公園の桜並木。多くの人たちが花見に訪れ、お酒を飲み、食事をし、そして花に酔いしれる。家族や友人、恋人に仕事仲間、どんな関係の相手でも皆、思い思いに散っていく花びら達を眺めていくものだ。
ここにも同じような集まりが一つあった。
「アルヴ、こっちこっち」
「……」
トレーナーがアルヴに手招きをしていく。トレセン学園から少々離れた高台の公園。一本の桜がトレセン学園を見下ろすように咲いており、満開となっていた。
一本だけ咲いているせいか、周囲にはこの桜で花見をしようとしている人はいない。ぴゅう、と少しだけ寒い風が吹いていた。その風で体が冷えてしまわないよう、アルヴはカーディガンを羽織りなおした。
「…こんな所に咲いているのね」
「だろう。中々風情があると思わないか?」
トレーナーが桜の下でブルーシートを敷き始めた。真四角に畳まれたブルーシートを開いていき、開き終えれば適度な大きさの石を探し始めた。四隅にことり、と置いては風に飛ばされない様にしていく。
ブルーシートの上にトレーナーが腰を下ろせば、続くようにアルヴも座った。互いに横並びになるように。しかし、その距離は一人分の空白が空いている。
がさり、とその空白の間には白い袋が置かれた。近くのコンビニで購入したもので、中にはおにぎりやサンドイッチ、お茶に団子。そして2つ、レモンが印刷されたアルミ缶。
「今日は特別…ってことで」
トレーナーが告げれば、早々にその缶を取り出していく。プルタブに指を引っ掛けて、力を込めればかしゅっ、と小気味の良い音が響いた。
「学生がいるのだけれど」
「プライベートだから大丈夫」
怪訝そうな表情を浮かべるアルヴに、けらり、と表情を綻ばせるトレーナー。トレーナーがお茶のペットボトルを取り出しては、それをアルヴに手渡していく。受け取ったアルヴはそのお茶を眺めながら、小さく溜め息を吐いた。
確かに今日はプライベートだ。本日は休日であるため、トレセン学園も休み。トレーニングも無しにしているため、完全なオフの時間だ。
いつもは堅苦しいスーツ姿のトレーナーも今日ばかりは長袖のシャツとチノパンというラフな格好。アルヴも同様にベージュのパンツスタイルに上から紺色のカーディガンを羽織っている。
二人でお出かけをしない、という訳では無いが数は少ない。何か出かけるにしてもトレーニング関連やレース関連といった目的があるものばかりだった。
今日はそういった目的では無く、花見をしよう、とトレーナーの方から誘ったのだ。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
トレーナーがアルヴの持っているペットボトルに缶を近づけて、とんっ、とぶつけていく。缶を傾けて喉を鳴らしながら飲んでいくトレーナーと、蓋を開けて少々飲むアルヴ。
トレーナーが缶から口を離せば「ぷはっ…」と声を漏らした。
「久しぶりに飲んだよ、三年ぶりかな」
「昔は飲んでいたの?」
「たまにね。君を担当してからは全くだけど」
袋の中をトレーナーが漁り始め、取り出したのはサンドイッチ。封を破れば、中身は卵とハム、そしてレタスが挟まったもの。口を開けてそれを運んでいき、歯で噛みちぎれば遠くに見えるトレセン学園をトレーナーは眺めていた。
アルヴも袋の中からおにぎりを取り出していき、封を破っていく。鮭のおにぎり。海苔を丁寧に巻いて、口に含めばぱりっ、と海苔が破けていく音が聞こえた。
二人して手に持ったものを食べ進め、飲み物を口にしていく。風が吹けば、桜の花びらが散っていき、アルヴの頭へと落ちていった。
トレーナーがサンドイッチを食べ終え、次を食べようとしたとき、その花びらに気が付いた。じっ、と眺めているとアルヴもその視線に気づき、互いに向き合っていく。目元を細めたアルヴは「何かしら」と尋ねた。
「頭」
「…は?」
「頭に花びらが付いてる」
トレーナーの言われたままにアルヴは頭に手を伸ばした。片手でその花びらを探そうとするも、見つけることが出来ないのか、ただ空を切るばかり。
トレーナーが「動かないで」と告げると、アルヴはぴたり、と動きを止めた。頭頂部、丁度そこに花びらは乗っており、トレーナーが指で掴んで取っていく。取った花びらをアルヴに見せながら「取れたよ」と微笑んでいた。トレーナーの頬は赤みを帯び始めていた。
「お酒、弱いのね」
「久しぶりだから、かな?」
トレーナーが指で摘まんだ花びらをくるくる、と回していく。数回繰り返せば、掌に載せて風に乗せて何処かへと運ばれていった。アルヴはその花びらが見えなくなるまで視線で追っていた。遠くへ消えてしまえば、ふと、言葉を口にした。
