ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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ヴィルシーナは運命の赤い糸が見えてしまう話

 運命の赤い糸を信じますか。

 それを尋ねられて信じる人、信じない人に分かれることでしょう。人によっては恋愛は運命で決められている、という人もいれば、好きな相手は自分の手で掴むものだと。そう告げる人もいる。

 千差万別の答え。運命の赤い糸はそれだけ人の心を惹きつけるのでしょう。

 

 では、今度はこの様に尋ねたら、きっと殆どの人は否定をするでしょう。

 

 運命の赤い糸を見たことはありますか。

 

 

 トレーナー室へと脚を運んでいく。今日はトレーニングはお休みでしたが、とある書類でトレーナーさんの署名が必要でした。彼に渡し、そして提出して貰う。今日の放課後は何をして過ごそう。そんな事を考えながら私は廊下を歩いていた。

 

 トレーナー室の前に辿り着けば、こんこんっ、と右手で扉を叩いていく。その音が消えた数秒後に部屋の中から「どうぞ」と彼の声が聞こえてきた。

 扉を開けては脚を一歩踏み出していく。いつものように彼はパソコンの前でキーボードを叩きながら事務仕事をしていました。

 

「こんにちは、ヴィルシーナ」

「こんにちは、トレーナーさん」

 

 彼と視線を交わしながら挨拶をする。肩にかけている鞄に手を入れていき、クリアファイルに入った書類を出しながら彼の元へと歩を進めていく。

 

「此方にサインを頂けますか?ファン感謝祭で催し物に出ますので、それの許可証です」

「あぁ、それか。確か俺が書いた後に出せばいいんだっけ?」

「えぇ、そうです。此方にお願いいたします」

 

 彼が操作しているパソコンの隣にその書類を置いていく。トレーナーさんは机の引き出しからボールペンを取り出しては、片手で用紙を押さえ、そしてもう片手で署名し始めました。

 

「………?」

 

 彼が用紙を押さえている左手。正確に言えば左の小指。そこには赤い糸くずの様なものが付いていました。いえ、糸くずにしては彼の小指に巻き付くようについており、それは重力に逆らうように天井に向かってゆらゆらと揺らめいていました。

「あ、間違えた?」と彼から聞かれては私は首を振って否定をしていく。不思議そうに首を傾げるトレーナーさん。まるで彼は気が付いていないようでした。

 

 もしかしたら何かの拍子で巻き付いたのか、それとも悪戯か。いずれにせよ鈍感な彼ですね、と心の中で思ってしまう。

 

「トレーナーさん、左手に糸が付いてますよ」

「えっ、本当?」

 

 トレーナーさんは用紙から手を離しては、左手を眺め始める。目の前に持ってきては掌、そして手の甲と眺めた後に彼は再び首を傾げた。

 

「付いてないけど…取れた?」

「えっ?そ、そんな事は…」

 

 私には見えている。先程から彼の小指に付いた赤い糸が。それは先程から宙を舞うように揺らめき続け、何かを探しているようにも見えた。

 トレーナーさんの視線は私の方に向いている。彼の瞳は嘘を吐いているようにも見えず、むしろ私の言葉に疑問を抱いていた。眉を下げ、彼は「大丈夫?疲れてる?」と心配をかけてくれる。

 私は首を横に振りながら「ご、ごめんなさい。見間違えだったようです」と一旦嘘を吐いた。

 

 そのまま彼は書類に署名をした後、何事も無さそうにパソコンに視線を移し始めました。しかし、彼の左手に付いている赤い糸は未だに揺らめいている。もしかして何かの流行りなのでしょうか。

 とはいえ、授業中にクラスメートは誰も付けていませんでした。彼だけのおまじないか何か。何度か思考を巡らせるも思いつくことはありませんでした。

 

 当初の予定を終えたため、私はトレーナー室を後にしていく。扉を閉めて目の前に見えている窓。そこに近づいては外の木々へ視線を向けていく。

 もし疲れているのであれば寮に帰ってのんびり休むことにしましょう。私は自分の目元を指で摘まんで数度揉み始める。ぐにぐに、と目の凝りを解すようにしては視線を廊下へと向けた。

