ジューンブライドにはちょっと早いお話です。
「撮影…ですか?」
「そう、ウェディングドレスを着てね。向こうからどうしてもフラッシュのことを推しててさ」
5月中旬、天皇賞・春も終わってG1レースの盛り上がりを迎えているこの日。俺はトレーナー室で黒鹿毛の髪と尻尾を持つ彼女、エイシンフラッシュに1つの雑誌を差し出していく。
今をときめくウマ娘達に迫るというもので、女性人気も高い雑誌。その雑誌の中にはウマ娘のモデル達が雑誌内でポーズを取ったり、コーデを披露しているもの。
その一角にはウェディングドレスを着て、笑顔を浮かべているウマ娘の姿があった。これは去年扱われた雑誌の内容であり、毎年6月の雑誌にはこのウェディングドレスを着て、撮影するコーナーを設けるとのこと。
そのモデルを彼女、エイシンフラッシュにして欲しいと先方から連絡があったのだ。
「私が…モデルを?」
「うん、フラッシュの走りに見せられた向こうのカメラさんがどうしても撮影したいっての希望なんだ」
その雑誌会社の女性のカメラマンからメールがあり、それを見た時の文章の熱量はとてつもないものだった。長々と書かれた天皇賞・秋の走り、そしてその走りの姿に見せられたという分が長文で送られ、さすがにここまでされてしまうと答えないのは些か忍びない。
一度だけそのカメラマンと電話をしては熱量が本物だということも確かめたため、今回フラッシュにも提案することにした。
とはいえ、この撮影をする人物はフラッシュ自身である。彼女の気が乗らなかったり、それこそ彼女の予定もあるだろう。この時期はG1レースに向けた練習もあるため、それを踏まえて彼女の意見も聞きたかった。
「どうかな、フラッシュとしては」
「…そう、ですね。少し気になります。日本のウェディングドレスがどんな感じなのか…」
フラッシュは腕を組んでは考え込む様子を見せていく。彼女は視線を下に向けながらぶつぶつ、と彼女は独り言をつぶやき始めた。
ここで集中を切らせてしまう不安もあるが、常にその緊張の糸を張らせていれば気疲れもしてしまう。俺自身としては新しい環境でちょっとしたリフレッシュにならないか、なんて考えているがフラッシュの考えを尊重したかった。
時間にして1分も満たない程度。こくん、と彼女は納得したように頷いた後に視線を向けては、
「お受けいたしましょう。日本の結婚式の文化は気になりますので」
「本当か?無理しなくていいんだぞ?」
彼女が受けてくれるというのが少し嬉しかったものの、無理をしていないかが心配だった。だけど、フラッシュはそんな心配を吹き飛ばすほどに笑顔を浮かべては言葉を紡いでいく。
「ウェディングドレスは女の子の憧れですよ、着てみたいと思うのは────当然です」
**
「はじめまして!エイシンフラッシュさん!お会いできて光栄です!!」
「はじめまして、今日はよろしくお願いいたします」
撮影会場、フラッシュが承諾してから2週間後に行うことになり、俺とフラッシュは電車で撮影スタジオに向かっていった。
撮影スタジオに入るや否や一人の女性カメラマンが近づいてきては興奮した様子で挨拶をしてくる。電話越しでしか話したことはないが、どうやらこの人が例のカメラマンらしい。
彼女以外にもメイクや衣装を担当するスタッフも既に準備しており、すぐにでも撮影の準備は可能そうだ。
大きなライトに白い布が掛けられた撮影場所。なるほど、こういう場所で雑誌の撮影をするのかと見慣れていない場所に次々と目移りしてしまう。
ついでに俺が来たのは保護者としての面を備えている。半分程はフラッシュのウェディングドレスを見てみたいという想いもあるのだが、それは彼女には秘密だ。
カメラマンとフラッシュは話をしており、俺はその間に他のスタッフの方々に挨拶をしていく。ウマ娘は走りだけではなく、こういったメディアの露出という側面もあるため、周りへの気遣いは大事である。本当は色々見てみたいが、それは我慢をしなければ。
