「トレーナーさん、マーちゃんがウルトラスーパーマスコットになるためにはこれからどうしたらよいでしょうか」
トレーナー室にマーちゃんの意気揚々とした声が響いた。トレーニングを終え、汗を拭いた彼女はホワイトボードの前で仁王立ちしながら俺に指をさしている。パソコンのキーボードを叩く手を止めては、彼女に視線を向けた。
「マーちゃん人形はもう発売されたし……ブログの書籍化も進んでるしな……」
日頃のレースの戦績とマーちゃんの宣伝をしていたおかげかとんとん拍子である。マーちゃん人形の売れ行きも良いと聞いており、書籍も予約がかなりされているとのこと。他のグッズも同様だ。
となれば、次なる戦略を打たねばならない。同じグッズを販売し続けても、いずれは低迷してしまう。
両腕を胸の前で組んでは「うーん」と声に出しながら唸ってみる。
「ふふん、トレーナーさん。マーちゃんに考えがあるのです」
「ほう、どんな?」
マーちゃんがホワイトボードに黒のマーカーで何かを書き始めた。彼女がホワイトボードから身を引くと、そこには『ギャップで狙え!』と大きな文字で書かれている。
「……ギャップ?」
「そう、ギャップなのです」
彼女がマーカーのキャップの着脱を繰り返しながら「古今東西、グッズ化されたものには別のものが存在します」いつもよりも真面目な口調で、眼差しも真剣だった。
マーちゃんがソファーに置かれた学生鞄へ歩いていき、その中から一つの雑誌を取り出した。その雑誌のとあるページを開いては大きく開きながら、此方へ見せてくる。
「えーっと……いつもよりクールな貴方へ?」
「はい、そうなのです」
マーチャンは声を弾ませながら、その雑誌を俺の目の前に置いた。
雑誌に視線を落としていくと、そこにはカレンチャンとスマートファルコンの二人が映っていた。二人とも普段の装いとは違い、黒のパンツスタイルに前髪をかき上げてポーズを取っている。
普段可愛さや愛されるアイドルとしての表情ではなく、凛々しさを兼ね備えたものだ。勿論、可愛さは捨て去っておらず、それらを複合させてはより昇華させている。
確かにこれは目を惹かれてもおかしくない。普段見せない姿、というのは人の興味を引くものだ。
「というと、マーちゃんもこういう感じのを目指すってことか?」
可愛らしさ全開のマーちゃんの大人っぽい姿、というのは確かにウケそうだ。新しい層へのアピールにもなるし、良い発想だ。
「あってはいますが、違いますです」
「……というと?」
「世界的なマスコットになるためには、誰かの真似事だけではダメなのです」
真似事、そう言われてしまえばそうかもしれない。
人気になるために先駆者を参考にするのは大事かもしれないが、そこから飛躍をするのであれば個性も大事になってくる。カレンチャンとスマートファルコンの二人の真似をしてもきっと埋もれてしまうだろう。
ならば、どうするべきなのか。
「ふふん、分からない、といった顔ですね?」
「そうだね……」
「では、マーちゃんが発表しましょう!」
意気揚々と床を鳴らしながら、またホワイトボードへ。黒のマーカーを取り出しては、ホワイトボードにマーカーを滑らせていく。
ギャップの下に書かれたのは『七変化』と書かれていた。
「マーちゃんは……沢山変わります!」
「ほう?」
「トレーナーさんには一週間、いつもと違うマーちゃんに付き合ってもらいます。そこで、一番良かったマーちゃんを選んで貰うのです。選んだマーちゃんからグッズ展開をすれば、きっとファンも増えるです」
今日は金曜日、明日からは休日でトレーニングも無いオフの日だ。
色々な変化をして、一番似合うものから攻めていく。その一番良いマーちゃんを決めるのが俺だけで良いのかは疑問に思うが、彼女に推薦されたのであればやることはやろう。
そう、言いたい所なのだが。
「あの、マーちゃん」
「はい?」
「土日、俺は一緒にいられないよ?」
「えっ、何故? 何故なのです?」
「トレーナー同士の勉強会があるって……言わなかったっけ?」
「──あ」
◇◇
土曜日。
あの後にマーちゃんと色々と話し合い、写真で彼女の姿を見せて貰うことになった。マーちゃん自身、本当は動いてる姿や話す姿も含めて見て欲しかったそうだが、こればかりは仕方ない。
当日になるまで、彼女の服装などは全て秘密だそうだ。
