黒蝕竜現る   作:ヒゲホモ男爵

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例によって遅筆でした。
ポケモンZAが楽しすぎる。
ところでゼンゼロ新ストーリーもうご覧になりました?私は「これゴアちゃんにド地雷だな……」とか思いながらプレイしてました。書けたら書きます、うん。



【2-6】空だけは似ている

 

 

 H.A.N.D.の地に穴が空く、少し前。

 

 ヴィジョン・コーポレーションのスキャンダルが発覚した場所、黒蝕竜が一時出現し、しばらく経った今でも治安局の規制線に囲われたその場所の、人目に付かない陰の奥。

 喧伝のためと己の顔が大きく描かれた看板の裏で、紙の束片手に顔をしかめる男があった。

 

 

「……新エリー都は奇跡の都市であり、ホロウ災害の時代にあってただひとつの拠り所となれる場所だ」

 

「私がまだ小さいころ、生き残りたちのリーダーが言っていたことです。ホロウを避けて荒野を放浪する、辛く厳しい日々の中にあってその言葉は私の希望でした」

 

「やがて幸運にも、我々はここ(新エリー都)へたどり着いた。この街は私たちを受け入れ、あの言葉が示していた通りのものを我々に与えてくれたのです」

 

 

 語り。

 語り。

 語り。

 過去の苦難と救いを語る男の声は端々が涙声のように聞こえて、男の道程が言葉以上に辛く厳しいものであった事と、男が語る"生き残りのリーダー"の偉大さを想わせるものだった。

 その先にあたる新エリー都の市民達に語れば、同情と寄り添い。失った辛さの上に建てられた新エリー都において、民衆の近しい親しみを、民意を得られるような。

 

 

「その時、私は決心したのであります! 自らの全てを捧げて、この伝説を、奇跡を、みなさんの拠り所を、守り抜こうと!」

 

 

 拳を掲げ、高らかに宣言する姿は、まさに人心と人徳を理解する指導者の姿。

 清廉潔白な、次期ヤヌス区総監の姿。

 いつか、市長に名を挙げる男の姿。

 

 

「これが本選挙戦において、私が掲げる展望です。私がヤヌス区総監となった暁には、ヴィジョン・コーポレーションのような人命を軽んじる者たちを、永遠の敵とみなすことを誓うものであります!」

 

「かつて私を導いてくれたリーダーが言ったように、英雄として庶民の…いや、民衆の……?」

 

「……えー、人々のために…………」

 

 

「えぇい! 癪に障る演説だッ!!!」

 

 

 しかし"清廉潔白な次期総監"は、実在しなかった。

 男が、現治安局副総監ジャスティン・ブリンガーが語ったこれまでの全てに、彼の言う『誓い』は真の意味で含まれていなかった。

 

 そんな歯の浮くような原稿を地面に叩きつけたところに、ハイヒールの乾いた音が聞こえてくる。

 黒と赤の服に身を包んだスラリとした人影が、ブリンガーのよく知る顔が、憤慨する彼の視線を無視して近づいてきた。

 

「ふふ、自分で書いた原稿でしょう? 自分の事をありのままに話すのが、そんなに難しいかしら?」

「サラ……何をしに来た?」

 

 ブリンガーがサラと呼ぶ女は、少し前までヴィジョン・コーポレーションの秘書を務めていた女だ。

 しかしことここにあってサラには数日前のような、「化粧の薄い人畜無害な秘書」の姿はまるでなく、妖艶と言って誇張のない雰囲気を別人のように着こなしている。

 

 そして、"ヴィジョン・コーポレーションのような人命を軽んじる者たちを、永遠の敵とみなす"……つい数秒前にそう言い放ったブリンガーの目は、確かに心底不快そうにサラを睨むものでありながら、彼が()った言葉とは異なっていた。

 ……まるで、そう。

 ただ嫌いな同僚を見る程度の、それだけの目だった。

 

「どうしたのかしら? 万人の上に立つ、総監の地位が目の前にあるのに……ちっとも嬉しそうじゃないわね?」

 

 サラは自分に向けられた嫌悪の色を、全く気にもせず平然と話を続ける。

 自分に向けられる感情など、清濁全て味わい尽くして飽きたあとであるかのように、吐いた言葉で狙って相手の琴線を刺激する。

 

