それでも明日はやって来る   作:桜霧島

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府中の片隅にある、とある屋台にて。




とある屋台ラーメンが美味しいと聞いたので

 

「へい、大将! ラーメン3つ!」

「あいよ」

 

 ここは府中にある、とある商店街の端の端。僕は同僚2人と屋台ラーメンを訪れていた。4月に入って久しいとはいえ夜半前はまだ冷える時期であったが、摂取したアルコールのおかげか僕たちは震えることなく席に着いた。

 

「こんなところに屋台があるなんて……知らなかったわ」

「僕も知りませんでした。いつからでしょう?」

「先月くらいかな……ウチの担当がよ、こないだの祝勝会のあとにって連れてきてくれたのよ。お礼にって」

 

 ラーメンを注文した男性は僕の2つ上の先輩で、最近売り出し中の優秀な若手トレーナーだ。教え子がG1を勝つのもそう遠くないだろうと言われている。コミュニケーション能力が高く、性格は大らかだけど気遣いは人一倍にできる人だ。そして顔も良いから教え子や同業者からやたらモテるのを僕は知っている。

 

「それは素敵ね―――ちょっと待って。祝勝会の後? 屋台ラーメン? あなた、何時(なんじ)まで教え子を連れ回してるのよ!」

「うぇっ!? ちゃんと寮監(フジキセキ)に届けを出してもらったし、たづなさんにも小言をもらったから……」

「だからって―――もう!」

 

 このプリプリ怒っている女性は、これもまた2つ上の先輩トレーナーだ。黒髪で長いポニーテールが特徴的な彼女は、尊敬する東条トレーナーを模したであろう髪型をしている。

 

「まぁまぁ、()いじゃないですか、偶には。彼女たちだって嫌だったら連れてこないでしょう。―――僕なんて今年はまだ祝勝会すら出来てないんですから」

「―――まぁ、気を落とすなって。勝負は時の運という言葉もある。お前さんの教え子だって、今日はちゃあんと見せ場を作ってたじゃねぇか」

「そうよ、負けた時こそトレーナーは胸を張らなくちゃ。彼女を励まさなきゃいけない貴方が落ち込んでちゃ……ね?」

 

 僕は下を向き「ありがとうございます」と言葉を絞り出すと、黙りこくってしまった。

 

 府中芝1400m。今日彼女が走った距離だ。長すぎず、短すぎず、ワンターンでカーブも狭くない。彼女にとってはやりやすい条件だと思っていた。

 芝のレースはダートに比べて絶対的数が少ないため、未勝利戦であっても抽選になることが間々ある。適性の低いダートを走れない彼女にとっては、数少ないチャンスが今日という日であり、そして僕は彼女を勝たせられなかった。ただそれだけのことだ。

 

 ただ、それだけ。

 

「―――貴方は立派にトレーナーをやっているわ。親の七光りでやっているだけの私とは違って。時々、羨ましくなるもの」

「羨ましい? 僕がですか?」

 

 彼女は僕の背に優しく手を添えながら語りかけてくる。

 彼女は『名伯楽』と呼ばれた親父さんの後を追いかけこの世界に入ったそうだが、彼女もまた超がつくほど優秀だ。何といっても自らスカウトし、自ら育成した教え子からG1ウマ娘を輩出している。そこには『名伯楽と呼ばれた親父さん』の評価や影響が挟まる余地は無かった。

 未だ重賞どころかオープンの壁さえ越えられない僕のどこが彼女にとって羨ましいのだろうか。

 

「貴方の担当の子はみんな最後まで諦めない。負けても下を向かない」

「それは、彼女たちが偉いだけです。僕のおかげなんかじゃあない」

「いいえ。あの姿は、次こそは貴方が勝たせてくれるという信頼の証。今日のあの子だって、ウイニングライブで立派にバックダンサーをしていたわ。不貞腐れて適当にこなす子がいる中で、とても立派な姿だったわ」

「そうだな、彼女は立派だった―――そもそも、お前さんは高望みし過ぎなんだ」

「高望みですか?」

「お前さん、去年は何勝したよ?」

「8勝、先輩方の半分以下です」

「それよ、それ」

 

 それとは何のことだろうかと僕が問いかけようとすると、大将が「ラーメン3つ、お待ち」と丼鉢を手渡してきた。屋台ラーメンだからか提供が早い。3人そろって「いただきます」と手を合わせ、割り箸を割ってずるずるとすすりだした。うま味調味料のたっぷり入っているであろう醤油味のスープが塩分を欲する体に()みわたっていく。3人とも異口同音に「美味い」と言いながら、熱いうちに、伸びないうちに食べ進める。

