目覚まし時計のアラームが鳴る一分前、私は目を覚ました。体を起こし、ベッド上に置いてある目覚まし時計を手に取り、裏側のスイッチをオフにしていく。
午前八時。いつも通りの時間に起床し、そして一分後にスイッチをまたオンにした。視線を見渡していけば見慣れているが、いつもとは違う光景。隣にはファルコンさんはおらず、そして空気も日本とは違う寒さを持っていた。
私だけの部屋。ベッドはふかふかの毛布。少しだけ暑く感じる。ベッドサイドには私と両親、そしてトレーナーさんが一緒に映った写真立て。壁には友人と走ったレースや、日本ダービー、天皇賞・秋を勝利した時の写真たちが飾られている。それを見ていると何処か誇らしくも感じた。
毛布から体を出していくと、私の頭に妙な違和感を感じた。上だけでなく左右にも引っ張られているような変な感じ。もしかして、と思い、片手を頭の上に伸ばしていけば、掌に当たる柔らかな感触。それも一つだけではなく、二つ、三つと複数。
「…今日は一段と酷いですね」
口に馴染んだ日本語を発し、扉を開けた。既に廊下からは嗅ぎ慣れた甘い匂いが漂っていた。バニラとバターが合わさった匂い。朝食前だというのにくぅ、とお腹が鳴ってしまう。
その音を聞かないふりをして、私は洗面所へと足を運んだ。木製の扉を開け、ガラスの前に立ち、自分の姿が視界に入ればやはり予想通りだった。
「これは……」
例えるなら大爆発。何かの実験に失敗したと思われても仕方がないほどの酷さ。今日は午後から友人たちと日本で過ごしていた時の事を話そうと思っていた。しかし、これでは人前に出られそうにない。
何度か手で髪の毛を押さえていくが、離すたびにぴょんっ、と兎が跳ねる様に髪の毛も跳ねた。
「あぁ…朝食を食べてから直しましょうか」
まだ大事な時間は迎えない。それまでに直せば特に問題は無いはず。顔を冷水で洗っていき、眠気で微睡んでいる思考を現実へ引き戻していく。タオルでしっかりと拭いた後、私は二階のリビングへ向かった。
リビングへ向かえば既にお母さんが朝食を並べていた所だった。
『おはよう、フラッシュ。ふふ、今日は凄い髪型ね』
『お、おはよう、お母さん。後で直すから…』
ドイツ語で挨拶を交わし、早速と言わんばかりにお母さんに指摘をされた。そのことに頬が赤くなってしまう。いくら家族とはいえ、いざ見られてしまえば恥ずかしさ、というのはどうにも出てきてしまうのだ。
机の上に並べられた朝食。ロールパンにチーズとハム、そして輪切りにされたキュウリが挟まれたもの。半熟のゆで卵はエッグカップという専用の食器に。そしてマグカップから湯気が立っており、中には珈琲が入っていた。
更に横にはヨーグルト、中にはシリアルやバナナやレーズンのドライフルーツが入っている。伝統的なドイツの朝食だ。
日本の納豆に白米、みそ汁に焼き魚といった食事ではない。少しだけあの食事が恋しいと思ってしまう。
─────そう、私は今、ドイツへ一時的に帰国している。
四日前の話。トレセン学園が春休みを迎えた時のことだ。
トレーナーさんと契約をして四年を迎え、私自身の人生設計も変わってしまった。元々両親にも三年で帰国することを伝えていた。しかし、これから先も彼と契約を結んだまま歩み続けることを私は望んだ。
三年目が終わった節目で彼と共にドイツへ旅行と今後についてを両親と話し合った。暫くはまだドイツで実家を引き継ぐことはしないこと、今後もトレーナーさんと共に歩むこと。それらを伝えたのだ。
両親は快く受け入れてくれたが、やはり愛娘が暫く日本に行ってしまうのは寂しい、となった。その寂しさを埋めるため、ということで今年も帰省をすることにした。
しかし、今回はトレーナーさんは居ない。彼はチームを担当するという次のステージを歩もうとしている。いつかは私も引退を決意する。その中で次世代にどう繋いでいくのか、これは私と彼だけの問題では無かった。その準備でトレーナーさんの同行は無しとなった。
その代わり、では無いが、毎日決まった時刻にトレーナーさんと電話をすることを決めていた。現在の時刻、八時十分。電話は午前十時に行う。予定までの時間はある、と考えながら私は椅子に座った。
