ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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アストンマーチャンがトレーナーに看病してもらう話

 真っ青な青空、その青空を映えさせるような白い綿菓子のような雲。焼き焦がす様な熱気を放つ太陽。そして、肌に引っ付くような湿気。

 栗東寮の前で空を眺めながら「暑い」と一言だけ呟いた。栗東寮からはウマ娘達の声が聞こえず、異様な静けさを放っていた。それもそのはず、この時期のウマ娘達は夏合宿場へ向かっているからだ。

 では、何故トレーナーである俺がこの場所に訪れているのか。

 

 携帯を取り出してLANEを開いていく。一つのトーク画面を開いていけば『アストンマーチャン』と書かれた人物との会話が表示された。

 彼女との契約も四年目を迎え、秋のレースに向けて色々と準備をしていたことだ。

 アストンマーチャンというウマ娘は春になるといつも体調を悪くしてしまう子だ。体調が悪いと言っても熱が出るわけではない。それでも咳やくしゃみをし、眠気は妙な気持ち悪さを覚える、というものだ。

 それが今年は出なかったのだ。

 彼女はそれが嬉しくてはしゃぎまわり、いつもよりもウルトラスーパーマスコットになるために色々なことをした。マーチャン人形の更なる進化、うまチューブにおける動画投稿、トレーニングにおける併走の協力、そしてレース。

 

 彼女も楽しんでおり、無茶しないかだけしっかりと見ていたのだが、無理が祟ってしまった。マーちゃん自身もアドレナリンが出た状態が続いて気づかなかった、と言っている。恐らくそれは嘘では無いのだが、彼女の異変に気づけなかったことが俺は責任を感じていた。

 夏合宿の参加に遅れてしまい、そして彼女は寝込んでいる。その贖罪、というわけではないが看病をすることを決めたのだ。

 

「……入るの緊張するな」

 

 扉を開けて、栗東寮の中を覗いていく。玄関ともいえるエントランスホールは広く、脚を踏み入れるとエアコンが効いており、外とは段違いの涼しさだ。シャツの首元を指で摘まんで何度か仰いだ。

 このまま彼女の部屋に向かって良いのだろうか、と思案していれば「そこのあんた」といきなり声をかけられた。視線を其方に向けると恰幅のよい四十代くらいの女性が立っていた。寮母さんだろうか。

 

「あんた、どこの人だい? ここは立ち入り禁止だよ」

「あ……アストンマーチャンのトレーナーです。彼女の看病に来ました」

 

「ふぅん」と喉を鳴らしながら全身を見てくる。更に女性が目元を細めれば、怪訝そうな表情をしていた。

 

「本当かい? そうは見えないねぇ……」

 

 俺は視線を自分の服装へ下ろした。今日は私服でカッターシャツといった仕事着ではない。元々オフでもあり、何か買い出しに行っても良いように私服で来たのだが間違いだったかもしれない。

 

「フジキセキから許可を貰ってます! あ、あとこれ……彼女との連絡で!」

 

 携帯のトーク画面を見せながら、とにかく身振り手振りでマーちゃんのトレーナーだと信じてもらおうとした。リュックサックからはレジ袋を取り出して、彼女の見舞い用の品やマーちゃん人形、ほかにもマーちゃんストラップなども見せていく。

 寮母さんは大きな溜息を吐いたあと「そこまでしなくても、マーちゃんから聞いてるよ」と口角を小さく上げながら答えてくれた。

 

「え、聞いてるって?」

「マーちゃんのことをいっぱい見てくれるトレーナーさんが来てくれるって、あの子が言ってたんだ。どうやら、本当にそうらしいね」

 

 「あはは」と乾いた笑いしか返せなかった。こんな所で彼女に助けられてしまうとは。

 そのまま寮母さんに案内されては『143』と書かれた部屋に辿り着いた。寮母さんは「しっかり見てあげなよ」と言ってしまえば立ち去ってしまった。

 その姿を見送った後、扉の前で一度深呼吸をしていく。右手で軽く握り拳を作れば、こんこん、とノックをした。

 

「はーい」と間延びした声が部屋の中から聞こえてきた。

 

「マーちゃん、俺だ。入っても大丈夫か?」

「トレーナーさんなのですか? 入ってもいいですよー」

 

 扉のノブを握りしめてはゆっくりと扉を開けていく。小さく扉の軋む音が廊下に響いていき、部屋の中が見えるようになればベッドの上にはマーちゃんがいた。上半身を起こし、此方を見つめている彼女。彼女はピンク色のパジャマを着ており、頭にいつも乗せている王冠はサイドテーブルに置かれていた。髪も束ねられておらず、より儚げな雰囲気をまとっている。

