ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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ヴィルシーナは出張に行ったトレーナーと会いたい話

「出張…ですか」

「地方のね。中央のトレーナーが地方のトレーナーに教育するっていうのがあって。それが二週間程度なんだ」

 

 彼から聞かされたお話。まだ春になっていないというのに、既に窓から差し込む日の光は暖かさを帯びている。トレーナー室で私はソファーに座りながら、彼の方に視線を向けていた。

 

「これがまた急な話で…一週間後には行く必要があってね」

「本当に急なんですね」

「そうなんだよ」苦笑いを浮かべながら、キーボードを叩く彼。

 

 出張。つまるところ、私はトレーナーさんと暫く会うことが出来なくなる。そうなれば当然気になってしまう話題もあり、私は彼に問いかけた。

 

「トレーニングはどうされるんですか?」

「予定は作ったからそれをして貰う感じかな。LANEで報告と…その状況次第で内容を見直そうと思ってる」

 

 なるほど、と1つ声を漏らした。既にトレーニング内容を考えているのであれば特に大きな心配事はありません。しかし、二週間。短いようで長い時間。それまで彼に会えないというのは少しだけ寂しさも感じてしまう。

 そう思うも案外何とでもなるのかもしれません。トレーニング指導を一切して貰えないわけではないですし、それにLANEでも会話できる。

 ただの出張です。

 

「では、二週間後ですね」

「少し寂しくなるね、君と会えないとなると」

「その…それは…もう、二週間なんてすぐですよ」

 

「それもそうだね」と彼は呟いていた。これからは一人きりで練習をしていく。なんだかスカウトされる前に戻ったような、そんな事を思ってしまいました。

 この時期は大きなレースも無く、そして春の季節が迫っている。この時期に出張というのも合理的でしょう。

 

 えぇ、大丈夫です。トレーナーさんとは会えなくなりますが、一切話せない、というわけではありません。二週間の間の我慢。

 ぱたり、と自分の尻尾が揺れる。揺れる尻尾は何処か小さく、そしていつもの動きではない事に私は気づかなかった。

 

 

 

**

 

 

 

 トレーナーさんが出張に向かった、一日目。今日は月曜日。

 授業が終わり、いつもの様にトレーナー室へと向かっていく。トレセン学園のチャイムが鳴れば数々の生徒達が教室から出ていき、学生から競技者へと姿を変えていく。私もその一人。

 トレーナー室に辿り着き、軽く拳を作っては扉を三回叩いた。こんこんっ、と部屋の中に響く音。返ってくるのは無音の返答だけでした。

 今度は扉の引き手に手を伸ばした。力を込めて開けようとすれば引っ掛かりを感じる。まるで鍵がかかっているような、そんな硬さです。

 

「…あ、今日からでしたね……」

 

 思い出したかのように、自分に言い聞かせていく。今日から彼は出張。いつも彼がこの部屋で待っていることが当たり前になっていたため、思わずいつもの事をしてしまった。

 バッグから鍵を取り出していき、鍵穴に刺していく。かちゃり、と鍵の外れる音が鳴れば私は戸を開いていった。勿論、中には誰もいません。いつもの席は彼という存在を映しておらず、なんだかトレーナー室が広く感じてしまう。

 

 脚を踏み入れては、戸を閉めていく。

 確かトレーニングの内容を紙媒体としてまとめた、と彼から聞いています。それを探すように脚を進めればすぐに見つかりました。

 

 トレーナーさんの机の上。そこにはクリアファイルの中に五枚程度にまとめられたトレーニングメニューでした。

 クリアファイルの中から、それらを取り出しては目を通していく。一日毎に細かくメニューを立てられていました。今日のメニューは芝コースでのスピード練習。脚を使い、そこからどう伸ばしていくのか、というものです。

 更に下に視線を向ければ、もし天気が雨だったら、もしジェンティルさんと勝負をしたら、という他のことも考慮を入れたメニューとなっていました。

 

 確かにこれでしたらこれ程の枚数になってもおかしくはないですね。

 私の事を一番に考えてくれて、そして大事に思ってくれている。それだけで尻尾がぱたり、と小さく跳ねるように揺れてしまった。

 

