「いらっしゃい、フラッシュ」
「お邪魔します、トレーナーさん」
自室に響き渡るインターホンの機械音。その機械音が聞こえれば俺は足早に玄関の扉へと向かっていった。がちゃり、と扉を開けては目の前の黒鹿毛のウマ娘、エイシンフラッシュがそこにいた。今日の彼女は黒色の半袖のワンピース姿。
扉を開けるとそこからは熱風と煩い蝉の音。数秒程度なのに既に汗をかいてしまう程暑く、酷暑、という言葉が似合う程だった。
フラッシュを中へと招き入れては、直ぐに扉を閉めてその熱風を遮っていく。一緒にリビングまで歩いていけばその熱された体を冷やすようにクーラーの風が気持ちよかった。
「暑い中来てもらってありがとうな。お茶でも飲むか?」
「それでは…お言葉に甘えて」
台所へ歩いていき、2つコップを食器棚から取り出していく。そのコップの中に氷を入れては、更に冷蔵庫で既に冷やされている2Lペットボトルのお茶を注いでいく。コップを両手に携えて彼女の元へと歩いていけば、俺は片方を差し出した。
「頂きますね」
フラッシュはコップを受け取り、口に付けて飲み始めていく。俺も彼女に合わせて一緒に傾けて飲み始める。既に冷たいその液体は氷によって、より冷やされていき、喉を通るたびに冷たさを感じる。
ごくっ、ごくっ、と音を立てて飲んでいき、気づけばコップの中身は全て空となっていた。視線を彼女の方に移せば同じくコップの中身は無くなっていた。
「それで…今日は確か日本の食事をさせてくださるとか」
「あぁ、そうそう。ちょっと待ってて」
フラッシュから言われては俺はまた台所へと向かっていく。冷蔵庫を再び開けては取り出すのはタッパーとプラスチックの容器を数個。それらを手に持ち、俺は彼女の元へ戻り、そして机の上に並べていく。
フラッシュはそれらを眺めるためにソファーへ座り、そうして一言「これは…なんでしょうか?」と不思議そうにしていた。
「お漬物。夏にはこれが中々美味くてね。フラッシュは食べたことは?」
「…初めて、です」
珍しい物を見るかのように、そのタッパーを凝視している。彼女のウマ耳は正面を向いており、どうやら少しだけ警戒をしているようだった。見慣れないものだから仕方ない事ではあるのだが。
タッパーの蓋とプラスチックの容器を開けていく。
タッパーは2つ、1つは白くいちょう切りされた大根が昆布と一緒に透明な液体に漬けられたもの。もう一つはキュウリが乱切りされており、先程の透明なものとは違い、鷹の爪と色濃い赤の液体だった。
プラスチックの容器には2つ。半月切りされた黄色のもの、そして白菜に同じく鷹の爪が添えられている。
フラッシュはそれらを眺めながら、どう食せばよいのか?と首を傾げている様子。それが可愛らしく思わず頬が緩んでしまう。
もう一度台所へ戻っていき、皿を4枚と取り分け用の菜箸一膳、二膳の箸、そして取り出しては先ほどの場所へ。彼女の隣に座っていき、お皿を並べていく。そして1つ1つ容器に入ったそれらを菜箸を使っては取り出して皿に並べていった。
日本食とはいえ、何とも年寄りくさい食事である。既に昼食は済ませてはいるが、これを彼女とおやつ代わりに食すのは流石におかしな話である。
幻滅していないか、と思い視線をフラッシュの方に向けると彼女は箸を手に取り、興味深そうに眺めている。そうしてタッパーに入っていたいちょう切りの大根を箸で摘み「…食べてみます」と意を決して口の中へと放り込んだ。
ぱりっ、とフラッシュの口内から小気味良い音が聞こえてくる。味を確かめるように顎をゆっくりと動かして咀嚼している彼女。瞳も細め、ゲテモノを食べるかのような表情。
数回、咀嚼した後に彼女の瞳は開かれ、そのまま食べ進めていく。
「……これは…美味しいですね」
「お、いける口?」
「はい、さっぱりしていて、だけど何処か甘みも感じて。でもお菓子の甘さとは違いますね」
彼女は不思議そうにしながらまた大根の漬物を口に運んでいく。ぱりっ、ぽりっ、と噛み砕かれていく音。今度は味を確かめるようにゆっくりとした動きだった。