 彼女はほんわかとした笑顔を浮かべながら、両手をひらひらと彼女自身の顔の近くで振っている。それに手を振り返しながら、彼女へと近づいた。

 

「体調はどう?」

「大丈夫なのです。でも、ちょっとだけ頭がぽわ~ってします」

 

 ベッドの横に置いてあるブロック型の椅子に座り、マーちゃんを見つめた。彼女は振っていた両手の人差し指だけを立てて、左右の口角に添えていく。にこにこ、としているが頬は赤く、瞳も潤んでおり、彼女の視界の行く先はどうにも浮ついていた。

 リュックサックを肩から降ろしていき、中からレジ袋を取り出した。レジ袋の中に手を入れて、ゼリー飲料やプリン、水といった飲食物。その他にも冷却シートやのど飴など彼女の体調がこれ以上悪化しないためのものを取りそろえた。

 小さな冷蔵庫の上に並べると、あっという間に置き場がなくなった。買い過ぎたかもしれない。

 

「おー……沢山なのです。ぱちぱち」

 

 冷蔵庫の上に溢れんばかりのそれらを見ては彼女は両手で手を叩いていた。

 

「拍手はありがたいけど、全部マーちゃんのだからね?」

「マーちゃんは愛されてるのですね」

「まぁ、俺の担当だしな……?」

 

 いつもふわふわしているマーちゃんなのだが、今日はどうにもそれが強い。先程からずっと笑顔を浮かべており、此方を見続けている。

「頭、触るよ」と告げれば、彼女の額に手を伸ばした。前髪を軽く上げていき、額に手を当てればまだ熱い。

 

「薬は飲んだ?」

「はい、飲みました。とってもとっても苦い薬でした」

「それだけよく効く薬だってことだ」

 

 彼女の額から手を離していき、冷蔵庫の上に置いた冷却シートへ手を伸ばした。袋を破っていき、中から長方形の青いシートを手に取っていく。テープを剥がして、今度は両手で彼女の額へ近づけた。

「貼るよ」の声と共にマーちゃんの額に冷却シートを付けていく。「ひゃ」といつもよりも甲高くも可愛らしい声が彼女から漏れた。

 剥がれてしまわない様に何度か指でなぞり、貼り終えれば手を引いた。

 

「ひんやりとして、気持ちいいですね。マーちゃんの頭が快適になりそうです」

「はは、それはよかった。ほら、ちゃんと寝ないと治らないぞ」

 

 マーちゃんは上半身を起こしたまま此方を見つめ続けていた。こうやって話せることは嬉しい事だが、彼女は病人だ。しっかり寝なければ夏合宿にも間に合わなくなってしまう。

 それでも彼女は全身を横にすることはなかった。お互いの視線が合っていけば、俺はゆっくりと首を傾げた。

 

「どうしたんだ?」

「……マーちゃんは、やっと春と仲直りできたのです」

「そうだね、来年はもっと仲良くなれるよ」

「はい……でも、でもですよ?」

 

 マーちゃんは右手を挙げて、人差し指だけを立てた。

 

「夏と相性が悪くなったら……マーちゃんは嫌なのです」

「あぁ……」

 

 春の違和感が消えた、しかしその代償として他の季節が自分の体を蝕むのかもしれない。マーちゃんはきっと、そう思っているのだろう。

 彼女にとって春、というのはどういった意味を持つのかは分からない。それでも、あの日に一人で海に佇む彼女はもう見たくない。

 

「そんなことはないよ。春に頑張りすぎただけだから。夏とも相性はきっといいさ」

「でも、秋と冬は……」

「秋も冬も、そして春もきっと大丈夫。色んな季節とマーちゃんは上手くやれるよ」

 

 マーちゃんの頭に手を伸ばしていき、彼女のウマ耳の間に手を乗せた。そのまま後頭部へ手を滑らせては、また戻していく。彼女の髪質は柔らかく、仄かに甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

 彼女は驚いたように目を見開くも、すぐに目を閉じては手の動きに合わせてウマ耳を倒していく。彼女の背後で尻尾が揺らめいているのが視界に入れば、頬が緩んでしまった。

 

「トレーナーさんは、今から何をするのですか?」

「仕事にあとはブログの更新とか。ちょっとだけ机借りるね」

「……むー」

 

 ぷくり、という単語が似合う程に彼女は頬を膨らませていた。マーちゃん自慢のもちもちの頬がより、もちもちになっている。それとは正反対に瞼は細められてまるで尖っているようだ。

