向けたまま、時折此方を気にするように瞳が動くも直ぐに逸らしてしまった。
無言の時間。1分にも満たない時間だが、やけに長く感じてしまう。彼女の瞳を見つめていく。ただ逸らすことなく。そうして、何度か視線が合う内にゆっくりと口を開き始めた。
「……女王として姉として…弱さを見せてはいけない、と思ったからです」
「…それが最近の並走とかの理由?」
反応するように彼女は一度頷いた。
「ヴィクトリアマイルとエリザベス女王で栄光を掴み、そして注目を浴びました。それはもう、今までにない程です。だからこそ、先頭に立って皆を導くために、断りたくなかったんです」
「だけど、それじゃ君の体が…」
「それでも、です。シュヴァルとヴィブロスにとって誇れる姉に。私に憧れる後輩や同級生の子に。恥ずかしい姿は見せられませんから」
眉を下げては困ったような、でも笑顔を繕った表情。
誠実なのだ。あまりにも。他人にそう見られても良しとはせず、より高みを、より誇りを目指す。面倒見が良いという言葉で片付けられない。それ程までに彼女は己を強くしたかった。
頂点たる女王であるために。
「無理をしたことを隠していたのは謝ります。ですが…これは私の義務ですから」
「…無理をすることは義務だとは思えないよ。それに…」
ヴィルシーナの頭に手を乗せていく。頭頂部から後頭部へ、ゆっくりと手を滑らせながら彼女の頭を撫でていく。少しだけ驚いたようにウマ耳が跳ね、そして顔を上げて見つめてくる彼女。
「無理をする前に必ず言う事。そのために俺がいるんだから」
彼女にしっかりと伝えていく。ウマ娘が無理をしないように、体を壊さないように、そして正しき道を歩めるようにトレーナーがいる。間違った道を行くのであればそれを正す必要がある。壊れてしまった後で後悔をしても遅いのだ。
何度か頭を撫でていると、彼女は頬を緩ませていく。その表情は何処か紅潮していた。
「…そう言われてしまうと…甘えてしまいます…」
「いくらでも甘えてくれていい。というか、無茶をされる方が困るから」
自分にも非があるのだから。もっと早い段階で止めることもできた。理由を聞くこともできた。なのにそれをしなかったのはヴィルシーナに甘えてしまっていたからだ。
その贖罪というわけではないが、何かをしたかった。彼女のために。
ヴィルシーナの頭を何度か撫でていると彼女は腰を動かして近づいてきた。ぴとり、と自分の肩と彼女の肩が触れ合う程の距離。思わず、自分の撫でる手が止まってしまう。
「……その…」消え入りそうなほどの小さな声だった。
「どうした?」
彼女を見つめながら答えを待っている。
「…2人の時だけ……妹の様に甘えても良いでしょうか…?」
ちらり、と此方を見てから直ぐに視線を逸らしてしまう。ウマ耳は忙しなく揺れており、尻尾もそれに合わせていた。
2人の時だけ、というのはきっと他の人に見られるのが恥ずかしいからだろう。女王としてあるが故にその弱さや甘さは信頼できる人にのみ見せたい。むしろこれは信頼されている証なのだ。
「構わないよ」
そう一言告げるとヴィルシーナの表情は明るくなった。
そうして、今度は此方の肩に頭を乗せてくる。彼女は此方の袖を指で挟む様にして掴んでおり、小さな声で「今は…こうさせてください」と紡いだ。トレーナー室で2人だけの秘め事。
彼女が他者に見せることは無い、小さくとも大きな弱さ。
ただただ、彼女の頭をまた撫でていく。
日が少し傾き、2人を照らしていた。
****
そして始まった2人だけの秘め事。ヴィルシーナによる甘えるという行為。この秘め事は主に2人きりだけの時にするようになった。
前までしていた並走の数も減らし、彼女にとって自分の時間を増やして貰っている。とはいえ、この彼女の時間がほとんど甘えるための時間になっているのは、果たして良い事なのだろうか。
そう思いながら、今日も一緒にソファーに座り、ヴィルシーナは俺の腕に抱き着いていた。
「…頭、撫でてください」
「好きだね、これ」彼女の頭頂部に手を乗せてはゆっくりと撫でていく。
「心地よいですから」
今度は彼女は腕に顔を押し付けて来ては猫のように擦りつけてくる。少しだけ擽ったい。