話が一段落したのが見えれば、俺はカメラマンへ近づいていくと、興奮した様子で彼女は話を続けてきた。
「ほんっとうにありがとうございます!絶対に良い写真にしますので!」
「此方こそ、フラッシュの事をよろしくお願いします」
「はい!フラッシュさん、向こうでスタッフの方とお願いします!」
「分かりました。トレーナーさん、では行ってきますね」
行ってらっしゃい、と俺は手を振りながら彼女を見送っていく。その間に俺は先ほどのカメラマンと今日の撮影について話を進めていくことになった。
「今日の撮影ですが、ウェディングドレスを着てあちらで立って頂くのが主になりますね」
「ええっと…フラッシュはこういった事はしたことないのですが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です!むしろこの企画は自然体を大事にしたいので!女の子が憧れるウェディングドレス、それを今を輝くウマ娘が着て笑顔を浮かべている。その笑顔がより輝くというのが毎回のコンセプトになりますので!」
「そ、そうですか…」
カメラマンの熱量が凄く俺は少し圧倒されてしまう。だけどそれだけこの人は今回の撮影に気合を入れているのだ。それを無下にしなくて良かったと内心胸を撫で下ろした。
「ウェディングドレスの着替えってどれくらいかかりますか?」
「そうですね…20~30分程度かと思われますね。フラッシュさんの身長などから合うドレスを持ってきているので大丈夫かと思いますよ」
この撮影の前にフラッシュと共に撮影スタジオに脚を運んだのである。その時はライトや撮影用のスタンドなどは無く、まさに閑散としていた。
その際にスタイリストの人と会話をして、彼女の身長や体格を測定してもらい、ぴったり合うドレスを用意してもらっている。
俺は撮影の邪魔にならないようにスタジオ内の隅に壁にもたれかかるようにして彼女を待つことにした。こうやって待つのは少し長く感じてしまう。俺は手帳を取り出して、次の宝塚記念についてのトレーニング内容を考えていく。
「フラッシュさん、入られまーす」
20分後、衣装室から聞こえてくる間延びしたスタイリストの声。それが聞こえれば俺は手帳をしまって、その声のした方に視線を向けていく。
「大丈夫ですか?足元気を付けて下さいね?」
「は、はい。ありがとうございます…」
彼女の姿は見えないが奥の通路から会話する声が聞こえてきた。少しすれば、白色のドレスに包まれたフラッシュの姿が現れる。
その姿におおー、と周りの人たちも感嘆の声を挙げては、頬が皆緩んでしまった。
対する俺は完全に見惚れてしまった。
周りの人たちの声も耳に入らず、ただ彼女のウェディングドレス姿を見つめている。
両肩は見えており、そこには色気を感じる。しかし、それは決していやらしいものではなく、まるで純潔を表していた。
彼女の胸元はカスミソウが散らされており、彼女が歩くたびにそのカスミソウは儚く揺れていた。
そして腰から伸びるスカートの部分。足元まで純白で覆われており、先端はシースルーになっている。そのスカートにも同じく白いバラが装飾されていた。
フラッシュが一歩、一歩歩くたびにそのスカートは揺れていき、見るものを魅了していく。
俺はただ視線を彼女に向けてはその歩く姿、横顔、それら全てをただ見つめてしまったのだ。
フラッシュは此方を見つけるとゆったりとした足取りで此方へと近づいてくる。彼女はベールを被っておらず、その表情が良く見えてしまった。
彼女の表情はまるで今から結婚式に向かうような乙女の表情。いつものどこか凛とした雰囲気ではなく、頬を赤く染めては此方に微笑んでくる。
一目惚れ。
きっとこの言葉が良く似合うだろう。
「─────ナーさん」
耳鳴りがするほどの衝撃。それほどまでにフラッシュの姿が美しく、そして見つめられるだけで心臓の鼓動が早まっている。
どくん、どくん、と
「────レーナーさんっ」
彼女が此方に必死に声をかけているのだろうか。何か口を動かしているが俺はそれに気づけなかった。いや、その声すら届かないほど見惚れてしまっている。