さて、今日はマーちゃんに言った通り、トレーナー同士の勉強会だった。トレセン学園の会議室で先輩トレーナーにおけるトレーニング理論やレース戦略の話をまとめられたもので、中々有意義な時間だった。
とはいえ、朝から夕方まで理論を一日詰め込まれては教材を渡された。明日はこの教材を使って、各距離ごとにおける戦略や足の使い方、様々なレース場の特徴についての講座だ。
頭の中で何かを思考しても、全てが絡まった糸のようになってしまい、最後には全て脳の外へ滑り落ちてしまった。
自宅であるトレーナー寮へ帰ってくれば、鞄をソファーの上に置いていく。その鞄の隣に腰を下ろすと、ポケットに入っている携帯が震えた。
ポケットに手を入れては、携帯を取り出した。画面には『アストンマーチャン』という名前が書かれている。
携帯の画面に指を滑らせていき、トーク画面を開いた。トークの画面には『一日目の変化なのです』と書かれており、一つの写真が送信されていた。
「一日目は……アイドルか?」
髪型はツインテール、服装も白を基調としており、大きなスカートが目に付く。いつもよりきらきらと輝いている印象だ。
『動画も送信します』その文面と共に送られてきたのは、マーちゃんが最近流行りのアイドルソングに乗せて寮の自室で踊っている物だ。踊り終えた後に『どやや』という声も聞こえ、動画は終わった。
『アイドルマーちゃんか、いつもより可愛らしいね』
『ふふん、そうでしょうそうでしょう。アイドルなマーちゃんもプリティーなのです』
この姿を直接見ることができないのは残念だが、写真と動画で見せてくれただけ良かったと思うことにした。
『明日も見せるので、感想をお願いするのです』
『分かった。勉強会で疲れてたから、マーちゃんの可愛い姿が見れて良かったよ』
既読が付いた。すぐに返事が来ると思ったが、数分待っても来ない。
彼女にとって見せたいものを見せたから、これで終わりなのだろう。これ以上待つことはせずに、携帯を机の上に置いていく。向かった先は台所、夕食を作った後にまたあとで彼女の動画を見ておこう。
明日も楽しみだ。
◇◇
日曜日、休日の最終日だ。
勉強会最終日とのことで、多くの知識を詰め込まれた。脳の許容度を超える程に。
頭が妙な重さとずきずきとした鈍い痛みで埋め尽くされている。今回の勉強会で分かったことは、海外の芝ではマーちゃんの適性が活かせるかもしれない。
もし、海外のレースで勝つことがあれば、アジア以外にも彼女の名前を広めることができるはずだ。来年にでも考えてみるのはいいかもしれない。
そんなことを考えながら、トレーナー寮へ帰ってきた。部屋に入るなり、鞄を適当な所に置いては、体ごとソファーへと投げ出していく。
クッションに顔を埋め、全身をソファーに預けては徐々に体が沈んでいく。途中で沈みが止まれば、顔だけを横に向けて携帯を取り出した。
携帯の電源を付けるとマーちゃんから『二日目の変化なのです』と連絡が来ていた。さて、今日はどんな変化だろうか。
通知を指でスライドしてトーク画面を開いていけば、昨日と同じく一枚の写真が添付されていた。
その写真は彼女を正面から捉えていた。背景から栗東寮の自室だろう服装はピンク色のレースブラウスに黒色のミニスカート、腰には同じ黒色のベルトが巻かれ、これまた胸元には大きな黒いリボンが主張している。
所謂、地雷系ファッションというやつだ。
写真を眺めていると、更に二枚目の写真が送られてきた。これは一枚目の写真とは違い、外で撮ったものだ。
マーちゃんの頬にはプラスチックのドリンクが当てられており、ウインクをしている。唇も少しだけ突き出して、カメラ目線。普段の彼女とは思えないほど似合っていた。
『今日のマーちゃんはどうですか?』
メッセージが飛んで来ればすぐに『昨日よりもいいね。凄く似合ってる』と返した。
『ふむふむ、なるほど。地雷系マーちゃんが気に入ったようでなによりなのです』
『直接見れないことが残念だ。写真ありがとう、今日も可愛かったよ』
既読が付いて、数分待っても返事が無かった。
携帯を机に置いて、台所へと向かっていく。今日は早く夕食を食べて、お風呂にも入って寝てしまおう。
そういえば、明日からはどんなマーちゃんになるのだろうか。
◇◇
平日の始まり、月曜日。
