トレーナー室のマーちゃんグッズが増えてきている。
アストンマーチャンが部屋の中を見渡し、すぐに感じたことだった。
トレーナー室に置かれているマグカップはマーちゃん人形がプリントされており、ソファーのクッションはアストンマーチャンの勝負服を想起させる赤と白が交わったものだ。トレーナーがいつも使用している机の上には最新のマーちゃん人形が鎮座し、卓上カレンダーも季節ごとのアストンマーチャンが乗っている。
トレーニング終わりに使用しているタオルもマーちゃん人形を抱えたアストンマーチャンがプリントされたもの。
あまりにも増えすぎていた。否、増えていること自体は悪い事ではなかった。ファンレターでもっと欲しい、という声もあり、グッズ製作会社からも売り上げが良く、生産を更に増やそうという話にもなっている。
トレーナーもその話に対して乗り気であり、平日はアストンマーチャンのトレーニング指導。休日にはグッズ製作会社に足を運んで、次のマーちゃんグッズを話し合っている。今度のマーちゃん人形は手を押すことで喋るそうだ。
アストンマーチャンもグッズ製作に関われたら、と考えていたがトレーナーから止められていた。
『こういう頭を使うことは任せて』
たまに話に参加することはあるが、それでもいつの間にか自分の知らない場所で話が決まっていることもあった。
トレーナー室のマーちゃんグッズが、増えてきているのだ。
「今回のマーちゃん人形も可愛いな」
トレーナーがパソコンを眺め、頷きながら呟いた。そのまま机に置いてあるマーちゃん人形に手を伸ばし、膝の上に置いていく。マーちゃん人形の頭に手を置いてゆっくりと撫でながら、マウスのクリック音が再びトレーナー室に響いた。
「マーちゃん人形ですか?」
「そうなんだ。マーちゃん人形で特大サイズを出すって話でね。それの試作品を見てたんだ」
アストンマーチャンがソファーから立ち上がり、向かった先はトレーナーの隣。横へ並ぶようにしてパソコンに視線を向ければ、ディスプレイ前面に画像が出されている。その画像には一人の女性が人間サイズとほぼ同じのマーちゃん人形を抱き上げているものだ。
大きな瞳に鮮やかな若葉色。勝負服の白いスカートに大きな赤いリボン。頭に乗っている王冠もきらりと輝いている。マーちゃん人形の完全版といっても過言ではない。
トレーナーは人間サイズのマーちゃん人形を見ながら、手元の小型マーちゃん人形を撫で続けていた。
「素材とかもこだわって、触るとふわふわして気持ちいいんだ」
「ふむふむ、なるほど」
「大きい人形は飾って終わりになることが多いって聞いたから、毎日触ってマーちゃんの事を覚えて貰えるようにと思って」
トレーナーはアストンマーチャンに表情を向け、笑顔を浮かべていた。彼の表情は緩み切っている。マーちゃん人形の両腕を彼の両手で支え、軽く腕を動かし始めた。
そのマーちゃん人形をアストンマーチャンへ向け、片腕を上げさせては手を振り始めた。
アストンマーチャン自身も人形に軽く手を振り返し「トレーナーさん」と言葉にした。
「どうかした?」
「最近……マーちゃんのこと、忘れてませんか?」
「わ、忘れてる?」
ずい、とアストンマーチャンはトレーナーに顔を近づけた。人差し指だけを立てていき、その指を彼へ突き出していく。そのまま視線を合わせ「じーっ」と呟いた。
トレーナーは何度か瞼を瞬かせ、首を横に振った。
「そんな事ないよ。いつもマーちゃんの事を考えてるし……」
「……では、トレーナーさん。最近、マーちゃんに構ってくれてますか?」
「かまっ……てないね」
トレーナーは視線を下へ向けてしまい、そのまま言葉を発しなかった。
「マーちゃんグッズにお熱なのは嬉しいことなのです。でも、トレーナーさんは専属レンズさん、なのですよ?」
アストンマーチャンは膝を曲げて屈んでいき、上目遣いで顔を覗き込んだ。お互いの瞳が交わり合えば、彼は小さな苦笑いを浮かべ「そうだね」と答えた。
トレーナーが顔を挙げていき、マーちゃん人形を机の上に置いていく。大きな深呼吸をした後に、椅子から立ち上がれば「よし!」握り拳を作りながら気合を入れた。
