ウマ娘小噺まとめ   作:ポンタ4

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エイシンフラッシュは病気になったトレーナーの面倒を見る話

 時刻、午前8時。

 

 カーテンから差し込む日の光、そしてぴぴぴっ、という機械音によって目を覚ましていく。手を伸ばしては機械音をただ鳴らす目覚まし時計を止める。

 先ほどまで沈んでいた意識が浮かび上がってくると自分の体の異変に気付いた。

 

 とても寒いのだ。最初はクーラーによる冷気で寒くなっていたのだろうと思っていた。布団をしっかりと被ってもその体の寒さは消えることなく、まるで芯から冷やされているような感覚。そして更に襲い掛かってくるは頭痛と体の気怠さ。

 覚醒し始めている意識で体の異常を1つ1つ分析をしていく。

 

 今は夏、クーラーによる冷気とはいえここまで温度を下げてはいない。頭痛と気怠さ、起床時の低血圧だろうかと思ってもそれも違う。

 詰まるところ、体調を崩したのだ、と一つの答えに辿り着いていた。

 

「……フラッシュに連絡しないと…」

 

 布団の中で芋虫のように動いては、サイドテーブルに手を伸ばしていく。LANEを開いては昨日の会話の履歴。

 

【明日は楽しみにしていますね】

【俺もだよ、おやすみなさい】

【おやすみなさい、良い夢を】

 

 その履歴に上書きするように1つ文章を作っていく。

 

【体調崩した、ごめん】

 

 簡素な文章をフラッシュに送っていく。既読、という二文字が付く前に携帯をサイドテーブルに置いては、枕に自分の頭を乗せていく。

 今日は休日、病院も休日診療できっと割高である。これは風邪できっと普段からの無理が祟ったのだろう。これくらいの風邪であれば今日一日、しっかりと寝ては食事を取って体力を回復すれば治るはずだ。

 

「怠い…」

 

 暗い自室で1人呟いていく。こうやって体調を崩したのはいつぶりの事だろうか。記憶を遡ろうにも頭痛によってそれは遮られてしまった。

 サイドテーブルに置いている携帯からバイブ音が鳴り響いていく。この体調ではその内容すら確認する気力すら起きず、俺は目を閉じていく。

 

「悪い事したなぁ…」

 

 またぼそり、と呟く。その声は何処にも届かずにただ消え去るのみだった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 時刻、午前11時30分

 

 ぱちり、と目を覚ましていく。まだ体の不調は残っている。ずくり、とした頭の鈍い痛みは取れておらず、気怠さも残ったままであるが、唯一まともになったというなら芯から冷える寒さが最初よりは感じなくなったことだろうか。

 いや、感じる違和感は1つ増えていた。額にひやりとした冷たさを感じる何か。手を額に近づけてはそこに何かが貼られているのが分かった。

 これはまだ冷たさを持っており、誰かが先程張ってくれたのだと俺は理解をした。

 

 上半身を起こしては、そのままベッドから起きようとすると、ふと扉の向こうから聞こえてくる異音に耳を傾けていく。異音といってもそれは何かを火にかけている音であり、誰かが自室に入り込んでいることが分かってしまった。

 

「…誰だ…?」

 

 まさか泥棒、だなんて思ってしまうが生活音を出す泥棒がいたら余程間抜けだろう。警戒心は少なくするも、多少は残したままリビングへ繋がる扉を開けていく。

 リビングは光が灯されており、その光が眩しく少しだけ目を細めてはキッチンの方に視線を向けると、そこにはエプロン姿の泥棒(かのじょ)が居た。

 

「あ…おはようございます、トレーナーさん。体調はいかがですか?」

 

 エイシンフラッシュは寝室から出てきたトレーナーに声をかけていく。彼女の手にはお玉が握られており、それで鍋の中身を掻き混ぜていた。

 

「勝手に入ってすみません。ですが心配でしたので」

「それは…いいけど…どうやって…?」

 

 彼女がどう入ったのか分からず、未だ能力を取り戻していない脳で考えようとしていくが、直ぐにフラッシュが答えを提示してきた。

 

「合鍵、ですよ。お忘れになったんですか?前に何かあった時にって渡してくれたではありませんか」

「…そうか、そうだっけ」

 

 ぼんやりとした脳を動かしながら思い出していく。

 そういえば1、2か月前にフラッシュに自室の合鍵を渡していたような気がする。もし何かあった時とか、トレーナー業務として出張に行くときやトレーニングプランを家に持ち帰る時があるから、必要なら勝手に入っていいよ、と。