 まだ一日目だというのに彼に会いたい、と考えてしまう。けれどまだそれは早い。まだ一日目なのです。

 トレーナーさんが帰ってきたらその時にお出かけをしましょう。共にいられなかった時間を取り戻すためにもいつもよりも長い時間のお出かけ。そんなまだ決まっても無いもしも、を考えては心が暖かくなる。

 

「…よし、頑張らないとね」

 

 自分に言い聞かせるように、一度頷いては呟いた。たかが二週間、されど二週間。トレーナーさんが帰ってきた時に相応しい私としてちゃんと見せられる姿にしなければ。

 

 学生鞄を置いては中から水筒とタオル、そして着替えを取り出していく。

 

 そういえば────────こうやって一人でトレーニングをするのはいつぶりでしょうか。

 それほどまでに私の日常にはトレーナーさんという存在があまりにも刻まれていた。

 

 

 

 

**

 

 

 

 

 一日目のトレーニングを終えては私は寮へ帰ってきた。自室に入るなり、同室のタルマエさんの迎え入れ。私は笑顔で答えては鞄を机の上に置いていく。

 携帯を取り出してはLANEでまずは報告。

 

『本日のトレーニングを完了いたしました。委細、問題ありません。』

 

 少し、硬めの文章。報告なのだから当然です。ですが、もう少し柔らかな印象を持たれるような、そんな文章にしようかと思い、一度消しました。

 また人差し指を画面に滑らせながら、文字を入力していく。

 

『今日はトレーニングを問題なく終えましたよ。流石トレーナーさんのメニューですね。頼りになります。』

 

 その文章を見ながら制止する。片手を口元に添えては、私は何度も見返していた。これはこれで、何かが違う。報告なのだから先ほどの文章でも良かったのでは、と考えてしまう。しかし、この報告が暫くの間彼と会話が出来る唯一の時間。それを簡易なもので終わらせてしまうのは違うでしょう。

 

「……どうしたの?」

「わ…っ!…た、タルマエさん?」

「さっきから唸ってるけど…?」

「えっ!?い、いえ…その……唸ってましたか?」

 

 こくり、とタルマエさんは頷いた。どうやら無意識に私は言葉に出していたようで。

 

「何か困りごと?」

「……えぇっと…その…笑いません?」

「ううん、笑わないよ。どうしたの?」

 

 私の様子にタルマエさんは椅子に座って、背筋を伸ばしては真っすぐ見据えてくる。きっと彼女は余程の悩みがある、と考えているのでしょう。違うのです、そんな大層な悩みではなくもっと単純なもの。

 視線がどうしても泳いでしまう。ここまで真剣に捉えられてしまうと言葉にするのも憚られる。

 

 ですが、ここで答えないのも彼女の好意を無下にする。其方の方が私にとっては我慢できなかった。

 言葉にしようと口を開き、そしてゆっくりとそれを発した。

 

「…トレーナーさん……に、LANEで報告する内容を…悩んでまして………」

「…………えっ?」

 

 無言の時間。時計の針が部屋に鳴り響くのが何処か煩く聞こえてしまう程でした。心臓の鼓動が早く、この静かな空間で彼女にも届いているのではないか、そう思えてしまい私は「な、なんでもないです。その、ご心配をおかけしました」笑顔を取り繕っては答えた。

 

 ですがタルマエさんは腕を組んでは真剣に何かを呟き始めている。体を少し揺らしながら、数秒後には「……もしかして…大事な報告?」と静かな声で尋ねてきました。

 

「ち、違います。練習の報告です」

「なるほどなるほど…練習の報告……確かヴィルシーナさんのトレーナーさんって出張、だよね?」

「えぇ、そうですが…それが…?」

 

 私の言葉に頷きながら、またぶつぶつ、と呟いている。そこまで真剣に考えてくれる彼女に嬉しく思うも流石に恥ずかしさも同時に襲ってきました。

 

「そこまで真剣に考えてくれなくても…」

「駄目だよっ。いい、ヴィルシーナさん?これはね、ヴィルシーナさんにとって大勝負なの」

「大……勝負…?」

 

