ワトソンレースは始まらない   作:虫野律

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第一章 ナポリタン・キャット


21:名無しの餓狼

滅多刺しにしてるとこを見られといて容疑を否認って何?

この一野(いちの)風花(ふうか)って女、馬鹿なの? 

 

22:名無しの餓狼

頭のおかしい人なんじゃないの

かわいそうな精神障害者ってやつ

 

23:名無しの餓狼

元同級生「クラスで一番馬鹿な子だった」「いつものろのろしてて煙たがられてた」「会話も噛み合わなくて宇宙人としゃべってるみたいだった」「まぁハブられてましたね(笑)」

流石に草

 

24:名無しの餓狼

池沼やろなぁ

 

25:名無しの餓狼

おいやめろ

 

26:名無しの餓狼

そら(知能ガチャで外れを引いたカスは)そう(男も殺す)よ

 

27:名無しの餓狼

しれっと流れ弾当たってるやつおって草

 

28:名無しの餓狼

これ、まさか責任能力云々で減軽されたりしないよね?

 

29:名無しの餓狼

ケースバイケースだな

実際に障害があって、それが責任能力に影響を及ぼしたと証明されたら減軽もありうる

 

30:名無しの餓狼

まぁた責任主義?

そんなの免罪符にならないでしょ

男殺しは死刑以外ありえないって

 

31:名無しの餓狼

イケメン様を殺しといて心神喪失で釈放されたら胸糞悪すぎて噴死ものなんだが

 

32:名無しの餓狼

>>30

大丈夫じゃない? 

こいつの弁護士知ってるけど、普通に無能よ(しかももっさいブス)

だから敗戦処理の国選弁護人を押しつけられたのよ

 

33:名無しの餓狼

かといって、勝ち目のない男殺しの私選なんて誰もやりたがらないだろうしね

 

34:名無しの餓狼

犯人にはざまぁとしか言えんな

 

35:名無しの餓狼

まったくだ

こいつのせいでわたしと出会うはずだったイケメンが一人減ってしまったんだ

許せん

 

36:名無しの餓狼

>>35

出会っても何も起きない定期

 

37:名無しの餓狼

うるさいよ

 

 

 

 

 

 

「はぁ」

 

 思わず溜め息を洩らしてわたし、一野小春(こはる)は、スマートフォンの液晶画面から顔を上げた。

 わたしは住宅街の片隅にある小さな公園にいた。家にいられなくて逃げ出してきたのだ。独り、ベンチに座っている。傍らにはお昼ごはん代わりのカフェモカ。わたしのお気に入り。けれど、全然減っていない。いつもはおいしくてあっという間に飲みきってしまうのに。

 暖かな春風が吹いて、高校入学に備えて美容院に行ったばかりのボブカットの黒髪をなびかせた。さらさらと目の端で毛先が揺れる。

 正午を回ったばかりの太陽は高く輝き、天気はとてもいい。

 けれど、わたしの心はどんよりと曇っていて、今にも冷たい雨が降り出しそうだった。

 控えめに言って、最低な気分で、最悪な状況だった。

 姉が男の人を殺した。らしいのだ。

 テレビやネットのニュースによると、一週間前の四月一日(火)の二十四時ごろ、姉の風花がバイトしているカフェの男性店主、煎豆(いりまめ)(つばさ)(二十八)を、繁華街にある都市公園で包丁を使って滅多刺しにして殺害したという。通行人の女性が、仰向けに倒れた血まみれの煎豆に包丁を突き立てている姉を目撃して通報した。姉は錯乱した様子で言葉にならない喚き声を上げるばかりで逃げ出すことはなかったという。そして、駆けつけた警察官により現行犯逮捕された。季節外れの雪が舞う、ひどく寒い夜のことだった。

 翌朝その事実を母から伝えられ、全国放送のニュースを見て半信半疑ながらようやくそれを認めた段階では、まだ事の重大さを理解していなかった──もちろん、男殺しが最も重い罪の一つであることは承知していたし、家族がそれを犯してしまったことへの責任や罪悪感めいたものは感じていた。

 けど、姉が男を殺したという事実が現実としてどういう事態を招くのかということにまでは考えが及んでいなかった。

 混乱していたから、というより、姉と同じで頭の回転が鈍いからなのだろう、とわたしは自嘲していた。認識が甘かったと言わざるを得ない。ホイップクリームとはちみつを追加トッピングしたドーナツぐらい甘かった。

 わたしは、社会のバッシングというものを舐めていたのだ。

 事が公になると世間の人々は、まるで水を得た魚のようにいきいきと姉を非難しはじめた。姉がSNSに上げていた自撮りや卒業アルバムの写真が、公開処刑よろしくさらされ、嘘か(まこと)か、顔を隠した元同級生のインタビューも放送された。掲示板やSNSでは連日あることないこと好き放題に言われつづけている──その主張を一言でまとめると、姉を殺せ、だろうか。

 だけにとどまらず、自宅も母も、そしてわたしの個人情報までネットに公開されてしまった。事件発覚から三日も経っていなかった──ネットの特定班の優秀さには恐れ入った。最悪。