「…皮肉はよせ」

「あら、本心からの言葉よ?」

「……チッ。…ヴィジョンという隠れ蓑はもはや役に立たず、モニュメントの中にあったものはH.A.N.D.の手の中…()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、郊外の愚か者は干からびた土地から権力を奪うのにこと掛けて資材をよこせとつけ上がる! ギャング共は言うに及ばずだ!! サクリファイスのサンプルがなくては計画が進まんのだ! 貴様は私に、あの六課の虚狩りから発言権を取り上げてみせろと言うのか? それとも、ただ清廉潔白なヤヌス区総監の誕生を見届けたいだけか!?」

 

 怒り心頭。口早に捲し立てるブリンガーの不満は相当なものだった。

 それでも、サラの端麗な顔が歪む事は無い。

 

「計画は目的のための手段であって、目的そのものではないわ。シチュエーションに基づいて調整するか、新しい計画を仕立て直すか……信徒としての資質が試されるわね?」

「…ハッキリさせておこう。私と貴様の位に差はない、頭ごなしに何かを言われる筋合いはないのだぞ」

 

 上から目線は気に食わん。

 そう言ってブリンガーは言葉の端に火花をのせる。己以外の全てが自分の掌の上であると見下すようなサラのそれには反吐が出ると、暗にサラの人格を拒絶する。

 

「興奮しないでちょうだい、私はただ、貴方の新しい計画に手を貸してあげたいの。これを見て……」

 

 ブリンガーが言葉裏に唾を吐こうと、分かっていてサラは軽くあしらう。人を小馬鹿にしておいて、それでいて役目ばかりは平気な顔をして十全に務めるのだ。

 だから気に食わんのだ、この女が。

 

 ──ブリンガーは燻る苛立ちをそのままに、サラが渡してきた書類には目を通す。

 サラが『信徒』という単語を放った以上、ここにいるのは治安局副総監ブリンガーでも次期ヤヌス区総監ブリンガーでもない。「信徒ブリンガー」なのだから。

 そしてやがて、目を落とした文言に目をみはる。

 

「これは!? ……あの星見家にこんな秘密があるなどとは聞いたこともないぞ、信頼できる情報なのか? ()()()のハッカーなどではないだろうな?」

「今度はあのホワイトノイズ本人よ、信頼できるわ。つけあがった部下なんかじゃなくてね……ところで、少し貴方の──清廉潔白なヤヌス区総監の力を借りたい事があるのだけれど」

 

 サラは当たり前のように、建材に腰掛けていたブリンガーの隣に座る。

 ブリンガーが距離を離したのは言うまでもない。

 サラがそれを気にしない事も。

 

「『ゴア・マガラ』、この名前は知っているでしょう?」

「政治の影に身を置いていて、その名前を知らない奴はただのグズだ。その小娘がなんだ、かの司祭サマはドラゴンの方が危険度高しと定め、小娘の方は後回しとしたのだろう? 讃頌会の人員は割かれんぞ」

 

 讃頌会の人員と方々のお友達の力を借りて、司祭サマは今とある計画の準備を重ねている期間。

 その準備は言わずもがな、人目を避けてホロウの中で行っている。それを気まぐれに荒らされては支障が大きすぎると、司祭サマは黒蝕竜の排除を決定した。

 だから讃頌会にとって遠大な計画の同じ障害であっても、人に飼い慣らされている方のゴア・マガラには、今現在リソースは割かれていない。

 それを俺に攫ってこいとでも言うのか。

 

 この時期に面倒事を持ち込むな、とブリンガーは一層強くサラを睨む。

 そんなブリンガーを揶揄うように、サラは紅赤色の唇をゆったりと孤に変えて、蠱惑的な手つきでこれみよがしに白磁の指先を、胸元が開いた服から自らの鎖骨に這わせ、そこから胸の付け根、谷間と潜り込ませ、1つの携帯を抜き取った。

 大抵の男が見れば情を掻き立てられてしまうその仕草は、しかしブリンガーには当たり前に届かない

 むしろオエーと吐き出したいのを、理性でグッと我慢したくらいだ。

 

 あからさまに別の意味で不機嫌になったブリンガーの顔を見て、サラも「効果うす……やーめた」と何事も無かったように携帯の画面をブリンガーに見せ、軌道を修正することにした。