俺も彼女と同じように大根の漬物を箸で摘まんでは口の中へ。歯で噛み砕くたびに柔らかな甘みが伝わってくる。その甘みはすっ、と口内で引いていき、残るのは清涼感。後味もくどくない。
うん、これはよく漬かっているな、自分の出来栄えに惚れ惚れしそうだ。
フラッシュは大根の漬物をまた食していけば、視線を向けるは黄色い半月切りのもの。
「此方は?なんだか色が違うようにも思えますが」
「それはね、沢庵って言うんだ」
「たく…あん…?」
「まぁまぁ、物は試しで。食べてみたら分かるよ」
フラッシュは沢庵を箸で挟み、持ち上げては回しながらその物体を眺めていく。切り方と色が違うだけで味としては変わらない、そう考えているようにも見えてしまう。
そうして彼女は沢庵を一口で放り込み、食べ始めていく。そしてすぐに彼女は驚きの表情へと変わっていった。
「これは…なんでしょうか、もっと深みのある味ですね…」
「よく分かるね、さすがフラッシュ」
「同じ食材でもここまで違うのですね…」
そうして彼女は沢庵をまた口に運んでいき、味わうようにして食べている。どうやら漬物は彼女の味覚に合っているようで、頬を緩ませていた。
俺はその中で乱切りされたキュウリに箸を伸ばした。1つ、箸で挟んでは運んでいく。口の中に入った瞬間、ぴりっとした辛さが舌から伝わってくる。そして噛めば噛むほど、あっさりとした後味の良さ。先程の辛みは多少は残っているが、くどくもない。大根の漬物とは違い、より食欲が増してしまう。
フラッシュは俺が食べたのを見ると同じように興味深そうにそれに箸を伸ばしていく。そうして口に運んでは少し驚いたように彼女のウマ耳が跳ねていく。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫です。少し…
「苦手だったかな?」
甘いものばかりの中に1つ辛みがあれば確かに驚いてしまうのも無理はない。彼女の顔色を窺うようにしては覗き込むも、フラッシュはまたキュウリの漬物を食べていく。どうやら要らぬ心配だったようだ。
最後に残ったのは白菜の漬物。此方は沢庵と同じく市販で購入したものである。葉部分を鷹の爪と一緒に箸で掴んでいき、食べていく。鷹の爪による辛み、そして白菜に染みた少々の塩辛さ。しゃきしゃき、という音が口内で響き、余計にこれが唾液を分泌させてしまう。
漬物だけを食べているのも良いが、なんだか妙にお腹が空いてきてしまう。くぅ、と自分のお腹が鳴っているのではないかと錯覚してしまうほどだ。これでは味気ないのでは?と考えているうちに気づけば既に足取りはまた台所へ。
その様子にフラッシュは不思議そうに首を傾げては
「どうされました?」
と声をかけてくる。台所に行けば、電気ケトルを取り出して中に水を注いでいく。ボタンを押しては暫く放置をする。
「ちょっと待ってて―?好きに食べてていいよー」
「……?はい、分かりました」
そうして取り出すはお茶漬けの元。暖かなこれを口の中にかきこみながら、肴に漬物を食べるのがまた旨いのだ。炊飯器には確か昼食で使用したお米が残っているはず。
中を覗けばそこには4人分の量が残っている。多く炊いて冷凍をし、トレセン学園から帰って来た時に直ぐに食べれるように、としていたがまさかここで使うことになるとは。
炊飯器に残った中身をお茶碗によそっては、少しだけ整えていく。電気ケトルの方に視線を向けていくと、既に湧くことを知らせていた。
フラッシュの方に視線を向ければ彼女は此方を眺めており、俺がしていることを気にしている様子。口元はもごもご、と動いているため漬物を食べていることだけは分かった。小動物みたいだな、と思っては自然と頬が緩んでしまう。
「さて…次は、と…」
暖かなご飯の上にお茶漬けの元を2つの茶碗の上にふりかけていく。そうして電気ケトルを手にしては上から熱湯を注いでいく。注がれるとそこから湯気が立ち上り、仄かな良い匂い。くぅ、と今度は本当にお腹がなってしまった。
その2つの茶碗を手にしては彼女の元へ。彼女の前にその茶碗を置いていくと、少しだけ苦笑いを浮かべていた。
「お茶漬け、ですか?」
「そう、これが合うんだよ。それに…ちょっとお腹空いちゃったし…」