既に彼女の肩はぴったりと空白が無いほどにくっついている。無くなった空白に対して更に近づいては、彼女はより密着してきた。
太腿と肩、腕、自分の右半身が既に彼女にくっつかれており、少々暑い。
「…くっつきすぎじゃない…?」
「あら…?嫌でした?」
「嫌ではないけども…」
視線を逸らしてはヴィルシーナを見ない様にしていく。自分の頬が熱い。きっと今鏡を見たら赤くなっているのだろう。そしてそのことを証明するように頬ををつつかれる感触。
「ふふっ、赤くなっていますわね」
何度もむにむに、と頬の形を変えられるのを感じた。言葉にして言い返すことも、行動として彼女にし返すこともできずにただ享受するのみ。ヴィルシーナへ視線を向ければ彼女はと視線が合う。その事に頬を緩ませる彼女。
妹のように甘える、といっても最早これでは甘え過ぎなのではないか?と考えてしまった。距離は近いなんて言葉では片付けられず、そして2人きりになればこれなのだ。
「えぇっと…流石に恥ずかしいかなって、思うんだけど…」
「私が、ですか?」
「いや、俺が。ヴィルシーナは恥ずかしくないの…?」
「いえ?妹として甘えているだけですもの。恥ずかしいとは思いません」
ぎゅう、と力を強められては離れることを許可されない。
一日、また一日とこの状況を歩みながら、過ぎていく。
そして彼女は2人きりになれば何かと
「トレーナーさん、撫でて欲しいです」
「トレーナーさん、腕を…お借りしても良いですか?」
「トレーナーさん……ぎゅってしたいです…」
毎日毎日、ヴィブロスのように甘えてくる。そのどれもがスキンシップであり、自分の身が持たなかった。主に精神的なもので。
今日も彼女に抱き着かれたまま、トレセン学園の一日を終わりを告げる鐘がなった。
****
「いらっしゃい、ヴィルシーナ」
「お邪魔します、トレーナーさん」
そんなある日の休日だった。彼女が料理を勉強しているとのことで、自室に訪れて試食をして欲しいとのこと。妹2人のために実家の味を食べさせてあげたい、とのことで練習をしたらしい。その味見役としてまずは、ということで抜擢をされた。
彼女が脚を自室に踏み入れては、周囲を見渡していた。
「気になる?」
「…というよりこのような感じなんですね。なんだか不思議な気分になります」
キッチンへ案内をし、ヴィルシーナは保冷バッグから食材を取り出していく。
人参、ジャガイモ、豚肉、糸こんにゃくに玉ねぎ。
食材を見ては思いついた料理はこれしかないだろう。
「肉じゃが?」
「正解です。少し時間はかかりますが、家庭の味、といえば代表的なものですね」
既に一部の食材に関しては切られており、どうやら準備をしてきたようだ。
「準備が良いね」
「時短です。後は食材を入れて煮込むぐらいですので。お鍋はどちらに?」
「ここだよ。包丁とかもあるからもし必要なら好きに使って大丈夫だから」
指をさしながら各調理器具の場所について説明をしていく。その説明を受けた後に1つ、頷いたヴィルシーナは早速と言わんばかりに鍋を取り出していく。
鞄からはエプロンを取り出し、それを首にかけては背中の紐を結んでいく。
更に保冷バッグの中から調味料を取り出し、そして鍋の中に油を小さじ1杯。既にカットされた玉ねぎとジャガイモを鍋に入れていき、炒め始めた。
その様子を少し離れた所で眺めていると、ヴィルシーナは此方に視線を向けて
「ゆっくり待っててください。出来ましたらお伝えしますので」
「手伝いは要らないか?」
「問題ありません。楽しみに待ってて下さいね」
笑顔で告げられる。家主であるため、何か手伝った方が良かったのかも、と思ったが杞憂だったか。無理に手伝うのも邪魔になってしまうため、ここは任せよう。
「分かった。じゃあ、出来たら教えて欲しい」
「はいっ」
弾んでいる彼女の声。何処か楽しそうだった。
俺はそのままソファーに向かっていき、机の上に置いてあるパソコンと向き合っていく。ヴィルシーナが来る先程まで次のレースに向けた準備や、近づいている夏合宿へ向けたトレーニング内容の見直し。それらを行うつもりだったが、とある疑問が1つ浮かんでしまった。
(そういえば、わざわざ俺の家で作る必要はあったのだろうか…?)