「どうして…今まで飲まなかったの?」
缶の中身をトレーナーが飲み始めていく。45度に傾け、喉を動かしながら飲み終えれば、ブルーシートの上に置いた。そして、片膝を立てていき、その膝を抱きしめる様に顔を埋めていく。次いでアルヴにゆっくりと表情を向けた。
トレーナーの頬は既に真っ赤に染まっていた。赤いリンゴのようだった。
「君を担当していたから」
「……今も担当しているでしょう?」
「そういう意味じゃないよ。…クラシックの時、覚えてない?」
「…トリプルティアラの、話ね」
ゆっくりとトレーナーは頭を動かして答えた。
スティルインラブ。アルヴと同時期にデビューをし、そしてティアラ路線を争った。アルヴは神童として期待されていたが、全てスティルに負けてしまった。その負けた原因は全てトレーナーにあるのだ、と非難を浴びたのは言うまでもない。
アルヴを成長させるためにどうするのか、スティルに勝つためには、他のウマ娘に勝つためには、それをひたすらにトレーナーは考えていた。毎日のように教本を読み込み、レースの研究に資料の作成や考察を寝るまでし続けていた。
やっとのことで実を結んだのはクラシックのエリザベス女王杯のことだ。それからシニアに渡り、アルヴの才能も磨かれていき、今では非難を浴びることは無い。
「酒に酔って逃げる、なんて言うけれど…そうしたくなかったから」
「…誠実ね」
「誠実でないと…君に嫌われてただろう?」
トレーナーは缶を掴んで中身を飲もうとした。今度は60度に傾けて。飲んでいる途中で、喉の動きが止まり、トレーナーが缶の中身を覗き込んだ。どうやら飲み干したようで、次の缶を袋から取り出した。
「シニアに上がって…アルヴが勝てる様になった自分へのご褒美だね」
「頑張った私へは無いのね?」
かしゅっ、とプルタブを開けた音だけが響いた。トレーナーは目を見開き、直ぐに缶に口を付けていく。数秒飲んだ後に、三本の指で缶を挟む様に持ってからトレーナーは「欲しいのか?」と尋ねた。その表情は綻び、柔らかだった。
アルヴの耳が真っすぐに跳ねた。視線をトレーナーからトレセン学園へ向けていく。精一杯の抵抗だった。
「欲しいとは言ってないわ」
「本当か?こんな時に強がらなくてもいいのに」
「…強がってないわよ」
口を少し尖らせながら応えるアルヴ。それにけらけら、と楽しそうにトレーナーは反応した。それにまたアルヴは不服そうに、顔をトレーナーとは反対側に背けた。
二人の間に風が吹いていく。その風に乗って花びらは舞い続けていた。
「……桜って不思議だよね」
ふと、トレーナーは口にした。ぽつり、と誰かに聞かせるためでもなく、花びらに乗せる様に。
「急に何…?」
その声が風と共に聞こえたのか、アルヴは視線だけをトレーナーへと向けた。トレーナーは視線を缶へ向けていた。その瞳はレモンの絵ではないものを映していた。
缶を傾けて、時には回して、あの桜の花びらのように手遊びを始めていた。
「桜を見ると色々な感情を思い出させてくれるなぁ、と思って」
「そうね…」
「でも、桜の花言葉は全く違うんだ」
缶を持っていない手で、親指から一本一本折りながら数え始めた。
「精神美、優美な女性…確か、純潔だっけ。どうしてだろうね?」
またトレーナーはアルヴに視線を向けた。膝の上に顔を乗せ、真横にしながら見つめていく。頬が少しだけ硬い膝に潰されていた。
「…とあることを聞いたことがあるわ」
「どんな?」
アルヴの体がトレーナーの方に向いていく。お互いに向き合い、視線を背けることなく、互いに瞳を見ていた。ふっ、とトレーナーの瞳が細められていった。
「桜は四月付近に咲くでしょう。日本全国どんな場所でも。必ずといっていいくらい」
トレーナーが顔をゆっくりと顔を動かした。何かを考える様に少しだけ口を開いて、また閉じていく。酩酊している脳を必死に動かしながら、言葉を絞り出した。
「まぁ…見ない人の方が珍しいだろうね」
「そうね。それで、二つが合わさって日本人の特性になった、と言われているわ」
「ふぅん…?」
二つ、という言葉にトレーナーは首を傾げた。アルヴは人差し指を一本立てていく。
「一つ目、卒業式や入学式。つまり、人の別れと出会いが詰まったイベントを何度も迎えるから」
あぁ、とトレーナーは言葉を漏らした。直ぐに何度か頷きながら、体を猫背のまま、身動ぎをして体勢を変え始めた。
「確かに。それらを迎えない人はいないだろうね」
春になれば桜が散り、夏になれば向日葵が咲き乱れ、秋は橙色へ模様替えされ、冬は雪一面の世界に変わっていく。そうやって日本の景色は彩られ、人々を魅了してきた。だからこそ、人の心が最も揺れ動くのかもしれない。桜を見るたびにその思い出を想起しては、想い耽っていく。
