ワトソンレースは始まらない   作:虫野律

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 長宝院の跡を追って着いた先、更衣室の入り口の辺りには、更衣室全体ににらみを利かせる監視員、有佐がいた。

 長宝院は、

 

「このチビ、見た目の割に小賢しいみたいだから試しに推理させてみることにしたわ」

 

 と、ざっくばらんな言い方でわたしを紹介した。というか、推理云々なんて聞いてないんだけど。って長宝院に言ったら、言ってないもの、って返されそう。なので、諦めて黙っておく。

 

「ふうん」有佐は値踏みするような視線をわたしに這わせた。「学年二位の子だっけ?」

 

 と言うから、うなずくと、有佐は若干の期待の色を瞳に浮かべ、

 

「わかるの?」と尋ねてきた。

 

「いんや、まったく」

 

「駄目じゃない」と有佐は長宝院を見る。

 

 すると長宝院は、「それなら、わかるまで考えなさい」とわたしに命じてきた。

 

「えーダルー」つい本音を洩らしたら、

 

「あなたに選択肢はないわ」と言下に却下された。

 

 さいでっか。

 わたしはしぶしぶ推理擬きを再開する、その前に、

 

「あのさ」と長宝院と有佐を等分に見て尋ねた。「犯人の心当たりはないの?」

 

「ないわ」長宝院は即答したが、「……まぁそうね」有佐は異論を含んだ同調。

 

 聞いてもあんま意味ないんだろうけど、というところではあった。なぜって、長宝院は恨み買いまくりなんだもん。B組なんて全員に嫌がらせの動機があるんじゃないか。

 フーダニットはとりあえずは措くしかなく、ホワイダニットも長宝院がいる場では調査が捗らないだろう。

 やはりハウダニットから攻めるのがよさそうだ。てか、それしかない。

 となると振り出しに戻るわけだけど、窓から共犯者への受け渡しが違うなら、スマホを消失させる方法はあとは何がある?

 ……トイレに隠す?

 あるいは、何かで砕いて水洗トイレに流してしまう?

 そもそも犯人の目的が不明だから何とも言えないけど、一応調べてみるか。

 二人に説明すると、有佐は監視に残し、長宝院とわたしで調べることとなった。

 しかし、結果は白。スマホもなく、スマホの破片のようなものも皆無。トイレは無関係のようだった。

 男子更衣室はどうかな?

 と、女子更衣室の向かい側、匚の字の下の横棒の所にあるそのノブをひねってみたが、施錠されていて開かない。

 

「──男子更衣室の鍵? いや、わたしは持っていない。今は職員室と用務員室に一本ずつ置いてあるはずだよ」

 

 最上に確認したら、そう返ってきた。

 男子更衣室も無関係、と。

 それなら、体育館のほうの窓から外にやった?

 いや、これも検査のついでに有佐が聞いていた。皆、かぶりを振っていた。窓を開けたり、その他の不審な行動をしている者を見た者はいなかった。用具室についても同様で、複数人でバレーボールの準備をしていた時以外は誰も近づいていないという。六十人以上もいて誰も見ていないなら、実際にも存在しない可能性が高いだろう。

 外部からの侵入者も共犯者もおらず、かといって内部の者が単独で仕遂げる方法もなく、現場には何の形跡もない。魔法でも使ったかのようで、手詰まり感をひしひしと感じるが、長宝院を説得する術も思いつかない。

 ──いや、マジで詰んでないか、これ。

 更衣室の壁掛け時計を見ると、もう二時間目が終わるところだった。職員室の教師一同が頭を抱える姿が目に浮かぶ。

 と、不機嫌を満面に塗りたくった長宝院におずおずと歩み寄って話しかける勇者が現れた。体育教師の最上だ。

 

「これだけ捜しても見つからないんだから、初動捜査でホシを挙げられるようなヤマじゃないんじゃないか」

 

 言外に、今はいったん引いて時間のある時にゆっくり捜したらどうだ、と提案していた。聞き耳を立てている更衣室のそこかしこから期待感が漂う。

 