 これ幸いとブリンガーは携帯を覗き込む。

 そこにあったのはインターノットのとある記事。表題を見て目を白黒させたブリンガーが瞬きをする間にも閲覧数が加速度的に増え続けている。

 

 それはあまりにも詳細な、ゴア・マガラの存在を仄めかす暴露記事だった。

 当たり前にエーテルを消滅させる鱗粉の事、狂竜ウイルスという形での人体への有毒性・それを封じる為にH.A.N.D.が装備を開発したこと、更には身長・体重に始まり、果ては好みの菓子の味や寝起きの時間など。

 およそプライバシーと呼べるものが全て暴露されていた。内部の人間か、それに通ずる者でなければ知りえないような情報ばかり。

 それらの情報のリアルさと、なによりエーテルを消滅させることが出来るという爆発的な話題性。

 そしてつい先日に防衛軍によって解放されたのだと噂されていた「ウルカヌス区とヤヌス区の境目のホロウ」が、実はゴア・マガラによって解放されたのだという見出し。有名人であるアストラ・ヤオの名前がまた撒き餌となり、閲覧数をかっさらっていた。

 

「……何が目的だ? 讃頌会は小娘は後回しとしたのだろう、独断の干渉は教祖サマの不興を買うぞ」

 

 ブリンガーはひと目で、これがサラの企てだと看破した。ゴア・マガラの存在が明るみになって純粋に得をする陣営は片手の数ほどもないのだ。

 事実、大なり小なり損をする連中が大半だ。そうでないのは極度の平和志向論者くらいか、もしくは……

 一般市民にしたって、ホロウが目減りすれば失業者が増える事になるのだから。

 

 だからこのタイミング、パールマンの公開裁判と市長選挙を後に控えたこのタイミングでゴア・マガラの存在を仄めかし、行動を煽る……

 そんな事をするのは、大衆がそうであるようにゴア・マガラの存在自体に損得の勘定を推し量る者ではなく、「ゴア・マガラという存在がいる事実を公表すること」に意味を見出す者。

 大衆を焚き付けることが目的の者。

 ブリンガーの隣には、ちょうどそういう事が大好きな趣味の悪い女がいたのだから。

 

「不興なんて買わないわ。長い目で見て、これは計画を円滑に進めるための布石だもの」

 

 サラは言葉巧みに肯定し、また携帯の画面を手早に操作して、今度は生配信のそれを見せる。

 そこには、噂の審議を報道の自由の名の下に確かめる…そういう大義名分で記者達がH.A.N.D.前に詰めかける様子が映っていた。

 

「放置は放置でも、H.A.N.D.の中で大事にされていたら()()しづらいでしょう? 子飼いの小鳥ちゃんには籠の外も知ってほしいの、親切心よ?」

「思ってもいない事をツラツラと……よく喋る」

 

 捉えた鼠を嬲って弄ぶ猫のような顔を隠しもしない女は、頬にほんのりと赤みを浮かべて、心底愉快そうにブリンガーの傍を離れていく。

 

「未来の市長サマとして、迷子の小鳥ちゃんは保護してあげてね?」

 

 そんな言葉を去り際に残して、女は来た時と同じようにブリンガー何をも無視して消えた。

 初めはブリンガーの憤慨を無視し、今はまた種類の違う憤りを無視して。

 

 

「『……新エリー都は奇跡の都市であり、ホロウ災害の時代にあってただひとつの拠り所となれる場所だ』」

 

 

 そんな言葉を遺した生き残り達のリーダーは、最後には侵食症状に苦しみ、救いの新エリー都に辿り着く直前で、それまで自分が守ってきた民に棄てられた。

 この街は実直で誠意のあるリーダーなど、成り立ちから求めていないのだ。だから恩を受けた相手だろうと棄てられるし、他者を利用することばかりの者がTOPSなどという傲慢以外の何者でもない名前でのし上がれてしまった。

 

 その影にはいつも、利用され、棄てられる者達があったというのに。

 今では自分が、その棄てる側に成り上がろうと言うのだ。──これが滑稽でなくて、なんだというのか。

 

