ジークアクス世界の闇堕ちアムロ 作:gジェネサイコー
強化人間が人として扱われることによって生まれた陰
ドゥー・ムラサメの回想
――今日もまた、サイコガンダムのパーツとなるための実験だ。
冷たい拘束装置が肌に触れるたび、ドゥー・ムラサメは安堵とも興奮ともつかない感情に包まれる。パイロットシートに座るというより、“収まる”という表現がふさわしい空間。彼女にとってサイコガンダムの中は特別だった。
ここでは、自分の境界が曖昧になり、意識が機体の隅々まで広がっていくような感覚がある。腕も脚も――時に“心”さえも、鋼の巨人と混じり合う。「僕」は機械で、「サイコガンダム」は「本当の体」。人間の体など、ただの心臓にすぎない。
(……なぜ、僕が実験体になったのかは覚えていない)
淡く白い髪の隙間から覗く瞳が、無表情に天井を見上げる。おそらく、コロニー落としで山ほどいた孤児の一人だったのだろう。誰にも拾われず、選別され、名前を与えられた。
ムラサメ博士――今はもういない、彼女の最初の“親”とも呼べる男は、ある日こう言った。
「ドゥー、お前には強化人間としての才能がある。だが、体がまだ弱い。今は負担の低い実験にとどめて、成長を待とう。お前の“本番”はそれからだ」
(あの人は、ゼロ・ムラサメの方にばかり熱を上げていたっけ)
ゼロ。自分と同じ「ムラサメ」の名を冠した少年。彼には体力も、精神耐性もあり、すぐにでも強化処置に耐えられた。ドゥーは知っていた。ゼロには、自分と同じだけの“光”が宿っていることを。
(だけど、僕だってそうなれるはずだ)
強化人間――それは人を超える存在。ニュータイプの可能性を引きずり出し、自らの意志で進化する者たち。ドゥーはそれを「真のニュータイプ」と信じ、自分もそうなれると信じていた。
けれど、数か月前。全てが変わった。
軍の指針が変わったらしい。きっかけは、ゼロ・ムラサメだった。
彼は“人間”として成果を上げてしまったのだ。実験体ではなく、兵士として、そして人としての価値を証明してしまった。それが軍にとっての“転換点”となった。
以後、軍は道具としての強化人間から、人間として扱える兵士の確保へと舵を切った。強化処置の再評価、倫理委員会の復活、マイルドな技術導入。道具ではない“扱い”が始まった。
だが、それは――
(……それは、僕の出番がなくなるということだ)
研究員たちは穏やかな口調で言った。
「もう実験は終わりだ。君たちは自由に生きていい。治療を受けて人として歩む道もあるし、自ら戦う意思があるなら軍学校に入る道もある」
その言葉を聞いた同胞たちは涙を浮かべ、顔を輝かせていた。まるで、ようやく「人間」に戻れたかのように。
だが、ドゥー・ムラサメの胸には苛立ちが募るばかりだった。
(……なんでみんな喜んでるんだ。僕たちは、ようやく「真のニュータイプ」になれるはずだったのに)
施術の継続はされないという。強化手術は今後一切行わないのだと。
――ゼロ・ムラサメには施したくせに。
(彼が「成功例」だったから? 「安定してる」から? ……結局、選ばれたのはゼロで、僕じゃなかったってこと?)
自分だって、まだ完全体になっていない。もっと施術を受ければ、もっと力を――。
(お願いだ、僕にも施してくれ。もっと力が欲しい。僕は、僕はまだ未完成なんだ……)
心の中で叫んでも、それが届くことはなかった。きっと医者たちは、僕を囲って、「普通の人間」に戻すための治療を始めるのだ。優しい言葉をかけ、穏やかな生活を与えて。
だが、それは――自分の「存在意義」を殺すことと同じだった。
「すぐに選ぶ必要はない。しばらくは自由に過ごしていい。時間をかけて、自分の意思で決めなさい」
研究員の一人はそう言った。やけに優しい口調が、かえって耳障りだった。
ドゥーはベッドに腰を下ろし、ぼんやりと白い天井を見つめた。
(……どうすればいいんだ。真のニュータイプになる道が閉ざされるなんて。普通の人間になるだなんて、冗談じゃない)
それでも腹は減った。仕方なく食堂へ向かうと、目の前に並んでいたのは、かつての味気ないレーションではなかった。温かく、香りも立つ、選べる食事――。
他の子供たちは嬉しそうにスープを啜り、笑い合っていた。けれど、ドゥーにはそれが一層堪えた。
(こんなもの、喜べるか……僕には……これは、壁だ。僕が「人間」に戻ることを当然のように求める、甘ったるい世界の象徴だ)
ドゥーは箸を置き、ただその場に立ち尽くした。
(僕は……どうすれば、「僕」でいられる?)
