黒蝕竜現る   作:ヒゲホモ男爵

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遅筆でごめんなのだ。



【3-2】朱鳶ママとアストラちゃん

 

 

 治安官朱鳶は今、緊張の只中にあった。

 強ばった肩から力を抜けず、おめかしされた衣装にも落ち着かず、尋常ではない喉の渇きを手元のドリンクで潤そうにも、すぐに飲みきったらはしたなく思われると思いチビチビと口に含み、味さえ分からずまた喉が渇きの繰り返し。

 椅子の背もたれにピッタリとつけた背中にはべったりと汗をかいていた。

 

 朱鳶は今、帝高グループが所有する権威の象徴たるスターループタワー。その上階、大型コンサートホールのVIP室に招かれていた。

 決して狭くはない朱鳶の自宅の総床面積よりも広く、柱も仕切りもない、第一印象が"とにかく広い"部屋。社交界めいた言葉回しの含蓄を持たない朱鳶にはそう表現するのが精一杯だった。

 黒服(SP)に恭しく頭を下げられて開かれた扉から正面は一面ガラス張りで、眼下にステージが一望できる。そして指が沈むほど座り心地のいいソファ、映画でしか見た事が無いような山盛りフルーツ、何も言わずとも注がれるグラス。見上げれば煌びやかなシャンデリアがあった。

 加えて、眼下のステージには誰もいないのだ。観客どころかスタッフさえ、地上から見た時は見上げきれないほど大きな建物だったというのに、道中で誰ともすれ違う事がなかった。

 建物丸ごとひとつ、貸し切られていたのだ。

 

 

 治安官として要人警護の任務にあたった経験のある朱鳶の目には、自分が招かれた部屋が群を抜いて金をかけられていることが理解できた。

 にも関わらず、朱鳶()を招いた本人は上座も下座もないソファに腰掛けて、「もうちょっと広い所の方が良かったかしら」と顔色ひとつ変えずに言うものだから、朱鳶の驚きを司る回路はショートしてしまった。

 

 

 朱鳶は、付き添い人である。

 招待人は帝高の歌姫アストラ・ヤオ。

 招待客は誰が呼んだか黒竜姫ゴア・マガラ。

 

 事の始まりは30分前に遡る。

 そう、たった30分前に。

 

 

 

 ▽

 

 

 

 治安局ルミナ分署。

 朱鳶がゴア・マガラとようやくまともな邂逅を果たし、自分の黒歴史を見られた事に赤面し、通報があって出動した、その5分後のこと。

 ひったくり犯を無事に確保した朱鳶・青衣・道中で買い出しから合流したセスの3人は分署に戻るやいなや、どうしてか受付で市民の申請を捌いている署長に出迎えられた。

 

「戻ったね朱鳶くん、ごくろうさま」

 

 署長がなぜ受付に?

 喉まで出かかっていた言葉を、署長のあまりにも真面目な顔に3人は揃って呑み込むしかなかった。これまで何度も見てきた作戦決行前の顔だった。

 更にいえば署長の隣にはゴア・マガラが居た。署長のように受付用の椅子にこそ座ってはいないものの、カウンターから身を乗り出して子供と戯れている。朱鳶と目が合ったタイミングで、空気を察した親が子を回収していった。

 

「……」

「……ふむ」

「……えーっと」

 

 状況を理解できず絶句する朱鳶。

 なんとなく察する青衣。

 それはそれとして初対面のゴア・マガラにそれとなく手を振るセス。

 三者は揃って、状況への言及を避けた。

 だって署長の顔が物語っている、面倒事だと。

 

「……まず、これはゴアくんに寄与される携帯だ」

 

 沈黙を破ったのは、必然的に署長だった。

 市民申請書類のようにカウンターに差し出されたのは、ごく一般的なモデルの携帯。既に電源が入っており、目を引くのは画面いっぱいに重ねられた不在着信の通知。

 それも非通知ではなく、新エリー都に暮らす者ならもはや誰もが知っている有名人の名前が表示されている。

 あまりにもビッグネームすぎて、朱鳶は署長の胃の痛みが少し分かる気がした。

 

 朱鳶の心境を察してか、署長が大きなため息を吐いた。普段は厳格が服を着て歩いているような人が、作戦決行前の指揮所で激を飛ばしていた人が。

 

「……(愚痴)を、聞いてくれるか」

 

 署長の小さなつぶやきに、NOを返せる者はいなかった。だって目の下のクマがうっすら見えてしまったから。

 

