ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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ブエナビスタがトレーナーに耳かきをする話

 きっかけ、と言うのは今に思えばうんと小さい頃から、だったのだろう。小さい頃に経験したことは年を取っても覚えていることが多く、ふとした事で思い出すのだ。

 つまり、今のこの状況はあの日の約束を果たしているのだろう。

 

「どう…かな?お兄ちゃん」

 

 視線を真っすぐ見据えると視界には二つのものを捉えていた。

 一つ目、いつも見たことのある天井。意識の有無は関係なく、トレーナー寮の天井は毎日のように視界に入るものだ。

 二つ目、彼女の頬が少しだけ赤くなった表情。視線が合えば更に赤らめ、そして照れ隠しのように頬を指で掻き始めていた。

 

「…その……良いと思うよ」

「本当に?よかったぁ…」

 

 安堵の溜め息を吐く彼女。「えへへ、じゃあ…早速始めるから…」と言葉を告げる彼女の表情は柔らかく、拒否が出来なかった。

 

「横、向いて?」

 

 

**

 

 

 ブエナビスタの担当トレーナーになり、時間が経ったある日の春だった。トレーナー同士における勉強会が再び行われる、という知らせが来た。前回は彼女と仮契約を結んでいたころの話。本契約を結んだ後にするのは初めてだった。今回の自分の立場はGⅠを勝利したトレーナーとしての目線で話して欲しい、とのこと。

 資料を毎日のように作成しては見直し。果たしてこれで伝わるのか、先輩たちを納得させることが出来るのか、と不安の毎日だった。

 

 その不安は勿論、彼女にも伝わってしまい───────

 

「最近大丈夫…?」

「……えっ?」

 

 ブエナの声に現実に引き戻された。視線はパソコンの液晶から彼女へ。トレーナー室でいつものように資料を作っていると、ソファーに座っていた彼女はいつの間にか机を挟んで、自分の正面に立っていた。

 

「大丈夫だよ。ちょっと忙しいけれど…体調を崩すほどじゃないから」

「その、ね?あまり顔色が良くないなって思うんだ」

「……まぁ、そうかも」

「私に手伝えそうなこと…ある?」

 

 こてり、と首を傾げる彼女。心配そうに眉を下げ、此方の顔色を伺うようにしていた。彼女なりの気遣いに甘えたい、と思ってしまうもこれは自分の役目。

 首を横に振ってはしっかりと断った。ブエナが視線を逸らしては何かを考えた後に「そっか…トレーナーさん…頑張らなきゃだもんね」一つの頷きを彼女は見せた。

 

 確かにここ最近は無理をしているかもしれない。ブエナの横に並び立てるように、彼女と対等であるために頑張ろうとしている。だが、これは自分の役目であり、甘えてしまえば彼女から遠ざかってしまうだろう。

 

「ありがとう、ブエナ。そうやって気遣ってくれるだけでも俺は嬉しいから」

「トレーナーさんが倒れたら…私、悲しいよ?」

「倒れないよ。そうだ!最近忙しくてお出かけも出来なかったから…これが終わったら一緒に何処かに行こうか」

「本当?いいの…?」

 

 目を丸くして此方を見つめる彼女。ゆっくりと首を縦に振っていく。

 しかし、ブエナの反応は意外にも喜びの感情ではなかった。うーん、と喉を鳴らしながら、また何かを考えている。

 

「ブエナは…お出かけより他のが良かった?」

「ううん、そうじゃないの。これだと頑張ったトレーナーさんには何もないなぁって」

「……というと?」

 

 口元に手を添え、そして瞳を閉じる彼女。数秒の無言を迎えた後に彼女は「そうだっ」と意気揚々に声を挙げた。

 

「お出かけよりも小さい頃にしたかった事があるんだ。それを…トレーナーさんにしてあげたい」

「…無理にしなくても」

「無理じゃないよ、私がしたいから。……駄目?」

 