 がたり、と音を立てては椅子から立ち上がる彼女。そうしてぐっと握りこぶしを作りながらタルマエさんは続けた。

 

「ここがトレーナーさんと唯一お話できる場所なの。もしここを逃してしまえば、会話はすぐに終わりを迎えてしまうの。だからこそ、少しでも…長く出来るようにしないと。トレーナーさんの気を引けるような」

「な…なるほど……?」

 

 顔を上に向けては何か決心するようなタルマエさん。また椅子に座っては私を見つめては「どう返そうとしたの?」と尋ねてきた。

 私は携帯に入力していた先ほどの内容を見せていく。彼女は画面を眺めながらうーん、と呟いた。

 

「…ちょっと借りてもいい?」

「えぇ、どうぞ」

 

 私は携帯を手渡し、タルマエさんは入力を始めた。気が置けない友人であり、そして同室の子。こういう時に力になってくれるのは頼もしい限りです。

 数十秒経った後に彼女の「できた」の言葉と同時に私に画面を見せてきた。

 

『本日のトレーニングは問題なく完了です。トレーナーさんは出張一日目ですが、どうでしたか?』

 

 報告だけではなく、彼に出張のことを聞く内容。それを見てしまうとぱたり、と自分のウマ耳が忙しなく揺れてしまう。こんな事を尋ねて良いのでしょうか。まるで彼の事を気にしてしまっているような、そんな事を考えてしまう。

 

「これは…その…流石に、なんというか、素晴らしいのですが…えぇっと…」

「ヴィルシーナさん。大丈夫。きっとトレーナーさんのことだからそんな変に思わないよ。それに…ヴィルシーナさんもお話…したくない?」

「……したいです」

 

 視線を逸らして答える。頬が熱い。今日一日はトレーニングを問題なく終えている。だけど何処かぽっかりと穴が空いていた。いつもなら充実感があるトレーニング。汗をかき、そして彼の指導を受けては褒められる。

 だけど今日はそれが無かった。だからこそでしょう。

 この文字だけのやりとりでも、私は彼と何かの縁を感じたかった。少しでも、細くても良い。文字でも彼と会話をしたかった。

 

 それをタルマエさんに見透かされている事でまた、頬が熱くなった。

 

「……では…送ります」

 

 携帯の画面に人差し指を近づけていく。この文面は私ではなく、タルマエさんが作ったもの。そう、違うのです。私ではない、そんな言い訳をしながら送信ボタンを押した。

 送信した私の内容、その横に付属してくる文字はまだ付かない。数秒待った。まだ付かない。息が詰まり、呼吸をしていない事も忘れてしまう程。

 もしかして彼の機嫌を損ねてしまったのだろうか。今ならまだ間に合うかもしれない。震える指を伸ばし、そして触れる瞬間に既読、という二文字が付いた。

 

「ぷはっ…!」

 

 口を開いていけば酸素を求めるように呼吸が始まる。肺に溜まった二酸化炭素が私の口から放出され、続くようにして新鮮な空気を取り入れた。

 深呼吸を繰り返していき、苦しさが無くなった。携帯の時間を見れば数字は変わっていなかった。数分にも感じてしまう程の無の世界。あれを毎日行うと考えてしまえば、果たして私の心は保てるのでしょうか。

 

「だ、大丈夫?ヴィルシーナさん?」

「大丈夫、です…少し緊張しただけですから」

 

 眉を下げては力なく笑みを浮かべていく。タルマエさんの心配は当然のことです。

 既読、という二文字が付いて数十秒後、彼からの返信が返ってきた。

 

『お疲れ様。こっちは一日目から結構大変だったよ。トレーニング内容は大丈夫そう?気になる事とかあったら遠慮なく言って。』

 

 彼から返ってきた内容。それにほっ、と胸を撫で下ろした。

 そして少しだけ嬉しかった。彼から返ってきたメッセージが私のより多い事に。彼がそれだけ私を考えてくれ、そして文字を紡いでくれたことが。

 次はどう返そうか、そう考えてはタルマエさんに視線を合わせると彼女は「ここからはヴィルシーナさんの番だよ。頑張って!」とエールだけを送られてしまった。

 

