ワトソンレースは始まらない   作:虫野律

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第三章 密室の君


 世界が爆速で後ろに流れていく。

 でも、まだだ、もっと速く──。

 オレは愛車の中型バイク、イワサキ・エリミネーターのアクセルを回し、更に加速した。後ろで結んだウルフカットが夜のぬるい風に激しくなびくのが心地いい。

 

「──っ!」

 

 声は聞こえなかったが、後方でツレが喚く気配がした。

 ついてこれなくて文句でも飛ばしたのだろう。ハンドルから触覚のように伸びたミラー──無骨な車体とは対照的に丸っこくてどこかかわいらしい──で後ろを見れば、案の定、距離が離れていっていた。

 やっぱモヤモヤしてる時は走るに限るぜ。

 そんなふうに思って気分が上がりかけるが、悩みの元凶の顔が頭にちらつき、再び沈んでしまう。

 

 ──ちっ。

 

 思わず舌打ちが零れた。

 オレ──夏坂(なつさか)七海(ななみ)は、オレと別の学校に通う友達二人と宮城県のある峠を攻めていた。七月に入ったばかりの夏の深夜だ。今夜走ろうぜ、とオレから誘ったんだ。

 気分転換になるかと思ったんだが、上手くいかねぇな。

 はぁ。小さく溜め息をつき、減速させる。すると耳に馴染んだ二つのエンジン音が追いついてきて、オレはこっそりと小言に備える。

 

 

 

 

 

 

「何かあったの? 今日の七海、少し変だよ」

 

 夜這星高校のある地元に戻りコンビニの駐車場にバイクを停めると、ツレの一人、サナがその垂れ目を心配そうに歪めて尋ねてきた。

 

 それに追従するようにもう一人のツレ、牛みたいな鼻ピアスをしたユズキが、「そうそう」とうなずき──不意ににやっと嫌らしい笑みを浮かべた。

 

 すげぇムカつく顔だな、と思ったら、

 

「失恋でもしたんか?」と来た。

 

「そんなんじゃねぇよ!」

 

 当たらずとも遠からずを衝かれ、図らずも強い声で返してしまった。しくった、と思った時にはもう遅く、

 

「へぇ~」察した様子のサナが獲物をいたぶる性悪な猫みたいに目を光らせた。「お相手はいつも自慢してる幼馴染みの子なんでしょ? 詳しく話しなさい」

 

「ち、ちげぇよ!」

 

 気恥ずかしくて抵抗してみたが、素直に話すならコンビニの激辛唐揚げとチョコミントラテを奢ってあげると言われた刺激物に目がないオレは、あっけなく陥落した。

 ブツを手にしてバイクの所に戻ると、最近、幼馴染みでクラスメイトの蓮見(はすみ)友輔(ゆうすけ)の様子がおかしくてオレまでモヤモヤしていることを白状した。

 

「幼馴染み君がおかしい? どういうこと?」

 

 付属のストローには目もくれずにチルドカップのミルクココアの蓋を剥がしたサナが尋ねた。

 ユズキのやつも、ガリガリしたソーダアイスを舐めながら耳を傾けている。

 

「引きこもってんだよ」オレは答えた。「部屋にこもってるみてぇで、一週間前から学校にも顔を出してねぇんだ」

 

 水色のアイスをペロッと舐めたばかりの、ピアスの光る舌でユズキが、「理由は?」と聞いてくるが、すぐに、「あ、わからないからモヤモヤしてんのか」と自己解決。

 

「ああ、聞いても教えてくれねぇし思い当たる節もねぇんだよ」

 

「突然の引きこもり化のほかに前と違ってることはないの?」サナが再び尋ねてくる。

 

「遊んでくれなくなった」

 

 オレの端的な答えに、

 

「性的に?」とユズキが合いの手でからかうと、

 

「きゃはははっ」とサナが大口を開けて笑う。

 

「高二にもなって頭ん中中学生かよ」と突っ込んでからオレは、「ネトゲだよ」と付け加えた。

 