『お父さんは?』
『仕込みの準備中よ。私も食べ終えたら行ってくるわ』
『じゃあ、今日も皿洗いはしておくね』
『ありがとう、フラッシュ』
お母さんが対面になるように座れば、食事を取る合図。『
ハムやチーズが挟まれたロールパンを手にして、食べ進めていく。テレビを付け、ニュース番組に切り替えるととある話題で一色なっていた。テレビにはよくあるテレビスタジオに男性と女性がそれぞれ二人ずつ並んで座っている。オフィススタイルのかっちりとしたものだが、会話内容はもっと柔らかく、弾んでいるものだった。
『本日はここ、ドイツでもハレー彗星の見頃となりそうですね!』
『えぇ、なんといってもハレー彗星は通常、七十五年に一回だけ見れるものです。この時期に見れるのはとても貴重ですよ』
『今回は何故このような周期になったのでしょうか?』
『普段天体の動きは──────』
そこから小難しい話に変わっていく。ディスプレイに移された内容、それを横目で見ながら私はロールパンに噛り付いていた。
『見頃ですって、フラッシュ。友達と見てきたら?』
『確か…午後六時?くらいだったよね。遅くなるけど大丈夫?』
『えぇ、大丈夫よ。確か近くで屋台も出るとか…言ってたかしら』
『お母さんたちは良いの?』
『大丈夫よ。上手く時間を見つけてお父さんと見るわ』
これからの予定に楽しそうにお母さんは声を弾ませていた。
暫くドイツのテレビ番組はこのハレー彗星の話題で持ちきりになっていた。いや、ドイツだけではない。世界中がそうだった。SNSを見れば多くの人たちがその話題を話しており、中にはハレー彗星を見るためだけに高い山に登る、という人もいた。
一つの彗星に皆が空を見上げ、そして耽る。写真を撮る人もいれば、絵で残す人。中には記憶に焼き付けようとする人もいるだろう。
ロールパンを食べ終えて、今度は珈琲に口を付けた。眠くて呆けていた脳が苦みで少しずつはっきりとし始めていく。
思考を巡らせながら、そういえば日本は、なんて思いを馳せた。もし私がドイツへ一時的に帰国をしていなければトレーナーさんの隣で一緒に見ていたのだろうか。
それとも同室のファルコンさんと見ていたかもしれない。いや、もっと多くかも。
思わずそれらを考えて頬が緩んでしまった。ヨーグルトを手に持ち、スプーンで食していく。口の中に入っていく緩やかな酸味とフルーツの甘み、シリアルのしっとりとした触感。それらを歯で噛み潰しては飲み込んだ。
食事を終えるとお母さんは『片付け、お願いね』とだけ告げて、足早にリビングを後にした。私は残されたお皿を重ねて片付けていく。
台所へ持っていけば、シンクの片方に栓をしてお湯を溜めていく。そのお湯の中にお皿たちを全て入れて、お湯が溜まるまで待ち続けた。お湯がシンクの7割を満たせばそこに洗剤を垂らし、そして軽く混ぜて漬け置き。
これがドイツの食器の洗い方。日本ではシングルシンクだが、ドイツではダブルシンク。食器を漬け置きし、最後に軽くスポンジで擦って残った泡や汚れをもう一つのシンクで洗い流す。日本の生活が長く、久しぶりに返ってくるとやはり困惑をしてしまうが、直ぐに慣れてしまうのは人間の怖いとこだ。
漬け置き中に布巾を濡らして、ダイニングテーブルに向かって歩いた。付近で全体をしっかりと拭いていき、その中でウマ耳だけテレビの音に傾けていた。
『今や世界中でハレー彗星ブームが起きています。ここドイツではハレー彗星をモチーフとしたパンに────』
『ハレー彗星というのは古来では災いの襲来だ、なんて言われていた時期もあります。それこそ───』
まだテレビはハレー彗星一色だった。そういえばお父さんもハレー彗星をモチーフにしたケーキを作ってみようか、と言っていた気がする。
テレビに映った時間を見れば、八時四十分。漬け置きしてまだ時間は経っていない。先に飛び跳ねた髪を直すために布巾を台所に置いた。リビングから過ぎ去る時にテレビを消して三階の自室へと私は戻った。