 

「大前提として…もはや言うまでもないが彼女(ゴア・マガラ)に明確な組織所属はない、強いて言うなら所属は『新エリー都』だ、現実の管理はH.A.N.D.・学会・治安局の三すくみ、政治的な事を言えば市政(メイフラワー家)財政(TOPS)中立地点(火薬庫)だ。だから覚悟はしていたんだ理解はしていたんたんだ一時的とはいえ預かるとなったら大変なことくらい上層部と他機関への報告が大変なことくらい」

 

「しかしこれは……これはなんだ?」

 

「どうせ密約でもあったんだろうな、だが聞いていないぞこんな大物が脈絡もなく出てくるなんて、どっから出てきた?H.A.N.D.から直々のご指名でこの大物とゴアちゃんとの連絡手段の確立と自由会席の許諾をしろなどと……初めの頃のトップシークレット扱いはどこにいった!奴らはゴアちゃんをステージにでも立たせたいのか!スケジュール管理がパァだパァ……」

 

 

 署長が、心労で壊れてしまっていた。

 

 もはや誰も、署長がゴア・マガラをちゃん付けして呼んでいる事実には触れなかった。

 触れてあげない方がいい事くらい分かっていた。

 署長は受付のカウンターに突っ伏し、拳を打ち付け、嗚咽しながらさらに強く携帯を押し出すだけになってしまった。ゴア・マガラに付随してやってきた業務量とそれに見合わぬ強大な責任に精神を揺さぶられてしまったのだ、そこに膨大な量の不在着信を聞いていたのだとすれば……心中察するに余りある。

 直接的にゴア・マガラのせいではないとはいえ、ゴアはそんな署長を宥めていた。自分が原因で苦しんでいる人をゴアは放っておけなくなったのだ。

 

 それでも不意に、署長は起き上がった。

 瞳孔は開き切っていて、彫り込まれた笑みが顔にへばり付いていた。

 

「……ゴアちゃん、さっきのを頼む」

「いいぞ」

 

 そして、さも当然の様にゴアが差し出した尻尾の腹に顔の半分を沈めたのだ。

 目の前に部下がいるにも関わらず。

 

うふぁひえあ(歌姫は)いあふふほあんあおごほほうあ(今すぐの談話をご所望だ)うあえおいえいう(迎えも来ている)ううにいあういえうあっえふえ(すぐに支度して向かってくれ)。……っぷぅ、朱鳶くんは同行するように」

「……………………はい」

 

 最後だけ尻尾から顔を出した署長は、どこか表情が和らいでいたような気がして、されど朱鳶は記憶の抹消を選択した。

 ……上司の嗜好など、知らない方がいい。

 

 

 そうして朱鳶は署長の修理を青衣とセスに丸投げ……もとい託し、ゴア・マガラと共にイヴリンと名乗る迎えの人に招かれるまま、車に乗り込んだ。

 そして、「流石にワンピースひと切れと治安官の制服ではドレスコードとして問題がある」というイヴリンにされるがまま着替えさせられ……結局ゴア・マガラは着替えさせられることを嫌がって、朱鳶だけがパーティドレスに袖を通すことになった。

 

 そしてスターループタワーに到着したのが数分前。無口なイヴリンの後を追う間には他の客人とすれ違う事もなく、あらゆる角と扉に置かれた見張りの黒服(SP)に見送られるばかり。

 最後に朱鳶達を迎えたのは、五人のSPに囲まれながらも、とても堅苦しい礼儀など気にしそうにはない天真爛漫な歌姫。

 そうまでくれば、朱鳶は自分達に求められたドレスコード(貴人礼儀)が、アストラ・ヤオの意向では無いことくらいは分かってきていた。

 

 傍目に見ても表裏のない天真爛漫な歌姫からの誘いというには多すぎるSP、給仕のフリをしていて部屋から出ようとしないSP。そしてその誰もが防弾チョッキを着込んでいる事を朱鳶は見逃さなかった。

 

 ……どこの誰でも上の意向というのには逆らえないのだと、もう何度目かも分からない誰かの暗躍に朱鳶は辟易するのだった。

 

 

 

 ▽

 

 

 

 そして今。

 朱鳶の眼前には女子会があった。

 

 

「見て!猫がくるくる回ってるの!」

「なんで回るんだ?ウラガンキンみたい」

「なんででしょうね〜、でも不思議とハマっちゃうの!それで?うらがんきんってなぁに?」

「硬くて顎がデカくて回るヤツ」

「それってかわいいの?」

「ブサイク」

「ブサイクか〜♪」

 