 ……そして今、自分の手のひらに、小さな子竜がまた棄てられてくる。

 それはただサラの思惑通りの事で、上手く使えよと放り投げられただけの事であるというのに。

 

 ……それがかつての自分と重なって見えてしまう。

 かつてホロウの中で『主』に救われた自分は、見方を変えればこれと同じ事だったのかもしれないと、組織の中で物事を俯瞰する立ち位置にある期間が長くなるにつれて思うようになった。

 自分はただ、仕組まれたように救われただけだったのではないかと。

 しかし、そんな己が思考には決まってこう返す。

 

 ──それでもそこに、救いはあったのだと。

 

 

「──主よ、始まりの主よ。どうか哀れな子竜に、溢れんばかりの再創を……」

 

 

 敬虔なる信徒はただ、祈りを捧げるのみ。

 

 

 ▽

 

 

 スターループタワーの影にある路地の奥。

 むさ苦しい男の壁尻が5つ並んだ異様の一言に尽きる光景を背にして、子竜たるゴア・マガラは悩んでいた。

 主に、初対面の相手。それも自分よりは半分も幼い子供に対する適切なコミュニケーションについて。

 

 その件の子供…女性職員がゴア・マガラに助力を求めた"攫われた弟"は、ゴア・マガラが現場に到着した当初こそ気を失っていたものの、今は目覚めている。

 理由はもちろん、男が5人分壁に埋められる轟音を聞いて。である。かの『棘竜』だってハンマーで何度も叩かれれば起きるのだ、人間が耳元で5回も鐘を鳴らされたら嫌でも目が覚めるだろう。

 

 問題なのは、その子供に怯えられている事だった。

 

「ぼ、ぼくも殴るのか!? こここ、こわくなんかないぞっ! お菓子を隠れて食べたのがバレた時の姉ちゃんの方がよっぽど怖いんだ! そこの男達が僕をさら──ひぃぃやっぱり怖いぃぃ!!」

 

 あんまりにも喚くものだからかなり耳障りで、ちょっと目をやったらこれである。

 すっかり腰を抜かして座り込んでいるのに、口ばっかりは器用に動いて、そのくせ臆病。

 なんというか、ゴアにして初めての人間だった。

 

「おい、お前。お前は弟か?」

「はへっ?」

 

 もしここに母親*1の月城柳がいたなら、「混乱した状況で平静でない人に何かを問う時には、相手に寄り添って優しくしなければいけませんよ」と、それはそれは有難い指南をしてくれたのだろうが、あいにくと件の母親はH.A.N.D.にて忙しくしている。

 主に詰め寄せた記者達と、ついでにどこぞのバカ竜が開けた大穴のせいで。

 結果、無神経すぎる程に投げかけられた問いに、当然と少年は答えられなかった。答えられるほど余裕がなかったとも言う。

 

 しかしその問いを投げた側は、およそ生物の頂点。唯一無二の亜竜種。天に廻る龍の幼体である。

 強者としての余裕を常に携えているがために、眼下の小動物がどうなっていようと歯牙にもかけず、無神経なままで再度問いを繰り返す。

 

「お前の姉が、お前を助けろと願った。お前に姉はいるか? いるだろう」

「うるさいっ! お前もそこの奴らと同じようにぼくを騙そうってんだな! 二度はないんだぞ二度はっ!!」

 

 多少言葉遊びを変えたところで、それでは全く意味がないという事に気づけないまま。

 さてと盲目な竜は困ってしまった。

 どうやら子供を攫った、今は黄色い丸団子虫*2みたいに壁に埋まっているそれらと言い回しが似てしまったらしく、一層警戒されてしまった。

 これでは確かめようがないじゃないか、とゴアは不満気に鼻を鳴らした。

 

 自分の方からだけでも充分に確信しているのだ、この子供が目的の子供だという程度の事は。

 ただ、これもまた母親*3の月城柳の教えであるが、「自分だけの判断で決めつけるのは危ういですよ、ちゃんと相手に確認を取りましょう」と、本当の浅羽悠真の休暇申請を却下しかけたときに教わった。

 だからわざわざ聞いて確認したのだ。自分に"弟を助けて欲しい"と願った女が自分に提示した匂いと、目の前で膝をガクガクと振っている子供との匂いには、何度嗅ぎ直しても違いがないと分かりきっているのに。