 

「……えっ」

 

 今、私の正面には一人のウマ娘が歩いている。彼女は両手で本を抱き抱えながら、私の隣を通り過ぎていった。

 私は呆けている。何故か。

 

 彼女の小指にも赤い糸が付いていたから。彼と同じようにゆらゆらと揺らめく、それが。

 もう一度、窓の外に視線を向けていく。下の方に向ければ他のウマ娘やトレーナーにも同じように小指に赤い糸が付いていた。

 

 そしてその中でもウマ娘とトレーナーが仲良く横並びで話しているのがいます。二人の小指から伸びている赤い糸は絡みつくように結ばれており、まるで二人が結ばれ合っていることを主張しているようでした。

 この状況で誰もが赤い糸を気にする様子がない。いえ、むしろ誰も気が付いていない、という方が近いでしょうか。

 

 廊下にいるウマ娘、トレーナー、全ての人物の小指に赤い糸が伸びている。それは意志を持ったように揺らめき続けている。

 私は自分の小指を目の前に持っていく。そこには私も皆と同じように揺らめく赤い糸。

 

「な、なんなのよ…これ…!」

 

 いつの間にか付いていた赤い糸。私の左手の小指に巻き付くようになっており、また揺らめいている。

 しかし、小指には何かが付いている感触は無い。何度か右手でそれを取ってみようとしてもただ透けて通り過ぎてしまうのみ。

 

 非現実。まさにこの言葉が似合う光景でした。

 現実的に考えるのであれば、小指にこんなのが全員に付いているのであれば大騒ぎになるはず。誰かが注意をすることもあるでしょう。

 残念ながらそんな光景は何処にも起きておらず、ましてやこれが見えているのは私だけのようです。少しだけ頭を抱えてしまう。

 

(何かの病気かしら。いえ、そんな事は…よ、余程疲れているのよね…)

 

 瞳を強く摘まんでは、また指で揉み始めていく。きっと幻覚なのだろう、と目を開けても赤い糸が揺らめく光景は変わっていなかった。

 

「…寮で仮眠でも取ろうかしら」

 

 そうしてゆっくり歩きはじめる。少しだけふらついた足取り。その中で私は聞き覚えのある声が聞こえてきました。

 

「お姉ちゃん?大丈夫?」

「…ヴィブロス?どうしたの?」

 

 背後から聞こえてきたのは愛おしい妹の声でした。其方に振り向けば同じように赤い糸は伸びていました。

 

「体調が悪そうだけど…」

「え、えぇ…ちょっとだけね」

 

 取り繕うように笑顔を浮かべていく。その笑顔を見てもヴィブロスは心配そうに見つめてくる。そうして次には「さっきから小指を見てるけど…何か付いてる?」と。

 あぁ、なるほど。妹もこれが見えていないようです。つまり現状として私だけが見えてしまっている。何だか気持ち悪さまで出てきてしまいました。

 

「そう、ね。その…変な事を言うかもしれないけれど…聞いてくれる?」

「いいよっ。お姉ちゃんの事だもん。変な事じゃないよ」

「ありがとう。その…ね?皆の小指に…赤い糸が…ね?」

 

 言葉にしておきながら変な事を言っているものだな、と我ながらに思ってしまいました。その言葉を聞いたヴィブロスはやはり首を傾げてしまい「赤い糸?」と聞き返してくる。周囲を見渡すように彼女は首を動かすも、見えていないようでした。

 

「お姉ちゃん…本当に大丈夫?」

「え、えぇ…そうね、ちょっと疲れてるのかもしれないわね…」

 

 これ以上変に心配をかけるぐらいであれば早く寮に戻りましょう。ふぅ、と私が息を吐いた後にヴィブロスは「でも…もし見えてるなら…ちょー素敵だと思うなぁ…」と呟いた。

 素敵、というのが分からなかった。小指から伸びている赤い糸。非現実なものを目の前にしては私はそう思えません。私は「素敵?」とヴィブロスに尋ね返しました。

 