自室へと戻り、そこでいつも使っている櫛を手にしては洗面所へ。ガラスの前に立って、引き出しから取り出したのはドライヤー。ドライヤーで髪の根本に温風を当てながら、櫛で髪の先端へ滑らせるように何度も繰り返した。一度すれば、ぴょん、と跳ねる。もう一度同じように繰り返せば、また跳ねる。どうにも手強い。
「……ファルコンさん…どうやってあんなに一瞬で…?」
ファルコンさんは髪が跳ねることは殆ど無い。仮にあったとしてもすぐに整えることが出来てしまう。無論、私にも同じだった。私も今日のような大爆発の日には彼女にお願いをすることが多々ある。
意気揚々と答えてくれ、そしてその手際の良さは恐らくトレセン学園内を見回しても一番だろう。一瞬で綺麗に整え、誰が見ても恥ずかしくないように。むしろ私が寝る前に整えた時よりも丁寧に。その技術が少々羨ましい。
少しだけ幻想の彼女を想像しながら真似てみる。髪を押さえて、ドライヤーの温風を当てながら側頭部や後頭部、に繰り返し温風を当てた。今度は櫛でしっかりと押さえながら数秒。繰り返していけば徐々に跳ねは無くなり始めた。
鏡を見ながら、私は一言だけ「よし」と呟いた。小さな跳ねも大きな跳ねも全部無くしていき、いつもの私へと戻っていく。全ての跳ねを無くせば、ドライヤーの電源を切った。鏡の前で顔を左右に動かしていき、最後には鏡に背を向けて後ろも確認していく。
「問題なさそうですね…」
櫛を自室へ戻しに行き、直ぐに二階のリビングへ。漬け置きの時間は充分なはず。お湯を溜めていたシンクに手を入れて、皿を一つ取り出した。スポンジで軽く擦れば簡単に汚れが取れていく。全体をスポンジで拭き終えれば、もう一つのシンクに置いて、お湯の中からまた皿を取り出した。
スポンジで皿をきゅっ、と擦る音と壁に飾ってある時計のかち、かち、と針を刻む音。寮に住むとなれば共同生活。こんなゆったりとした時間はあまり取れない。あのドタバタの様なひと時も私にとって大切だが、一人静かな時間も好きだった。
「それはそれとして…少し寂しいものですね…」
多くのウマ娘が集まり、食堂で笑い声が響き合う食事。夜の寝るまで話し合う声達。昼のトレーニングで互いにしのぎを削り合い、そして称え合う声。どれも大切な一つ一つの声だ。
家族も友人も、そして───────彼も。
食器をスポンジで拭き終え、最後に水を流して泡を洗い流していく。全て流し終えれば銀色の水切りラックに食器を並べていき、タオルで手を拭いた。壁時計で時間を見れば九時十分。まだ電話まで五十分ある。
この五十分がやけに長い。あとする事言えば、服を着替えて友人達に連絡をする。日本に来る前に友人のウマ娘達と競い合っていた。もう当時競い合っていた子達は引退や、ドイツのトレセン学園に行かずに他の道を目指している。
私が日本で走っている時にドイツからメッセージを送ってくれ、そして必ず会いたいと言ってくれていた。誘えばきっと来てくれる、そんな優しい子ばかり。
リビングですることを終えれば、私はまた自室へ足を運んだ。携帯を取り出しては、友人達と作ったグループにメッセージを入れた。
『今日、ハレー彗星が良く見えるそうで。皆でどうですか?』
その回答が来る間、パジャマを脱いで着替え始めた。直ぐに携帯からはピロン、と軽快な機械音が一つ鳴った。続くように数度同じ音が鳴っていく。
着替えを進めながら、携帯の画面を見ていると既に私抜きで話が進み始めていた。
『行く行く!近くの公園でいいよね?』
『何時集合?』
『五時!持ち物はどうしよっか?』
『その前に近くで彗星モチーフの出し物とかもあるから十一時に集合はどう?』
ブラウスを羽織り、上だけ着替え終わった状態で私は画面を眺めた。十一時の集合。ここから公園まで歩いていくと十五分ほどかかる。電話の時間も長い事するわけではない。それならば問題なく間に合う。
携帯の画面に指を滑らせながら『大丈夫ですよ。』と返した。友人も親指を立てたスタンプや返信が飛び交う。
ボトムは長めのプリーツスカート。春を迎えたとはいえ、まだこの時期は寒い。厚手の上着を羽織った方がいいかもしれない。タンスを開けて、そこから取り出しては上から体を覆うように羽織っていく。視線を下に向けて、まずは正面。続いて背中に視線を向けては、尻尾をぱさり、と動かした。