「ふふっ、私もです」
お互いに茶碗を手に持ってはまずは1つ、きゅうりの漬物に伸ばしていく。それを口に入れては辛みが来る。その辛みを流すようにしてはお茶漬けを啜っていく。お茶漬けの仄かな風味が口内に残り、そして辛みは喉元を通っては消えていく。
茶碗を口元から離しては、ふぅ、と2つの吐く息が聞こえてきた。隣に視線を向ければフラッシュも此方を向いており、お互いの視線が合ってしまう。
「良いもの、だろ?」
「えぇ、良いもの、ですね」
フラッシュは白菜の漬物に肴にしながらお茶漬けを食べている。箸で米を挟んでは、口の中へ。時折、茶碗を口元に付けては啜るようにして食べている。
こうやって見てしまうと本当に異国から来たのだろうか?なんて思ってしまった。下手な日本人より日本人しているかもしれない。
そうして夢中になって俺とフラッシュは食べ進めていく。気づけば既に茶碗の中身は空になっていき、炊飯器に残っていたものもおかわりをして二杯目を食べ進めていた。
タッパーやプラ容器に入っていた漬物は気づけば殆ど食べきっており、おやつというより軽食に近いものになってしまった。茶碗を置いては、手を合わせていき「ご馳走様」と2人揃っていく声。
お腹が膨れてしまったせいか、体をソファーに預けるようにしては少しだらけるように体を伸ばしていく。フラッシュも食べ終え、此方に体を寄せては、頭を俺の肩に預けるようにしてきた。
「漬物、どうだった?」
「未知の経験でしたが、良いものでした。トレーナーさんのおかげで好きな日本食に入りますね」
「それは良かった」
壁時計に視線を動かすと時刻は15時30分。まだ夕食には時間はあるが、ここまで食べてしまうと夕食は軽い物でいいかもしれない。それ程までに満腹となってしまったのだ。
窓を閉め切っても外から聞こえてくる蝉の鳴き声。いつもは煩く感じるこの鳴き声は、満腹とそして肩から伝わる彼女の体温によって、子守唄にも聞こえてしまう。くぁ、と1つ大きな欠伸を隠すように手で口元を隠していく。
「眠くなってしまいますね…」
「だね、お腹いっぱいになってるし…こういうのんびりした時間は久しぶりだ…」
いつもはトレーニングをしてはレースに向けた準備などもあった。しかし、秋ごろまでは目標のレースも無く、ゆっくりとした時間が取れている。こんなにのんびりと、ただ過ぎていく時間を感じるのはいつぶりだろうか。
視線を目の前の机に向けていく。そこには空になった茶碗とタッパー、そしてプラ容器。食べ終えた為片付けなければいけないが、体は動くことを拒否している。
「…やけにじじくさい食事だったね…」
「では、私からすれば…おばあさんくさい食事、といえば宜しいでしょうか」
「ばばくさいってことか…」
ふむ、と1つ考え事。こうしてのんびりとした時間は果たしてフラッシュと今後どれだけ過ごせるのだろうか。彼女が卒業した後も、こうやって会うことはあるのだろうか。そんな事を考えてしまった。
お互いに寄り添い、まるで老夫婦のような状態。少しだけ揶揄いたくもなり
「ばばくさいってことは……それだけ俺と一緒に居てくれるってことでいいか?」
と一言。
「トレーナーさんが望むのであれば…いくらでも」
彼女は顔を動かしては此方を見つめてくる。その瞳は曇りなく、嘘を言っているように見えなかった。揶揄いに対しての本気の返答。頬が熱くなるのを感じている。クーラーが効いている部屋なのに、自分の背中には汗が伝う程、心臓の鼓動が早まっていた。
「か、片付けようかな…」
居ても立っても居られずに立ち上がろうとすれば、フラッシュは力を込めて、離れることを許さなかった。
「…フラッシュ……?」
「もう少し、このままで。将来の予行演習なんていかがでしょうか」
彼女の腕は俺を逃がさないように、腕を絡ませてくる。より密着してくる彼女の体。
あぁ、彼女には敵わないな。
少し諦めを覚えながら、またソファーに体を預けていく。ミンミン、と響く蝉の音。そしてお互いの呼吸音だけが部屋に響いている。
腕から伝わるフラッシュの体温はいつもより暖かく、そして心地よかった。