朝早くからマーちゃんから連絡があった。彼女が言うには、さすがに服装を変える事はできない、と。
トレセン学園内で制服で無かったら怒られてしまう。それに不真面目マーちゃんと思われるのも、今後のグッズ展開を考えるにあたって印象が良くないため、態度や言葉遣いで見せるらしい。
勿論、多少なりとも服装を変えられるなら変えるそうだ。怒られない範囲で、だが。
パソコンの置かれた机の前に座り、トレーナー室で業務を進めているとこんこん、とノック音が響いた。「どうぞ」その音の主に対して声をかければ、扉が開かれた。
開かれた扉には眼鏡をかけたマーちゃんが立っている。普段の彼女は私服で眼鏡をかけているが、制服姿で見るのは珍しい。
トレーナー室に入るなり、彼女は会釈をしながら「失礼します」と告げた。顔をあげた時、彼女は笑顔ではなく眉間に皺が少々寄っていた。
肩にかけている学生鞄を両手でしっかり掴みながらソファーへ歩いていき、腰を下ろしていく。鞄の中から彼女は文庫本サイズの本を取り出し、そして読み始めた。
「……えっと?」
全然分からない。これは一体何マーちゃんなんだ。
椅子に座りながら彼女を眺めているも、一向に俺の方に視線を向けることは無い。
全く分からず、椅子から立ち上がって彼女へ近づいていく。彼女と対面するように正面のソファーへ座った。
マーちゃんの視線が俺の方へ一瞥したが、それ以上は向けられず、また文庫本へ戻ってしまった。
「マーちゃん?」彼女の名前を呼んでみるが、それでも反応することは無かった。
いつもと違うのは髪型が結ばれておらず、服装も何処かきっちりしている。普段から不真面目、というわけではないのだが、お堅い印象だ。
待て、お堅いということはこれは──
「委員長マーちゃん?」
「……ふむ、正解なのです」
文庫本から顔をあげた彼女の表情は少し和らいでおり、眼鏡に手を添え、ゆっくりと持ち上げて位置を直し始めた。
マーちゃんは文庫本を膝の上に置き、ふぅ、と一つ息を吐いた。
「では、トレーナーさん。今日のマー……私はいかがでしょうか?」
「今日のマーちゃんか……」
「マーちゃん、ではなくマーチャンさんです」
「はは、ごめんごめん」
彼女自身もまだ言葉遣いに慣れていないのか、少しだけ可愛らしく思えてきた。
まず印象に持ったのはお堅い、というものだ。普段のマーちゃんはもっと可愛らしく、それこそマスコット的な愛くるしさも備えているウマ娘だ。
だが、今のマーちゃんはそれらとは反対側に位置している。表情も不機嫌というわけではないが、それに近いもの。更には近寄りがたい雰囲気も出している。
それにそもそもの話として、彼女は不真面目な子ではない。自分で努力をしてしっかりと考える子なのだから、これはどうにも違う気がした。
ギャップ、といえば確かに聞こえは良いが、彼女の長所を消しているだけにも見えてしまった。
「うーん……俺は好きだけど、どうかなぁ……」
「どう、とは?」
「あまり合ってないかも……ファンの人が見たら『この子は誰だ?』ってなりそうで」
「……なんと」
マーちゃんは瞼を大きく見開いた。
すぐに眼鏡を外し、結んでなかった髪もいつもの髪型に結び直していく。数分もしない内にいつものマーちゃんが出来上がれば、彼女は口角に両手を添えて「マーちゃん誕生です」いつもの笑顔も添えながら告げた。
「そっちの方がマーちゃんらしい」
「では、明日のマーちゃんもお楽しみに。明日はもっと良いマーちゃんになっているはずなので」
三変化のマーちゃんはちょっとだけ失敗。明日はどうなることやら。
◇◇
火曜日。四変化目だ。
「マーちゃん、ギャルデビューなのです。うぇーい」
トレーナー室の扉が勢いよく開かれ、それと同時に飛び込んできた光景。その人物はトレセン学園の制服を着ており、腰にはベージュ色のカーディガンが巻かれている。爪は黄色や緑色といった鮮やかな色のネイルがされていた。
口元で右手を大きく開きながら「トレぴ~、やっほ~なのです」と小走りでマーちゃんが近づいてきた。
「あぁ、うん、ギャルマーちゃんか」
「そうなのです、ふふん、どうでしょうか?」
腰に手を当て、どや顔を浮かべているマーちゃん。昨日とは打って変わってよりはきはきとした彼女だ。