「美波はどう思うの」

 

 意外にも、忠言を聞き入れようか迷う程度の器量は長宝院にもあるようだった。

 

「そうね」有佐は噛んで含めるようにゆっくりと答えた。「もっと俯瞰的に事件を捉えて多角的に捜査したほうがいいかもしれないとは思う。どうにも一筋縄ではいかない気がしてならないのよね」

 

 そうだそうだ、と内心で野次を飛ばすわたしにも長宝院は尋ねてきた。

 

「あなたはどう思う」

 

「情報が足りないってのに尽きるねー。そやさかい有佐はんに賛成どす」

 

 有佐は嫌そうに顔をしかめた。

 そして長宝院は、

 

「仕方ないわね」

 

 と折れてくれた。

 ほっと安堵する気配が更衣室に満ちた。みんなの表情が和らいでいる。

 しかし、わたしはその輪に入れそうもなかった。長宝院がこう命じてきたからだ。

 

「情報が足りれば推理できる、あなた今そう言ったわよね?」

 

「えっ」嫌な予感に舌がもつれる。「か、拡大解釈反対!」

 

「教室に戻ってからもあなたは捜査を続けなさい」

 

 真顔で、いいわね、と圧を掛けられ、わたしにはしおしおとうなずくよりほかはなかった。口は災いの元。やらかしてもうた。

 

 

 

 

 

 

「大変そうだね」

 

 昼休み、さてどうしようか、と自分の席で自作のお弁当をつつくわたしに、言葉とは裏腹に楽しげな微笑を浮かべてそう声を掛けてきたのは、可憐にして二枚目、男性的でいて女性的、二律背反さえ飼い慣らして男も女も節操なく魅了する魔性の美花、

 

「げぇっ、綾崎千宙っ!」

 

 その人だった。

 綾崎はくすくすと耳心地のよい声で笑う。

 

「ひどい反応。傷つくなぁ」

 

「白々しいわ!」お前はそんな繊細な性格じゃないだろ!「何の用よ?」

 

「ん、ぼくもユリアのスマホ捜しを手伝わせてもらおうと思ってね」

 

 物好きなやっちゃなー、とあきれるも、すぐにその目的に気づいた。そういえばこいつ、ちょくちょく事件に首を突っ込んでは小説のネタを収集してたっけ。

 現実の悲喜交々を間近で観察するのに勝る刺激はないよ、とは綾崎の言葉。

 今回の事件も、人の不幸は蜜の味とばかりに嬉々として引っ掻き回すつもりに違いなかった。やっぱあきれるわ。

 とはいえ、だ。綾崎の頭脳と魔性は正直助かる。わたしは受け入れる構えで、

 

「まぁ座りなよ」と隣の空席をぽんぽんと軽く叩いた。「ごはん、まだなんでしょ?」

 

「さっすが、紅蒔。ちょr──話わっかるー」

 

 そう言って座ると綾崎は、涼しい顔で売店の袋からフルーツミックスジャスミンティーと塩おにぎりと日の丸弁当を取り出した。

 どういう組み合わせだよ……。

 

 

 

 

 

 

「まずは人見に詳しく話を聞くべきだね。網羅的ではないにしても更衣室に入った人物を聞いておいて損はないでしょ?」

 

 手早く昼食を片付けたわたしたちは、綾崎の助言に従ってB組を訪れた。

 後ろのほうの席に人見を認めるなり、彼女に向かってずんずんと歩を進める綾崎を追いかける。

 そして綾崎は、あっという間に人見を廊下の隅まで連行した。窓際での立ち話の格好だ。

 更衣室への──正確には更衣室前の廊下への、だが──侵入者を教えてほしい、と言われた人見は、記憶をなぞるようにして三人の名を挙げた。

 

「授業が始まってすぐ、最初に入ったのが長宝院さんで、次が百瀬さん、それからしばらくして最後に有佐さん」

 