心の中で、誰にも届かない問いだけが、繰り返されていた。
研究所の通路には冷たい白色灯の光が差し込んでいた。いつもは静まり返ったその空間に、怒鳴り声が響き渡る。
「ここにいる強化人間を私のところに渡せッ!」
バスク・オムの怒声が、コンクリートの壁に反響した。軍服の肩章を揺らし、威圧的な姿勢で研究員たちを睨めつける。
「私の施設でも治療はできる! これは軍の損失を防ぐための正当な措置だ!」
研究員たちは目を逸らし、押し黙っていた。だが、1人の壮年の職員が恐る恐る口を開く。
「バスク中佐……申し訳ありません。かつての実験体の治療と保護については、ゴップ大将の命令で決まっております。我々の一存では、どうにも……」
その言葉に、バスクの顔がさらに歪んだ。
「ゴップの命令? あの甘っちょろい方針で何が守れると言うんだッ!」
だが職員は怯えながらも、それでも引かなかった。
「……我々も、かつてのようなことは、もうしたくないのです。孤児を使っての実験など……。ゼロが、人間として成果を見せてくれたからこそ、これ以上、新たな犠牲を出さずに済む。……それが我々の、せめてもの罪滅ぼしなのです」
言葉の端には、かつて自分たちが関わってきた行為への悔恨が滲んでいた。
職員たちの多くは知っていた。バスクのもとには、ムラサメ研究所のかつての同僚たちが再び集まりつつあることを。彼らは「勝つためだ」と言い訳しながら、子どもたちを、孤児を、喜々として使い潰していった者たちだった。そして――あの忌まわしい実験の延長線上に、また子供達を連れて行こうとしている。それだけはさせまいと職員達は必死だった。
しかし、ドゥーが背後の通路で聞いていた。壁越しに、声はすべて彼女の耳に届いていた。
(また……始まるの?)
ドゥーは、壁に背を当て、呼吸を整える。胸がきつく締めつけられるようだった。
かつて、「本物のニュータイプになるために必要だ」と教えられた処置の数々。サイコミュを通じた意識接続、精神投薬、神経接続。そのすべてを「正当な進化」と受け入れてきた彼女は、ゼロや他の実験体と違い、苦痛と感じていなかった。
そんな実験がやめられると聞き、自分の存在価値を奪われたかのように感じていた彼女にとってバスクの強化人間計画を再始動させようとする動きは天啓だった。
午後の陽が射す研究区画の裏路地。整備の手が回らないその一角に、軍服の裾を乱したまま歩くバスク・オムの姿があった。
「……使い物にならん。いい歳してお情けに溺れおって。強化人間を“保護″するだと?“治療“して希望する道に進ませるだと?冗談も休み休み言え……」
憤懣を抱えたまま歩いていた彼の前に、ひょいと影が現れる。細い体に白い髪、黒いマズルガード。色素の薄い肌と、憂いを帯びた目元――ドゥー・ムラサメ。
「強化人間計画を――また再稼働させるの?」
声は静かだったが、明らかに挑むような熱を帯びていた。
バスクの歩みが止まる。一瞬たじろぐも、すぐに冷笑を浮かべる。
「……なんのことだ? 私は治療施設の斡旋に来たのだよ。子供のようだな、お前は」
(……10代のガキか? だがこの眼、只者ではない。まだ計画の再始動を公言するのはまずい。ゴップの監視がある)
ドゥーはマズルの奥で息を整えると、一歩バスクに近づき、まっすぐに見上げて言った。
「ムラサメ博士が言ってた。僕にはゼロ・ムラサメに匹敵する素質があるって」
「……ほう」
バスクの目が細くなる。表情には出さぬが、内心では稲妻が走る。
(ゼロ・ムラサメに匹敵……? なら、この少女は黄金にも匹敵する価値を持つ。なぜ今まで表に出てきていない?……)
ドゥーはふと目を逸らし、吐き出すように言う。