「今日は本物のマーちゃんに構うよ。マーちゃんグッズも大事だけど、本物の方がもっと大事だからね」
「ふふっ、そうですそうです」
彼の言葉にアストンマーチャンは満足そうに頷きを繰り返した。その表情を見たトレーナーは胸を撫で下ろしていく。
アストンマーチャンは曲げていた膝を真っすぐにし、ゆっくりと背を伸ばしていけば彼を見つめた。
「トレーナーさんは、今日一日マーちゃんを映し続けて下さいね」
「勿論……なんだけど、どうすればいいかな?」
トレーナーの考えは最もだった。
ふむ、と小さく言葉を口にしながらアストンマーチャンは頬に一本の指を添えて考え始めた。一日映し続けてもらうには、それこそ視界に入れ続ける必要がある。とはいえ、それをするのであれば今度は彼に負担がかかってしまう。
ましてや、トレーナー寮までに行ってしまうのもおかしな話だ。第一、外泊届を出して許されるとも思わなかった。
「一日中は難しそうなので……できる限りでお願いしますです」
「分かった! じゃあ、マーちゃんの要望に応えるよ!」
◇◇
アストンマーチャンは上機嫌である。鼻歌を歌い、両手にはタブレットを持っていた。そのタブレットには自身のトレーニングの記録やこれまでのレースの戦績が乗っている。
「ふふん、ではトレーナーさん。次はどれを見ますか?」
アストンマーチャンが振り向きながら視線を上に向ければ、そこにはトレーナーの顔があった。彼は視線を合わせずに、タブレットの方を見続けている。手を伸ばし、レース映像の一つを指で押せば、ゲートインから始まった。
「マーちゃん、その……」
「どうしました?」
「わざわざ膝の上に乗ってまですること……?」
アストンマーチャンは膝の上に座っていた。両足をしっかりと揃え、背中はトレーナーの胸元に預けている。
考え付いた内容として、一日見ることが叶わないのであればよりアストンマーチャンというウマ娘を覚えてもらう必要がある。
では、それに対してどうするべきか。考えに考え付いた結果が、五感のうち四つをアストンマーチャンで埋めれば良いのだ。
視覚、目の前にアストンマーチャンというウマ娘を。
聴覚、近距離でほんわかとした声を。
嗅覚、アストンマーチャンから香る仄かな甘い匂いを。
触覚、体をくっつけることで暖かな体温を。
さすがに味覚はどうしようもないため諦めることになったが、これでより意識して貰えるとアストンマーチャンは結論付けたのだ。
アストンマーチャンが背中に体重をかければ、トレーナーにより密着していく。彼の体はソファーの背もたれとアストンマーチャンによって挟まれ、逃げ場がなくなり始めた。
「トレーナーさんの座り心地も悪くないですね」
「ありがとう、でいいのか?」
タブレットに映っている映像はゲートインが終わり、レースが始まっていた。全体の流れを映していくなかで、一番前に飛び出したのはアストンマーチャン。映像も自然と彼女を中心に移し始めている。
実況も各ウマ娘の名前を上げていく。数十秒後には第三コーナーへ全てのウマ娘が入り始めていた。
「これだと集中できるものもできないよ」
「集中するのは、マーちゃんに対してです。今日はお仕事もお終いにして、マーちゃんだけを見て下さい」
「そ、そうか……」
アストンマーチャンはふと気づいた。トレーナーの腕が自分の何処にもないことを。視線を動かしていけば、彼の両腕は力なく垂れており、まるで人形のようになっていた。それを見つければタブレットを膝の上に置いていく。
彼の両腕を掴んでは自分の腹部へと回していき、落ちないための安全バーの役割をさせた。
「俺、もしかして今日このまま?」
「勿論ですよ。あ! ほら、ここマーちゃんが一着を取ったところなのです」
トレーナーはその腕を動かさずに、アストンマーチャンが差し出してくるタブレットに視線を向けた。丁度ゴールをした所で、片腕を上げながら観客席に微笑んでいる。
「次のマーちゃん、いかがですか?」
トレーナーの方に振り向いては、口角を上げ、意地悪そうなものを含んだ笑みを浮かべた。
体も擦り寄らせ、少しでも自分を焼き付けて貰えるように。