彼女が近づいて来れば、その場で両腕を左右に開きながら、脚をとてとて、と動かして回り始めた。一回転し終えれば、またどや顔。余程ギャルの様相が気に入ったらしい。
「昨日の反省を活かしたのです。これならよりプリティーでしかも変わったマーちゃんになれるのでは?」
「確かに、こっちの方がいいね」
「どやや」
本当に嬉しそうである。彼女が気に入ったのであれば、それはなによりだ。
では、ギャップとしてどうだろうか。マーちゃんの服装は勿論、爪や髪型も確認をしていく。
人形として考えるのであれば、ギャルの服装やネイルだけだといつもより分かりづらい可能性がある。髪にメッシュを入れ、見た目からも変えた方が良いかもしれない。
とはいえ、この状態であれば写真集などもっと等身大の姿を見せる方なら良いだろう。
何度か頷きながら眺めていると、彼女はより近づいてきた。前かがみでさらに顔も近づけて来れば、椅子を引いて距離を取った。
「どうですか? 今日のマーちゃんは?」
「良いと思う。マーちゃんは明るい系が似合うね」
「ふむふむ、そうなれば明日は同じだけど違うものにしますです」
「明日も楽しみにしているよ」
マーちゃんは頬が滑り落ちてしまいそうなほどに緩めている。
明日は五変化目。同じ系統というとどんなものだろうか。
◇◇
水曜日。
「トレーナーさ~ん、構って下さ~い」
俺は今、マーちゃんに背後から抱きしめられている。訂正、ソファーの背もたれ越しに彼女が腕を伸ばしているだけだから抱きしめられてはいない。
何故こうなったのか。
今日は資料の整理やタブレットに記録してあるトレーニングメニューを見るために、ソファーに座って作業をしていた。彼女が来るまで待っていたのだが、時間になっても来ず心配していた矢先に扉が勢いよく開かれた。
彼女の服装は昨日と変わりはない。髪型もいつものマーちゃんで頭には王冠が被さっている。ネイルもしていないし、大きな変化がある訳ではないのだ。ないのだが。
「ん~? トレーナーさんトレーナーさん」
「どうしたの、本当に」
「タブレットのマーちゃんもいいですが、本物のマーちゃんは此処にいますよ?」
「そうだけど、あの、仕事がね?」
「む~」と唇を尖らせた後に俺の右頬を指でつついてくる。今までのギャップマーちゃんは見た目から入る事が多かったが、今回は見た目ではなく性格だ。
しかもやたらと距離が近い。頬をつついてくる指を手で制止しようとすれば、今度は左頬がつつかれる。また止めようとすれば背後から楽しそうに笑う声が聞こえた。
「えっと、ごめん、これは何のマーちゃん?」
「分からないのですか? こんなにもしてるのに?」
そう言われても全然分からない。マーちゃんの方に振り向くと、視線が合っていく。それだけで彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべては、腕を回して軽く抱き着いてきた。
彼女の顔が真横にある。少しでも離れようと首を動かせば、腕で強く寄せられた。
「どうですか? 今日のマーちゃんは?」
「ちょっと離れようか……!」
彼女の両肩に自分の手を置いては、ゆっくりと体を離した。不思議そうに首を傾げているマーちゃん。傾げたいのは此方なのだが。
「今日のマーちゃんはね、良いんだけどよく分からなくて……!」
「仕方ありませんね、答えを教えましょう」
両手を上げ、彼女が口角に添えていけば人差し指と中指を立ててピースサイン。ピースサインの空白を開け閉めしながら「今日のマーちゃんは甘えん坊さんなのです」と言葉にした。
普段のマーちゃんは素っ気ない所がある。気が付けば何処かにふらり、と歩いていってしまうことがまさにそうだ。他人にくっついたり、それこそ甘えるという姿は見たことが殆ど無い。
だからこそ、これは色々とよくない。
「マーちゃん!」
「は、はいなのです」
大声を出すと彼女のくりくりとした大きな目が何度か瞬いた。
「その甘えん坊マーちゃんは封印で!」
「え、ど、どうしてなのですか?」
「あー……」
理由を問われてしまえば、言葉に詰まってしまった。本音を言えるはずもない。脳内を巡らせ、すぐに出てきた言葉は「ギャップがいつもと違う」と答えた。
「違うのは良い事では?」
「いいか、マーちゃん。今までは見た目から変わってたんだ。だけど、甘えん坊マーちゃんだと……どう違うって伝えるんだ?」