 上半身を前屈みにしながら、上目遣いで見つめてくる。心遣いは嬉しいものだが、果たして良いのだろうか。

 ブエナビスタのトレーナーとして期待されているのはブエナがレースを頑張り、そして勝利をしてくれているから。そのお陰で自分も負けじと前へ進むための原動力になっている。

 

 そんな彼女からお礼のような形でされてしまうのは些か腑に落ちなかった。

 とはいえ、正直な話をすれば彼女が気を遣ってくれるのは嬉しい事。素直に甘えたい欲求とそれではいけない、という感情が相反している。

 

 答えが出せず、悶々としたものを抱え込んでいるとブエナはまた、こてり、と首を傾げた。

 彼女の気遣いを否定せず、けれどやんわりと傷付けない方法。

 

「……今度の勉強会で…誰が一番良かったっていう投票みたいなのがあるんだ」

「うん……?」

「もし、一位だったら……その時はご褒美で…なんてどうかな?」

 

 結論として出た答え。ご褒美、という形で処理が出来るのであればそれはまだ自分を許せる気がした。仮に一位を取れないのであれば、それはそれで傷付けずに断ることも出来る。

 

「じゃあ、沢山頑張らないとね?トレーナーさん」

「はは…それだと俺がブエナにして欲しいから頑張る、みたいじゃないか?」

「私は別に構わないよ?」

「………そう言われると結構困るんだけどね?」

 

 くすり、と頬を緩ませるブエナに釣られて自分も思わず笑みを零してしまった。心の中で抱えていた不安という淀みが薄れていくような感覚を覚えた。

 思考に靄がかかったような重さも無くなり、話したい事や伝えたい事がすらすらと湧き出てくる。もう少し、頑張ろう。

 

「ありがとう、ブエナ。頑張るよ」

「うん。応援してるからね」

 

 そうしてその日は解散した。いつも通りに俺はトレーナー室で一人残ってはキーボードを叩いていく。ブエナビスタ、というウマ娘との軌跡を。自分に出来ることは何だったのか、それらを伝えたくて必死にまとめ上げた。

 不思議とその日はいつもよりも進みが良かった。

 

 

**

 

 

 一週間が過ぎ、勉強会が訪れた。勉強会と銘打っているが発表会となんら変わりは無い。

 自分の番は一番最後だ。GⅠレースで勝利しているトレーナーだからこそ、この順番なのだろう。

 

 トレセン学園のとある部屋。そこに同期のトレーナーや後輩、そして先輩たちが集まってくる。

 長机に並べられた椅子に座り、全員が向ける視線は天井から釣り降ろされているモニターへ向けられる。このモニターに作成した資料を映しながら話すのだ。

 

 一人対多数。下手なことを口に出せば質問攻めにあってしまう。既に後輩のトレーナーの子達は質問攻めに合っては上手く答えることが出来ずにいた。

 同期のトレーナーも何とか発表出来ているが、やはり年を重ねた歴戦のトレーナー達からすればまだ甘い、と捉えられている。

 

「それで…この練習方法の意義は?」

「えぇっと…これはスピードをメインに鍛えることができまして…」

「スピードをメインに鍛えるのは良いけど、これだとウマ娘側の負担が大きいよね?そこは考えてる?」

「休憩を挟みながらすれば…」

「休憩って具体的には?どれくらいの時間?」

 

 自分の順番。その一つ前のトレーナーの発表。あの子はどうやらトレーニング理論について発表をしているが、やはり同じように質問攻めに合っている。

 心臓の鼓動が早い。どくん、どくん、と何度も血液が送られている。指先まで熱が届けられ、発汗しているという錯覚までし始めた。

 

 だけど不思議と恐れは無かった。自分が作成したものにそれだけ自信があるのだろう。ただの自惚れか、それとも本当に恐れ知らずか。

 ブエナと共に歩んだ日々。これだけは決して嘘ではない。精一杯目の前を向き、彼女の隣に並び立てるように。早く、自分の番よ来たれ、と。

 