着心地問題なし、今日も完璧。ふふっ、と喉の奥で笑ってみせた。
時刻は九時四十分。電話の時間まで残り二十分。早い内にかけてしまえばトレーナーさんの迷惑にもなってしまう。今は仕事中だろうか、それとも切り上げて帰路に着いただろうか。そんなことを考えながらベッドの上に腰を下ろした。
日本の友人達からも挨拶や今日の彗星について連絡が来ていた。それらに対して一つ一つ返信を重ねていく。
『ファル子、今日は彗星の下でライブをするよ!』
『見れなくて残念です。また、ライブの映像を送ってくれますか?』
『フラッシュ先輩。今日はピサさんとルーラーさんの三人で彗星を見ることにしました。日本ではもうすぐ見頃の時間です。』
『また日本に帰ったら色々話しましょう?私はドイツの友人達と見ますよ。』
携帯の画面を眺め、そして返信をしていく毎に既読、という二文字が付けられていく。ローズさんを含めた三人は私服で寮の外に出て、笑顔を浮かべながらの自撮り写真。ファル子さんはライブ会場と自分の衣装を見せる写真。
日本の友人達が恋しい。どちらかで過ごせば、どちらかの時間は過ごす事は出来ない。ドイツと日本。この余りにも遠い距離が今だけ恨めしい。
時刻、五十八分。残り二分。毎日の電話は必ずトレーナーさんからかけて貰うことにしている。彼は忙しい人だ。私から本当はかけたいが、それは迷惑になってしまう可能性がある。
残り一分。トーク画面をトレーナーさんの画面に変えて、あとは待つのみ。連絡が来るまでの最後の六十秒がやけに長く感じた。
十時。時間ぴったりに携帯の画面が着信中に変わり、そして軽快な音楽とバイブレーションが携帯から発せられた。一回目、二回目、三回目のバイブレーションが終わった瞬間に私は応答した。
「もしもし?」
『もしもしっ?フラッシュ?』
「はい、今日もお疲れ様でした、トレーナーさん」
『ありがとう!凄いよこれ!』
電話から聞こえてくる日本語の声は子供のように無邪気だった。少しだけ息を荒げ、感嘆の声を挙げ続けている。
「何が凄いんですか?」
『彗星!ほら…なんだっけ…ハロー彗星じゃなくて…えぇっと』
興奮しすぎて間違えてしまっている。ふふっ、と声を漏らして笑ってしまえば電話の向こうでは照れくさそうな声が返ってきた。
「ハレー彗星、ですよ。彗星は挨拶しません」
『そうそう、ハレー彗星だ。本当に…綺麗だ。尾が伸びて、それがキラキラと光って…こんなものが生きている間に見れるなんて』
「そんなにも綺麗なんですね?」
『とても。今日は仕事を切り上げて、今は自分の家に居るよ。ベランダから見てるけど…フラッシュは今日見るのか?』
「えぇ、ドイツの友人達と見ますよ」
普段は冷静で、誰よりも大人びた彼。そんな彼が時折見せる、この子供らしい感情がどうにも可愛らしくて愛おしい。『そっかそっか』と楽しそうに声を弾ませ続ける彼。
少しだけ胸の奥がきゅう、と締め付けられる音がした。呼吸も浅くなっていき、私は胸元に手を添えていく。その手を強く握りしめて、いつもの声色で「今日はどうでしたか?」といつもの報告会に戻った。
『チームのことだよね?』
「はい」
『一人気になる子がいてね。まだ詳しくは調べれて無いんだけど…』
「どんな子でした?」
『そうだね。綺麗な青い髪の子だったよ。走り方も君に何処か似ていて』
私に似ている子、となると気になってしまう。その子が将来、私の代わりになるというのはどうにも変な気持ちだ。まだその名も知らぬ青髪のウマ娘の走りを見たことないのに、妙にそわそわしてしまった。
それからは私は彼と話しを続けた。今日の昼食は何を食べたのか、トレセン学園では何が話題になっていたのか。トレーニングメニューはどんな物を考えているのかを彼から聞いた。
対して私は昨日の出来事と今日の予定を話した。昨日は家族と一緒に出掛けて遊びに行ったこと、お店のお手伝いをしたこと、お菓子を家族に振る舞った事。今日は彗星を見に行くこと。どの話をしている時も彼は必ず相槌を打ってくれる。それだけで、締め付けているものがより苦しくなっている。
