ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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アドマイヤグルーヴがトレーナーと寝落ち通話をする話

 夜の魔物、というのを例えるのであれば何を示すのだろうか。

 窓から差し込む白くて冷たい月明かり。もしくは外から聞こえる音は何もなく、静かで孤立したような空間。それとも、天井に映る人面の模様か。

 それらを見て、人は何かを想像していく。あの光は私を連れ去ろうとしている、この静かな世界だからこそ私は劣っている、あの人面が私を笑っている。

 結局の所、夜の魔物、というのは人が勝手に想像を膨らませて自己嫌悪や自虐的になってしまうのだ。そうさせてしまうからこそ、魔物なのだろう。誰かによって、ではなく、自分の精神が招くのだから。

 

『あぁ…アルヴさん。夜のお祈りは要りませんか?』

 

 では、今しがた連絡が来たこれも夜の魔物なのだろうか。

 寮の自室では三つの光がアドマイヤグルーヴを照らしていた。僅かに開いたカーテンの隙間から差し込む月明かり。部屋の頭上を照らす蛍光灯、そして携帯の画面から放たれるブルーライト。

 ベッド上で壁に凭れる様に座っているアドマイヤグルーヴは眉間に指を添えた。そして、一度携帯の画面から視線を外した。再度、画面に視線を向けたが、映る文章はやはり変わらない。むしろ既読、という二文字を付けてしまったことがアドマイヤグルーヴにとって忌避したいことだった。

 

「……はぁ」

 

 夜のお祈り。アドマイヤグルーヴが寝る前に必ずと言ってよいほど行われる耳障りな行為だ。

 同室のウマ娘、レッドディザイアは自身を聖女、と呼称している。大層な形容を自らに名付けている変なウマ娘だ。聖女であるからこそ、主からの啓示が伝えられ、その主に対して祈りを捧げる。

 なのだが、どうにもこの眠る、という行為に至っては主では無くアドマイヤグルーヴに捧げている。毎日ベッドの側でパジャマ姿で膝立ちになり、両手を合わせては指の一本一本を絡ませるように挟んでいく。胸元にその手を携え、そしてこう言うのだ。

 

『主よ─────アルヴさんに本日も愛を─────』

 

 その言葉を思い出しそうになり、アドマイヤグルーヴは首を横に振ってかき消した。思い出すだけで頭痛がする。

 携帯の画面を眺めていく。既に連絡を貰ってから五分が経っていた。このまま無視をしても良いが、今度は違う厄介な事が起きてしまうと考えた。その厄介な事を消したくて、一言『必要ないわ、寝れるから』と返答をした。

 

 数秒もしないで既読が付いた。彼女は画面に張り付いているのだろうか。既読が付いて数十秒後には返信があった。

 

『では…私の祈りを捧げた録音ファイルをお送りいたしましょうか?』

「話を聞いていないわね?」

 

 誰も居ない部屋で、聞こえていない主に対して呟いた。直ぐに携帯の画面に指を滑らせては『ディザイアさんも明日レースでしょう?早く寝なさい』と返信をした。

 

 聖女、といえば哀れな子羊に祈るのが日常茶飯事だ。隔絶された世界に囚われ、その子羊が迷ってしまわないように光ある道を示すのだ。

 だが、これでは最早祈りの押し売りだ。いくら子羊と言えど押し売りをしてくる聖女であれば胡散臭い魔女となってしまう。相手を騙す下心を持ち、搾取をする。そうして最後には卑しい笑い声を上げながら去っていくのだろう。

 

 ─────レッドディザイアという自称聖女のウマ娘は違った。

 全て善意なのだ。だからこそ、はっきりと断ることが出来なかった。むしろ悪意があれば、どれほど楽だっただろうか。

 

 先ほど同じように既読は数秒もしないで付いた。その既読からの返信を待ったが、数分経っても返ってくることは無かった。きっと眠ってしまったのだろう、そう考えてお気に入りのイヤホンを両方のウマ耳に入れていく。

 夜寝る前にはいつも何かを聞いたり、動画を見ることが多い。犬たちの動画、環境音、音楽、それらに心を委ねる時間が好きだった。時折、寝落ちしてしまうことがあるが、次の日にはすっきりした気持ちで起きることが出来る。

 

 今日は何を見ながら夜の時間を過ごそうか、そんな事を考えながら、動画サイトを漁っていく。掛け布団を自分の上にかけていき、そして頭部は枕の上へ置いていく。いつでも寝落ちしても良いように。今日の夜のお供を探していると画面上部からLANEの文が舞い降りてきた。