 つまりこれ以上の助けは出来ない、と。私一人で突き進まなければいけない。確かにこれ以上タルマエさんを巻き込むのは私にとっても不本意。

 それに彼女に協力ばかりして貰う、というのは私の言葉ではなくタルマエさんの言葉になってしまう。それはそれで、違う。

 

 私は頭を下げてお礼をし、そして机と向かっていく。携帯の画面を見つめながら、メッセージの入力を始めた。先程までの躊躇いが嘘のように文字が入力されていく。一度脚を踏み出せばあとは流れるがまま。

 そうして「できた…」の呟きに合わせて私はメッセージを送った。何故あそこまで悩んでいたのか、私には分からない。私の本心が伝わるのか、それが怖かったのだろう。

 

 言葉であればその声色や表情でいくらでも察することはできる。しかし、文字であれば全て空白。それを本気で伝えたいとなれば長文になるのでしょう。

 では、長文にすれば今度は相手に気味悪いと思われてしまうのでは。きっと私は無意識に考えてしまったのでしょう。彼はそんな事を思わない人だというのに。

 

 ちらり、とタルマエさんの方に視線を向ける。彼女も此方を向いており私と視線が合えば不思議そうに首を傾げていた。

 最初の一歩。きっと明日も私は躊躇してしまうだろう。それだけトレーナーさんとの縁を大事にしたいから。だからこそ、その一歩を大切な友人の力を借りたい。

 

「タルマエさん…その…明日も良いでしょうか…?」

「…ふふっ、うん。いいよ、ヴィルシーナさんの頼みなら」

 

 頬を綻ばせるタルマエさん。二つ返事で応えてくれる彼女は私にとっての道標にも見えてしまった。

 

 

 

**

 

 

 

 それから毎日のように私はトレーニングを終えていき、寮に帰ってはタルマエさんと一緒に最初のメッセージを送ることになった。

 

『二日目のトレーニングを終えました。明日は雨模様ですが、トレーニング内容は変更しましょうか?』

『三日目。一週間の半分を過ぎましたね。トレーナーさんの調子は如何でしょうか?ご飯はしっかり食べれていますか?』

『本日はトレーニングがお休みでしたので、私とタルマエさんでお出かけをしていました。トレーナーさんは地方で何か見つけたりはしましたか?』

 

 五日目。

 

『一週間が終わりました。意外と早いものですね。そろそろ其方の出張は慣れましたか?』

『多少は慣れたかな。まだ分からないところもあるけど。明日は気分転換で少し出かけるよ』

 

 彼からの返事が返ってくる。それだけで私の頬は緩んでしまった。隣のタルマエさんもうんうん、と嬉しそうに頷いていた。

 一週間、毎日のようにタルマエさんに相談をしては彼との最初の会話を紡いでいる。土日は特にトレーニングも無いため、無理に連絡をする必要はない。それに彼も羽を休めたいはず。トレーナーさんだけの時間を奪うわけにはいきませんから。

 

 携帯を人差し指でなぞるようにして今日も彼と文字の会話をしていく。本当はトレーナーさん自身から発せられた言葉で聞きたいですが、我慢しましょう。

 私の文字を入力している中、タルマエさんは「ヴィルシーナさん、あのね」と声を出した。

 其方に視線を向けると彼女は何処か申し訳なさそうに眉を下げては、唇を結んでいる。

 

「どうしたの、タルマエさん?」

「その…えぇっと…来週から私…しばらく地方に行くことになってて…」

「……えっ?」

 

 私の相談に乗ってくれる相手がいない。つまり彼との始まりの会話を私だけで考える必要がある。あれだけ悩んで答えが出ないというのに。

 タルマエさんというサポーターがいないというのは余りにも大きな痛手。携帯に入力していた文字は止まってしまった。

 

「ダートを走ってる子達で…地方を活性化しよう!っていう話があって…それで私は受けたんだけど、一週間は泊まりになってて……」

「そ、うなんですね…」

「ご、ごめんなさい!沢山頼ってくれてるのに…っ!」

「ううん、大丈夫よ。むしろずっとタルマエさんに協力して貰っていたもの。これ以上お願いするのは申し訳ないわ」

 