「……トレーナーさん」
『どうかした?』
「その……彗星は綺麗ですか?」
会いたい、という言葉は出せない。元々ドイツに帰国する時に笑顔で見送って貰った。私自身も家族や友人と会いたいと思って、自らの意志で一時的な帰国を選んだ。いざ会えば、やはり嬉しさが胸の内から込み上げてきたのも事実。
だけど、たった一週間。されど一週間。あと三日で日本に帰るというのに待ち遠しい。私という人物は余程欲張りなのだろう。
『綺麗だね。うん、だけど…』
「…?」
『やっぱりフラッシュと見たかったよ』
「っ…」
言葉に詰まってしまう。本当にずるい人だ。そう言われてしまえば、余計に私の心は掻き乱されてしまう。誰よりも彼の側で、誰よりも彼と共に居たい。
時刻、十時二十五分。電話の時間は三十分だけと決めている。その終わりが刻々と迫り始めていた。もう少しだけ声が聞きたい、そう思っても声には出さなかった。
『…そうだ!フラッシュ、今から写真を送ろうか?ちょっとだけ画質が荒いけれど、それでなら一緒に見れるよ』
「……確かに」
疑似的では可能である。私とトレーナーさんで一緒に同じものを見ることが出来るだろう。写真を見ながら互いに感想を言い合い、そして耽る。
しかし、それは本当に同じものだろうか。写真で写っている物と現実で見るもの、それらは果たして同一の物として見なして良いのか。
「………」
『フラッシュ…?』
「……彗星、というのは流れ星に近い存在、でしたよね?」
『あー…そんな事を…テレビで言ってた気が……』
電話からうーん、と唸る声が聞こえた。彼が首を傾げて考えているのが容易に想像できた。
写真で見る彗星をトレーナーさんと共有はしたくなかった。けれど、それ以上に彼と共に見れない事も嫌だった。自分の目で見る彗星と隣に居ない事の寂しさ。どうしたら良いのか、どちらも満たせる方法というのはこの世に存在しない。
それでも。彼という存在を感じるのであれば、実体では無くとも想いならば。
「流れ星は願いを叶える、というそうですね」
『そうだね?』
「沢山の願いを込めて欲しいです。願いで無くとも、想いでもなんでも」
『……はは、なるほど。じゃあ、フラッシュへの想いを沢山込めれば良いかな?』
「えぇ、トレーナーさんの想いが乗った彗星を楽しみに待っていますから」
時刻、三十分。もう時間は過ぎ去ろうとしていた。携帯を握りしめながら「時間ですね」と告げれば、彼は『もう?』と返した。
『フラッシュと話しているとあっという間だ』
「私もそう思います。それでは…また明日」
『うん、今日を楽しんでフラッシュ。おやすみなさい』
「おやすみなさい」
ぷつり、という音と共にトレーナーさんの声は聞こえなくなった。溜め息を私は大きく吐いていく。出かけるにはまだ時間はあった。試しに窓に近づいて空を眺めているが、そこには太陽が煌々と煌めいており、彗星の姿は見えなかった。
「…あと、七時間半。長いですね」
窓から離れていき、バッグを手に持った。今から歩いて公園に迎えば集合時間前に辿り着く。少々早いかもしれないが、それでも構わない。
自室を出て、足早に一階へ向かう。一階は両親が運営しているケーキ屋さん。そのキッチンへ向かえばお父さんとお母さんが既にケーキを焼いていた。私はキッチンに顔を出していけば、二人が気づいた。
『フラッシュ、出かけるのかい?』
『彗星を見に行ってきます。夜ご飯は…無しで大丈夫!』
『楽しんできてね、フラッシュ』
『ありがとう。お父さんとお母さんも彗星、楽しんでっ!』
ひらり、と手を振れば二人も振り返してくれた。玄関へ向かい、扉を開けて外へと出ていく。澄んだ空気と暖かさを感じる気温。けれど風が吹けば冷たく、上着を両手で掴んで、風を通さないようにした。
多くの人が街中を歩いていた。口々に飛び交うドイツ語は全て、彗星の事ばかり。その言葉に合わせるように石畳の音が乗っていく。
私も人々の流れに沿うように、石畳を鳴らした。他の人たちよりも少々早めのリズムで、靴を鳴らしていく。
彼の想いを乗せた、かの彗星よ。どうぞ、ドイツへ。
私は貴方を待っています。