 そして、加害者家族に対する私刑(いじめ)が始まった。

 ネットでは誹謗中傷の嵐がいよいよ激しく吹き荒れた。

 その、顔の見えない住民たちによると、母も倫理観の欠如した人格障害者でその遺伝子のせいで姉も狂ってしまったのであり、当然の帰結として妹のわたしも同類に違いなく、早急にしかるべき施設に永遠に隔離しなければならないらしい。

 加えて、母は会社員をしているのだけど、同僚の人たちからも似たような声が上がっているようだった。つまり、そんな女と一緒に仕事はできない、ということらしい。

 姉の逮捕という一事だけでも心労の種として十分だろうに、そういった言葉の刃まで浴びせられた母は、とうとう心が折れてしまい、仕事を休んで家に閉じこもるようになった。

 しかし、家も安全地帯とは言えない。自宅には生ゴミやら排泄物やらが投げつけられるようになっていたのだ。

 居留守のために電気も点けずにカーテンを閉め切ったリビングは、見慣れた自分の家とは思えないほど異様な陰鬱さに満ちていた。暗く沈んだ母の顔が、わたしの胸を締めつけた。

 だから、わたしは家を飛び出した。いたたまれなくなって逃げ出したのだ。

 といっても、行く当てなんてなかったわたしがたどり着いたのは、近所の公園だった。平日の昼だからあんまり利用者もいないだろう、と思っての選択だったのだけど、それは正解だった。滑り台にブランコ、砂場、それから背もたれのないささくれ立った木製ベンチが一基あるだけのその公園には誰もいなかった。

 すっかり敵と化してしまったネットだったけれど、日々の習慣というか依存というか、やめればいいのにわたしの手は自然とスマホをいじりアプリを立ち上げていた。

 そして、案の定の溜め息。

 

「はぁ」また溜め息。

 

 うつむいて土の地面を眺める。名前を知らない虫が歩いていた。

 どうしてこうなっちゃったんだろう。嘆かずにはいられない。こんなことってある?

 本当だったら今日は入学式だったのに、せっかく猛勉強して憧れの綾崎先輩のいる高校に合格できたのに、怖くて学校に行けない。

 綾崎先輩──綾崎千宙は、わたしの一個上で、同じ中学校の先輩だ。中性的な顔立ちの美少年で、やや小柄で華奢な体格も相まって可憐な少女のようでもあり、しかし優しげながら悪戯っぽい声音はひどく女心を惑わし、それでいてふとした拍子に見せる知性的な瞳は恐ろしいほどに冷たく鋭い。

 その賢さは見せかけだけのものではなく、実際に成績も良く、それだけでなく綾崎先輩には文才もあった。彼が高校一年生のころ、つまり去年開催された権威あるミステリー系の新人賞で大賞を受賞したのだ。現役高校生で、しかも紅顔の美少年ということで世間は沸きに沸いた。ネットもテレビもお祭り騒ぎだった。世の女性たちの大半が綾崎先輩に恋心めいた憧憬を抱いたことだろう。

 綾崎先輩とはほとんど話したことがないけど、わたしはそれ以前から彼に想いを寄せていた。もっともそれは、わたしたちの中学校の女子のほとんどに言えることなのだけれど。

 綾崎先輩のことを考えていて、ふと不安になった──彼は今回の事件のことをどう思っているのだろう。ネットの人たちみたいに悪し様に捉えているのだろうか。

 マイペースな人らしいから世論に流されることはなさそうだけど、もしそうだったらやだな。

 

「綾崎先輩にまで嫌われたら、もう生きていけないよ……」

 

 零れ落ちたネガティブな独り言に、しかし答える声があった。

 

「別に嫌ってはいないよ」

 

「──えっ」聞き覚えのある優しげな中高音の声に驚いて顔を上げると、数歩離れた所に清潔感のある白シャツを着た綾崎先輩が立っていた。彼の、目に掛かるほどの長さの柔らかそうな栗毛が風に揺れ、わたしの口から、「ええっ?! 綾崎先輩!? 何でこんな所にっ?!」という地元愛の欠片もない言葉がたまらず飛び出した。

 

「君に会いに来たんだよ」

 

「──へっ?」

 

 恋愛ドラマのような台詞に心臓が跳ねた。

 けど、次の瞬間には冷静になって、夢でも見ているのだろうか、と自分を疑っていた。だって、綾崎先輩がわたしにどんな用があるというの?──ないよ。だからこれは、つらい現実が見せた白昼夢。間違いない。

 でも、それにしてはリアルすぎるような──じゃあやっぱり現実? 何が起きているの?

 そんなことを考えているのが顔に表れたのか、綾崎先輩はおかしそうに微苦笑すると、こう言った。

 

「小春のお姉さんの事件についてちょっと思うところがあってね、それで君に話を聞きに来たんだよ」

 

 今度は別の意味でどきっとした。綾崎先輩の口からだけは、ネットのような厳しい言葉を聞きたくなかったから。

 しかし、それに続く綾崎先輩の言葉はわたしの恐れを裏切った。

 

「ぼくは、小春のお姉さんは無実なんじゃないかって疑ってる。この事件には別の真相が潜んでいるように思えてならない。だからぼくは、探偵ごっこをすることにしたんだ──まずはお姉さんのことを聞かせてほしい」

 

 予想外すぎて──姉を信じてくれる人がいたのがうれしくて視界がにじんだ。

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