 友輔はゲームが好きで、引きこもる前まではよく一緒にプレイしていた──といっても、オレの目的はゲームではなくボイスチャットのほうだったんだが──が、こっちから誘っても、「ゲームはもう卒業した」とかで断られるようになった。

 ただ、通話には応じてくれる。オレも友輔も積極的にしゃべるほうじゃないから長くは続かないけど。

 

「ふうん」サナは思案げに息を吐き、「うちは近所なんだっけ?」

 

「徒歩三十秒だな」嘘偽りなく答えたら、

 

「隣の幼馴染み君?」と漫画のタイトルみたいな言い回しでユズキ。

 

「いんや、斜め向かい」

 

「じゃあ直接突撃すれば?」サナが軽く言う。

 

「いや、だってよ」しかしオレは、そう簡単には決心がつかない。「変じゃねぇかな」

 

「何でよ?」とサナ。「意味わからん」とユズキ。

 

「だって、心配しすぎってうざがられたらやべーし──」続けようとした、嫌われたくないし、は口の中でもごもごした。

 

 が、女たちは聞き逃さなかったようで、

 

「七海ちゃんかわいー!」まずサナが黄色い声を上げ、

 

「イカついナリしてバリ乙女だねぇ~」次いでユズキが感心するように、そしておもしろそうににやけまじりに言った。

 

 吊り上がった三白眼の強面に女にしては高い身長、部活なんてやっていないのに無駄に引き締まった体とまぁまぁデカい胸、そして赤唐辛子のような真っ赤に染めたセミロングのウルフカットというのがオレの外見だ。

 ヤンキーっぽいとはよく言われるが──実際不良ではあるんだが──友輔は、「でも僕はかわいいと思うよ」と褒めてくれた。

 だからというわけではないが、思春期にありがちな外見のコンプレックスのようなものは特にない。

 ふとした瞬間に──例えば今なんかも──強く思うことがある。友輔に会いてぇなって。

 

「ぼちぼち様子見に行ってみるよ」

 

 これは二人に向けた言葉でもあったが、どちらかというとビビってる自分のケツを叩くための独り言のようなものだった。

 バイクならどんだけ飛ばしても気持ちいいだけなんだけどなぁ、と白々しい疑問を思い、最後の唐揚げを口に放り込んだ。

 ピリッと、を超えて、ビリっと舌が痺れた。うむ、うまい。

 

 

 

 

 

 翌日の土曜日、昼過ぎに起きて身支度を整えると、スマホで友輔にメッセージを送った。

 

『今から遊びに行っていいか?』

 

 少ししてから返事が来た。

 

『別にいいけど』

 

 若干引っかかる言い回しだったが深くは考えずにオレは、お袋と二人で暮らすアパートを出て友輔の家を訪ねた。彼の家は少し古い一戸建てで、友輔の母の結子(ゆうこ)が彼女の母──つまり友輔の祖母──から相続したものらしい。といっても、うちの、犬小屋みたいに狭いボロアパートよりは全然マシだ。小さいけど庭もあるし。

 呼び鈴を押すと、バタバタと駆け寄る気配がして結子が答えた。彼女は仙台市にある会社でプログラマーをしている。今日は土曜日だから休みなのだろう。

 インターフォンに映る結子は、オレを認めると一瞬、眉をひそめかけたが、すぐにいつもの、良く言えば優しそうな、悪く言えば自信がなさそうな表情になった。

 

「友輔に会いに来たんす」

 

 と伝えたところ、

 

『心配して来てくれたのよね、ありがとう──けど、あの子、誰にも会いたくないらしくて、部屋に鍵まで掛けちゃってるのよ。わたしにも顔を見せてくれなくて』

 

 と困り顔の返事。

 会話もドア越しにしているそうだ──メッセージでの含みのある物言いの理由はこれか、と理解し、それと同時に、マジでどうしちまったんだ? ガチの引きこもりみてぇじゃねぇか、と訝ったし、心配も膨らむ。

 

「ドア越しでもいいんで話したいっす」

 

 と頼むと、結子は玄関扉を開けてくれた──するとスパイシーなカレーの香りがしてオレは、あれ? と不思議に思った。

 友輔も結子もカレーは苦手じゃなかったか?