「でも……この研究所ではもう施術はしない。“保護”とか“治療”とかばかりで、前に進めない。――あなたのところなら、私は……“真のニュータイプ”になれる?」
その声は、切実だった。望まれず生まれ、道具として扱われ、それでも“意味”が欲しかった。彼女にとって“真のニュータイプ”とは、存在証明そのものだった。
バスクはゆっくりと腕を組んだ。
「私のところなら……そうだな。お前のような素材は、久しく見なかった。ゼロ・ムラサメに続く“光”になれるかもしれん」
ドゥーは黙って彼を見つめていた。純粋な瞳が、腹の底に渦巻く思惑を知らずに――いや、知りながらも、それでも前に進むしかないと語っていた。
バスク・オムは笑みを浮かべる。
(ようやく見つけたぞ。ゼロを超える旗印になれる器を)
薄明るいジャブローの地下に、またひとつ、静かな狂気が芽吹こうとしていた。
バスクは冷ややかな視線をドゥーに向けた。だがその声音は、どこか慎重に抑えられていた。
「……お前を強化人間にするには、いくつか手順が必要だ。まず、形式上――お前は自分の意思でムラサメ研究所を出ろ。今後は、私の意気がかかっていない、そう見える場所へ向かうことになる」
ドゥーはバイザー越しの顔を見上げた。淡い白髪が肩先で揺れる。
「……私がやってみたい仕事のために、その研究所での治療を希望すればいいの?」
バスクは短く頷いた。
「そうだ。あの施設は“公的な職業訓練と治療の場”という名目がついている。形式的には、お前が社会復帰と再教育を望んだ、そう記録される。……あそこからなら、非公式にお前を引き出すのも容易い」
「ふふ……なるほど。ちゃんと考えてるんだね」
ドゥーは小さく笑った。その表情には、望んだものが与えられる喜悦が差していた。
医務室と実験棟の間に設けられた小さな面談室。その部屋には、白衣を着た数名の職員と、痩せた少女が座っていた。少女の顔は目元の隈とそばかす、それに不安定なまでに落ち着いた声が、彼女の異質さを際立たせていた。
「……つまり、自分で望んでこのプログラムを受けたいと?」
一人の職員が慎重に尋ねた。
少女――ドゥー・ムラサメは、小さくうなずいた。
「……うん。私、自分にできること、ちゃんと知りたいんです。人の役に立てるようになりたいから」
そう言った彼女の声には確かに揺るがぬ意志があった。職員たちはその言葉にほっとしたように表情を緩めた。ドゥーが望んでいるのは軍人ではなく、公的で穏やかな役職に就くこと――そう彼らは受け取った。過去に特殊な経歴を持つ少女が、自ら再出発を願う姿は、彼女が「まともな道」を歩もうとしている証だと思えた。
だが、その建前の裏にある本音を、彼女の表情から読み取る者はいなかった。
(……僕は知ってる。どこに向かってるかも、誰のもとで何を与えられるかも)
ドゥー・ムラサメの目は、淡く光を孕んでいた。行き先は「治療と訓練のための施設」――けれどその先に待っているのは、目の前の優しい研究者とは違うバスク・オムの元で子供を生贄にすることに何の良心の呵責も感じない研究者達のところ。そして、彼らのもとで再び「進化」する道。
強化人間として“真のニュータイプ“へ至る道。自らの意思で選び取る、“新たな自分”。
彼女は、ただの被験者でも、ただの少女でもない。自分の可能性を信じ、その力を持って戦場に立つ未来を、自分自身で選んだのだ。
「……行ってきます。ちゃんと、できるようになって、帰ってきますから」
職員に頭を下げたドゥーの背には、戦う者の決意がにじんでいた。彼女の目的は「普通の職」などではない。だがそれを見抜ける者は、まだ誰もいなかった――。