()()()()()()()()()()()()から伝え聞く子供の形も、姉という女性職員と近しいところがある。耳の形がそっくりなのだ、ゴアは血の近しい者達は形が似通る事があると知って──

 

 

 そこまで思考を回して、はたと気付いた。

 

()()()()()()()()()()()()

 

「うわぁぁ!? 脱ぐな脱ぐなぁ!!」

 

 そうと気付けば子供がなんと喚こうが聞く耳は持たない、もとより薄布一枚被っていただけなのだからと、シースルーだのスリットだのフリルだの、意匠の施されたそれを脱ぎさって、子供の目の前で右へ左へ振り回す。

 ルミナスクエアのルミナモールで買ってもそれなりの値段のする生地が、何度か子供を引っぱたこうと、ゴアはブンブン振りぬいた。

 

「わっ、えぅっ、痛っ…くない……あ、お肌に優しい手触り…じゃなぁい!」

 

 10回前後振りぬいたところで、子供の手がワンピースの裾を掴んだ。

 当然エーテリアスをプチっとしてバリッとできるゴア・マガラの腕力に、子供程度の力が反対方向にかかったところで拮抗なぞするわけもなく、ただ子供の手からワンピースがぶんどられる形になるだけ……のはずが。

 

 そもそもゴアがワンピースを振り回しているのは、周囲に少し漂っている鱗粉を散らすためである。

 その量にしていえば「なんかちょっと暗い?」ように見える程度の量なのだが、ゴアは自らの鱗粉が人間にとって毒である事など、人になる前から知っているのだ。

 人前で翼を動かす時は装備をつけている時か、以前のホロウを消す任務の時のような特別な装置あって許されるもの。そうH.A.N.D.の誰彼から総じて教えられた。

 

 それが今は、何の装備も装置もなく、当たり前のように鱗粉を撒いてしまったのだ。

 そこで、これを何とかしようとゴアは考え、手っ取り早く風を起こして鱗粉を散らしてしまう事を考えた。

 鱗粉の量としては微量も微量、まとめて一息に被ってしまえば子供のような免疫の低い者は狂い苦しむだろうが、バーッと大空に払ってしまえば濃度もひときわ薄くなるし、少しすれば払われた鱗粉も死滅するのだ。

 

 そこでまた考えたのは、払う方法である。

 目の前には小さな命。

 力に任せて腕を振るうだけでも暴風を起こせるが、乱暴な手段はとりたくなかった。

 翼で風を巻き上げればもっと簡単だが、すると勝手に鱗粉も撒かれていってしまうので、これは本末転倒。

 

 ちなみに"本末転倒"は最近覚えた言葉である。

「休暇申請するのに申請が必要(ゴアちゃん通す)なんて本末転倒ですよぉ〜」

 と悠真が嘆いていたので覚えたのだ。

 難しい言葉しってる私はかしこいよな、ほめろ。

 

 

 ……つまりは超手加減するために、手頃な布を振り回す事にしたわけである。

 そんな超手加減されたゴアと子供の手が偶然にも釣り合って、何が起きたのかといえば。

 

 ──ビリッ。

 

 音が聞こえた時には、柔らかなワンピースは無惨にも引き裂かれてしまったのである。

 

「あっ」

「あ」

 

 子供は驚き、ゴアは淡白に、それを認識した。

 子供の手がワンピースだったものから離れ、裂けた生地とちぎれた肩紐が、だらりとゴアの手にぶら下がる。

 それでもゴアからしてみれば満足だった。だって周りの景色が、奥行きが、地形が、酷くぼやけてしか視えなくなったのだから。つまりは鱗粉を上手く散らせたという事なのだから、ゴアに不満はない。

 そもそも服なんてもの、最近身につける文化を学んだくらいなんだから愛着というのもなかった。

 とある1着は除く。

 

「ごっ、ごめっ……!」

「気にするな」

 

 だから子供の言葉を遮って、拙い手つきながらも袖を通し直す。それでも片方の肩紐を頼りに乗せているだけのようになって、風が吹けば暖簾のように翻るそれを服と呼べる者は限られるだろう。

 

