ジークアクス世界の闇堕ちアムロ 作:gジェネサイコー
ジオンを抜けるために必要なのは、信頼できる同志――それも、艦を保有し、部隊ごと脱出できるだけの「足」を持つ者だ。だが、そんな条件に合致する存在など、そう多くはない。
アシュレイ・ホーンは、調査資料の束を睨みながら唇を噛んだ。
名を挙げるべきか否か迷ったが、やがて一つの名前に辿り着いた。
シーマ・ガラハウ中佐。
ジオン公国軍突撃機動軍所属、権力しかないアサクラ大佐を差し置いて、海兵部隊の実質的な指揮官。ザンジバルⅡ級戦艦《リリー・マルレーン》を中核とする遊撃艦隊を率い、戦場を転々としながらも、一定の成果を挙げてきた人物だ。
「条件は、理想的だな……」
艦を保有している。指揮系統もほぼ掌握している。さらに、部下からの信頼も厚いとされている。
しかし――。
その名には、忌まわしい噂が付きまとっていた。
「コロニー・アイランド“イフィッシュ”に毒ガスを流したのは、シーマの部隊だ」
「人殺しを楽しむ女狐」
「外道の海兵上がり」
陰口と揶揄、蔑みと恐怖――その名は、まるで病巣のように軍の中で広がっていた。
だが、アシュレイには信じられなかった。
シーマは、自分の同期だった。
言葉遣いは悪かった。誰にでも愛想がよかったわけでもない。
だが、少なくともアシュレイの知る限り、彼女が無抵抗な民間人を手にかけたり、暴力的な問題を起こしたという話は一度として聞いたことがない。
「……彼女が、そんなことをやる人間だったとは思えない」
マハル――治安も経済も最底辺のコロニーに生まれたシーマは、常に上を目指していた。
上昇志向。それは出世欲と紙一重だったかもしれない。
だが、彼女はいつも「マハルを守るため」と言っていた。その信念を、アシュレイは一度として嘲笑う気にはなれなかった。
自分と同じく、“信念”の中で苦しみを抱えながら生きてきた女――それが、シーマ・ガラハウだ。
(俺は……彼女に賭ける)
もちろん、決断にはリスクがある。
彼女が本当に毒ガスを好んでやる虐殺家であれば、自分もその手にかけられるかもしれない。
だが、それでも――。
(誰にも頼らずにペッシェと彼女の母を連れて逃げ切るなんて、幻想だ)
現実的に考えれば、艦を保有する部隊と共に脱出するのが最善だ。
それを可能にする、数少ない希望が彼女だった。
すぐさまアシュレイは、技術部のつてでグラナダに駐留している《リリー・マルレーン》の所在を確認する。
現在、定期補給のためドック入りしているとのことだった。
そのタイミングを逃す手はない。
同期という名目で、形式的な再会の場を設ける。
アシュレイは通信端末を起動し、慎重に言葉を選びながらメッセージを打ち込んだ。
⸻
《差出人:アシュレイ・ホーン》
《宛先:シーマ・ガラハウ中佐(海兵遊撃部隊)》
『お久しぶりです。同期として、実戦部隊のことを聞きたくて連絡しました。
場所と時間は中佐にお任せします。
今、自分はグラナダにいます。』
⸻
送信を押したあと、アシュレイは息を吐いた。
この一通が、未来を変えるかもしれない。
(シーマ……頼む。あんたが、まだ信念を持って生きてるなら――)
俺に、力を貸してくれ。
艦内の明かりが落ち、静寂だけが空間を満たしていた。
その薄闇の中、シーマ・ガラハウは艦長室の椅子にもたれ、浅い眠りに身を沈めていた。腕を組んだまま、眉間には深い皺。額には薄く汗が滲み、唇がわずかに動く。呼び起こされるのは、繰り返し見る忌まわしい記憶――。
ザクの操縦席。
視界いっぱいに広がるのは、あの忌まわしきコロニー――アイランド・イフィッシュ。
「……散布、始めるぞ」
モニターに映るガス散布用のカプセル。
あれは確かに“催眠ガス”と聞かされていた。アサクラ大佐の命令で、住民を眠らせるために必要な手段――そう説明された。だが。
(妙だ……このカプセル、厳重すぎる)
中身が催涙ガスにしては、保管基準も異常だった。
けれど、命令は絶対だった。
命令だから。命令だから――。
散布は実行された。
だが次の瞬間、コロニー内部から届いた映像がシーマの血の気を引かせる。
――住民が、苦しみ、もがき、倒れていく。
子どもも、老人も、若者も。
叫び、泣き叫び、苦悶の表情でこちらを見上げる。
“ザクのパイロット”――自分を、憎悪の眼で。
「……っ」
頭が真っ白になった。
そうしているうちに、さらなる悪夢が上書きされた。
連邦軍の艦隊が、迎撃に現れたのだ。
「ジオンの悪魔め! こんなこと、人間のやることじゃねえ!!」
セイバーフィッシュのパイロットが、怒りと悲鳴の中で吠える。
それでも、自分は撃ち返さなければならなかった。
生き残るために、仲間を守るために、“私も知らなかった”と叫びながら引き金を引く。
「私は知らなかった……! 毒ガスだなんて――知らなかったんだよおおおおッ!!!」
――その叫びの最中、シーマは現実へと引き戻された。
「っは……」
呼吸が荒い。
頬に涙の跡があった。
眠ったまま、声が出ていたのかもしれない。
「……また、こんな夢を見たのかい、あたしは」
独りごちると、シーマは素早く立ち上がり、洗面台へ向かった。
冷たい水で顔を洗い、涙と汗を流す。
――誰にも、部下にも、こんな姿は見せられない。