「はい、じゃあ次は…最後か。ブエナビスタのトレーナーさん。お願いします」

 

 遂に自分の番が呼ばれた。パソコンを持っては椅子から立ち上がり、入れ替わるようにモニターの前へ歩いていく。

 

「よろしくお願いいたします。本日話したいことはレースの理論、になります。ブエナビスタ、という一人のウマ娘の力を発揮させる走法と戦略、また他のウマ娘における応用についてお話させて頂きます」

 

 既に心臓の鼓動は激しくも、耳には届かなかった。

 

 

**

 

 

 発表を終え、あれよあれよと時間が過ぎた。

 質問攻めに合ったがしっかりと意見を話すことができ、その日の発表会では見事一位を取ることが出来たのだ。

 先輩のトレーナーからも『勉強になったよ』と褒められ、自分に自信を付けることも出来た。

 

 そして、そのことをブエナに報告をした。それを聞いた彼女は自分の事の様に喜んでくれ『とっておきのご褒美を上げないとね』と。そのとっておきのご褒美とやらが──────────

 

「痛かったら言ってね…?」

 

 がさり、と耳の中に入ってくる硬い物体。外耳道の壁部分。ヘラで何度も細かく掻き出すように動かされるとぶるり、と身震いをしてしまった。

 

「あ…ご、ごめんね?痛かったかな…?」

「だ、大丈夫だから…」

「そっか…じゃあ、続けるね…」

 

 ぴたり、と動きが止まった耳かき棒。再び動き出せば耳の中ではかりかりっ、と掻き出されていく音が響いた。くるり、と耳の中でヘラが回され、壁に沿うように当てられては引き出されていく。

 一度、耳の中で感じていた異物感が無くなった。とんとん、と机の上に広げられたティッシュに耳垢が落とされていく。

 

「…うーん、結構溜まってるね」

 

 耳朶を摘まれると耳の中を覗かれるように開かれた。少しだけ恥ずかしい。

 

「そんなに…?」

「そんなに。ちょっと溜めすぎだよ」

 

 耳かき棒が再び入ってくる。今度はより奥へと誘われていき、ごりごり、と強めに擦られ始めた。奥の方から浅い所へ、繰り返すように掻き出されていく。

 

「あ、そうだ。かりかりっ…て、こういうのよくあるよね」

 

 ブエナが耳かき棒の動きと合わせて、言葉を発し始めた。手馴れてきたのか、耳の壁に付いている耳垢を剥がし、外へ持っていく。今度は耳の凹みに沿うようにヘラを当てては、細かい耳垢を掻き出した。

 

「かりかりっ…と」

 

 彼女の言葉と耳の奥で広げられる心地よい音。自然と瞼が少しずつ重くなってきた。そんな中、ぴたり、と動きが止まった。

 

「……待ってね、大物がいた」

 

 低いブエナの声だ。彼女の姿を見ていなくとも、声だけで集中していることが分かる。耳かき棒のヘラでこんこんっ、とその塊を何度か叩くように剥がそうとしていた。

 少しだけ手に力が入ってしまった。無意識にブエナのスカートを握りしめていく。

 

 ばりばりっ、ぺりっ

 

「うぁ…」

「が、我慢だよ、お兄ちゃん」

 

 情けない声が漏れてしまった。それでも彼女は手の動きを止めない。耳から何かが剥がれていく。ばりっ、と大きな音。そしてがささっ、と一気に引き出された音が続いた。

 耳の中で詰まっていたそれらが外へと出されていくと、大きく俺は息を漏らした。

 

「ふぅ…取れた」

 

 そう告げたブエナは、ヘラに付いた耳垢をティッシュの上にまた落としていった。それが視界に入れば、微睡んでいた意識が鮮明になり始めた。

 

「あんなのが……」

「すっきりした?」

「うん、結構ね…」

 

 小さく「良かった」と呟くブエナの言葉。そうして、今度は柔らかな感触が耳に当たっていく。ふわふわとした、手触りの良い物だった。

 