 首を横に振りながら私は答えた。

 実際は心中穏やかではない。タルマエさんが助言をくれたお陰で自然と会話をすることが出来た。私一人で果たしていつものようにメッセージを送れるのでしょうか。

 いえ、きっと問題ありません。彼女がくれた助言を元に送れば良いのですから。そう、私はそうやっていつも糧にしてきた。どんな些細な事も己の力にしてきたのです。

 

 今週はメッセージの練習。

 来週は────────メッセージの本番のレースです。

 

 

 

**

 

 

 

 トレーナーさんが出張に行き、八日目の月曜日。

 夕食を食べ終え、お風呂にも入れば壁時計の短針は八という数字を指していた。私はお気に入りのパジャマに着替えており、椅子に座りながら携帯を眺めている。

『今日で八日目』

 消去。

『今週もがん』

 また消去。

 送れなかった。ここまで自分が臆病だとは思わなかった。文字で伝えようと思えば思う程に、余計にどう込めればいいのか分からなくなっていた。

 

 自室に帰ってきては早速と言わんばかりに携帯に文字を入力したが、なんだか不自然に思えてしまった。そのまま悩んでいましたが、結局は思いつかず。一度気分転換をすれば思いつくことでしょう、そう考えて一旦頭の中をリセットするために夕食とお風呂を終えた。

 ですが、実際に携帯を持ってメッセージを送ろうとすればやはり指が止まり、最後には消してしまった。

 

「……タルマエさんに大丈夫と言って…実際は駄目なのね…」

 

 携帯を机の上に置いては頭を両手で頭を抱えていく。まさか報告すらもままならないなんて。はぁ、と一つ溜め息を吐いてしまった。画面を見つめながら、小さく彼の事を呼んでしまう。お互いの顔を見ながら、ならば話せるのにどうして文字では上手く出来ないのか。

 またメッセージを入力し始める。指をなんとなく滑らせながら、適当に紡いでいると────

 

『今日は珍しく報告が遅いね?大丈夫?』

 

 彼からのメッセージだった。びくり、と体が跳ねてしまい、背筋も伸ばされてしまう。その画面を眺めながら、私は急いで文字を打ち始めた。

 

『大丈夫です』

 

 それだけを書いてはメッセージで送ってしまう。直ぐに既読、という文字が付いた。

 しまった、これではまるで無理をしているように見えてしまう。直ぐに続きのメッセージを送ろうと文字を入力していると、彼からメッセージが返ってきた。

 

『電話で話そうか?』

 

 心臓の動きが一瞬止まった。彼と話せる。彼の声が聴ける。一週間ぶりの文字と文字ではない、温度を持った言葉。

 今度は指が止まった。彼に気を遣わせていることが申し訳ないと。そして甘えてしまいたい、と思っている自分に辟易してしまった。何かがあったわけでも無いのに、私が勝手に考え込んでしまっていることなのに。

 

『おねが』

 

 そこから指が動かなかった。ここで甘えてしまう事は果たして良い事なのでしょうか。もしトレーナーさんに本音を話したとして、彼は幻滅してしまうのではないか。

 脳内で渦巻くように思考が乱れてしまう。いつもの私ではない私。彼の前では凛とした私でいたいのに。

 

 その時、突然電話がかかってきた。携帯が震え、画面に視線を向ければトレーナーさんからだった。震える指で、私はそのまま電話に出てしまった。

 

『もしもし、ヴィルシーナ?』

「え…っと、トレーナーさん?」

『急にかけてごめんね。返事が無くて心配で。何かトレーニングであった?』

「その……」

 

 言葉が喉に詰まる。

 報告をしようと思って、少しでも彼と話したくて悩んでいたらこんな時間になっていた。それを話せるのであれば、どれだけ楽なのでしょう。

 携帯越しから彼が私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

「私は……大丈夫です。今日のトレーニングも問題ありません」

『……無理してない?』

「していませんよ。ちょっと今日は忙しかっただけですから」

『………無理してるよね?』

「あ…え…その……どうして、そう思うんですか?」

『声。なんとなくだけど、ヴィルシーナはそう振る舞う時があるから』

 