 彼女の頭を撫でる手を止めては「あー」と言葉を出しながら視線を逸らした。

 

「えっと、この部屋にはずっといるからさ」

「じー」

「何か欲しい物でも?」

「……じー」

「……ぜ、ゼリー食べる?」

 

 何を言っても細められた瞼が広がることは無く、ただ見つめられていた。いや、言うならば睨まれているのかもしれない。

 数秒の無言が続いた後にマーちゃんの口からぷすー、と空気の抜ける音が鳴った。膨らんでいた頬もへこんでいき、目を逸らされてしまった。

 

「マーちゃんは寝ますです。おやすみなさい」

「あ、あぁ、おやすみなさい」

 

 そのままマーちゃんは上半身をベッドに沈ませては、体を俺とは反対側に向けてしまった。

 取りあえず話せる元気はありそうでよかった。夏合宿に行けなかったことが何処まで響くのかが心配だったが、杞憂だったらしい。

 ブロック型の椅子から立ち上がり、リュックサックの持ち手を手で握りしめた。足音を立てない様に歩き、向かった先は彼女が使用していると思われる机。

 リュックサックを机に立てかけては、中からパソコンを取り出して、机の上に置いた。椅子に座り、パソコンの電源を付けていく。

 

 パソコンのメールボックスには既に何件かのマーチャングッズの提案と一件の夏合宿におけるレポートの案内メール。それらを開いては、一つずつ読み始めた。

 今日はトレーニングも無く、すぐに終わってしまうだろう。連絡を返し、資料を返したら今日のブログ用の四コマ漫画でも作ろうか。そんな事を考えながら、キーボードを叩き始めた。

 

 ◇◇

 

 あれから数時間後、窓から差し込む光は明るい白色から、淡い橙色へと変わり始めている。

 四コマ漫画も描き終え、両手を天井に突き刺すほど強く伸ばしていく。全身の硬さが解れるような心地よさ。首を左右に動かしては、最後の凝りを解していく。

 マーちゃんはあの後、時折体を起こしては水を飲んでは寝るのを繰り返していた。起きる度に「大丈夫?」と聞いたが、彼女はその度に「大丈夫なのです」とだけ答えては眠ってしまった。

 

 ベッドへ視線を動かせば、未だに彼女の体はマットレスへ沈んでおり、彼女の寝息と壁時計の針が刻む音と共鳴していた。

 もうそろそろ帰らなければ。看病とはいえ、余りにも夜遅くまでいるのは流石に迷惑となってしまう。

 椅子から立ち上がり、ベッドへ近づいた。俺の足音に気づいたのか、彼女のウマ耳がぴく、と一度だけ動いた。

 

「んぅ……トレーナーさん……?」

「ごめん、起こしちゃったか」

 

 そのままブロック型の椅子に座っていき、彼女に体を向けた。彼女も上半身を起こしていく。だが、此方に視線を向けることは無かった。

 

「額、触るよ」

 

 それだけを告げて、彼女の額に手を伸ばした。前髪を挙げて、額に手を当てると熱を持っていなかった。

「良い感じだね。お腹は? 空いてないか?」と言いながら手を離していく。マーちゃんはゆっくりと左右に首を振った。

 

「そっか。俺はもうそろそろ帰らないと……」

 

 明後日には問題なく夏合宿にも行けるだろう。今日は何事も無くて本当に良かったと胸を撫で下ろした。

 椅子から立ち上がろうとすれば、不意に右腕に重さを感じた。その重さの原因は、マーちゃんの手だ。彼女は俺の手首を掴んでおり、顔を見上げている。そして小さく「行っちゃうのですか?」と呟きが聞こえた。

 

「マーちゃん?」

「今日、マーちゃんは朝からずっと一人だったのですよ。だから……」

 

 右腕に何度か彼女の力が込められる。それは決して痛めつけるものではなく、何かに縋ろうとしているものだった。

 今日から夏合宿で栗東寮には誰もいない。普段は同室の子もいて、それこそエントランスホールや誰かの部屋に集まって遊んだりするのだろう。

 夏合宿場ならば、その日常はきっと続いていたのだろう。生憎と違ってしまったが。

 

「マーちゃん」

 

 もう一度椅子に腰を下ろした。マーちゃんの手は離れることなく、繋がったまま。それを振り払わず、もう片方の手を伸ばして彼女の頭を撫でた。

 ウマ耳の間に手を置き、今度はその部分を中心に手を動かしながら撫でていく。彼女は目を瞑り「ふふっ」と声を漏らしていた。

 