「うん。だって…小指に赤い糸って言ったら~…運命の赤い糸♡自分の結ばれる相手が分かる、だなんて言われてるしね♡あ、でも…お姉ちゃんが疲れてるから…そんなことを言うのは良くないよね」

 

 運命の赤い糸。その赤い糸は誰かと繋がり、そして将来結ばれ合う相手と繋がっている。運命の相手と。硬く、強く。

 窓から見ていた光景を思い出していく。ウマ娘やトレーナー、皆に赤い糸が結ばれていた。その中で一組だけトレーナーと一緒に歩いているウマ娘がいました。

 あの光景。確かに赤い糸が強く結ばれ合っている。私やヴィブロス、他の人のようにゆらゆらと揺らめくのではなく糸と糸が繋がり、千切れてしまわない様に硬く。

 

 もし、これが運命の相手を知らせる赤い糸と仮定するのあれば、彼の運命の相手は一体誰になるのか。むしろこれはチャンスと考えるべきでは無いでしょうか。

 トレーナーさんの運命の相手を知れる機会である、と。そして私の運命の相手であるか、ということも。

 

「ありがとう、ヴィブロス。少しだけ気が楽になったわ」

「本当?えへへ、それなら良かった」

「お姉ちゃんはトレーナーさんの所に行くから、また後でね」

「うんっ!また寮でね、お姉ちゃん」

 

 私はヴィブロスに軽く手を振りながらトレーナー室へと戻っていく。トレーナー室の扉まであと数歩という所で私の脚は止まってしまった。

 とある憂い。もしもの話。まだ可能性だけども、私は考えが過ぎってしまった。

 

 もし、トレーナーさんの運命の相手が私ではなく、違う人だったら。運命というのは覆せないものであり、自分の人生を定められてしまっている。仮に覆すのであれば途方もない努力と運が必要なのだと。

 これを知って、私はどうするべきなのか。彼の運命の相手が私ではないなら、私はそれを受け入れるのか。はたまた受け入れずに抗うのか。

 

 それでも一歩踏み出した。彼の事を知りたくて。

 もう一歩踏み出した。彼の運命を知りたくて。

 そう思いながら脚を進めていけば、扉の前に辿り着いていた。まだトレーナーさんは中にいるはず。扉を開けようと引き手に伸ばしていくと、私が触る前にその扉は開かれた。

 

「おっと…ごめんよ、ヴィルシーナ。どうかした?」

「あ、いえ…その…」

 

 私の目の前に立っているトレーナーさんの姿。いつものように柔らかな笑顔を浮かべており、彼の左手には書類を持っていた。これは好機です。

 

「書類を見せて頂けますか?もう一度読みたくて」

 

 私は偽りを告げていく。彼に本心を悟られない様に。私の言葉にトレーナーさんは頷いて「いいよ」と返し、書類を目の前に持ってきてくれる。私はその書類を掴んでは、覗くようにして書類を確認するフリをした。

 頭を下げては視線は書類を見ているように。だけど実際に見ているのは書類の端から伸びている彼の赤い糸。両手で書類を掴んでは、彼の小指に私の小指を近づけていく。

 

 私と彼の赤い糸、それが触れ合うように揺らめき、そして──────結ばれることはなかった。

 私の糸が結ばれようと伸びていけば、彼の糸がまるで避けるようにして動いていく。ひょいっ、と身軽に。

 ずくり、と胸の奥に棘が刺さる。私の運命の相手は、彼の運命の相手が、叶って欲しい理想とは違う。唇を強く結び、目を瞑る。

 

 自分の中で噛みしめていく。私ではない。ならば、彼の運命の相手は誰なのだろうか。彼に相応しい人物は果たしてどんな人物なのか。

 性格、声、容貌、趣味、好きな事、嫌いな事。私ではない、見えない運命の相手が気になってしまった。

 

 顔を上げては本日二度目の作り笑い。「ありがとうございます。確認はできました」と告げると彼は眉を下げている。

 