 アストラとゴアの2人が、顔を寄せあって携帯で動画を見ていた。

 これほど豪華な部屋で、これほど大きな部屋で、2人は身を寄せあってソファで携帯の画面に釘付けになっているのだ。ドリンクや果物には目もくれず、本来ステージを見下ろすためのVIP室にあって、本当に他愛もない会話を重ねているのだ。

 まるで旧友であるかのように。

 さらに言えば、見間違いでなければアストラの方から身を寄せ付けている。そしてゴアは微塵も嫌がる様子もなく受け入れて、翼爪が当たらないように避けてさえいる。さらには朱鳶が聞き及んだ話であれば誰であれ初対面は会話にさえ苦労したというゴアが、アストラには友好的に笑みを見せている事が驚きだった。

 朱鳶の知る限りホロウとH.A.N.D.以外をまともに歩いた事がないはずなのに、市街地だってH.A.N.D.の職員と試験的に一度歩いたきりのはずなのに。

 帝高の歌姫アストラ・ヤオと知り合う機会などなかったはずなのに、だ。

 

 ──しかし、しかし。

 

 

(……本当に楽しそう)

 

 

 ゴア・マガラは、瞼こそ閉じてはいるものの表情が豊かな方である。

 しかし今にゴア・マガラが浮かべるそれは、青衣と一緒になって笑っていたものとは全く別物で、より深い親愛が滲み出ていたのだ。

 故に、本当の意味での旧友に見えた。

 

 朱鳶は不意に、級友の雅の事を思い出した。

 流行りの動画で盛り上がる2人の姿に、自分達と同じくらい……もしくはもっと長い間紡がれてきた絆が見えた。それは互いが互いを尊重しあい、想い続けた先にのみ形作られる親愛の形。

 誰の目にも明らかなほど、アストラからの矢印(想い)が強い形の親愛。

 

 それは尊ぶべきもの。

 それは詮索すべからざるもの。

 それは損なわれてはならないもの。

 

「ね、アストラ」

「ん、なぁに?もう一回呼んで?」

「アストラ」

「……ふふ、もう一回♪」

「あーすとら」

「ふふ、うふふふ♪」

 

 そんな二人の様子を見ていて、朱鳶の緊張はすっかり取れていた。

 それでもやっぱり喉は乾いていたのでグラスを手に取ろうとしたら、給仕SPにおかわりを勧められて現実に引き戻された。

 だがグラスは朱鳶が少しずつしか飲んでいなかった事もありほぼ満杯である。しかし朱鳶はこういった場での作法に疎いので、満杯でもおかわりを勧められるとか、それに対する定型の受け答えがあったりするのかも、と考え……とりあえず今ある分を飲み干しておかわりを受け取ろうとした。

 

「お待ちください」

 

 それを止めたのは、ここまで壁に背中を預けて閉口し続けていたイヴリンだった。

 イヴリンの声はよく通る。快談に盛り上がっていたゴアとアストラの2人も、朱鳶を中心とした話に視線を向けた。朱鳶は2人の邪魔をしてしまった事が気まずくて仕方がなかった。

 しかしこの場の誰よりも顔が険しかったのはイヴリンである。

 

「お前達、いい加減に部屋から出ていけ」

 

 イヴリンは朱鳶とSPの間にあわや押し入る所まで詰め寄り、四隅で柱のように立っていた四人と給仕一人に向かってそう言った。

 五人のSPが歌姫アストラを警護するために近くにいることくらい朱鳶にも分かる事だ。当然SP達のサングラス越しの顔には困惑と反発の色が出ていたものの、イヴリンの主張が曲がる事はなかった。

 むしろ驚いた事に、次の一言で本当にSP達は退出してしまったのだ。

 

 

「お前達が何人いても肉盾にすらならない、力の差が分からないようなら出ていけ。防弾チョッキなど()()の前では紙切れも同然だ」

「……あなたがそう仰るなら」

 

 

 SPの一人が短く答えて、五人全員が本当に部屋から出ていってしまった。

 朱鳶はこのイヴリンという人物を初見で"できる"側の人間だと察してはいたものの、どうやら所属内での地位もかなりあるようだった。

 アストラ(警護対象)からの信頼も同様に。

 ……しかし、それはそれとして疑問は残る。

 