タオルで顔を拭きながら、ふと脇の端末が光っていることに気づく。
「……メール?」
差出人を見て、彼女の目が細くなる。
“アシュレイ・ホーン”
――懐かしい名だった。
軍の士官学校で共に学んだ同期の一人。
優秀で、技術に秀でていたが、現場よりも裏方の技術畑に長くいた男。
いま、そんな彼が“会いたい”とメールを寄越してきた。
(場所の指定をあたしに任せてきた……ふん、こっそり話したいことがあるって文面だね)
シーマは、すぐに返信を作成しながら、行き先を決める。
《マハル・グリル》――古くから懇意にしている料理店で、店主の気配りで個室には完全な遮音が施されている。軍の連中と腹を割った話をするとき、よく使っている場所だ。
返信を送信したあと、タバコに火をつけて一服する。
煙を吐きながら、呟く。
「さて……同期とはいえ、この“悪名高い”海兵隊のあたしに、何の用かね?」
そしてゆっくりと制服のジャケットを羽織り、部屋を出る。
すでに、夜の帳はグラナダの街に落ちていた。
アシュレイ・ホーンは指定された店の暖簾をくぐり、案内された個室の前で一度だけ深呼吸した。
その奥には、かつての同期――いまや“ジオン海兵隊の悪名高い中佐”と囁かれる女、シーマ・ガラハウが待っていた。
扉を開けると、すでに彼女は一番奥の席に腰を据え、煙草を燻らせていた。艶やかさと、戦場の空気をまとった眼光。かつて教官すら怯ませた迫力は、今もなお衰えていない。
アシュレイが一礼しながら入室する。
「士官学校以来だな。……ガラハウ」
声をかけると、シーマは薄く笑って答えた。
「親交を深めに来たわけじゃないだろ? この悪名高い“海兵隊のあたし”を呼び出すなんてさ。汚れ仕事でも頼みたいのかい?」
「そういうわけじゃ――」
「おや? 違うのかい?」
テーブルに肘をつき、ふっと目を細める。「噂くらいは耳にしてるだろ? あたしがコロニーに毒ガスを流した“虐殺者”ってやつさ」
アシュレイはそれに怯まず、まっすぐ言った。
「君が、好きでやったとは思えない。命令だったんじゃないか?」
その言葉に、シーマは目を伏せ、ほんの一瞬だけ吐息を落とした。
「……だとしても関係ないさ。あたしがやったことは変わらない。今は戦後どう生き残るか、考えるので精一杯でね。だからさ、さっさと本題に入ってくれ。なんの用だい、ホーン?」
「……やはり君は、戦後“危ない立場”なのか?」
「当然だろ」
鼻で笑いながら、グラスの水を口に含む。「あたしが何を言ったところで、アサクラのバカは口を封じる。軍籍剥奪程度で済むとでも思ってんのか?」
「やはり……アサクラ大佐の命令だったんだな」
「そいつは、スペースノイドを同胞なんて言っておきながら、コロニーに毒ガスを流せと命じた男さ。今更、何を庇い立てする必要がある」
その視線は鋭く、試すようにアシュレイを見つめた。
「……あんたが、あたしに会いに来たってことはさ。何か“メリット”があると踏んでんだろう? そうじゃなきゃ、あたしみたいな“地雷”に近づくはずがない。もし見込み違いなら――あんたがここから生きて帰れると思わないことだね」
その目は、冗談ではなかった。
アシュレイはわずかにうなずいた。
「俺も……いつ殺されるかわからない立場だ。だから、君を裏切るような真似はしない。……信じてくれ」
「……技術士官のあんたが?」
そこで、アシュレイは静かに告げた。
「“ビショップ計画”ってものが動いてる」
シーマの瞳が怪訝に動いた。アシュレイは続ける。
「自然発生しにくいニュータイプを、人工的に“覚醒”させる計画だ。……方法は簡単だ。“ニュータイプの素養がある者”の近くに“最も親しい人間”を配置し、そいつを死なせる――それでショックを与えて、強制的に目覚めさせる。これが、ビショップ計画の全貌だ」
「……最低だね」
シーマは吐き捨てるように言った。
「で? あんたがその“近しい者”に選ばれたってわけだ。近くで死ぬ予定の“駒”ってわけね。実戦部隊入りして、仮に生き延びたとしても、暗殺の可能性はある。確かに……あんたの状況は最悪だ」
そこまで言って、彼女はさらに言葉を重ねた。
「けど、それはあんたの都合だ。あたしに何のメリットがある?」
「……俺が君を裏切ることはないと、どう証明すればいいか。まずはそこを考えたんだ。だから先に、“信頼”を作る必要があった」
「ふん……」
「それで――俺が君に提供するのは、サイコミュの研究データだ。これでも一応、技術士官なんでな。フラナガン機関が進めてる新型サイコミュ――コピーを取るのは訳なかった」
シーマの眉がわずかに動いた。
「……なるほど。確かに、連邦に売り込むには上等の手土産だ。で? その見返りは?」
アシュレイはまっすぐ、彼女に言った。
「俺の部下、ペッシェ・モンターニュと、その母親を……君の艦、リリー・マルレーンに乗せてくれ。幸い、2人ともグラナダにいる。実験が本格的に始まって仕舞えば手遅れになる」
沈黙。
シーマはじっとアシュレイを見つめた。
「その部下のために、あんたはジオンを裏切るってのか。……まさか、あんたの女か?」
「……戦友の、忘れ形見だ」
アシュレイの声は低く、確かだった。
「俺は彼女を託された。何があっても、助けたい。命に代えても守りたいんだ」