「大丈夫か?もし…ファン感謝祭が辛いなら辞退することもできるけど」

 

 彼は気づいている。いつもは気づかない事が多い癖に、こういう時だけ鋭くなるトレーナーさん。彼に心配をかけたせいか、それとも私が運命の相手ではないのか。また、ずくり、と鈍い音が心に響く。「えぇ、大丈夫です。提出して来てください」と私は彼から退くように動き、道を開けていく。

 トレーナーさんは歩きはじめるも、ちらり、と此方を気にするように視線を向けてきた。

 

 笑顔を浮かべながら、私は彼を見送る。その気遣いがむしろ痛いというのに。彼が見えなくなった時、私は彼に付いていくように背を追った。

 えぇ、尾行です。運命の相手が私では無いのであれば、一体誰なのか。この目で見届けるまでです。背後から近づいていき、壁を背にしては覗き込む様にしていく。廊下を歩く彼の姿。それが見えなくなればまた近づいては、背を追っていく。

 

 そうして追い続けていくは理事長室に辿り着いた。扉を開けて入っていく彼を遠目に見ていく。ただ提出するだけなので恐らく直ぐに出てくるはず。

 

 その予想は合っていたようで、十分ほどしては彼が出てきた。一つ予想外と言うのであれば、彼の両手には大きい段ボールを二つ積み上げ、両手で支えるようにして出てきた事だろうか。理事長室から出てくる際にたづなさんと何やら会話をしている。案の定ではありますが、たづなさんの小指にも皆と同じように赤い糸が揺らめいていた。

 しかし、二人の赤い糸はただ揺らめくのみ。私の様に絡みつく気配はありませんでした。

 

 詰まるところ、トレーナーさんの運命の相手ではない。彼は二言言葉を交わした後に歩きはじめました。私は彼に気づかれてしまわない様にまた足取りを追っていく。荷物からしてきっと倉庫に行くのでしょう。

 それに彼の事だから断らないで快く引き受けたに違いありません。少しだけでも休んでは体調を気遣って欲しい、という小さな想いは一旦心に留めておきます。

 

 彼の背を追いながら理事長室を離れ、歩いていく道のり。それは図書館へと至る道のりでした。なるほど、あの箱の中は書物が多く入っているのですね。

 重そうに何度か持ち直す彼の姿。手伝ってあげたい、という思いはあるもその様子を廊下で眺め続けていく。

 

 不甲斐ない。彼をまるでストーカーのように追っている私に辟易しそうになる。だけど仕方ないのです。気になってしまったのだから。

 長い廊下。あとは此処を歩いていけば図書館へと辿り着く、という所で彼は横から声をかけられました。私は壁に沿い、そしてウマ耳と視線を向けては人物を確認していく。

 

 その人物は大人の女性でした。彼と同い年くらいでしょうか。スーツ姿であり、彼と親し気に話している。また、ずくり、と棘が刺さる。

 

『この間お手伝い頂いてありがとうございました。すっごく助かりました!』

『気にしないで下さい。あれくらいどうって事はないですから』

 

 女性の指にも赤い糸。それは揺らめき続け、まるで彼の赤い糸を探すように動いているようにも見える。対する彼は右半身を私の方に向けているため、赤い糸がどう動いているのか分からない。

 だけど笑顔で話している。私以外に向けている表情。勿論、それは普通なことでしょう。作り笑いや本心からの笑顔。トレーナーさんがそうすることはなんら不思議ではありません。

 

 なのに、嫌だ、と思ってしまう私がいる。

 

『その…それでですね?良ければお礼をしたいなぁ…と思いまして』

『お礼、ですか?』

『はいっ!これからトレーナー同士で関わる事もあると思いますし、それに今回はかなり助かったので…』

 

 赤い糸が揺らいでいる。あの女性の糸は彼に結び付こうと近づいている。トレーナーさんは段ボール箱を抱えたまま、宙を見上げては考えている。

 彼の赤い糸が見えない。でもあの女性の赤い糸が明らかに近づこうとしている。

 嫌だ、こんな運命は。こんな形で見えたくない。

 