アルヴは視線を上に上げていき、桜を見上げた。掌を上げては、風に乗った桜が落ちるのをただ眺めていた。
「二つ目は?」
「…二つ目は、そうね」
一枚の花弁がアルヴの掌に落ちていく。ひらり、と落ちた花びらを眺めては、指で掴み始めた。
「昔から日本人が桜が大好きだったからよ」
アルヴは花びらからトレーナーへと視線を移した。指で掴んでいる花びらをくるくる、と回し、軽い手遊びを始めた。トレーナーはそれを眺めては、くすり、と頬を緩ませた。
「つまり、遺伝か」
「遺伝ね。昔の日本人は桜を見て…それこそお祭り騒ぎに、和歌だってあるわね」
「なるほどね…」
トレーナーはアルヴを眺めながら、缶を傾けていく。缶の中身から液体の揺れる音が聞こえた。
「博識だね、アルヴは」
「昔に聞いたことがあるだけよ」
アルヴは首を横に振りながら否定をした。
トレーナーが缶に口を付けて飲み始めた。その話を肴にするように。60度に傾けて、飲み干してしまえばブルーシートの上に缶を置いていく。置いた瞬間に軽い音が鳴った。
トレーナーはアルヴを眺めていた。膝の上に顔を置いて、絵画でも眺める様に。トレーナーの目線はアルヴの表情へ向けられている。
「……なによ?」
見つめられ続け、流石に怪訝そうな表情を浮かべるアルヴ。その表情に意に介さず、頬を緩ませていく。それは何処かだらしなく、アルヴに気を許しているものだった。
「じゃあ…アルヴに一つ聞こうかなぁ…」
間延びした声。瞼が細められており、童心を含んだ少年のようだった。
「花より団子…ならぬ、花よりアドマイヤグルーヴ…って知ってる?」
「………酔い過ぎよ」
はぁ、と大きく溜め息を吐くアルヴとは対照的にトレーナーは笑っていた。豪快な笑いでは無く、控えめにくつくつ、と。それでもアルヴから視線を逸らすことなく、見つめている。
アルヴが視線をトレーナーへ向ければ、トレーナーの頬は真っ赤なリンゴのように染まっていた。余程酔っているのだろう。普段は真面目で、それこそストイックという単語を張り付けたような人間だ。それが、酒が入ればここまで変わってしまうのはアルヴにとっても意外だった。
トレーナーが瞼を閉じていけば「今年も…」と呟き始めた。余りにも小さい言葉で、アルヴは聞こえる様にウマ耳を傾けた。先程のような軽口ではなく、もっと重々しい開き方だった。
「アルヴが…色々なレースに勝てると、いいな…」
「…えぇ、そうね」
「シニアのティアラ路線で……君が一番だって………」
口元の動きが小さくなるトレーナー。言葉もそれに合わせて途切れ途切れになっていく。アルヴはその言葉を聞きながら桜を眺めていた。落ちる一つ一つに視線を向けては、ただ流れるように。
「俺は………アルヴを……」
最後の言葉は風によってかき消されてしまった。アルヴはその言葉を聞き返さず、桜を眺めていた。
やがて、また風が吹いた。暖かな風では無く、寒さを感じてしまう程のものだった。アルヴはカーディガンの裾を掴んでは身を縮こまらせた。春先だというのに、まだ寒さは残っている。
「もう少ししたら今日は解散………トレーナー…?」
アルヴが視線を向けた先には寝息を立てながら眠っているトレーナーの姿。軽口を叩くどころか閉じてしまい、そして気持ちよさそうにしている。だらしなく頭は膝の上に預けており、これでは無垢な子供と何ら変わりなかった。
「……はぁ、本当に」
アルヴは二度目の大きな溜息を吐いた。このまま放置して帰るのも良かったが、何処か居心地悪く感じてしまった。アルヴの視線が何度か泳いだ後、手が袋に伸びていた。
袋を掴み、そして互いの正面に置いていく。一人分の空白、それを埋める様にアルヴが腰を動かして近づいていく。半分程近づき、そしてカーディガンを脱いだ。
アルヴがトレーナーの上から羽織らせ、そして彼女自身もその中へ。風に晒されてしまわないように、肩をぴったりとくっつけた。
「風邪…引いたら困るから…」
両膝を立てて、体育座りをしていけばお互いの体温が肩から交わっていく。すん、と鼻をアルヴが動かせばお酒の匂いを感じた。
「本当に厄介ね、貴方は…」
トレーナーの表情を覗きこみながら、アルヴは小さく頬を緩ませた。同じように頬を膝に当てながら、視線はトレーナーの方を向けていた。
「今年も……お願いね、トレーナー」
アルヴも同じように目を閉じた。トレーナーの体温とお酒のつん、とした匂い。それらがアルヴにとってはどうにも心を落ち着かせてしまった。
二人の髪や肩に桜の花が散っていく。静かに、風がまた吹いた。二人分の吐息も一緒に花びらに乗っては彼方へと飛んでいった。