 ゴアはそんな布切れを身に沿わせたまま、次の事を考え始めた。

 第一に帰る方法である。

 鱗粉を撒いてはいけないのなら翼は使えない、翼が使えないなら空は飛べないし周りも見えない。見えないなら歩いて帰る事も難しい。空からならともかく、ゴアはH.A.N.D.までの道程を知らないのだ。

 ゴアは人間の姉に、弟を助けてほしいと願われた。それに応えた自分は弟を連れて帰る必要があるのに、1人で帰ることも満足に出来ないと気付いてしまった。

 

(…そういえば、歩いてどこかへ行ったの、リンと電車に乗った日しかないな。そのうち会いに行くかな……)

 

 思い出されるのは、ドレスを手に入れた日のこと。

 あの日、ゴアはずっとリンに導かれていた。時折に手を引かれたりもして、リンがゴアを初めてルミナスクエアに連れ出してくれたのだ。

 更にいえば、二度目に外出した時もルミナスクエアで、その時は悠真に手を引かれて歩いた。

 ゴアは、自分の足だけで街に出た事がなかったのだ。

 

 これはどうしたものかと、帰る方法に悩み始めたゴアのボヤけた視界に気になる動きが視えた。

 子供が、手を胸や腰のあたりでしきりに動かして、本当に変な動きをしているのだ。

 

「なにを……」

「あった!」

 

 ゴアが問うよりも早く、子供は何かを高く掲げた。

 あまりに小さいのか、ゴアにはその形が認識できなかった。既に散らしてしまった鱗粉の、手のひらにも2,3粒しか残らないくらいの濃度では子供の形でさえ酷く曖昧なのだ。

 

「……アンタ、やっぱり見えてないのか?」

 

 丸と四角の集まりが、頭らしいところを傾けてゴアに問いかける。ゴアはそれに頷いた。

 

「やっぱりか…ただ、途中からしか見てないけど僕を攫ったソイツらを壁に刺した時は絶対見えてた動きだったから、ただ見えてないってより、視覚に代わるもので周りを見てる感じ? たとえばさっきの粉とか? シリオンだもんな」

 

 今度は2回頷いた。

 

「なのにさっきその粉を散らしたのは、僕が吸ったらマズいから? そういうシリオンがいるって、前にテレビで見たことがあるんだ。やまあらしのじれんま? って言ってた」

 

 3回頷いた。

 

「お前、すごいな、ホントに子供だ」

「友達は子供らしくないって言うけど……??」

 

 ゴアは驚いていた。

 ゴアにとって子供というのは『ボンプは知っている』に出ていたような、ゴアにも分からないような言葉をスラスラと喋る彼らだった。

 それが目の前に本物が現れたようで、感動までしていた。もちろんそんな子供が少数派である事実には気付いていない。

『ボンプは知っている』の彼らは役者で、目の前の子供は出で立ちが特殊で、たまたま似たような"子供らしくない・大人っぽい"性質を持っていただけである。

 生後まもない子竜に認識の盛大なズレが生まれた事など知る由もなく、会話は進む。

 

「これ、触ってみてくれ」

「うん? うん」

 

 ゴアは子供が差し出したそれに手を伸ばす。

 一度目は空を切り、二度目は通り過ぎて手首に触れて、三度目でようやくそれに指先が触れた。

 それから形を確かめるのに両手で触れて、紙よりは固く石よりは脆いそれを指でなぞる。

 それは細長く、子供の手に収まるほどの小さな板が、2枚合わさった何かだった。ゴアの知らない物だ。

 

「何だこれは」

「ただのヘアピンだよ…ただの」

「へあ、ぴ…? なんでだ?」

「今僕が持ってる物でそれを何とか出来そうなのがコレしかなかったんだ、少し動かないでくれる?」

「あぁ」

 

 初めと違って落ち着いた様子の子供に害意はないと見て、ゴアは翼を一欠片として動かさないようにして待った。少しすると、服が引っ張られる感触がして、その後からは服が風に揺らされる感覚が無くなった。

 

「ほんとは髪を留めるものだけど、服だって留められなくはないんだ。……さっきはごめんなさい、怖がったりして」

「いい、気にしてない」

 

 おぼろげな輪郭の頭らしいところに手をおくと、子供の両手がその手に重なった。

 子供は唐突に自分の頭の上に置かれた手に困惑していたものの、その手を振り解こうとはしなかった。

 子供に分かるはずも無いことで、伝わるはずも無いことだけれど、ゴアにはそれが嬉しかった。

 