『あ、こんな状況でお返事を貰うのも変ですよね。お荷物お持ちしま──────』

「トレーナーさんっ!」

 

 私はいつの間にか飛び出しては彼に近づいていた。トレーナーさんと女性の間に割って入るかのように立ち、彼の運命を妨げようとしている。

 悪い女です。彼が結ばれようとしているのを邪魔しているのだから。

 

「あれ、ヴィルシーナ?どうしたんだ?」

「トレーナーさん、お荷物をお持ち致しますね」

 

 そう告げては半ば無理矢理取るようにしては段ボールを抱えていく。一刻もその女性から離したくて、尻尾で彼の背中をぺちり、と一度叩いていく。

 彼は「ごめん、また後でね」とその女性に告げる。私とトレーナーさんは歩く道中、背中から溜め息に似た何かが聞こえてきた。

 

 その声を聞かないようにしては私は図書館の扉を開けては、彼を先に入れていく。「ありがとう」と彼は一言告げて、中へと入り私も続いた。

 

 持っている段ボールを見た一人のウマ娘が近づいてきては、図書館の倉庫に置いて欲しい、と指示をした。私とトレーナーさんは二人並んではその倉庫へと歩いていく。本の紙による独特な匂い。それを嗅いでいると自分の頭が少しだけ冷静になったのを感じた。

 それと同時に自分の心臓の鼓動が早くなっているのも。どうやら興奮していたようです。

 

 歩いていく最中で何度か深呼吸を繰り返していく。冷静に思い返せば私はとんでもないことをしてしまったかもしれません。彼の恋路を邪魔をし、一日追っている。

 顔が熱い。恥ずべきことをしている。それを理解すれば、唇を強く結んでしまった。

 

 倉庫に辿り着いては二人で脚を踏み入れていく。少しだけ埃っぽさと積み上げられている段ボールの空き箱。電気を付けても何処か薄暗さを感じさせている。

 私と彼が段ボール箱を置けば、彼が口を開いた。

 

「今日は寮に帰らなかったのか?」

「あ…いえ、その…」

 

 言えない。一日尾行をしていたことを告げてしまえば嫌われてしまうだろう。何とか誤魔化そうとして言葉を選ぼうとしても上手く出なかった。

 

「ちょ、ちょっとだけ用事がありまして…」

 

 出たのは見苦しい言い訳。彼は優しく微笑みながら「そっか」と相槌を打った。

 彼に気を遣わせていることが私にとっては心苦しかった。トレーナーさんが再度口を開くと出てきたのは「でも、助かったよ」という意外な言葉。それに私は「えっ?」と素っ頓狂な声を出してしまった。

 

「忙しい時期が続くからどう断ろうか悩んでて…たまたまヴィルシーナがいて助かったよ、ありがとう」

「そ、そうだったんですね…」

 

 まさかお礼をされるとは思ってもいませんでした。確かに秋に行われるファン感謝祭の準備にG1レースへ向けた申請やトレーニング準備。それらが始まるため忙しい事でしょう。

 ほっ、と胸を撫で下ろしていく。トレーナーさんに迷惑をかけたわけでは無さそうで、安心しました。その様子を見た彼は口元に手を添えながら「もしかして…誘われてるのを見て嫉妬でもしたかい?なんて」と意地悪そうに告げてくる。

 

 私の頬が熱くなる。尻尾と耳がぱたぱた、と揺れている。たまに揶揄ってくる彼が少しだけ嫌い。嘘です、本当は好きです。嫉妬をしました。もしかしたら取られてしまうのではないか、と。だから邪魔をしてしまった。

 私の反応にまた楽しそうに笑う彼。なんだか負けた気分です。少しだけ私を揶揄う彼にだけやり返しましょう。

 

「えぇ、そうですっ。嫉妬しました。トレーナーさんが誘われて乗ってしまうのではないかとっ」

 

 やけくそ気味に返事をしていく。

 それを聞いた彼は驚いたように目を丸くさせる。どうやらそう返されるとは思っていなかったようで、口元に当てた手を広げ、頬を隠すようにしていく。

 