 更衣室で追及されなかったから予想はしてたけど、わたしが入ったところは見ていないらしい。トイレにしか行っていないのに変に疑われたら面倒くさいから、これは幸運だ。

 やっぱり狸寝入りじゃなかったみてーだね、よかったよかった、と、ウンウンとうなずいたところで、人見がふと思い出したように言った。

 

「そういえばあなたも入ってたね」

 

「でも──」びくっとしてわたしは、反射的に反駁していた。「長宝院の姉御とはクラスも違うし、動機がないよ。それに、こうやって捜査もがんばってるんだから犯人らしくないと思わない?」

 

「それもそうね」

 

 人見は、追及して話が長引くのを嫌ったのか、あっさりと納得する様子を見せた。

 体調が優れない時にすまんな、とわたしは話を巻きに掛かる。

 

「体育の時、結構ウトウトしてたみたいだけど、寝落ちしてた時間がどのくらいかわかる?」

 

 監視の空白を知るための質問だ。

 

「たしかにぼやっとはしてたけど、完全にいっちゃってたのは後半に差しかかったころに一回だけ、ほんの一瞬だよ。だから取り零しはないよ」一度言葉を切って記憶を確かめるように間を置き、「──うん、ど忘れしてる人はもういないし、入ったのは間違いなく今挙げた四人だけだね」

 

「可能性としてはさ」やや唐突に綾崎が、ちょっと意地悪な質問を差し挟む。「君が犯人ってオチもあると思うんだけど、身の潔白を証明できる?」

 

「直接的な証拠はないよ」人見は応えた様子もなく答える。「でも、動機もないし持ち物検査もスルーしたんだし、それじゃ足りないの?」

 

「動機がない?」ちょっと引っかかってわたしも口を出す。「長宝院って嫌われてるんじゃないの?」

 

「そうでもないよ」と人見は言う。「たしかに長宝院さんは人の気持ちに鈍感で直情的でわがままで高慢ちきでかなりムカつくけど、憎みきれないところがあるっていうか、ほんのり妙な愛嬌があるような気がしなくもないっていうか、意外と話せばわかることもあったりなかったりっていうか、ほら、何だかんだ最上の言葉を聞き入れてたでしょ? あんな感じだから、好かれてはいないけど見かけほど嫌われてはいないと思うよ。少なくともわたしはそう──あれ、どうしたの? 経血が不意にドバッと出てきた時みたいな顔してるよ」

 

 綾崎は愉快で仕方がないというように笑みを転がすと、人見の背後に向かって、「ちょうどよかった。ユリアにも話を聞きたかったんだ」

 

 人見は体調不良を感じさせない敏活さで振り返り、自身への忌憚のない評価をばっちりしっかり聞いていた長宝院を認め、「あ、あは、は、はは」とぎこちない愛想笑いを繕った。

 

 長宝院は、壊れた愛想笑い人形と化した人見からフンッとばかりに視線を外すと、綾崎に問う。

 

「何?」

 

「動機の心当たりはないみたいだけど、もう一度よく考えてみてほしいんだ。些細なことでも推理のヒントになるかもしれないからね」

 

 長宝院は考える素振りすら見せずに、「ないものはないわ」そろりそろりと退散しようとしている人見を一瞥し、「わたしは鈍感みたいだから、いくら考えてもわからないでしょうね」とチクリ。

 

 人見はギクリ。綾崎はクスリ。

 助け船を出そうというわけでもないが、わたしも尋ねた。

 

「例えばこういうのは考えられない? 姉御のスマホのデータが欲しかったとか、消したかったとか」

 

「そんなの知らないわよ」しかし、にべもない。

 

「そ、じゃ仕方ないね」綾崎もだいぶそっけない。「ちなみに、ユリアも授業を一度抜けてたみたいだけど、その理由は何?」

 

「スマホを確認したかったのよ。彼氏からメッセージが来てるかもしれないと思ったの」

 

「姉御、男がいたんすか?! 男にデレデレちゅっちゅっする姉御なんか想像できねーんだが?!」

 

 思わず尋ねたわたしに、

 

「話し方ウザい。死にたいの?」

 