 僕は半分ほど食べすすめたところで先輩に先の問いを返してみた。

 

「で、先輩の言う『それ』とは何でしょう?」

「お前さん、本当に気づいていないのか?」

「質問に質問で返さないでください。わかっていたら聞いてませんよ」

「そう卑屈になるなって。―――確認だがお前さんのチーム、今は何人いる?」

「未デビューの子も含めて10人ですが……」

「二場所開催のときもあるから中央だけで1日当たり約30レースとして、土日で×2、年間52週で×52、つまり1年で約3,000レースほど開催されている計算だ。で、現役のウマ娘がだいたい6,000人くらいだとすると、1年間で1勝出来るのは単純計算で2人に1人。その平均値をお前さん達は大きく上回る成績を上げているということだ。しかもたかだか10人のチームで、未デビューの子を抱えながら、『新人』という枠から抜け出したばかりのお前さんが」

 

 先輩は僕を教え諭すように区切りながら語った。計算上は、見かけ上はそうなのだろう。だけど僕にとってはあくまで平均値の話であって、まるで実感の湧かない話なのだ。

 納得のいかない顔で僕がそう言うと、もう1人の先輩が呆れと同情とが混ざったような表情で言葉をかぶせてきた。

「私だって、いえ、私たちだって全ての子を勝たせたいと思っているし、私たちのはるか上のランクに居るトレーナーだって同じことを考えているわ。でも現実問題として、それでも思うようにいかないことの方が多いの。圧倒的一番人気の子が()()ように、最低人気の伏兵が全てをかっさらっていくことがあるように」

「それは、そうですが……中には僕のチームと変わらない人数で年間何十勝も挙げている人だって……」

 

 僕の頭の中には天上にひと際輝く星々(リギルやスピカ)のトレーナーの姿が映しだされている。

 

「そりゃあな、お前さんの言うことも間違っちゃいない」

「だったら―――」

「いや、間違っちゃいないが、正しくもない。いいか? 俺たちはウマ娘や観客に【夢】を見せる仕事だ。懸命に走る姿に()()()()みんな託しているんだ。だからこそ俺たちは【現実】と折り合いをつけなきゃいけない立場にあるんだ。そして、それは俺たちだけにしか出来ない仕事なんだ」

「引き際―――ということですか?」

「そうじゃない。俺が言いたいのは、お前さんはよくやっているということ。そして、結論を出すにはお前さんにとっても、お前さんの担当さんにとっても早すぎるってことだ。特に、お前さんのように極一部の例外に目を惹かれている奴にとっては、な」

 

 ほのかに頬を赤くし、アルコールの残った口調で先輩は熱弁する。

 

「お前さんの良いところは、一人ひとりと向き合えること。そして信頼関係を築くことが出来ることだ」

「ありがとうございます……?」

「結果なんかな、その内ついてくるもんさ。俺やこっちのは偶々上手くいっているから目についているだけさ」

「―――まぁ言い方は若干引っかかるけど、概ねそのとおりね。この業界、上を見ても下を見てもキリが無いわ。横を見て、少し上下を見て……」

「しかしまぁ、何だな。つまるところ俺たちが言いたいのは―――」

 

 先輩は丼鉢に残ったスープをあおると、この場を締めくくるように語った。

 

「―――いずれにせよ、それでも明日は来るんだ。なら俺たちに出来るのはたった一つ。一生懸命明日を生きるしかないんだ。今日や昨日を糧に変えて」

 

 

 

 

・・・・・Ω・・・・・Ω・・・・・Ω・・・・・

 

 

 

 

 9月に入った。東京、府中の暑さは依然として衰えを見せる気配はないが、夏休みを越して学園は幾分静かに、閑散となった。

 

 その理由は明白であり、つまるところ最後の未勝利戦を終えたからだ。

 だが学園全体が哀愁に包まれた雰囲気かというとそうではない。秋のG1シリーズに向けた強者達の、デビューを迎えた新人たちの、下剋上を虎視眈々と狙う条件戦を戦う者たちの熱気が、残暑とあいまってトレセン学園を熱さで包んでいるのだ。

 

 あぁ、暑い。

 