味見をさせたいのであれば、調理したものを持ってくるなり他にも方法があったはず。理由を考えたとしても思いつかず、行きつく先は
(出来立てを食べさせたかったのかな…)
となってしまう。
キッチンに視線を向けると彼女は楽しそうに鼻歌を歌いながら、調理を続けていた。ヴィルシーナが見られていることに気づいたのか、鍋に向けていた視線は此方へ変わる。交わるお互いの視線。頬を緩ませた彼女は小さく手を挙げて振ってきた。
それに合わせて俺も手を振り返していく。
「……なんだか…いや…言わない方がいいな」
ぽそり、と小さく聞こえない様に呟く。ふと思ってしまった不純な事。
まるで同棲なり、何かをしているようだと考えてしまった。自分の頭を手で掻いては直ぐにパソコンに視線を向けていく。この考えを消すようにトレーニング内容を思案し始めた。
ふと、自分の鼻腔を擽る良い匂いがした。その匂いの元を辿るとヴィルシーナがお皿に盛りつけた肉じゃがを横に置いてくれていたのだ。
「あれ…できたのか?」
「はい。集中していたので声をかけるのはどうかと思いまして」
「はは…すまない。美味しそうだね」
箸を携えては、肉じゃがを見つめていく。見ているだけでくぅ、と小さくお腹が鳴ってしまった。
ふふっ、と隣に座る彼女は笑みを零している。その恥ずかしさを消すように一言「いただきますっ」と告げては、箸でジャガイモを切り分けた。
それを摘まんでは口の中へ。
運んで歯で噛めばほろり、と崩れていく。直ぐに広がるはジャガイモに染み込んだだしの味。食材の旨味と少し甘くも感じた。
「んっ…これは美味しいな…!」
「本当ですかっ?」
「本当だよ。さすがヴィルシーナだね」
そうして今度は豚肉と人参を挟んでは食べていく。しっかりと煮込まれていたためか、口の中ですぐに蕩けては消えてしまった。
これは止まらない。自然と手を動かし、気づけば皿の中身は空になっていた。
「……無くなった」
「おかわりもありますよ?」
「…頂きます」
「分かりました」と告げたヴィルシーナは空になった皿を受け取り、キッチンへ。俺も料理をすることはあるが、彼女の上手さは遥かに上だった。もしかして普段からしているのだろか、そう思ってしまうほどだ。
そんなことを考えている中で、再び持ってきてくれた。俺は受けとり、また食べ進めていく。横ではヴィルシーナも一緒に食べていき、2人だけの食事会は何事もなく進んでいった。
その食事会を終えては2人で並んでソファーに座る。
「本当に美味しかったよ。ありがとう、ヴィルシーナ」
「いえ、気にしないで下さい。私の我儘ですので」
そうして彼女はトレーナー室にいるときと同じように腕に抱き着いてくる。いつもとは違う環境。トレーナー室であれば仕事として割り切れるが、今はプライベートな環境。
心臓の鼓動が妙に早かった。
「頭を…撫でてくれないのですか…?」
「あ…あぁ、ごめん」
少しだけ呆けていた。直ぐに抱き着かれていない腕で彼女の頭を優しく撫でていく。彼女のウマ耳は横に倒れていき、その行為を気持ちよさそうに受け入れていた。
ぴこぴこっ、とそのウマ耳が跳ねるように動けば撫でる手に当たっていく。頭頂部から後頭部へ、時折側頭部に流れるように撫でていると、嬉しそうに彼女の尻尾は揺れていた。
「本当…好きだね。撫でられるの」
「……撫でられるだけではなくぎゅっ、も…好きなんですよ?」
抱きしめられる腕に力が伝わってくる。また近くなる距離。自分の体が熱くなっているのを感じる。きっとこれは緊張と恥ずかしさからだろう。
頭を撫でるのを止めると、今度はヴィルシーナは強く胸元に頭を押し付けてきた。ぐりぐり、と甘えるようにして。
「……えぇっと……」
言葉が出ない。彼女の行為を受け入れ、そして突き放せない自分がいる。妹のように甘えてくる彼女が可愛く、そして魅力的で。どこか魅惑されている自分が居た。
「…ふふっ…どきどきされていますね?」
ぴとり、と彼女のウマ耳が自分の心臓辺りに付けられていた。今、俺は心臓の鼓動を聞かれている。その事実だけでまた早鐘を打っている。体を揺らすほどに心臓の鼓動は煩かった。
「あ…早くなりました…」
顔を離しては嬉しそうに笑みを浮かべる彼女。彼女を離そうとしても既に両腕は背中に回され、不可能となっていた。
その状況でヴィルシーナは上目遣いをしては
「トレーナーさん…今は2人きりですね…?」と告げてくる。
「そ、そうだね?」視線を合わせられずに顔を逸らした。
2人きり。強い女王が妹として、誰にも見せない甘えるための条件。
トレーナー室は確かに2人になれる。しかし、常に誰が来るかは分からないのだ。
だが、自室では?誰かの家では?
来客はあるかもしれない。連絡があるかもしれない。だけど、トレーナー室と違って扉を勝手に開けられることはない。
彼女の甘えるというこの状況にはぴったりすぎたのだ。
その状況を良しとするようにヴィルシーナは胸元に顔を擦りつけてくる。まるで匂いをマーキングするかのように。
一度顔を上げた彼女。その表情は無邪気な女王の姿だった。
「トレーナーさん…沢山…甘えさせてくださいね…」
あぁ、そうか。1つ気づいた。
彼女が家に来たのは、味見をさせたかったのではない。2人の妹に、というのも口実なのだろう。
2人きりになって、甘えたかった。それが彼女の本当の目的だ。
また、抱きしめる力を強められる。2人きりの空間。嫌でも認識させられてしまう。
もう、逃げ場はなかった。