 自分の為に何かをしてくれた。それへの感謝の気持ちを伝えるのに、褒めるように頭を手のひらで優しく撫でる……ゴアが竜であった時によくされていた事で、小さくも温かい手はお気に入りだった。

 竜は人の形になってから、いつかそれと同じ事を自分でやってみたいと夢見ていた。

 彼や彼女がしてくれた事を、今同じように出来ている。人になった竜には堪らなく嬉しい事だったのだ。

 

「あの……お姉さん?」

「ん? あぁ、わるい」

 

 うっかり一人の世界に夢中になってしまっていたのを、かすかな温もりを口惜しく思いながらも手を離す。

 

(…うん、悪くない。蒼角と悠真にもやろう、会えたらリンとアキラにもやってあげたいな)

 

 揺れる尻尾を片手で抑えつつ、最後のひと握りまで温もりの抜けていく手を閉じ開きして、これで満足といって子供の顔を視る。

 相変わらず閉じた目に見えるのは、真っ暗な黒に微かな灰色の、ぼんやりとした空間の輪郭に混ざってしまいそうな小さな人の形だけだったけれど、それでも不思議と愛らしく見えた。

 

「お姉さんは、ほんとに姉ちゃんに言われてきたの? 姉ちゃんは無事なの!? 姉ちゃんは今どこにいるの!? 僕みたいに攫われたりしてない?!」

「まて、まて、わぁっと喋るな。耳がキンキンする」

「ご、ごめんなさい……」

 

 なにより最初の威嚇的な態度よりも、今の方がずっと自然に見えて良い気分になった。

 ゴアにとって兄妹という関係性はそれだけで尊いものなのだ、互いを案じる姉や弟を見るだけでも昔を思い出して、ぽかぽかとした良い気持ちになれる。

 

「弟、お前を姉と会わせたいんだが……」

 

 自分にも兄妹が欲しいなと思いつつ、ゴアは簡単にH.A.N.D.に戻りたい旨を説明した。

「H.A.N.D.に姉がいる」

「道が分からない」

「手を引いて連れて行ってほしい」。

 内容にすればそれだけというか、接続詞を省いて会話をする癖のあるゴアの話は文字に起こしてもそれだけだったけれど、同年代よりも聡く子供らしい(らしくない)少年はそれでも理解を示した。

 そして話を聞き終えて、難色を示した。

 

 

「ごめんなさい、僕H.A.N.D.への道は分からないや。だいたいここが何処なのかも分からないし……」

 

 驚愕の事実、2人して迷子。

 

「なん……だと……」

「僕は澄輝坪(ちょうきへい)の方に住んでるから、その辺の地理ならバッチリなんだけど…大体姉ちゃんの方が出稼ぎに出てる方だから、僕はこんな都会あまり来ないんだよ」

「ちょーきへい?」

「ちょうきへいだよ、衛非(えいひ)地区の方にあるんだ。小学生でも社会の勉強で習うとこだよ、お姉さんひょっとして郊外出身とか?」

「こう、がい……??」

「え……」

 

 行き詰まった2人が現実逃避といわんばかりに会話の目線を『迷子』の2文字から逸らしていたところに、ゴアの背後…路地の出口からハイヒールの乾いた音が一歩分、聞こえた。

 未だ開かぬ目の代わりに発達した聴覚がそれを確かに捉え、ゴアは即座に振り向いた。

 

「わぷっ、髪がっ……お姉さん? どうしたのいきなり……」

 

 振り向かれた長髪が子供にかかるも、振り返った先に人影はなく、狭い路地の出口の先にはまた別の路地が見えていて、ひとつの角が死角になっている。

 そこまでの距離は今のゴアには認識できず、ゴアからすれば暗闇同然。

 

 再度耳を立てても、もう音は聞こえない。

 であれば今度は嗅覚を…と鼻を2,3動かすと、不思議な事に嗅ぎ覚えのある匂いがした。

 しかしそれが誰か、すぐには分からなかった。

 自分の知っている匂いに、果実のような匂いが後付けされているような、そんな匂い。

 月城柳などが身嗜みといって軽く付けていた『香水』というものなのだろうが、その奥の匂いの主が、どうにも分からない。知っているのに、最近は嗅いだことのない匂い。分からないというよりむしろ……

 

(……()()()()()()??)