 こんな形で彼女が訪れることになるとは思わなかったが。

 

「ご飯、作ってるのか?」

「えぇ、熱の方も勝手ながら測らせて頂きました。トレーナーさん、出来ましたら行きますので寝室でゆっくりなさってください」

「ここまでしなくても…」

「私がしたいからしているんですよ。気にしないで下さい」

 

 此方を向いてフラッシュは頬を緩ませていく。彼女の表情から嫌々している訳ではないことは直ぐに理解できた。そのまま寝室へ吸い込まれるように体を戻しながら彼女に一言「すまない」と告げて、ベッドへ戻っていった。

 

 数分後、フラッシュは黒いトレイの上に茶碗と白濁している液体が入ったコップを持ってきた。彼女はそのトレイをサイドテーブルの上に置いては、膝立ちをしてコップを手に持って渡してくる。

 

「喉が渇いていると思いますので、まずは飲んでください」

「何から何まですまないな…」

 

 手渡されたコップ、それは冷たく先程まで冷やされていたことを思い浮かばせる。口に付けては傾けて飲んでいけば自分の喉にそれが通り、妙な甘さを感じる。スポーツドリンクだろうか、冷たい液体が体を冷やしてはぶるりっ、と震えてしまった。

 

 半分程飲み終えてはフラッシュに手渡していく。フラッシュはそれを受け取り、トレイの上に置いた後は茶碗に手を伸ばしていく。

 トレーナーもサイドテーブルに視線を向けていくと茶碗の中は卵粥だった。彼女はお菓子作りだけではなくこういった料理も得意なんだな、と感心してしまう。茶碗を受け取ろうと手を伸ばしていたが、フラッシュはそれを渡すことは無かった。

 

「トレーナーさん、口を開けてください」

 

 代わりに返ってきたのはまさかの返答だった。フラッシュは茶碗の中身をスプーンで掬っており、そしてそれを口元へと近づけている。病人ではあるもそこまで重い病気なわけではない。彼女に食べさせて貰う事に流石に抵抗感があるのか、首を横に振っていくトレーナー。

 

「大丈夫だよ、そこまで辛くないから…」

「駄目ですよ。病人はしっかり休むのがお仕事なんですから。開けてください」

 

 フラッシュの持っている茶碗を受け取ろうとしても意固地になっては渡してくれなかった。食事を食べさせて貰うというのはこの年になっては恥ずかしいものである。だから適当な理由を付けて一人で食べようと思い

 

「今はそこまでお腹空いていないから。後で食べるよ」

「…本当ですか?」

「本当だよ」

 

 と告げていく。フラッシュは視線を伏せては「分かりました」と渋々了承をするのと同時に、ぐぅぅ、と腹の虫が鳴ってしまった。そしてそれは彼女の耳にも勿論届いており、また口元に近づけられるスプーン。スプーンの上に乗っている卵粥は湯気が出ており、食事の良い匂いを嗅いでしまえば、二度目の腹の虫。

 

「ふふ、体は正直なようですよ」

「…うむ…」

 

 バツが悪そうに視線を逸らしていくもフラッシュはそのスプーンを離すことは無い。

 このまま断っていても埒が明かない、ここは大人しく受けようと思い、視線を彼女へ戻していく。そうして今度は口を開けては餌を待つ雛鳥となったトレーナー。

 親鳥となったフラッシュは彼の口内へスプーンを入れていき、そして中身を落としていく。

 

 その中身を俺はゆっくりと咀嚼を始めていく。米は柔らかくなっており、卵と米は噛めば噛むほど微かな甘みを感じる。それを数度、噛みしめるようにして口内に入ったものを全て胃へ落としていけば

 

「…美味しい」

 

 と小さく呟いてしまった。

 

「お口に合ったようで何よりです。はい、トレーナーさん」

 

 彼女はまた茶碗の中身をスプーンで掬い上げていき、そしてトレーナーの口元へと運んでいく。一度彼女からその行いを受けてしまえば、最早流れるがままに口を開けてしまうトレーナー。また口の中に入ってくる暖かな卵粥を咀嚼しては、飲み込んでいく。何度も繰り返されるこの行為。食べ終えるとまた口を自然と開けてしまい、フラッシュはその中へ餌付けを繰り返していた。

 

 そんな状況でフラッシュは自然と笑みが零れてしまう。

 何故彼女は笑っているんだろうか、少し不思議に思っては

 

「何か…楽しそうだね?」

「楽しいというより嬉しいのです。トレーナーさんが私に身を委ねている事が、ですね」

「……悪い女の子だ」

「今だけの特権ですから」

 