 

『アルヴさんの為に、愛の教えを説く方をお呼びいたしました。やはり、夜の祈りは大事かと。』

「…………は?」

 

 今しがた返答のあった文面にアドマイヤグルーヴは素っ頓狂な声を上げてしまった。続いて二つ目の通知が降りてきた。その相手はトレーナーさん、という名前だ。

 下りてきた通知は返信文では無かった。そこには着信中、という三文字と携帯が何度も震えるバイブレーション。一度、二度と携帯は震えていき、その画面をただ眺めていた。

 

「はぁ……」

 

 大きな溜息と共に着信を受けては声を発した。

 

「もしもし…」

『もしもし。ごめん、こんな夜中に。ディザイアから…電話をして欲しいとか言われて…』

 

 愛の教えを説く方、それは今この電話の向こうで話している人物がそうなのだろう。本日の祈りは聖女では無く、聖女に焚き付けられた一般男性になるということだ。

 一般男性が祈りを捧げるといっても彼は啓蒙な信者ではない。ましてや宗教も神にも詳しい訳では無い。強いてあげるならば、ウマ娘への愛が強い程度だった。

 

「どうやってトレーナーさんの連絡先を知ったのよ…」

『神からのお告げとかで知ったみたいだけど…まさか、ね…?』

「嘘よ、きっと。出鱈目だわ」

 

 連絡先を教える神様がこの世に存在するはずがない。そう思いながら、アドマイヤグルーヴは鼻で笑った。電話の向こうで聞こえるトレーナーはまだ困惑の声色を残していた。

 

『それで…ディザイアから凄い長文の文章というか…経典?を送られてきたんだけど。これをアルヴに読んで欲しいって』

「無視しなさい」

『一応読み上げ方のボイスメッセージ付きなんだけど……これ読み上げた方がいい、かな…?』

「………」

 

 至れり尽くせりという言葉があの聖女には似合う。布団の中で横を向いていたアドマイヤグルーヴは携帯を枕元に置き、そして天井に視線を向けた。頭上の蛍光灯の光が眩しく、片腕を正面に置いて、その光を遮った。

 まさかここまでするとは予想外だった。レッドディザイアが遠征から帰ってきた日にはきっとこう聞かれることだろう。

 

『啓蒙な信者であり、そして万物を愛するトレーナーさんの祈りは──────』

 

 ベッドの中で想像して首を振りながらまたかき消した。

 もし肯定をすれば彼女はきっと目を輝かせ、そして聖女の道を一歩歩めた、というだろう。恐らく次の日には更に祈りを捧げようとするに違いない。

 否定をすれば優しい瞳で誰も責めずに、己の力不足だと反省をするだろう。更なる道を進むために次の日にはより強い祈りと愛を捧げようとするはず。

 

 どちらの道もアドマイヤグルーヴにとっては避けたかった。そうなれば一番はトレーナーから聞いていない、という答えが良いはず。否定も肯定もしない、そもそも祈りを聞くことが出来なかった、という選択。

 

 それを思いつくなり、直ぐに言葉にしようとしたが喉に引っかかった。これはレッドディザイアに嘘を吐くという事だ。

 嘘、というのはあまり心地よい物ではない。自分に関わらせない様にするため、という意味での嘘ならばまだ耐えられる。だが、他人からの好意を無下にする嘘はどうにもちくり、とした棘が刺さり続ける。

 ふとした時に思い出し、相手の顔を見れば罪悪感に包まれる。どんなに小さな棘でも取り除かない限り、心臓を刺し続けるのだ。

 

 アドマイヤグルーヴは大きな溜息を吐いてしまった。その溜め息をマイクが拾っていたのか、イヤホンから『アルヴ?』と心配そうなトレーナーの声が聞こえた。

 

「なんでもないわ。そうね…」

 

 その言葉から先が続かなかった。答え方を模索しては数秒の無言。先に口を開いたのはトレーナーだった。

 

『流石にこれは俺だと読めないから…ディザイアに断っておくよ』

「待って」

 

 咄嗟に言葉が出てしまった。

 

「ディザイアさんが好意でしてくれたんだから、それを無下にするわけにはいかないわ」

『じゃあ…読もうか?といってもこういうの読んだ事無いから下手だけど』

「いえ、読まなくていいの」

『………えぇっと、つまり?』

 