 

 人になるより前の記憶が知っている匂いだった。

 

 

「……ごめんなさい、隠れるつもりはなかったのだけれど。よかったら、案内するわ?」

 

 

 そんな思案をしていたうちに、匂いの主が角から姿を現したらしい。

 ほとんと死にかけになっていた鱗粉が一片でも触れたのか、子供よりもひどく朧げながらも人らしい形が見えるようになる。

 子供よりも、ゴアよりも背の高い女の形。

 

「あっ!」

 

 ゴアの影に隠れていた子供がその主を認識すると同時に、匂いの元が近くなった事でようやく、ゴアは思い出すことができた。

 

()()()()さんだ!」

「あら、私を知っているの?」

 

 子供が喜び跳ねて、長身の女性に駆けていく。

 アストラと呼ばれた女性は長い脚を畳んで、子供を受け止めた。ちょうどそれくらいの大きさだったのだ、ゴアの知っている匂いの形は。

 

 かつて少女だった彼女は無邪気に喜ぶ子供を抱き上げて、ゴアの()を見てからは何度も息を詰まらせそうになりながら、それでも口を開いた。

 

 

「……ごめんなさい、その、えっと、初対面ですごく…すごく変な事を聞いてしまうのだけれど、っぐ、貴方に……貴方に、お姉さんはいたかしら……?」

 

 

 それは歌姫にとって、ステージに立つよりも、怒ったら怖い監督に謝るよりもずっと、喉から声を押し出すことが苦しいものだった。

 なぜなら『帝光の歌姫』でも『凛とした女優』でも『やんちゃなお姫様』でもなく、ここに居るのはなんでもない、ホロウ災害に巻き込まれた小さな女の子の続きなのだから。

 けれど、でもだってあんまりにも似ているものだから、聞かずにはいられなかったのだ。

 

 少女の問いに望む答えが返ってくる事は無い。

 少女が見ているシリオンにも、竜にも、姉などは存在しない。ゴア・マガラという個人にはそれを淡白に伝える事も出来たはずが、そうしなかった。

 

 

 暫しの沈黙が生まれて、ゴアが微かに唇を開く。

 

 

 ──ゴアは、考えた。

 いつものように喋ることが、自分本位で喋りたい事だけ喋るような、楽な答え方をする事を()()()()

 竜であった頃から人と生活を共にしても、根本として人外であったゴア・マガラはこれまで人に寄り添うことはあっても、配慮はしなかった。

 出来なかったとも言える。

 人間の心情というものをついぞ理解できていなかったために、言動の節々で悪く言えば傍若無人ともいえる上位者然としたそれが抜けていなかった。

 

 そんなゴア・マガラが今、喉まできていた「姉などいない」という言葉をそのまま吐いたら、目の前の少女は傷ついてしまうんじゃないかと思ったのだ。

 そしてそれを嫌だと思った。

 けれど姉が居ると、嘘をつくのも嫌だと思った。

 

(…きっと、この子は勘違いをしている)

 

 自分の人としての形は、およそ取り込んだあの女性の形に似ている。

 それでいて躯体はあの女性よりも小さい。少女と女性に面識があったなら、自分の事を女性の妹だと思っても仕方がないのかもしれない。

 そう考えた。

 

 ゴアにしては珍しく正解だった。

 

 

 なら自分はどう答えるべきか、ゴアは考えた。

 考えるは疲れること、考えずに答えてしまえばずっと楽なのに、それをするのが嫌だから考えた。

『特別』を傷つけたくなくて、考えた。

 

 そうして、ようやく

 

 

「大きく、なったなぁ……」

 

 

 素直な気持ちだけを、言葉にした。

 

 

 

*1
母親ではない

*2
クンチュウのこと。嫌われ者である。くたばれ

*3
母親ではない





人らしく成長していく過程は拙くても描写していきたい所存。拙者 上位者が人間らしくなっていく過程大好き侍。

ゴアちゃん→雲嶽山
・存在を知ったら目をキラキラさせる。兄弟子とか妹弟子とか、何それめっちゃいいじゃん。
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