ワトソンレースは始まらない   作:虫野律

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 わたしも女であるからには、理想の告白シチュエーションというものを妄想したことがある。クラスの女子とその話題で盛り上がって下品な馬鹿笑いを交わした挙げ句、周囲から生温かい半笑いを頂戴したことだってある。

 多くの場合でその妄想に共通する特徴の一つにこういうのがある。現実ではまずありえないことだが、だからこそというのもあるのだろう、男のほうから放課後なりに呼び出されて告白される、というものだ。自分が激しく求められることと生殺与奪を握ることにえも言われぬ甘美を覚えるのだろう。すなわち、〈キュン〉である。

 男は嫌いなわたしだが、それに関してはとてもよくわかる。アンフェアなところは許せないが、それはそれ、これはこれ、わたしだって恋に憧れはあるのだ。

 さて、なぜこんなことをつらつらと述べたかというと、なぜか今現在そういう状況にいるからだ。

 

「どうかな、若餅さんにとっても悪い話ではないと思うのだけど」

 

 柔和な口調でそう言ってわたしに返事を促したのは、公民教師の色雲(いろくも)学人(がくと)だ。

 放課後、さぁ帰ろうと教室を出て廊下を歩いているところに声を掛けられ、生徒相談室に連れ込まれた。何かやらかしたかな? と振り返り、しかし何も思い当たらず怪訝に思いながらも、言われるがままに簡素なテーブルを挟んで向かい合うように椅子に座ると、「実は前から若餅さんに惹かれていたんだ。もし嫌じゃなければ僕と付き合ってほしい」と来た。

 色雲は百八十センチほどの高身長ながら威圧感を与えない風采の優男で、大きめの丸眼鏡を鼻に引っかけたりしていて、そういうちょっと抜けてそうなところなど、たしか二十八歳で十歳以上も年上なのだが、何かこう、母性本能をくすぐられる。

 だが教師だ。法令的にも一般常識的にもアウトなのだ。

 色雲は真剣な表情で色よい返事を期待しているが、

 

「だ、駄目ですよぅ」などと言って尻をもじつかせる。「先生と生徒でなんて、イケナイですぅ……」

 

 かわいこぶっているか否かで言えば、まぁ多少はね、その傾向もなきにしもあらずだけど、一生に一度あるかないかのレアイベントなんだから少しくらいは外連味(けれんみ)があってもいいじゃない。

 さぁどう答える、とカマトト仮面の隙間から色雲を窺う。

 と、色雲はしかつめらしく、

 

「それでもだ」と声に力を込めた。「僕はどうしても君が欲しいんだ」

 

 男から言われたい台詞ランキングの上位常連ではなかろうか。正直に言うと、ちょっとときめいた。

 おふざけモードを引っ込めてわたしは、尋ねる。

 

「何でわたしなんですか? 自分で言うのも何ですけど、わたしってちんちくりんじゃないですか。運動神経だって終わってるし、実家も細いし。男なら欠点のないような美女だって選り取り見取りなのに」

 

「そんなのは関係ないよ」色雲は優しげな、しかし断固とした口調で即答した。「僕には君が必要なんだ」

 

「くぅっ──」うれしい! しかしわたしは、そこらの女のようにちょろくないのだ。「ち、ちなみに、わたしのどこがそんなによかったんですか?」

 

 わくわく!

 色雲は真摯そうに、うむ、とうなずいてから、

 

「たわわだ」

 

「は?」意味がわからずわたしは、おそらくは阿呆面をさらしている。「何て?」

 

 色雲の視線がわたしの目から下にずれ、癖でテーブルの上に乗せた肩凝り仕掛人──俗称・おっぱいに注がれた。

 

「僕は君の、実りに実った柔らかおっぱいに惹かれたんだ!」色雲は拳を握らんばかりに勇ましく、そして声高に宣言した。

 

「えぇ……」

 

 何かやだぁ。もっとさぁほかにあるじゃん。性格が好きとか顔がかわいいとかさぁ。

 と蛙化寸前のわたしを知ってか知らでか、

 

「何を隠そう、僕は女性のご立派なお胸様に目がなくてね」変なスイッチでも入ったかのように色雲は、饒舌に語りだした。「ふふ、具体的にはIカップ以上が大好物なんだ。逆にそれ未満は眼中にないんだけどね。たとえH75でなかなかの量感があっても断固としてお断りだよ。その点、君が隠し持っているようなJ65の美しき起伏はまさに至宝、この世の夢が詰まってるんだ!──わかるだろう?」

 

「いやわからん」もはや素である。「──というか! 何でわたしのサイズ知ってるんですか?!」

 

「君はいったい何を言っているんだい?」色雲は心底不思議そうにぱちぱちっと目を瞬いた。「そんなの服の上からでも一目瞭然だろう。我々の業界では至極初歩的なスキルだよ?」

 