 友輔の家はオレんちと同じ母一人子一人の母子家庭だ。カレーをリクエストするやつはいないはずなのに。

 首をかしげるオレを見て察したらしき結子は、説明した。

 

「会社の人からお土産で貰ったのよ。何でもご当地カレーのルーらしくて、せっかくだから食べてみようかなと思ったんだけど……」

 

 そこで言葉を切った結子は、後ろ──玄関からまっすぐに延びる廊下の先の和室に一度視線をやり、

 

「零してしまって」

 

 と恥ずかしそうにする。掃除していたところだったらしい。

 

「大丈夫っす。カレーは畳にも合うっす」

 

 特に何も考えずにそう返したのだが、割と意味不明だ。

 

「ふふ」

 

 苦笑めいていて、しかし温かくもある、友輔もよくする微笑をたたえた結子は、「上がって」とオレを招き入れた。

 カレーくさい和室の前で結子と別れ、友輔の部屋のある二階にはオレ一人で上がった。

 その木製ドアの鍵穴をちらっと見てから声を掛けた。

 

「来たぞー」

 

 一呼吸あって友輔の声が答えた。

 

「元気そうだね」

 

 ドアのせいでくぐもったような響きで少し聞き取りづらいが、久しぶりに聞く友輔の肉声はいつもどおりで、オレを安心させた。短い廊下に胡坐(あぐら)をかいて座り、

 

「お前はどうなんだよ?」

 

「元気といえば元気かな」

 

 という意味のないようなやり取りから始まり、取り留めのない雑談──学校でのくだらない出来事やバイクの話──を続け、場が温まったかは知らないが、本題に切り込んだ。

 

「なぁ、どうして引きこもるようになっちまったんだ?」

 

「……」考えるような間があって、「何か疲れちゃって」

 

 疲れた? 何に? と問い返したら、

 

「人生」難しそうなことを言う。「人間って難しいなって思ったんだ」

 

 そういう抽象的な話は苦手で細かいところはわからないが、要するに、

 

「少し休んだら元の友輔に戻るんだよな?」

 

「……」たっぷりまばたき一回分の間を置いて、「いや」と小さく答えた。「それはわからない」

 

「わからねぇって何でだよ」オレは不満の声で尋ねた。「じゃあどうしたら前みたいに学校に来るようになるんだよ?」

 

「そうだなぁ……」

 

 そして友輔から繰り出された答え──条件は、オレをハチャメチャに困らせるものだった。

 

「それとこれと何の関係があんだよ?」と聞いたら、

 

「それは秘密」と黙秘されたが、

 

「そんなんで本当に引きこもりをやめるのか?」と疑ったら、

 

「やめる」と断言してくれた。

 

 ので、オレは覚悟を決めてうなずいた。

 

「わぁーったよ! 約束だからな! 後になって『やっぱ嘘だった』はナシだかんな!」

 

 喧嘩の捨て台詞みたいに吐き捨ててオレは、その場を後にして階段を下った。

 一応結子に挨拶してから帰るか、と思って和室に行ったが彼女はおらず、和室とその奥の小部屋のような広い縁側──友輔は広縁(ひろえん)と言っていたか──の境目の敷居の所にカレーの染みがあるだけだった。続いてリビングダイニングを覗くと、大きな冷蔵庫の陰から手に麦茶のペットボトルを持った結子が出てくるところだった。カレーの片付けが一段落して一息つこうとしていたか、オレと友輔に出そうとしていたかだろう。

 

「あら、どうしたの?──え、もう帰るの? 喧嘩でもした?──そうじゃない? 用事がある? あらそう、それなら仕方ないわね」

 

「お邪魔したっす」

 

 友輔の家から出るとオレは、早速、アパートに駐めてあるエリミネーターに跨がり、ドラッグストアへ向かった。

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