「トレーナーさんっ!」
「……えっ?あ…あぁ、ごめん…フラッシュ」
彼女が俺の腕を掴んで少し大きな声でいつもの呼び名。それがやっと耳に入ってこれば、俺は呼ばれている事に気が付いていく。
少しだけ酸欠気味。脳内に霧がかかるかのように思考が定まらない。すぅ、と一度大きく息を吸っては酸素が足りなくなった体に目いっぱい取り込んでは深呼吸。
「大丈夫ですか?」
フラッシュは心配そうに覗き込んでは眉を下げている。俺はまた深呼吸を繰り返しては、
「大丈夫だよ。その……凄い似合ってるね」
と彼女のウェディングドレス姿を褒めていく。彼女はその言葉を聞くと、嬉しそうに頬を緩ませては少しだけ首を傾げては尋ねてきた。
「ありがとうございます。他に…ご感想はありますか?」
「そ…そうだな……他か…」
綺麗。
美しい。
可愛い。
美人。
他の感想を伝えようと思っても月並みな言葉しか出ない自分に呆れてしまう。こういう時は何か聞こえの良い言葉でも伝えられたら良いと思うが中々出ないものだ。
変に飾った言葉よりもこういうのは本心で伝えた方が良いだろう。
「そうだね…一目惚れ…してたかな」
「…っ、一目惚れ…ですか?」
彼女の伝えるとウマ耳をぴんっ、と真っすぐに立てては目を見開いて驚いた表情。俺は頷いて本心を伝えていく。
フラッシュは視線を下に向けては両手の指を絡めながら、そうなんですね、と独り言。彼女の指は落ち着きがなく、何度も組み直されてはちらり、と今度は此方に視線を向けて上目遣い。
実際彼女のウェディングドレス姿はよく似合っているという言葉で片付けていいものではなかった。だからこそ、彼女に本心の言葉で伝えたかったのである。
「フラッシュさーん、そろそろ撮影を始めますよー!」
撮影スタンドからカメラマンの声。フラッシュは其方に視線を向けた後にどこかもどかしそうにしながら、俺に背を向けていく。
「行ってきますね、トレーナーさん」
「あぁ、頑張って、フラッシュ」
フラッシュを見送っては俺はその少し遠い場所で撮影を眺める。
彼女は白い背景に背を向けながらカメラの方に体を向けては撮影が始まった。まずは立った状態でウェディングドレス姿を何枚か撮影する音が聞こえた。
カメラマンはスタンドに立てたカメラと一眼カメラで行ったり来たりを繰り返していき、フラッシュを正面や横から撮影していく。
数分程撮影すると今度はフラッシュにブーケが手渡され、そしてそのブーケを胸元で持ったまま撮影が開始された。
「いいですねー、フラッシュさん!綺麗ですよ!」
カメラマンが褒め言葉を投げては彼女は頬を緩ませて嬉しそうに応えていく。そのブーケを持った写真を撮った後は、少しだけ立ち位置を変えて撮影を開始する。
そんな撮影が15分程、フラッシュは立ち位置を変えたり、少しだけポーズを取ったりしての撮影会が終わっていく。
「はい、お疲れ様でした!今から確認に入りますので、フラッシュさんは休憩してください!」
スタッフたちがパソコンの周りに集まり始めて、写真を眺め始めている。写真を何枚も撮ってはここで目的のものが撮れているのか確認をするらしい。
それもそのはず、もし撮れていなければ日程を組み直す必要が出てきてしまうのだ。それはフラッシュとしてもスタッフの人たちとしても避けたい自体。暫くは待ち時間になりそうだ。
彼女がウェディングドレス姿で此方へと歩いてきては2人で横並びになり、俺はフラッシュに視線を向けていく。
「お疲れ様。どうだった?初めての撮影は」
「Spannung…緊張しました。でも…とても楽しかったです」
「良かった、今は確認してるみたいだし待とうか」
「はい。……日本も同じようなドレスなのですね。ウェディングはどこも万国共通なのでしょうか」
フラッシュは自分が着ているウェディングドレス姿をまじまじと眺めていき、考えるように腕を組んでいく。
彼女は留学生であり、日本の文化については元々興味があるとのこと。日本の夏祭りやクリスマスと季節のイベントや、納豆という食文化。彼女は貪欲にそれらを吸収している。