「いや、あんたのほうこそ何言ってんだ?! てか、どんな業界だよっ?! きっしょ! いくら男だからって流石にそれはキモいですって!」

 

 罵倒されたにもかかわらず色雲は、陶然とした吐息を洩らしてぶるりと身震いし、「ちなみに」と余計な補足をしてくる。「乳首の状態を透視する猛者も少なくないし、乳房の張り具合から生理周期を完璧に把握する者もいる──もちろん僕もその一人さ」

 

「もはや超能力!! 超能力者になるには変態でなきゃならないの?! SF見る目変わっちゃったんだけど?!」

 

「失礼な、そんなチートは使っていないよ」色雲は毅然として言い切った。「我々おっぱい星人のスキルは日々の努力の賜物さ。プラスチック製の立体物を作る3Dプリンターというものがあるだろう? ここ数年の技術の進歩でシリコンやそれに類似した軟質材にも対応したモデルが、非常に高価ではあるけどね、一般市場にも出回るようになったんだ。それでさまざまなたわわ模型を創作して研究するのさ。

 夥しいたわわに囲まれながら生活するのは当然として、不意に催した際にも対応できるように通勤に使っているSUVにも常に忍ばせているし、時には女性の気持ちを理解するために女性用ブラジャーの中に入れて着用したりそのまま致したりもする。そういった地に足のついた研鑽をストイックに続けることで至る境地であって、けっして超能力などというようなオカルトではない極めて現実的な能力なんだ──わかるかい? これこそが愛なのだよ」

 

「うっわぁ……」

 

 気がつけば、わたしは体を引いて胸を抱き隠していた。

 そして、学んだ。自分を好きになってくれる男なら誰でもいいってもんじゃないんだなって。

 というわけで断ろうとして口を開きかけ──待てよ、と不安になる。言葉選びを間違えて色雲すなわち男様の不興を買ったらヤバいのではないか?

 色雲は一見優しそうだが、女ごときに袖にされたとなればあくどい本性を露にして嫌がらせをしてくるかもしれない。世間は男の味方だ。わたしがいくら被害を訴えても黙殺されかねない。いや絶対される。何ならセクハラなりの加害者にされる。

 どうしよ、何て言って振ればいいんだ……。

 

「さぁ若餅さん、君のお餅を食べさせておくれ」

 

「いやキモすぎ。鳥肌立ったわ。絶対無理なんで帰っていいですか?」もうめんどくせーからどうでもいいや。「てか帰りますね。さいなr──」

 

「ま、待ってくれっ!!」色雲は非常に敏活な動きで回り込んでドアの前に立った。成人男性の通せん坊である。「頼む、どうかそんな冷たいことは言わないでおくれ」

 

「やですよ。無理なものは無理ですもん。諦めて?」

 

「じゃ、じゃあせめて一揉みだけでも」

 

「えーやだー」

 

「そこを何とかっ!!」

 

 などと世界一くだらない押し問答が始まりかけた時、

 

 ──コンコンコン。

 

 ドアをノックする音がして、

 

「お話中失礼いたします。色雲先生にお電話が入っております」

 

 という声。おそらく新任英語教師の雨ケ谷涼だろう。

 助かった。わたしは胸を撫で下ろし、

 

「わたしは行きますので。レアイベントありがとうございました」

 

 と言ってドアを開けた。ショートヘアのよく似合う王子様系美女に、「せんきゅー!」を投げ渡し、おっぱいを片腕で支えてパイポジを固定したら準備万端、廊下に駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 吹奏楽部の奏でるメロディーを遠くに聞きながら放課後の校舎を駆け抜けるのって何か青春っぽいな、なんて呑気なことを思ってちょっとテンションが上がったのも束の間、体力のないわたしは昇降口に着くころには息を切らしてはぁはぁ言っていた。

 のろのろと上履きを履き替えて残暑厳しい晴天の下に出ると、太めの眉に広めのおでこの細面──犬を彷彿とさせる顔立ちの用務員、猫石(ねこいし)と出くわした。二人して足を止める。何やら四角い厚紙のようなものをたくさん抱えている。

 

「それ、何ですか?」どちらかと言うと猫顔のわたしだが、人間なので好奇心にも殺されはしないだろうと高をくくって尋ねた。

 

「ああ、これ」猫石は答えた。「何でもネズミが出たらしくてね、捕獲用の罠だよ」

 

 四角い厚紙のようなものは、接着剤でネズミを捕まえる、粘着シートと呼ばれるものらしかった。

 ネズミは直接見たことはないけど、害獣の代名詞的存在なのは知っている。だから、きっといいものではないのだろう。

 そう思って顔をしかめたわたしを見て猫石は、人懐っこいほほえみを寄越した。

 

「だーいじょうぶ、ネズミなんかすぐやっつけちゃうから」

 

「猫なのに犬なのに猫なんですね。安心しました」

 

「あはっ」

 

 と大きめの口を横に広げておかしそうに笑う猫石の口元で、鋭い犬歯が輝いた。

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