 気づけば茶碗の中身は全て完食しており、食事をしたためか体の冷えは殆ど感じなくなっていた。彼女は茶碗をトレイの上に置いていき、そしてまたコップを手に取る。暖かい物を食べた為か、喉が渇いてしまい、目の前の冷たい液体を欲するようにコップをフラッシュから受け取っていく。

 

 口に付けては飲んでいき、その乾いた喉を冷たいスポーツドリンクで潤していく。ごくっ、と音を立てながら飲み干してはふぅ、と1つ息を吐いていく。食事をし、水分を取っては多少ながら元気が出てきたようだ。

 

「風邪薬を持ってきますので少々待ってて下さいね」

 

 フラッシュは立ち上がっては、俺の持っていたコップを受け取り、そしてそれをトレイの上に置いていく。彼女はトレイを持ち上げて、そのまま寝室から出ていった。

 

 数分もしない内にフラッシュは水の入ったコップと何かの錠剤。先程と同じように彼女は膝立ちになってはコップを手渡してきた。

 

「お薬ですよ。市販のものになりますが飲まないよりはマシです」

「ん…すまないな」

 

 フラッシュから錠剤とコップを受け取っては錠剤を口に放り入れ、そして水で一気に流し込んでいく。飲み終えてはサイドテーブルの上にコップを置いて、彼女の方に視線を移した。

 

「食事は取った?」

「私はこの後取りますよ」

「ごめんな…その…本当は今頃何処かで食べる予定だったのに」

「もう、本当に気にしなくて良いんですよ。体調を崩したのであれば仕方ありませんから」

 

 時刻、午後12時10分。

 

 体調が良ければ本当はフラッシュと出かける予定だったのだ。午前は2人でショッピング。季節物の服を買いに行き、そしてレースで使う物品もついでに購入をする予定だった。

 そのショッピングを終えた後は近くのカフェで軽食を取り、ドイツ展という彼女の故郷であるお菓子や料理がまとめられている珍しい催しを見に行く予定だった。

 

 そこで彼女とケーキを食べたり、ドイツの有名なお菓子や変わった小物を眺め、フラッシュの故郷話を楽しむつもりだったのだが、体調を崩してしまって頓挫している。

 俺は彼女に罪悪感を抱いている。このドイツ展は明日までであり、この調子では明日も行くことは不可能だろう。フラッシュも懐かしい故郷を久しぶりに見たい、とのことで楽しみにしていたのだが、結果はご覧のありさまだ。

 

 彼女に迷惑をかけては、更にこうやって看病もされている。なんとも情けない話だ。

 

 自然とフラッシュに伝える言葉は謝罪ばかりなのはこれが原因なのだ。

 

「ではトレーナーさん、またキッチンをお借りしますね」

「あぁ、お好きにどうぞ」

「…しっかり寝てくださいね?」

「勿論」

 

 頷きながら応える姿にフラッシュは口元を緩ませていく。彼女は部屋から出ていき、ぱたん、と扉を閉めていった。

 

 1人残されるこの空間。唯一聞こえている音は扉越しのフラッシュの生活音だけだった。包丁で何かを切っている音が聞こえてくる。その音を聞きながら、枕に頭を乗せては天井を見つめていた。

 

 天井は電灯の光で眩しく、リモコンを使っては部屋の中を暗くしていった。部屋全体を包む暗闇。カーテンも閉め切っており、太陽の光で多少は差し込まれてくる光が少しだけ眩しかった。

 窓に背を向けるようにしては寝転がっていく。

 体調を崩しているせいだろうか、いつもよりも悪い方向に物事を考えてしまっている。

 

 フラッシュに迷惑をかけていないだろうか。

 フラッシュはお出かけが出来なかったことにがっかりしていないだろうか。

 フラッシュは─────────

 

 そんな事ばかりを何度も反芻しては体の上に被せている布団を頭の近くまで持ってくる。

 その考えを消すように瞳を閉じてはまた眠っていった。

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 時刻、15時30分。

 

 瞼を開けていくと暗い中で何かが動いているのが見えた。カーテンの隙間から差し込む光によって、影で靄がかかっているようにはなっているがその正体に直ぐ理解をした。

 

「…ふらっしゅ…?」

 

 彼女の名前を呼ぶと、その物体は動きを止めていく。その表情までは分からなかったが、なんだか申し訳なさそうな表情をしているようにも見えた。

 

「起こしてしまいましたね…すみません」

「大丈夫…どうしたんだ?」

 