 アドマイヤグルーヴが思いついたのは、一つの答えだった。レッドディザイアから頂いた経典をただ語るのではない。むしろそれをトレーナーに読ませてしまえば今度は彼自身が大変になる。それならば、別の形の愛で良いのではないか。

 愛と言えどそれは様々だ。人によって祈りを捧げることが愛ならば、ただ話したりすることもまた愛なのではないか。

 

「私が寝るまで何か話して」

 

 形を変えた愛ならば、レッドディザイアを納得させることが出来るだろう。彼女に聞かれたとしても「信者でも聖女でもないトレーナーさんにはこうして貰ったわよ」と言えば、両手を合わせながら感心するはず。誰も傷つかない、これが最良だ。

 

『アルヴが寝るまでか…話すと言っても難しいな…』

「なんでもいいわ。私は相槌を打つから」

『……そ、そうか』

 

 彼に無理強いをしているから最良、というのは訂正する。

 何度か電話の向こうで唸る声。アドマイヤグルーヴは蛍光灯の電気を落としていき、携帯の画面も下に向けた。部屋の中は僅かに差し込んだ月明かりだけとなった。

 その世界に包まれた瞬間、見計らっていたかのようにトレーナーが口を開いた。

 

『じゃあ、最近甘い物にハマってることでも話そうかな』

「……甘い物?」

『何処かのお店で、というわけでは無いんだけどね』

 

 ぽつぽつ、と彼が言葉を紡ぎ始めた。イヤホンからは言葉と時折、何かを叩いている音が聞こえる。かたかた、と無機質な音に低めの声色に若干落とされた声量。まるで眠気を誘うために、なんて思ってしまう程だ。

 イヤホンから聞こえてくるその音たちにアドマイヤグルーヴは身を委ね始めた。

 

『疲れてるときはよく珈琲とか…ようはカフェインで流し込んでたんだよ。疲れてくると眠くなってくるし、カフェインで頭を叩き起こす、みたいな』

「ロボットみたいね……」

『カフェインが灯油ってこと?確かにそうかも。動かなくなった機械に燃料を補給して…って感じだね』

 

 くすり、と笑う声が聞こえた。その声を聞きながら、アドマイヤグルーヴはベッドの上で仰向けになり、目を瞑っている。両手を軽く体の上で重ねていき、ゆったりとした呼吸。胸を膨らませ、そして沈ませる。

 少しずつ意識を微睡ませる行為だ。

 

『…で、これを最近甘い物に変えたんだ。疲れた脳には甘い物って言うからね。それで市販のチョコをこの前試してみたんだ』

「そうしたら…?」

『珈琲よりも脳がスッキリした感じがしたんだ。なんだろう、視界がこう…爽やかになったというのかな。妙に脳が回ってね』

「…いいわね」

 

 たんっ、と一際何かを叩いている音がイヤホンから強く響いた。その音の正体は恐らくキーボードのタイピング音だろう。

 

「さっきから…何をしているの……?」

『…あ、聞こえてたか』

「ずっとね」

『ちょっとだけトレーニングの見直し。あ、ちゃんと甘いものも添えてね』

 

 くつくつ、と笑うトレーナーの声が脳へ響いていく。次いで響いたのはかさり、と何かを開ける音。がさがさ、と開け終えると今度はトレーナーが口に何かを放り込んだ。入った瞬間、チョコでは無いもっと固形の様な音だった。からから、と箱の中に何かが入っているような音だ。

 

「…チョコじゃない?何を…?」

『音で分かったのか。そう、チョコじゃなくて今は飴だね』

「あめ…ね」

 

 アドマイヤグルーヴに聞かせるようにトレーナーは口の中でからから、とまた鳴らした。直ぐにその音は収まり、またキーボードを叩く音が響いた。

 ベッドの中でただ呼吸を繰り返していく。思考も考えるのではなく、聞こえたものに対して反応するのみ。無意識に身を任せ、微睡み、体を全て柔らかなマットレスに預けていく。少しずつ、確実に意識を刈り取る行為。

 体が宙に浮き始めるこの瞬間が堪らなく好きだった。

 

『アルヴは甘いものは好きか?』

「……好き、ね」

『そうなんだ、少し意外』

「…意外って………なに…」

 

 唇の動きが小さくなっている。反論を強くしようにも、既に無意識に支配され始めた脳ではそれもままならなかった。

 

『甘い物より苦い物とか…そういうのが好きかなって』

「苦いのは……得意ではないわ……」

『そっか。アルヴにも苦手はあるんだね』

「……そう、ね」

 