「イ〜ヴ、顔が怖いわよ?」

 

 アストラがゴアから離れ、イヴリンの前に進み出て、両手を包むように握るのが見えた。

 SP達を退けるのに険しくなっていたイヴリンの顔が、花のように柔らかくなった瞬間も。

 

「申し訳ありませんお嬢様、お二方にも。聞き耳を立てられているのは不快であろうと思いまして」

「ふふ。否定はしないわ、ありがとうね。でも良かったらイヴもこっちに来て座って?」

「いや、でも私は……ちょっ」

「いーから♪」

 

 アストラはイヴリンの手を引き、半ば強引にソファに連れ込んだ。扉に近い方から"朱鳶・ゴア・アストラ・イヴリン"と、実に話しやすい並びが出来上がる。

 つい先程、イヴリンがSP達を退出させた瞬間までは剣呑な空気があって、アストラの言う通りに怖い顔があったというのに、歌姫は天真爛漫(とびきり)の笑顔でその全てを和ませてしまったのだ。

 

(……さすが大スター、すごい)

 

 さて、気を取り直してグラスを取ろうとした朱鳶の手が、綺麗に空を切った。

 

「……あれっ」

 

 見るとグラスの影も形もない。

 しかし朱鳶は見逃さなかった、視界の端から逃げ去る黒い尻尾を。

 なんと器用な事か、朱鳶の背後に尻尾を回して反対側からグラスを盗り去ったのだ。

 気付いた時には既にゴアはグラスをあおっていた。

 

「あっこら!」

「だってちょこちょこしか飲んでなかったから、不味いのかなって。だから飲んであげた」

 

 不味いだなんてとんでもない。

 それは朱鳶が一応勤務中である事も考慮されてのノンアルコールのうえ、とても喉越しの良い果実水である。帝高(金持ち)は伊達ではない。

 いやそんな事はどうでもいい、理由はどうあれ人の物を当人に何も言わず取るのは、極論窃盗なのだ。

 

 ゴアが人の物を本当に盗るなんて、人柄を見ればそんな事はしないだろうくらい朱鳶にはわかる。

 確信だ、だってこの子は良い子だもの。

 でも"盗る"以前の、"取る"事に躊躇がない、それはいけない。いつか本当に盗ってしまいかねない。だから早いうちに矯正しなければならないのだ。

 

 

「ゴアさん、それを返してください」

「ん?うん……」

 

 はっきりと声を低く強くして、手を差し出す。

 思った通りに素直なゴアはグラスを朱鳶に返した。しかしそれだけでは不足している、理解が圧倒的に。

 

「ゴアさん、これはいけない事です」

「そうなのか…」

「そうなんです、人に相談も許可もなく物を取ることは犯罪です、やってはいけないことです。たとえそれが相手を想ったゆえの行動であっても、せめて一言言わないとダメなんですよ」

「……そうか、悪かった。もうしない」

「分かってくれれば、いいんですよ」

 

 首尾よくゴアの理解を高める事が出来て、朱鳶は安堵した。きっとこの子はこれまで傍に付き添って教え続けてくれる手本が居なかっただけなのだ、自分は仮にも母親らしい事ができるのだと。

 しかし朱鳶は失念していた、ここが社交の場であることを。

 

「ふふ♪なんだか親子みたいね?」

「えっ?……あっ」

 

 すぐそばに、アストラとイヴリンがいるのだ。

 朱鳶から見ればゴアは子供であるので、子供の躾をする事自体は何ら問題はない。

 しかしそれを他者の目あるところで、かつ招かれた場所でやるというのはあまり推奨されることではなかった。更にいえば朱鳶にとっては子供でも、アストラやイヴリンにとってゴアは立派に客人である。

 たしかに人のドリンクを勝手に飲むというゴアの行いはマナー違反であるが、とある漫画家が言っていた言葉を引用すれば、マナー違反をその場で指摘するのが最もマナー違反と言える。

 

 招待主のアストラやイヴリンに直接の迷惑をかけていないのだから、後にすればよかったと朱鳶は顔を赤くした。

 

「しっ、失礼しました!お見苦しいものを…!」

「あらあらいいのよ、保護者さんって聞いていたけれど……仲が良いみたいで」

 

(……な、なんでしょう、マナー以外の何かでチクチク刺されている気がします…!というかどこまで知っているんですかこの人……)

 

 

 朱鳶は、聖母のような笑みを崩さないアストラがどこか恐ろしく思えた。

 笑みに含みがあるというか、なんというか。

 ……凄みがある。

 