 サイドテーブルに手を伸ばしては部屋の中を光で灯していく。その光が灯されては瞳を細めてしまう。狭くなる視界、だが僅かなその視界に彼女はいた。

 フラッシュの手は俺の額に伸びており、どうやら貼っていたものを張り替えようとしていた。ぺりぺり、と自分の額から剥がされていくのを感じる。

 

「張り替えようと思いまして。冷えますよ」

 

 彼女の手が近づいてくる。額にひやり、とした冷たいものが貼られていく。まだ熱を持っている頭部がそれによってゆっくりと確実に冷やされ、俺はゆっくりと口から空気を吐いていった。

 

「気持ちいいな…」

「よかったです。お気分の方はどうでしょうか?」

「大分マシになったよ…」

 

 その言葉は嘘では無かった。彼女が献身的に面倒を見てくれ、体の怠さや熱は無くなり始めていたのだ。体の寒さもなくなりつつあり、自分の身体は布団によって暖められ、確実に体調がよくなっていた。

 とはいえ、まだまだ体の不調を感じているため無理はできない。ベッドの中でフラッシュに視線を移していく。

 

「……フラッシュ」

「はい?」

 

 フラッシュは視線を此方に向けては微笑みながら首を傾げていた。その表情は慈愛が籠っており、まるで母親のような母性を感じてしまう。

 最初は口を開き、言葉を出そうとする。だけど出そうとした言葉が喉に引っかかり、彼女へ伝えることが出来なかった。その様子に彼女は何かを察しては

 

「申し訳ない、と思われていますね?」

 

 と心を見透かす一言。その言葉に一瞬瞳を開いてしまう。

 

 彼女との今日のお出かけは俺の体調不良によって崩れ去ってしまったものだった。だからフラッシュに謝りたかった。彼女に看病してもらい、その間も全て謝罪の言葉。どれだけ重ねても足りず、己の罪悪感で埋もれてしまいそうな程。

 いや、きっとこの謝っているのは自分の罪悪感を軽くしたいだけの詭弁なのだろう。

 

 謝罪をすることで彼女に対する罪悪感を無くす、ということ。

 そう思えてしまった自分の心に嫌気をさしてしまう。

 

「本当に…気にされなくていいんですよ。そう言ってもきっと貴方は気にされてしまいますが」

 

 そう、気にしている。なにせフラッシュにとって故郷であるドイツを催したものだったのだ。それが行けず、彼女の故郷を見ることも、彼女が故郷に思い馳せることもできなくなってしまった。

 その展示は所詮上辺で塗り固められた偽りかもしれない。そんな偽りだったとしても、彼女の為に何かをしたかったのだ。

 

 フラッシュに視線を合わせられず、俺は視線を落としては彼女の居ない空間を見つめていた。

 

 ふと手に感じる暖かな感覚。視線だけを動かすとフラッシュは俺の手を包み込む様にして握りしめていた。

 

「私は…トレーナーさんと一緒にいられるのが一番良いのです。ドイツ展に行けなくて残念ではない、というと嘘になります。ですが、それ以上に…。トレーナーさん、貴方と一緒に同じ光景を見られることの方が私にとっては大切ですから」

 

 少しだけ強く握られる俺の手。彼女の手は暖かく、俺が感じている罪悪感を溶かすように、ゆっくり、確実に、無くなっていくのを感じていた。

 

 その罪悪感が無くなりつつあるのと同時に視線をフラッシュへ向けていく。彼女と視線が合えば、嬉しそうに彼女のウマ耳が揺れていた。

 

「…ありがとう、フラッシュ」

「ふふっ、その言葉が聞けて良かったです」

 

 フラッシュは瞳を閉じて、その言葉を心の中で噛み砕いていた。トレーナーが言った言葉。それはトレーナーだけではなく、彼女にとっても救いの言葉。

 謝罪ではお互いに募るだけの罪悪感。これが自然と無くなることは時間の解決としても難しいことだった。謝罪ではなく、礼の言葉。フラッシュはそれを彼の口から聞きたかった。

 

 フラッシュはその言葉を噛みしめ、そうして手を離そうとした。しかし、消えることのない暖かな感触。それに目を向けるとトレーナーはまだ彼女の手を握り占めていた。

 

「その…もし良かったらだけど、君の故郷の話を聞きたい」

 

 フラッシュへ告げる言葉。本来であればドイツ展で聞くはずだった彼女の故郷話。聞かなくても良いのに聞きたいと思ってしまった気持ち。

 きっとこれは病気で、そして彼女の母性に当てられてしまったのだろうか。彼女の手を強く握り、そして離さないようにしている。我ながらに情けない話だ。

 