 毎年何千人と入学してくるトレセン学園では、当たり前だが同じ数だけいなくなっていく。しかしながら無事にトゥインクルシリーズを走り抜けて卒業できるのは数%に満たない。まるで週刊少年ジャンプで連載されていた料理マンガのようだ。

 

 成績で、怪我で、家の事情で、その他もろもろの理由で去っていくウマ娘たちが圧倒的多数派なのだ。「悲喜こもごも」ならぬ「悲哀こもごも」といったところである。

 美浦寮や栗東寮なんかでは同室の子が居なくなって泣いている子や、空きが多くなった下足箱の状況でそれらを実感するものらしい。そういう意味では少しばかり涼しくなった、ともいえるだろう。このような光景を季語にされても俳人は困るだろうが、“最後の未勝利戦が終わったあと”というのはトレセン学園の、どこにでもある季節の風景の一つである。

 

 そう、どこにでもある光景なのだ。

 

 僕は見送った教え子の1人に思いを馳せる。

 

 彼女は先日、この学園を去った。僕はとうとう最後まで彼女を勝たせてあげられなかった。未勝利戦で何度か入着したこともあったし、このまま続けられれば勝つチャンスは十分にあっただろう。だが無情にもクラシック級9月というタイムアップを迎えてしまった。

 

 学園を去るとき僕が彼女に謝ると、一瞬彼女は困ったような顔をして、それでも笑顔で僕に感謝の意を伝え、中央の地を去った。

 これから彼女は縁もゆかりも無い盛岡の地方レース場で走り続けるのだという。ダート、小回りという全くの適性外にもかかわらず、彼女は走り続けるのだという。確かに地方で良い成績を上げれば中央に戻ってくることも可能ではある。但しそれは果てしなく困難な道のりである。

 

 結局のところ去っていく彼女のために僕が出来たことと言えば、先輩方に教えてもらったダートの練習方法を書いたメモを渡すことと、小さいツテを頼ってユキノビジンに渡りをつけ、彼女の現地での生活のサポートの手伝いをお願いすることだけであった。

 

 僕自身は最後まで無力だった。

 

 

 

 

・・・・・Ω・・・・・⏱・・・・・Ω・・・・・

 

 

 

 

 『新人』という枠から抜け何年か月日が経ったある日、僕はG1トレーナーになった。

 

 ヴィクトリアマイル。今日、僕の担当である彼女が勝ったレースだ。

 

 元々素質はあった子だ。だが彼女と共にジュニア期から重賞に挑み続けてきたものの、勝ち星は無し。オープンクラス、リステッドクラスの勝利はあれど、体調不良なども重なって1年ほど勝利から遠ざかっていた。

 誰もが終わったウマ娘だと思ったのだろう。今日、彼女はブービー人気だった。しかし彼女は大方のファンの想像の遥か上を行き、並み居るG1ウマ娘を含む強豪を討ち果たしたのだ。

 よくある伏兵達による『行った行った』のレースや、有力ウマ娘同士の前崩れでおこぼれをさらうようなものではなく、レース開始後から中団で待機して最終直線、坂の頂上で抜け出してそのままゴール。横綱相撲と言ってもいい勝利だった。

 曲がらず、折れず、積み重ねてきた彼女自身の勝利だ。

 

 そんな彼女の輝かしいウイニングライブと、砲列のように並べられたカメラとマイクによるインタビューを終え、僕は彼女と個人的な祝勝会を行うことにした。チームとしての祝勝会はまた今度だ。

 

「ねぇ、トレーナーさん? 次はどこへ連れて行ってくれるの?」

「ん? 僕の行きつけの店さ」

「いっぱい食べさせてくれるのは嬉しいんだけど、さすがにもうお腹いっぱいだよ……。さっきのお寿司屋さん―――回ってないお寿司屋さんなんて本当に久しぶりだったし……」

「まぁまぁ―――ほら、着きましたよ。これくらいならまだお腹に入るでしょう?」

「屋台ラーメン、ですか……」

 

 赤い提灯が、今日も揺れている。

 

 僕はあの先輩に此処を紹介してもらってからしばしば訪れている。僕が勝ったときも負けたときも、あるいは先輩のウマ娘がG1を獲ったあとも。

 

「大将、ラーメン2つお願いします」

「あいよ」

 

 僕は慣れた所作で席に座ると、僕たちの他には誰も居ない屋台で大将に注文した。

 