 電話越しだというのに、彼に気が付かれている。また甘えたくなってしまう。本当は文字だけではなく、声でトレーナーさんと話したい。仮に文字でも話せなかった分を、その日を取り戻すように話したい。

 声にならない息を漏らし、私は小さく「怒り…ませんか…?」と尋ねた。

 

『怒らないよ』

「───────お話、したかったんです」

『お話…?』

「はい…その、文字だとどうしても…簡素になって。それで……タルマエさんに協力をして頂いたんです。少しでも………トレーナーさんと…話せる、ように…」

 

 電話越しから聞こえた息を飲む声。もしかしたらそれは私のものかもしれない。

 そこからは無言の時間だった。数秒程度、耳鳴りがするほどに静かで私は居ても立っても居られずに声を発しようとした矢先、電話越しから彼の笑い声が聞こえた。

 

『ははっ、なるほどね。うん、そっか』

「わ、笑わないで下さい…」

『ごめんね。でも…それはなんだか嬉しいな』

「嬉しい…のですか?」

『嬉しいよ。大事なヴィルシーナが色々考えてくれてるんだから。ありがとう』

 

 声が出なかった。笑われるだけでなく、お礼をされた。頬が熱かった。

 彼は電話越しで、そして目の前に居ないのに私という一人のウマ娘を見透かしているように思えた。それを隠すように、頭を前のめりに倒しては顔を埋めていく。

 

『ヴィルシーナ?』

「なんでも…ないです」

『本当に?』

「ほんとう、です。本当に、なんでもないです」

 

 口元が緩んでしまう。私がしたことが彼にとっては嬉しい事で、それが何より私の心を弾ませてしまう。

 だからこそ、声だけしか聞こえないのがもどかしく思えてしまう。早く彼の姿を見たい、機械越しではない彼の喉から発せられた声を聞きたい。

 

「トレーナーさん…」

『ん…?』

「出張…あと一週間ですね」

『そうだね、意外と早いかも』

「私にとっては……とても長いです」

 

 腕の中で埋めた顔をゆっくりと携帯へ向けていく。小さな声で告げる言葉。一週間、短くも長い。今日という日を過ぎ、そしてまた明日もトレーニングをしては報告をする。そんななんてことの無い日々。

 だけどその日々は彼が存在しない。それだけで物足りない、と思ってしまった。

 早く会いたい、と。

 

「………明日も電話、していいですか?」

『いいよ。ヴィルシーナの近況とか一番知れるしね』

 

 携帯越しから聞こえてくるトレーナーさんの声。今の彼はどんな表情をしているのだろうか。それを想像するために少しだけウマ耳を澄ましてみた。

 かたかた、と何かを叩く音。何処か軽く聞こえ、そして一定のリズムを刻んでいる。

 きっと今の彼は真剣な表情で仕事をしているのでしょう。

 

 彼が考え込む姿、話すときの柔らかな表情、歩いている時に合わせてくれる歩幅。常に私に寄り添い、私を考えてくれる彼。

 この想いは明日にはもっと膨らんでしまう。その膨らんだものを貯めこんだ後に彼に会ったら果たして私はどうなってしまうのか。そんな事は誰にも分からない。

 

「トレーナーさん」

 

 彼もそうだったらどれだけ嬉しい事だろうか。頭の中で考えていたことが言葉となって呼んでしまう。いつもの私であれば、それを伝えることはできないでしょう。心の中で私の想いは膨らんでいる。抑えられないほどに。

 

「…早く、一週間が経てば……いいですね」

『………だね。早く、経ってほしい』

 

 機械越しでも分かるほどの優しい声。トレーナーさんは今、優しい顔をしている。目を細め、口角を緩ませては私に微笑んでいるあの表情が目の前に広がる。

 所詮は想像。思い浮かんでも、直ぐに消え去ってしまう。どれだけ彼を想像しても膨らんだものを萎ませるには足りなさすぎる。

 

 とても小さな声で、私は携帯に視線を向けては口を開いた。

 彼に届いてしまうかもしれない。けれど携帯のマイクが拾わない事を祈って。

 

「早く、会いたいです」

 

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