「えぇ、いいですよ。どんな話を聞きたいですか?」

「…なんでも。フラッシュの…ドイツの話なら何でもいい」

 

 何でもよかった。フラッシュが離れてしまうよりも、声を聴きたかった。体温を感じていたかった。彼女という存在がそこにいるんだ、と確かめたかった。

 病気で弱っている、ということを理由にして、彼女に甘えてしまった。

 

 だけどフラッシュはそんなお願いに嫌な顔をすることなく、食事を与えてくれた時と同じように膝立ちになっては隣で見つめている。少しだけ違うのは、彼女の手が俺の手を包み込んでいる事だけだった。

 

「では…こんな話はどうでしょうか。ドイツで凄く有名なお祭り、オクトーバーフェストに行った時のお話です。きっと、トレーナーさんも気に入ると思います」

 

 彼女の声を聴きながら、瞳を閉じては相槌を打つようにして頷いていく。彼女の話、それは今は俺にとって子守歌の代わりで、だけど心を癒してくれる。

 ドイツのお祭りのお話。その時に家族で何をしたのか。フラッシュの両親はお酒に強く、そしてフラッシュ自身も強いのだろうか。故郷のお菓子は日本でも親しまれ、中にはまだドイツでしか食べられていないものもある。それを今度作っては振る舞おうと考えている話。

 

 少しずつ、脳内が微睡み始めている。一度寝たというのにまだ足りなさそうに睡魔が襲い始めている。

 フラッシュの手を握りしめてはいる、しかしその力は弱く、確実に抜け始めていた。

 

「ありがと……ふら、しゅ…」

 

 眠る直前に振り絞って出した二度目の感謝の言葉。

 

 そのまま俺はまた夢の世界に落ちてしまった。

 

 

 

 

 

□■□■□■□■

 

 

 

 

「──────寝てしまいましたね」

 

 私は彼に聞こえないように小さく呟いた。トレーナーさんは私の手を弱く、小さな力で握りしめたまま眠ってしまった。今はすー、と気持ちよさそうに寝息を立てて眠っている。その姿が小さな赤子の様で可愛く、母性が擽られてしまう。

 

 その擽られた母性に少し身を任せ、私は片手をトレーナーさんの頭に手を伸ばした。

 優しく労わるように何度も撫でるのを繰り返していく。少しだけ彼の表情が緩み、嬉しそうにしていた。

 

「…今だけの特権ですね…」

 

 きっとトレーナーさんが病気を治してしまえばこの表情や弱さを見せることはないでしょう。普段の彼は気丈であり、エイシンフラッシュというウマ娘に相応しくあろうとするトレーナーとして接してくれている。そんな彼が珍しく見せてくれた弱さ。

 私はそれが嬉しかった。

 

 お出かけが出来なかったのは確かに残念です。ですが、それ以上に私は貴方と2人で居られることの方が嬉しかった。

 病気だというのに、それを良い事に貴方の私生活に入ろうとしている私。ちょっと、いえ、かなり卑怯かもしれません。

 

「ゆっくり…休んでください。明日には元気な姿を見せてくれることを…楽しみにしていますから」

 

 彼の髪から頬に手を伸ばしていく。私の掌から呼吸が伝わってくる。

 

 少しだけ良くない事を思いついてしまった。本当に良くない事。

 もし私がトレーナーさんの病気を貰ってしまったら彼は看病をしてくれるのでしょうか。その時の彼はどんな表情をするのでしょうか。

 

 病気を貰うときは飛沫、接触、様々だと言います。彼は今の所、咳をする様子はなく、風邪という判断はできませんでした。もし貰うなら、直接彼に近づけば一番確実でしょう。

 ですが、それをする勇気を持ち合わせていませんでした。だから、悪い私にはこれが精一杯でした。

 

 トレーナーさんの頬に当てた手を離していき、乾いた唇に人差し指と中指で当てていく。柔らかな感触が指を伝ってはそして離れていく。

 私は付けられた後になぞるように、自分の唇に重ねる。そうしてワザとらしくリップ音を鳴らしてはその指を離していった。

 

 こんな事で果たして私にうつってしまうのかは分かりません。ですが、仮にうつる事があれば、私に取ってはとても好都合でした。

 

「トレーナーさん、もしうつったら貴方のせいですよ」

 

 ふふっ、と悪戯っ子のように笑ってしまう。トレーナーさんが勝手に悪い事をしたように、私は罪を擦り付けてしまう。

 

 今日の私は悪いウマ娘なのだから。

 

 

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