今回のウェディングドレスについてもきっと日本独自の物があると考えたのだろうが、どうやらドイツでも同じらしい。
「ドイツもこんなドレスなのか?」
「昔、母から見せて頂いたことがあります。その時のドレスも真っ白で…そして…とてもSchön…綺麗でした」
フラッシュは視線を下に向け、その情景を思い出すかのように瞳を閉じていく。
「日本ではあと和装で結婚式を挙げるのもあるな」
「そうなんですか?それは…興味がありますね」
「和装で…ウェディングドレスみたいに白いのとか、後は差し色で淡い色が入ってるものもあったかな?」
微かな記憶だがそんなものを見た記憶がある。とはいってもこれは確かテレビで仕入れた知識であり、大した内容は記憶していない。
それでもフラッシュは気になる様子で此方の話に文字通りウマ耳を傾けて聞こうとしてくれていた。俺は眉を下げながら彼女に視線を向け返す。
「…といっても知識としてこれくらいしか知らないぞ?」
「ふふ、構いませんよ。トレーナーさんからそうやって教えて頂けるだけで嬉しいので」
と彼女は笑顔で返してくれる。ウェディングドレス姿のせいなのか、いつもよりもその笑顔は輝いているように見えてしまった。
そういえばウェディングドレスや和装の白色には意味があると聞いたことがあった。
確か───
「貴方の色に染まります…」
「えっ?」
思わず口に出してしまい、フラッシュは呆気に捕らわれた表情を浮かべる。俺は慌てて弁明するかのように言葉を紡いだ。
「あ、いや、確か結婚式で着るドレスや和装の白色にはそういう意味があったのを思い出したんだよ。でも日本はそうだけど…ドイツでも同じなのかなって」
「…日本でもそうなんですね」
フラッシュは俺の言葉を聞いては嬉しそうに頬を緩ませていく。日本とドイツが同じ意味を持っていて嬉しいのだろうか。俺も彼女につられるように頬を緩ませてしまった。
フラッシュの着ているウェディングドレス、これは今回は撮影用の衣装だが、彼女が結婚するとなると果たしてどのようなものを着るのだろうか。
結婚式のドレスの色は他にもあると聞いたことがある。
彼女は髪や尻尾の黒鹿毛と同じものを選ぶのだろうか、はたまた黄色や薄青色といった変わったものなのだろうか。それとも今回と同じ白色か。
「フラッシュがもし結婚するときはどんな色になるんだろうな…」
俺は独り言を零すように呟いていく。彼女のトレーナーになり、4年目。彼女の本格化が終わりを迎えれば契約解除となり各々の新しい人生を歩むことになるだろう。
俺はトレーナーとして、彼女はドイツに帰って両親の手伝いになるのだろうか。そんなことを考えると少しだけ寂しいことだ、なんて思ってしまった。
「どんな色……そうですね」
フラッシュは小さく、そして何かを決心するように頷いていく。此方に視線を向けた後に撮影場所から聞こえるカメラマンの声。
「フラッシュさーん、撮影は完了です!お着替えの方をお願いします!」
「…はい、分かりました」
カメラマンが手を大きく振って笑顔で話してはフラッシュもそれに小さく手を振って応えていく。どうやら撮影を通して仲良くなったみたいだ。
スタイリストの方がフラッシュを衣装室に通じる通路で待っており、彼女は
「それでは…着替えてきますね」
と告げてはゆっくりとスカートを靡かせながら歩いていく。
一歩、二歩と歩を進めていき、ぴたり、と彼女は歩くのを止めてしまう。俺は止まるフラッシュの姿を見つめながら何かあったのかと思い、声をかけようとすると彼女は振り向いてきた。
「トレーナーさん、気づいていますか?」
振り向いたと同時にウェディングドレスのスカートがひらり、と舞う。そして腕を後ろに組み、少しだけ前屈みになりながら告げる言葉。
「私はもう貴方の色に染められてしまっているんですよ」
笑顔を向けながら告げるその言葉。
今日見た中で一番の輝き。
俺はきっとこの光景を忘れることはできないだろう。