「最後に梵天で仕上げるよ」

 

 耳の中へと入れば、綿毛の柔らかい感触に更に中で動かされていく。取り戻した意識は少しずつ再び微睡み始め、視界も蕩けていた。瞼が落ちていき、明るい光と暗闇が半分ずつ分かれている。

 

「くぁ…」

「眠い?寝ても大丈夫だよ…」

「…それだと……」

「ご褒美なんだもん。いつも頑張ってるお兄ちゃんだから…たまには甘えて欲しいな」

 

 優しい声色。そうして頭をゆっくりと撫でられていく。ブエナの手の体温、そしてもう片手では耳かきをされている。これでは意識を保つ方が難しい。

 がさがさ、と梵天が動く音と彼女の「さっさっ…」と小さく呟く声。それらが聞こえ続けていれば、力が全て抜けていく。スカートを握りしめていた手もいつの間にか手放していた。

 

「これで綺麗になった。反対側、向けそう?」

「…んっ……」

 

 体を動かしては、視界は今度は彼女の腹部に向けられていく。ぴくり、と一瞬だけブエナの体が震えた気がする。彼女の表情を確かめたいが、それ以上に早くして欲しい、という欲には逆らえなかった。

 

「始めるね」

「ありがとう……」

 

 ヘラで耳の中を何度も掻き出されていく。ヘラが耳から抜かれると背後からとんとん、とヘラで机を叩いている音が聞こえた。

 

「小さい頃、覚えてる?」

「……なんの、はなし?」

「まだ私とお兄ちゃんが小さい頃に…私から耳かきさせてって言ったの」

 

 揺らぐ意識の中で必死に思い出そうとした。記憶の欠片を集めては、少しずつ形となってきた。

 そうだ、あれは確か家に遊びに来てもらった時だ。二人で漫画を読んでいた時にウマ娘の女の子が意中の相手に膝枕をしていた。その時に耳かきをする話になって、意中の相手が断った。そんなお話。

 その時にブエナが『してもいいっ?』と。目をキラキラさせながら言ってきたが、断ったのだ。彼女はその後に不服そうにしていたが、当時の自分は誰かにして貰うのは少し怖かったのだ。

 

「今はこうやってお互いに大きくなって…ちょっとだけ寂しい…かな」

「…だいじょうぶ」

「えっ…?」

「だって…」

 

 その先の言葉を出そうとしても眠気の方が強くなってしまった。小さな言葉で、もごもごと呟いていく。最後にはぷつり、と意識を手放してしまった。彼女の体温に包まれながら、夢の世界はとても心が安らいだ。

 

 

□■□■□■

 

 

 彼の寝息が聞こえる。最後の言葉を言うだけ言って寝てしまったみたい。余りにも自分勝手だけれど、それでも小さく聞こえた言葉は私にとって嬉しかった。

 

「これからもずっと一緒…か」

 

 お兄ちゃんとトレーナーさん。どちらも私にとって大切な人。違う言葉だけど、同じ意味を持っている。きっと彼が年を取れば、多くの人と関わるのだろう。それは私もそのはずだ。

 少しだけ年を取ることは嫌だな、と思っていた。年を取れば取る分、お互いに知らない事が増えていく。その知らない事を知る事が、私の心に小さな穴が空くような思いだった。

 

 でも─────

 

「そうやって言われたら…敵わないよ…」

 

 彼の頭を撫でていく。少しごわごわとした感触。でもそれが心地よくて何度か繰り返した。

 もし、彼が勉強会で一位を取れなくても私はきっとこうしただろう。ご褒美では無く、慰めとして。それはちょっと生意気、かもしれない。

 

「…私もずっと…一緒に居たい。これからもずっと…」

 

 そうして、耳かき棒を彼の耳の中へと入れていった。先程よりも手の動きを緩めていく。この時間が長く続くように、と祈りながら。

 膝の上で眠る彼の寝息。それを少しでも聞き続けたかった。

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