 ──ゴア・マガラの存在自体は、ゴアの初期発見以後しばらく続いていた情報規制もむなしく、いまや大衆に周知されてしまっている。

 初めは噂話にはじまり、情報のリークと報道者の動向によって信憑性が増し、最終的に上層部が存在を隠匿し続ける事が出来ないと判断して、ゴア・マガラという存在が事実であることは遠回しに公表された、それが少し前の事。

 しかし公表されたのはゴア・マガラという存在が居る事やその特異能力であって、名前や顔まで割れた訳ではない。そりゃあ黒い翼と尻尾とかいう超特徴的な容姿から連想バレされる事は朱鳶にも容易に想像はついたものの、朱鳶にとっては歌姫アストラがそれをできる事に驚いたのだ。

 

 なぜならゴア・マガラの容姿に関わる情報は、公式から発表はされていない。

 それは、閲覧数こそ飛び抜けて多いものの、変わらず違法サイト(インターノット)のみの情報なのだ。

 アストラがそこから来る情報を仕入れていることが、朱鳶には驚きだった。

 

 というかそれ以上に、朱鳶がゴアの書類上保護者になっている事などインターノットにすら載っていないはず。それに該当する情報は過去の事件報告にしかないはず、それも限られた所にしか保管されていないのに。

 画面の向こうでいつも輝いていた歌姫の暗い部分が見えた気がして、朱鳶は身震いした。

 

 

 ちなみに正解はイヴリンの手腕である。

 アストラはイヴリンから話を聞いただけ。

 ゴアに対して立派に母親をやっている朱鳶にジェラシーを感じて、ちょっといたずらっぽく、演技力を活かしてそれっぽく見せただけである。

 朱鳶の思い過ごしをしていただけだった。

 でもいちエージェントに平気で情報を抜かれているお役所は危機感を持つべき。

 

 伝説のプロキシが動いている、なんて噂もあるくらいなのだから。

 

 

「……ところで、そこの機械さんはお喋りに参加してくれないのね?」

 

 

 朱鳶が内心落ち着かずにいたところ、アストラが不意に指さしたのは【鱗粉隔絶翼膜可変装備,律式型-壱式:双観測コア】……長いので朱鳶が個人的に『()っちゃん』と呼ぶことにした黒柱型の機械である。

 ソファに腰掛けるゴアの背後で、律ちゃんは物静かにしていた。

 朱鳶達と初対面した時のようにレンズが露出していることもなく、ふわふわ浮くことも喋ることもなく、ソファの背もたれに収まりきらず飛び出しているゴアの翼の下にあった。

 そうしていると本当に、ディテールが多いくらいしか特徴のない真っ黒な柱にしか見えなかった。

 

 しかしゴアの視界を担っている()の機械は絶えず稼働しているので、例えるなら空気清浄機のような駆動音だけが聞こえてきていた。

 アストラはそれに話を振ったわけである。

 

(あれ、なんで律ちゃんが喋れるって知って……?)

 

 朱鳶は疑問をひとつ抱いたが、もう考えても仕方がない気がしたので途中で放棄した。

 きっと業界特有の情報とかあるんだろうな……と自分を納得させる事にした。刑事ドラマでそういうの見たことがある、そう思う事にして、ゴアから返されて自分の手にあった空のグラスを置いた。

 これ以上ドリンクに逃げるのには限界を感じていたのだ、主にお手洗い的な意味で。

 

 

「…………」

 

 

 沈黙を続ける律ちゃん。

 ただ、上角の辺りにマイクとスピーカーそれぞれの消音(ミュート)マークが点灯している。

 

「こいつならさっき、"ぷらいばしーろっく"とか言って黙っちゃったぞ」

 

 指先で律ちゃんをつつきながらゴアが言うには、プライバシー保護のために口と耳を塞ぎ、外殻を閉じたままにすることで(レンズ)を覆っているらしかった。

 

 …少し前までゴアの一挙手一投足は全て記録と報告がされていた、それこそ入院当初のカルテや摂取した食事、トイレにシャワーに就寝といった生活サイクル、どこに行って何を話したかまでもほぼ全て。

 それを引き継ぐと言って眼前にあらわれた機械に対して朱鳶は少なからず嫌悪感を抱いていたのだが、ゴア・マガラ発見当初と比べるとかなりの人道的配慮が加えられているようで、朱鳶は好感を抱いた。