「そうか…それはその…うん、大丈夫だから」

 

 と照れ隠しを含めた声色。

 大丈夫、とはどういう意味なのか。もしかして、誘いに乗るつもりは無い、という意味でしょうか。あの女性からの誘いを断る理由が忙しい、と言っていました。

 ですが、お休みの日はあるはず。その時にでも行こう、と答えることは可能です。

 

 つまり。私にも隠した嘘。本音ではない私にも隠した答え。

 

 トレーナーさんの左手の小指に視線を移す。それは揺らめき、そして私の方へ近づこうとするも直ぐに引こうとしていた。少しだけ、本当に少しだけ彼の左手に私は自分の左手を近づけていく。

 私の赤い糸は彼へと伸びていき、彼の赤い糸は対照的に引いてしまう。

 

 手を引いた。そうすると彼の赤い糸は此方へ伸びてきた。

 

 もしかして、そういうこと。自分の中ですとん、と何かが落ちる音がした。先程まで刺さっていた棘は何処かへ消え去り、気が付けば私は彼の左手を握りしめていた。

 

「ど、どうしたんだ?急に」

「……ふふっ、いいえ。少しだけ良い事がありましたので」

「良い事?」

「えぇ、良い事です」

 

 彼を見上げながら笑顔を浮かべていく。これは作り笑いではなく、本心の笑顔。私の赤い糸と彼の赤い糸。それは窓から見たあの強固な結びつきではなく、小さな柔い結び。

 私の糸が絡まろうとすれば、彼の糸は離れようとした。だけど、直ぐに離れた彼のそれは近づき、小さくくっ付いては、小さな結び目を作り始めている。

 

 それが視界に入ってしまえば頬が緩んでしまうのは当然です。彼の手を離していくと赤い糸は伸びていき、離れることを許さない小さな結び目を作り続けていく。

 

「行きましょうか、トレーナーさん」

「あぁ、そうだね」

 

 そう言っては私は彼に背を向ける。倉庫から出る扉。そこに手を当てた後、彼に向けては声を発しながら扉を開けた。

 

「トレーナーさんは運命の赤い糸って信じていますか?」

「これはまた急だね」

「知りたくなったので。どうなんですか?」

 

 二人で本棚の間を歩きながら、私は彼の答えを待った。数秒後に彼は「信じてるよ、あったら素敵だなって思うからね」と答えた。

「君は?」と続けられる言葉。こんな事を尋ねたのだから聞き返すのは当然の事でしょう。

 

 本棚が並ぶ中心で私は彼へと体の向きを変えていく。彼の小指を見つめながら

 

「私も信じていますよ」

 

 と答えた。

 赤い糸が存在しているのを私は知っている。だってこの目で見ているのだから。

 運命も信じている。私が結ばれる相手が彼で、彼が結ばれる相手が私ならどれほど素敵なことでしょう。

 

 一歩前へ進んで彼へと近づいていく。本を捲る音と小さなお喋りの声。私の声が誰かに聞こえてしまわない様に、私は彼の耳元へ出来るだけ背伸びをして近づいた。

 

「だって…私とトレーナーさんは運命で結ばれてるんですから」

 

 顔を離すと彼の顔は紅潮していた。倉庫で見たことないほどに。また彼は頬を隠すように左手で覆ってしまう。その小指からは私の小指を繋がっているのが見えた。

 それが見えるだけで一つ笑みをまた零した。

 

「…なんで結ばれてるって分かるんだい?」

 

 彼は顔を逸らしているも視線だけは此方を捉えている。

 だって見えているんですから。この赤い糸が。私とトレーナーさんの小さな結び目がそう証明している。

 

 彼に背中を向けながら私はこう告げた。

 

「私には見えますから、赤い糸が」

 

 首を動かし、彼を見つめていく。私の視界には彼の表情と、伸びた赤い糸。

 運命の赤い糸が見えるのは、私だけの不思議な特権。

 

 こんな変わった非日常もたまにはありかもしれませんね。

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