告白から数日が過ぎ、マティアスはすっかり落ち着きを失っていた。研究机の前に座っても、魔法の理論は頭に入らず、代わりに詩や物語の言葉だけが心を満たしていた。逃避とも言える創作への没頭。彼は何度も羽ペンを取り、紙の上に言葉を走らせた。
ゼーリエはそんな彼の様子を静かに見守っていた。告白の一件以降少し距離を置き、彼の創作を邪魔しないよう気を配っているように見えた。だが、その視線は常に彼を追い、彼が敷地を出ようとする度に「どこへ行く?」と尋ねる習慣は変わらなかった。
ある午後、マティアスは思い切って提案した。「街で吟遊詩人として歌わせてもらえないだろうか」
「街で?」ゼーリエの眉が僅かに上がった。「なぜそんなことを?」
「創作した詩に命を吹き込みたいんだ」彼は熱心に説明した。「人々の反応を見て、さらに良いものにしていきたい」
ゼーリエは長い間黙っていた。彼女の表情は読み取れなかったが、彼女の指先が微かに震えているのが見えた。
「許可できない」彼女はついに言った。「街には危険が多い。それに...」彼女は言葉を選ぶように一瞬躊躇った。「お前の才能は選ばれた者だけが聴くべきものだ」
マティアスは失望を隠せなかったが、ゼーリエの決意は固かった。
夕暮れ時、マティアスはゼーリエの私室を訪れた。彼女は窓際に立ち、沈む太陽を見つめていた。彼の足音に振り返ると、彼女の表情は普段より柔らかかった。
「何か用か?」彼女は尋ねた。
マティアスは小さな竪琴を手に持っていた。「歌わせてほしい」彼は言った。「街では無理でも、昔みたいにゼーリエの前で...」
ゼーリエの瞳に驚きの色が浮かんだ。それから彼女はゆっくりと頷き、窓際の長椅子に腰を下ろした。
「聴かせてくれ」
マティアスは竪琴の弦を調律し、深呼吸をした。最初に歌おうと思っていたのは、勇者ヒンメルの冒険譚だった。強くて勇敢で、人々に愛された英雄たちの物語。
弦を爪弾き、最初の音が部屋に響いた時、ゼーリエが静かに言った。
「私の物語を歌ってくれないか」
マティアスは驚いて彼女を見つめた。「君の...?」
「私を歌ってほしい」彼女の声は普段の命令口調ではなく、ほとんど懇願に近かった。「私の物語を、お前の言葉で」
マティアスは考え込んだ。ゼーリエの物語は数百年に及び、その全てを知る者はいないだろう。だが、彼は彼女について聞いた逸話や、彼女自身から得た断片的な話から、一つの物語を紡ぎ出すことができるかもしれない。
「わかった」彼はついに言った。「ただ...完全なものではないかもしれない」
ゼーリエは静かに頷いた。「お前の目に映る私を聴かせてくれ」
マティアスは竪琴を抱え直し、新たな調べを奏で始めた。低く深い音から始まり、やがて力強いリズムへと変わっていく。そして、彼の声が部屋に響いた。
彼は神話の時代、ゼーリエが若き魔法使いとして世に出た頃の物語から始めた。混沌の時代に、自らの道を切り開いていった孤高の魔法使い。強大な力と鋭い知性を持ちながらも、常に勇敢だった彼女の姿を歌った。
フランメとの出会い、魔族との闘い、大陸魔法協会の創設—物語は時代を超えて進んでいった。マティアスの歌声は時に力強く、時に優しく変化し、ゼーリエの複雑な人生を描いていった。
歌の中で彼は、世間が知らないゼーリエの姿も織り込んだ。かつてマティアスが受けた厳しさの中にある愛情、表面上の冷たさの下に隠された情熱、そして何よりも、彼女の孤独と、それを埋めようとする強い意志。
最後の旋律が部屋に消えていくとき、マティアスはゼーリエを見つめた。彼女は目を閉じ、静かに聴き入っていた。その頬に一筋の涙が光っているのを見て、マティアスは言葉を失った。
ゼーリエがゆっくりと目を開けた。彼女の瞳には、彼がこれまで見たことのない柔らかさがあった。
「ありがとう」彼女はただそう言った。その声には、何百年も生きてきた者の重みと、同時に新たに何かを見つけた者の驚きがあった。
マティアスは竪琴を下ろし、彼女の前に膝をついた。「気に入ってもらえて嬉しい」
ゼーリエは彼の頬に触れた。その指先は驚くほど優しかった。
「お前は私を見ている」彼女は静かに言った。「本当の私を」
夕暮れの光が部屋を赤く染め、二人の影を長く伸ばしていた。マティアスは彼女の手に自分の手を重ね、言葉なく微笑んだ。
彼はまだ彼女の告白への答えを見つけていなかったが、今この瞬間、彼女を本当に理解したような気がした。何百年も孤独の中で生き、唯一の絆に必死にしがみつこうとする彼女の姿を。
今後の展開に少しだけ悩んでいます。どこまでやったものか。エタることはないので安心してください。この話の終わりまでは絶対に書き上げます。