 話の区切りが一呼吸置かれた。アドマイヤグルーヴの一つ一つの呼吸が深くなり、最後にはすぅ、と小さく寝息を立てはじめた。僅かに残っていた意識の糸も、既に途切れてしまっている。

 

『アルヴ……?寝た…?』

「………」

 

 トレーナーの問いかけに答えることが出来なかった。眠りについた彼女はただ寝息だけで返答を返していく。規則的に、トレーナーが言葉を出さなくても勝手に寝息で返事をしていく。

 イヤホンの奥から小さな喉の奥で笑う声が聞こえる。囁くように、優しい声色で「おやすみなさい、アルヴ」とトレーナーが声をかけた。

 

 ぷつっ、と電話の音が切れた。その電話の音に対してアドマイヤグルーヴの尻尾が力なく揺れていた。聞こえなくなった主の声に対して、求めるように。

 

 

**

 

 

 朝、目が覚めた。目覚ましが鳴る五分前。カーテンから差し込んでいる光は真っ白な冷たい月明かりではなく、太陽の暖かな光へ。

 アドマイヤグルーヴは身体をゆっくりと起こしていき、両腕を天井に突き刺すように伸ばし始めた。何度か体を捻り、今日の体調を確認していく。

 体の疲れは無く、脚も違和感が無い。気怠さも、胸のつっかえも無い。好調と言っても良いほどの清々しい目覚めだった。

 

 ウマ耳にはめていたイヤホンに手を伸ばした。両方とも寝ている時に勝手に外れていない。それをケースの中にしまって充電を始めた。

 自室の隣のベッド、そこには誰も居ない。今頃レッドディザイアは今日のレースに向けて、最後の祈りをしていることだろう。確か阪神レース場で聖女になるための試練が待っている、と言っていたはずだ。

 

 今日はトレセン学園で授業もトレーニングも無い日だった。所謂完全な休養日。何か予定を立てていたわけでも無いが、昨日トレーナーと話していて甘味の話をしていた。それが無性に食べたくなってしまう。

 駅前に新しく出来たパフェのお店があったはず。そこに寄ろう、と考えていたことだった。

 

「───────昨日?」

 

 咄嗟に携帯へ手を伸ばし、LANEの画面を起動していく。最上部にはトレーナーさん、と書かれており、次の段にはレッドディザイアと書かれている。

 最上部を指でタップしていけば、そこには通話履歴が残っていた。しっかりと夜にトレーナーと二人で通話をしていた証明にもなりえる記録。

 

「………じゃあ、私は…トレーナーさんの声を聞きながら寝たって…ことよね…」

 

 言い逃れ用のない事実。携帯の画面を閉じ、そしてベッドの枕に顔を埋めていく。何度か顔を擦りつけるようにして、部屋の窓を見た。カーテンから差し込む光が眩しく、また顔を枕に埋めた。

 

「…気の迷いよ。きっと。だって………」

 

 安心して、心地よく眠れた。そんな事は口が裂けても言えなかった。

 

「ディザイアさんが帰ってきたら…なんて説明しようかしら…」

 

 本音を話せば、彼女はより張り合おうとしてくるだろう。いや、それならばまだ良かった。それ以上に自分自身が彼の声を聞きながら、しかも安眠できたことを認めてしまいたくなかった。

 

「……まだ、ディザイアさんに祈られていた方がマシだったわね」

 

 ベッドから立ち上がり、カーテンを開けた。部屋の中を照らし出す光はやけに明るく感じた。目元に手を持ってきて、遮っていく。その太陽を見上げながらまた今日の予定を考え始めた。

 

「甘い物……は別にして自主練にしましょう…」

 

 今日一日は好きなものを考えることは止めた。脳裏に焼き付き、無意識に植え込まれた彼の声が妙に甘ったるく思えるのは、あの夜が悪い。

 窓から離れて携帯の画面を再度見た。電源ボタンを押して立ち上げれば映し出されるのはトレーナーとのLANEの会話履歴。通話をしていた履歴に指を長押し、その部分から複数のコマンドが表示された。

 その中で見えた『削除』というコマンド。それを一度指で押すと警告文が表示された。

 

『このメッセージは相手からは削除されません。削除しますか?』

 

 もう一度『削除』という選択肢を選べば、LANEの画面から通話の履歴が消えた。

 

「……これでよし」

 

 これでもう、変に思い出すことは無い。もし脳裏に過ぎってしまえば、その時はきっとまた抗えない夜の魔物が待っているのだから。

 

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