「むむ、確かに」
見た目では分からず、態度で示す系ではファンにも伝わりにくい。春と秋の感謝祭であれば良いかもしれないが、そこでは新規のファン獲得にも繋がりにくい。となれば、やはり見た目で責める方がよいのでは、と考えたのだ。
苦肉の良いわけではあるが、どうやら彼女は納得してくれている。
「甘えん坊マーちゃんは失敗なのですね」
「失敗ではないけど……他のを考えようか」
「分かりました。でも今日はこのままでいさせてくださいね?」
今日一日、マーちゃんに引っ付かれるのは中々に心臓がもたない。
明日はこんなマーちゃんにならないことを祈ろう。
◇◇
木曜日。六つ目の変化の日。
トレーナー室の扉を開けると、ふわりと広がる茶葉の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。そして、トレーナー室のソファーには一人のウマ娘が座っていた。
そのウマ娘の髪型は後ろで束ねられているハーフアップとなっている。片手でマグカップを持ち上げ、もう片手はソーサーも添えて。彼女がマグカップに唇を付け、ゆっくりと傾けては喉元が動いていた。
彼女が音を立てない様にマグカップを机の上に置けば、俺の方へ視線を向けた。
「あら、いらっしゃいましたのですね」
「……今日はどんなマーちゃんだい?」
「お嬢様マーチャンなのです、おほほ」
お嬢様マーちゃんは口元に手を当てて笑っている。顔も少しだけ上に向けては、何処か高らかな笑いにも見えた。
お嬢様、にしては語尾がいつものマーちゃんだが、それは気にしないでおこう。
彼女が座っているソファー、そこに歩いては隣へ座っていく。
今日はトレーナー同士における会議があり、先にマーちゃんに来て貰っていたのだ。資料をクリアファイルから取り出しては、机の上に並べていく。一つを手に取り、視線は紙へ向いているが、時折彼女の方へ向けた。
所作だけで言えば、昨日とは打って変わって落ち着きがある。月曜日の委員長マーちゃんと比べれば、近寄りがたい雰囲気があるわけでもない。
そもそも、何処でお嬢様、というのを彼女は学んだのだろうか。
「お嬢様らしさ、よくできてるな」
「ほほ、ジェンティルさんに教えて頂きましたのです」
「……よく教えて貰ったな」
ジェンティルドンナは確か裕福を超えたレベルの家庭だったはず。あのウマ娘も近寄りがたい、というわけではない。見た目ならば大人の女性の気品さを持ち合わせているし、お茶目な所があると聞いている。
そういう所が合わさって、今のマーちゃんにあっているのだろう。
お嬢様、というには昨日伝えた見た目という所から離れてはいるが、ドレスを着させれば問題は無いだろう。ドレスのスカートを持ち上げながら挨拶をする彼女の姿は容易に想像できる。
新しいマーちゃん人形としても悪くは無いはずだ。
「それで、お嬢様マーちゃんはダンスは得意なのか?」
マーちゃんがマグカップに手を伸ばすのが止まった。ぎこちない動きで首だけ俺の方に向けてくる。
マーちゃんはダンスが苦手だ。お嬢様となれば社交ダンスを踊ったり、所謂優雅さを求められる。ライブまでにダンスと歌は仕上げているが、果たしてそれとは関係ない場所ではどうなのだろうか。
「……これから得意になればよいのです」
「お、良い意気込み」
「ですが……世の中には上手くいかないときもあるので」
「そうだね?」
彼女が立ちあがり、ソファーから離れていく。大きく深呼吸をした後に、その場でステップを踏み始めたがすぐに脚がもつれてしまった。
「まぁ、要検討だね」
「はいです……」
明日は最終日。ギャップを狙えそうなマーちゃんはいくつか出てきたが、どれを一番にしようか。
そろそろ決めておこう。
◇◇
七日目、変化の最終日。
彼女から連絡が来て『とっておきのマーちゃんを見せるので楽しみにしておいてください』とのこと。
ここまで様々なマーちゃんを見てきたが、最後は大層凄いマーちゃんが見られるのだろう。
トレーナー室でパソコンのキーボードを叩きながら今日の業務を進めていく。なのだが、どうしても視線はパソコンのディスプレイではなく、扉の方へ移ってしまう。
彼女が来るまでにはまだ時間があるというのに、もうすぐ来るだろうか、とそんな事を考えては中々仕事に集中できなかった。