 彼との付き合いも長くなった。基本的には無口で淡々と仕事をこなしている彼は、おそらく僕より少し年上くらいだろう。先輩によるとウマ娘レース関係の仕事をしていたそうだが、詳しくは誰にもわからないとのこと。きっと彼もまた、僕と同じように何かしらの夢を載せて彼女たちを観ていたのだろう。そう思うと少し無愛想な顔にも親近感が湧くというものだ。

 

「大将、ビールありますか?」

「あるよ」

 

 彼は屋台の下に取り付けられた冷蔵庫から缶ビールとグラスを取り出し、僕に提供してくれた。僕は中途半端に冷えたそれをコップに手酌で注ぎ、一口に飲み干した。

 

「トレーナーさん、意外とお酒、飲むんですね」

「うん。基本的には週に1回、日曜日の夜だけ。良いことがあった時も、悪いことがあった時も、アルコールが流してくれるからね。なぜなら僕らには、()()()()()()()()()()()()()()

「気持ちの切り替えのために、ってこと?」

「そうだね。君も卒業したらわかるよ」

「そんなもんですかね―――あっ、トレーナーさん、知ってますか?」

「何だい?」

「私たちの先輩―――あの盛岡レースに行った先輩、昨日勝ったんですよ!」

「―――へぇ、そうなんだ」

 

 僕は努めて平静に彼女へ返答した。僕は彼女が勝ったことを知っていた。だから今日、ここへ来る気持ちになったのだ。

 

「トレーナーさんには黙っていて欲しいと言われていたから内緒だったんですけど、実は偶に私たちのところにも顔を出してくれてたんですよ」

 

 そのことも知っている。彼女は盛岡、水沢以外にも浦和、船橋、大井、川崎とかにも遠征していたから。きっと、試行錯誤を続けていたんだろう。適性を芝からダートへ、大回りから小回りへ移す過程で。

 

「そうなんだね。彼女は元気そうだったかい?」

「もちろん! 昨日、勝つくらいですから!」

「それはそうだね」

 

 近くに来ていることは知っていた。だけど僕は意識的に会おうともせず、むしろそういう時こそ今目の前にいる彼女たちの指導にこそ意識を割いた。そしてそれは彼女に限った話ではなく、僕のところを()()したウマ娘全てに言えることだった。

 会ってしまうと罪悪感しか湧かないから。そして、自分の無力さから目を逸らしたかったから。

 

「―――それにしても、まだ実感が湧きませんよ。トレーナーさん、私、本当に勝ったんですかね? 降着とかしないです?」

「何をまだそんなこと言ってるんですか。ライブもしたし、インタビューもしたでしょうに」

「本当に、夢みたいで……」

 

 彼女に窘めるような口を利くものの、僕自身もまだ実感とかそういうものがない。僕も夢が叶ったんだ。G1トレーナーになるという。なのに、何でこんなに感情が動かないんだろう。

 

「僕たちは、試されているね」

「何を?」

「これからどう生きるかということを」

「これからですか……」

「うん。実のところ、僕自身も悩んでいるんだ」

 

 酒精が程よく回っているのか、思ったことがつい口に出てしまった。

 次は何をすれば良いのだろう。『次のレースは来るんだ』などとしたり顔で言いながら、その実、僕は『次』に対する覚悟を持ち合わせていなかった。

 

 僕たち2人の会話が少しばかり途切れかけた頃、タイミング良く大将がラーメンを出してくれた。

 

「はい、チャーシュー麺2つ」

「……? 僕は普通のラーメンを注文したと思うのですが。そうですよね?」

「はい。トレーナーさんは、特に他には……」

「大将、間違ってませんか?」

「いや、なに、あんた、今日勝ったんだろう? G1を」

「正確に言うと勝ったのはこの子ですが……」

「違うね。()()()()が勝ったんだ。そして、その暁にはこれを出してやってくれと俺は言われてるんだ」

 

 僕は非常にドキリとした。一瞬で、全ての酒精が身体から抜けてしまうほどに。

 次の言葉を絞り出すには、これまでの人生でも最大級の勇気が必要だった。

 

「―――誰から?」

 

「何といったか……そう、その、あんた達がさっき話していた盛岡に行った子からだよ。こないだふらっと来てな、もうすぐ後輩がG1を勝つだろうから、その時にはこれを出してやってくれと。金ももらってるよ。さぁ、伸びやすいんだからとっとと食べてくれ」

 

 

 その日、その屋台では、何かを啜る音が響いていた。

 

 ある男が、背中をさすられながら。

 

 

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