「夜遅くまではいられないけど、明日もまた来るから。それで……どうかな?」

 

 ここはウマ娘の寮だ。トレーナーである自分が本来立ち入ることはできない場所。今回は看病という理由があったため許されたが、長居をすれば怒られてしまう。

 マーちゃんの頭を撫で続けているが、彼女はぷくり、と頬を膨らませていた。中々納得してくれないものだ。

 このまま放置して帰るのであれば、きっと明日の彼女は不機嫌になるだろう。とはいえ、帰らなければ俺自身の立場も危うい。頭を撫でる手を止めては、腕を組んで唸ってみる。

 いつの間にか俺の右腕からは彼女の手が離れていた。

 

「……む、きゅぴーん」

 

 マーちゃんが何かを思いついた時の言葉が聞こえた。さて、一体何を思いついたのだろうか。

 

「トレーナーさん、ここに『マーちゃん、おやすみなさい』って話してください」

 

 そうして目の前に差し出されたのは彼女がいつも使っている携帯だ。携帯の画面はボイスメモのアプリが起動しており、いつでも録音が可能な状態になっている。

 

「えっと、それはどうして?」

「ふふん、それは内緒です」

 

 鼻を高らかに鳴らしているが、全く意図が読めない。

 マーちゃんが録音をしていることは知っているが、確かその日の出来事をまとめているものなはずだ。それに彼女が誰かに求めているのは初めて見たかもしれない。

 彼女はそれ以上何も言わずに、何度か携帯を近づけては催促してきた。

 

「分かった分かった、このボタンを押してから喋ればいいんだね?」

「はい、喋り終えたらまたぽちっとお願いします」

 

 そう言われるも、いざ喋ろうと思えば言葉が喉に引っかかってしまう。大きく息を吸っては吐いていき、つっかえた物を吐き出してボタンを押した。

 携帯の画面に時間が刻まれていく。その時間が五秒を過ぎた所で「マーちゃん、おやすみなさい」それだけを告げて、もう一度ボタンを押した。

 心臓の鼓動が妙に煩く、変に緊張している。別に何か悪い事をしているわけでもないのに。

 

 マーちゃんは早速と言わんばかりに録音の再生ボタンを押した。携帯から流れ出る俺の声と『マーちゃん、おやすみなさい』の声が部屋の中に響き渡った。

 

「恥ずかしいんだけど……」

「ふふっ、ありがとうございますです、トレーナーさん。これでマーちゃんは明日を元気に迎えられそうです」

「まさかとは思うけど、聞くんじゃないよね?」

「ふふ~ん、それは秘密なので」

 

 不機嫌なのは何処かへ消え去ったかのように、マーちゃんの言葉は弾んでいた。彼女が満足できたならば、それでいいか。

 今度こそブロック型の椅子から立ち上がり、机の方へ向かっていく。パソコンをリュックサックの中へとしまえば、それを肩へ担いだ。

 

「じゃあ、明日も様子見に来るから。今日はちゃんと寝るようにね」

「はい、分かりました。今日はありがとうございました」

 

 マーちゃんはベッドの上で上半身を深々と下げてはウマ耳もぺたん、と掛け布団に付いた。

 俺は背中を向け、扉へと歩いていく。扉のノブに手をかけては、ゆっくりと開いて彼女の部屋をあとにした。

 扉の閉まる音が廊下に響き渡る。栗東寮全体が静かで、何処からか虫の鳴き声が聞こえてきた。きっと、この寮は虫の鳴き声に負けないほど煩くて、そして賑やかなのだろう。そう思えば、マーちゃんが寂しくなる理由も分かる気がした。

 

 数歩、脚を進めた後にぴたり、と止めた。振り返って向かうはマーちゃんの自室。

 あえて音を立てない様に脚を床につけていき、そして部屋の前まで辿り着いた。扉のノブを掴んで、ゆっくり開けていけば──

 

『おやすみなさい』

 

 録音された声が聞こえてきた。案の定、マーちゃんは起きている。しかも、携帯を眺めながら頬をふんだんに緩ませていた。

 だが、その表情も俺の方に向ければみるみる赤くなっていく。まさか、とは思ったが。

 

「……あんまり、聞き過ぎないように!」

「はーいです」

 

 そのまま扉を閉めて、再び歩き出した。録音を取らせてしまったのは、失敗だったかもしれない。

 最後に見たマーちゃんの表情と声。不満そうな返事だったが、来た時よりは元気になっていた。

 明日は、あれ以上に元気になっていることを願いながら、栗東寮をあとにした。

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