脚を何度か揺らしながら、時には壁時計へ視線を移していく。
数分待っても彼女は来なかった。いつもの集合時間を迎えているが、来ないのは珍しい。連絡をいれようと携帯を手に取った瞬間、ノック音が聞こえた。
その音に反応するように顔を扉へ向け「はーい」と声をかけた。
「マーちゃんなのです、開けてもいいですか?」
「あぁ、いいよ」
そう告げると扉が開かれた。開かれた扉から現れたのはいつものマーちゃんだった。
彼女がトレーナー室に脚を踏み入れ、そしてソファーに荷物を置いた。ソファーに彼女は座り、此方を見ている。
マーちゃんを見ていくが、不思議な事にいつもの彼女と変わりがない。椅子から立ち上がり、彼女に近づいては髪型や服装、表情を一つずつ記憶のマーちゃんと比較するが、やはり変わらない。
「うーん……?」
「今日のマーちゃんはどうですか?」
「どう、というか……変わってる……?」
口角に両手の人差し指を立てながら、彼女は笑顔を浮かべている。
髪型はいつもの髪型。服装もギャルマーちゃんのように何かを変えている訳でもない。試しに彼女の隣に座ってみるが、甘えん坊マーちゃんの時みたいに近づいてくることもない。
「ごめん、全く分からない。いつものマーちゃんにしか……」
「ふふっ、今日のマーちゃんはいつものマーちゃんなのです」
「えっ?」
とっておきのマーちゃん。それはいつもの愛くるしくてプリティーで、可愛らしいマーちゃん、とのことだ。それだと六変化ではないだろうか。
両腕を組みながら考えていると、彼女は腰を動かして近づき、俺の顔を覗き込んできた。
「何故いつものマーちゃんなのか、分かりませんか?」
「ごめん、分からないな……」
「ではでは、教えますね」
マーちゃんは膝がくっ付いてしまう程に近づいてきた。距離を離そうとすれば彼女が俺の腕を掴み、物理的に動けなくさせられる。
「じー」マーちゃんの呟く声が聞こえれば俺は苦笑いだけ浮かべた。
「まず、マーちゃんの目を見て下さい」
彼女の瞳を見ていく。鮮やかな若葉色の瞳と、ぱっちりと大きく見開いた瞼。彼女の瞳を見てしまえば、きっと虜になる事は間違いない。
「マーちゃんの髪型を見て下さい」
ふわりと柔らかに膨らんでおり、その髪型はより彼女を魅力的に映らせている。片方だけ結ばれた結髪は、彼女が何かをすれば風に乗って揺らされる。それだけで人目を惹くことだろう。
「最後に、マーちゃんの全部を見て下さい」
彼女が少しだけ離れていくと、視界には頭頂部から腰まで見えるようになった。俺自身も腰を動かして距離を取り、顔を動かしては足先まで全部を視界に収めていく。
一通り見終えれば「では、今日のマーちゃんはどうですか?」と聞かれた。
「うん、可愛いと思う」
「それだけなのですか?」
「可愛いし、落ち着く」
今までのギャップのあるマーちゃんも良かった。しかし、最後にあるべき場所へ帰ってきたという安心感がある。
普段とは違う装いも、態度も、全部含めれば新鮮でその子の新しい発見にはなるが、やはりいつものマーちゃんが一番だった。
「そう、それなのです。最後にいつもへ戻る事で、それこそがある意味大きなギャップとなると、マーちゃんは考えました」
「なるほど」
そこまで考えてるとはさすがマーちゃんだ。普段とは違う装いだからこそ、いつものマーちゃんがより恋しく思える。
彼女の表情も誇らしげだ。
「では、一週間マーちゃんを見た感想として、どれが一番ですか?」
「どれも捨てがたいけど、いつものマーちゃんかな」
「いつも、ですか」
一週間色々なマーちゃんを見て思ったのは、やはり一番なのはいつものマーちゃんだ。
普段より元気なマーちゃんも、静かなマーちゃんも、甘えん坊なマーちゃんも全てギャップがあって良かった。だが、それらは全ていつものマーちゃんがあったからこそなのだ。
「ふふっ、そうですかそうですか、いつものマーちゃんなのですね」
楽しそうに鼻を鳴らし、彼女の尻尾もぱたぱたと揺れている。ウマ耳が何度も跳ねては、俺の方を見つめている。
離れていた距離を彼女が埋めるように近づいてきた。最後には隙間が無くなり、離れようとしてもソファーの肘掛けが腰に当たった。
にこにこと笑顔を浮かべているマーちゃん、もっと見て欲しそうに顔を彼女は近づけてきた。
「いつものマーちゃん、沢山堪能してくださいね?」