 と血も涙もない反問。結局、それ以上は答えてくれなかった。

 次に声を掛けたのは、パシられていた柔らか女子の百瀬だ。彼女はトイレから出てきたところだったのだが、綾崎を一目見るなり口を半開きにして呆けたようになった。にわかに色づいてゆく頬から、綾崎の麗しき魔性に囚われてしまったことが見て取れた。かっこいい……、とつぶやくのが聞こえた。

 綾崎が、

 

「ユリアとの関係を教えて」

 

 と尋ねると、百瀬はようやく正体を取り戻したようで、恥ずかしそうにいっそう頬を赤らめつつも慌てて答えた。

 

「そ、その、友達、みたいな」

 

 嘘だぁ、と言いたいところのわたしと、

 

「嘘だぁ」と実際に言っちゃう綾崎。「今日も朝からパシられてたみたいじゃん。本当に友達なの?」

 

 百瀬は決まり悪そうにうつむきがちになり、「あの、はい、本当は奴隷みたいにこき使われて、ます」

 

「それなら、動機があると客観的にはみなされるね」

 

「そんなことは……」と百瀬は尻すぼみに勢いを失い、「ないって言ったら、嘘かもしれない、です」

 

「そこまでではないってこと?」人見の話を思い出しながらわたしも横から質問を投げた。

 

 百瀬は困ったように眉尻を下げた。「わからない、です。長宝院さんも有佐さんもすごく怖いん、ですけど、全然怖くない時もあるん、です」

 

「DV彼氏に沼る女みたいなこと言ってるね」

 

 という綾崎の比喩は、わたしにも的を射ているように思えた。いじめっ子といじめられっ子のありうべからざる関係を支えているのは、歪な共依存なのかもしれない。共依存とは、その関係性そのものへの自縛自縄を伴うものだからだ。

 であれば、いじめられっ子という役どころ──枠から逸脱した行動は執らないのではないか。

 けど、百瀬の言葉が実とも限らない。わたしは百瀬犯人説を考えようとして──しかしすぐに匙を投げた。

 証拠がないのだ、何も。そんなんじゃただの当て推量。やる意味もない。

 

「体育の時に更衣室のほうに行ってたみたいだけど、何しに行ったの?」

 

 綾崎の問いに百瀬は言下に答えた。

 

「トイレしてただけっ、です」

 

「ところで」と続けて綾崎。「ユリアの彼氏のことは知ってる?」

 

「ああ、はい、イナバさんのこと、ですね」

 

「イナバって三年の?」

 

「そう、です」

 

 稲庭(いなば)健人(けんと)。元陸上部。爽やかな甘いマスクに高めの身長の、アスリートらしく引き締まった体躯の好男子だ。

 同じくアスリートの長宝院とはお似合いなのかもしれない。少なくとも絵にはなりそうだ。

 しかし、百瀬は躊躇するように喉を鳴らした。

 

「何かあるの?」と目敏く綾崎。

 

「いえ、別に何もない、です」

 

「絶対何かあるやつじゃん」思わずわたしも口を出した。「ユー、ゲロっちまいなよ」

 

 ヘイヘイ! ハリーハリー! とうざったく催促すると、百瀬は半笑いを零して白状した。

 

「わたしも詳しくはないん、ですけど、最初に稲庭さんを好きになったのは有佐さんだったん、です。それを、長宝院さんが奪うような形になったらしいん、です」

 

「へぇ」とおもしろそうに綾崎。「いい感じにどろどろしてるね」

 

 恋敵に仕える女の哀切たるや、いかほどのものか。

 

「せやったら有佐はんには動機があるやん」

 

「そうとも言えるかもしれま、せん。でも、わかりま、せん。噂で聞いただけ、ですし、全然違うかもしれま、せん」

 

「ほかに心当たりはある?」と綾崎。

 

 百瀬はかぶりを振った。「あとは、全然わからない、です」

 

 これ以上続けても有益な証言は引き出せそうにない。わたしと綾崎は視線を見交わし、百瀬の事情聴取を切り上げた。

 昼休みはあとわずか、予鈴が鳴ろうとしていた。

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