 

 朱鳶にとってゴア・マガラがこれまで置かれていた環境は、六課という一部例外を除けば実験動物に対するそれと変わらないものだった。そう認識している。

 故に朱鳶の目標は、ゴアを一般市民に戻すこと。

 

 その一番の障害たる上層部、決して現場に出ることのない人達のゴア・マガラに対する体のいい装置利用(首輪繋ぎ)の目論み、その象徴と言っていい黒柱が言った『記録と報告』。

 何を記録しどこに報告しているかは全く不明瞭、そんなものに朱鳶は心の奥で、敵対心すら持っていた。

 

 それが今は沈黙している。

 機械が自分で判断したか、それとも帝光の人間が申し立てたか。どちらでもよかった。

 なら、ならばと朱鳶は立ち上がった。

 

 

「じゃあ、もうお邪魔虫は居ないってことですね!」

 

 

 朱鳶はツカツカとヒールを鳴らして離れた所にあった給仕の台車──の上にあった果実水をボトルごとふん掴み、空のグラスになみなみいっぱい注いで、高く掲げた。

 朱鳶の突然の奇行に目を丸くしていた三人だったが、そこには朱鳶の、ごく自然な笑顔があった。

 

 

「乾杯、しましょう!まだですよね!」

 

 

 朱鳶とは、ゴア・マガラの名義上保護者である。

 朱鳶名義でゴア・マガラの市民カードを発行し、新エリー都での身分を担保した朱鳶であっても、その立ち位置は里親よりも保護施設のそれに近いものである。

 何故なら、ゴア・マガラには本当の両親がどこかにいる──という仮説が否定できていないためだ。

 ホロウでひとり発見された十数歳の少女には、生死は問わずとも両親がいるはず。両親の生死がはっきりするか、一定期間後において両親が死亡扱いとなった後で本人の自由意志が行使されない限り、ゴア・マガラの"親類縁者"の欄に朱鳶の名が載る事はない。

 

 

 ──だがそれは、朱鳶が親として不十分であるという事を意味しない。

 

 

 朱鳶はあの日、ゴア・マガラを保護したその日から保護者に、親になると心に決めたのだ。

 ホロウの中を独り彷徨い、救助されたかと思えば誘拐され、新エリー都市民としての生活に入れるかと思えば利用価値があるからと平穏とは程遠いH.A.N.D.や軍部に軟禁され、またホロウに投げ込まれ。

 ……それは、多くの記憶を失った子供にはあまりにも酷な仕打ちなのだ。

 たとえ本人がどう感じていようと、ホロウ災害の解決にどれだけ役立とうとも。

 

 だってそれは本来、治安局とH.A.N.D.と防衛軍。平和な日常の中から、自分の意思ではずれた人達の仕事なのだから。

 だから子供は知るべきだ、忘れているなら思い出すべきだ。平和な日常の尊さを、何気ない会話の温かさを、自分の置かれていた環境の歪さを。

 

 知った上でなお、ゴア・マガラ本人がホロウに身を投じることを望むなら……それでいい。

 でも出来ることなら、叶うことなら……もう行きたくないと、言って欲しい。

 

 

 だから朱鳶は、楽しい思い出を沢山作ると決めた。

 戦場(ホロウ)に向かう足が重くなるように、ホロウに立ち向かう時の原動力となるように。

 

 それを他人に覗き見られるというのは我慢ならないけれど、この瞬間は誰にも見られることがない。

 自分がバカみたいにグラスを掲げている様も、歌姫やそのマネージャーがあっけにとられている様も、何より笑っている少女の顔も。

 

 全てが当然に、記憶だけに残るのだから。

 

 

(……どうか、ゴアさんにとって楽しいと思える日が、いつまでも続いたら)

 

 

 黄金の日でなくても、この願いは叶って欲しい。

 そう考えながら朱鳶はより高く、より楽しくグラスを掲げた。3人もそれに倣ってグラスを掲げ、さぁ乾杯の合図。

 

 

「乾──!」

 

 ──が、しかし。

 ゴアにとっての楽しい思い出作りの、最初の1ページ。それを飾ったのは朱鳶が思い描いていたような乾杯の図ではなく……

 

 

「ふぎゃっ!」

「ギャハハハハハッ!!」

 

 

 着慣れないドレスに履きなれないヒールを引っ掛けて盛大にすっ転ぶ朱鳶と、大口を開けてゲラ笑うゴア・マガラの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 





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