「ちぃっ!!」
わたしは不満たらたらで大きく舌を鳴らした。
向かいのソファーに座る綾崎が憎い。
「でも、よくできてたよ」
「完璧に正解しやがった人間に言われてもうれしかないやい!」
ぷんぷんするわたしに綾崎は微苦笑を零して、
「ぼくは楽しかったけどね」
などと宣った。
あの日わからせてやると決心したわたしは、一箇月掛けて読者への挑戦ものの短編ミステリーを書き上げた。これを綾崎に叩きつけて降参させることで身の程──真に優れた推理作家はどちらであるかわからせようという心積もりだった。
これはリベンジなのだ。
例の文学賞で大賞を奪われ、次点とされる優秀賞すなわち惨敗を喫させられたわたしの、今度は同じプロとしての負けられない戦い。
そして今日の放課後に、「しっ、新作の本格ミステリがあるんだけど、きょっ、興味にゃい?」と若干緊張しながら声を掛けたら、「あるよ」「読みたい」「男子サロン行こっか」という具合にトントン拍子に話が進んで、綾崎って案外ちょろいのかも、とわたしは思ったりもした。
しかし──。
午後五時半現在、男子サロンの部室にはわたしと綾崎以外は誰もいない。つまりは二人きり。年頃の男女が密室に二人きりである。
何が起きてもおかしくない!! えっちなあれこれとかさぁ!?
だというのに綾崎はけろっとしていて、やっぱり悔しい。女として見られていないのだろうか。そう思うと、めちゃくちゃ鬱いし、胸の奥が切なくなる。
「はぁ」これ見よがしに溜め息をついてわたしは、嘆く。「いい案だと思ったんだけどなぁ」
この短編の肝は、実在する人物──綾崎千宙の性別を変えていることを隠す叙述トリックだ。実際の性別は男なのだから作中でも男に違いないという先入観を利用しようとしたのだ。
しかし、綾崎には通用しなかった。
綾崎は、作中の人見の台詞〈そういえばあなたも入ってたね〉の〈あなた〉が指す人物が、作中のわたしではなく、作中の綾崎千宙である可能性に一読しただけで気づいた。
実在人物の設定が現実とは違う可能性があることを示唆するために誤字に見せかけてあえてした名前の漢字の変更、すなわち本来の〈雨
だけにとどまらず、負けず嫌いで、とりわけ綾崎に対して並々ならぬ対抗心を燃やしているわたしの乙女心(?)を読み切って、作中綾崎のブラのサイズがわたしのサイズ──これは現実でも同じだ──であるJ65未満すなわちI65であることまで当ててきやがった。
この〈65〉というのはアンダーバスト──胸の下の付け根の胴囲のことで、これとトップバスト──胸の先端の一番高い所の胸囲との差でカップサイズが決まる。差が三十二・五センチほどならJカップという感じだ。
しかし、この仕様にはちょっとした落とし穴──わかりにくいところがある。女ならわかっていて当たり前だが、男の綾崎は知らないのではないか、とわたしは疑った。つまり、彼の推理には勘に頼ったところがあるのではないか?
そこで、わたしは聞いた。
「IカップってことならI70とかほかのサイズのもあるのにI65と推理した根拠は?」
「I70だとJ65と姉妹サイズになって乳房の容量という点ではほとんど変わらず、I75以上だと実質的には紅蒔より大きくなってしまう。だから、I70以上はないと思ったんだ。
となると、一般的に購入又は注文可能なサイズで条件を満たすのはI60、I65、J60になるんだけど、相対的に見てアンダーバスト60の人は極端に少ない。作家心理としてはまだ比較的に数の多いI65に設定してなるべくリアリティーを持たせたいと考えるだろうと踏んだんだ」
姉妹サイズのこと、それからアンダーバストに比例して胸の容量が大きくなることを理解しているか試したら、先回りするようにしてアンダーバスト60の希少性にまで言及されてしまった。
「おっぱいにめっちゃ詳しいやんけっ?!」と思わず叫んでしまったのもやむなきことなり。
その時点で、もはやつつくべき重箱の隅はなく、完全敗北を認めてぐぬぬとしながら、ウイニングランとばかりに優雅に解答編を読む綾崎を
「ところでさ」不意に綾崎が言う。何やら意地悪そうな笑みを浮かべて。「紅蒔はぼくのこと、『いつもこっそりと眺めて』るの?」
「そ、そんなわけないでしょ? た、ただの演出だから」などと平静を装おうとするわたしだが、かぁぁっと顔が熱くなるのを自覚していた。「そこはミステリーとは関係ないんだからいちいち言及してくんな、馬鹿変態おっぱい星人」
嘘。本当は一番気づいてほしかったところ。
「ふうん、てっきり小説を通して告白されてるのかと思っちゃったよ」
「は、はぁあ?」尻上がりに上擦った声は、少し震えていた。「何でわたしが綾崎に告んなきゃいけないわけ?」
「そっか、そうだよね」と綾崎は目を伏せて残念そうに語勢を弱く、暗くし、そのまま口を閉ざした。
「……」「……」
重苦しいのにふわふわとした
何その思わせぶりな態度?!
わたしは気が気ではなくなっていた。
もしかして両想いだった?!
と期待してしまうと、もう駄目だった。理性の箍が空の彼方へテイクオフ、物書き特有の痛々しくもたくましい想像力がノリノリで暴走しはじめた。
夜這星高校の入学式のあの日、体育館のステージで新入生代表の挨拶をする綾崎と目が合ったわたしは、刹那のうちに心を奪われ、〈恋〉の意味を知った。辞書の味気ない文字からでは伝わってこなかった甘やかな胸の疼きを初めて感じることができた。
──のは、わたしだけじゃなかった?!
綾崎もわたしに一目惚れしていた?!
やばい、めっちゃうれしい。
綾崎に恋人がいるという話は聞いたことがない。すなわち論理的理性的に至極冷静沈着に推理して──、
その後もずっとわたしだけを想いつづけてくれていた?! ほかにいくらでもかわいい女の子はいるのに!? 目もくれずに!! わたしへの一途な恋心を募らせていた?!
やばい、死ぬ。
そして、わたしは恐ろしい事実──綾崎も十七歳の健全な男の子であるということに気づいてしまった。そんな彼に彼女がいないのなら──そう、真実は一つ。
夜な夜な綾崎でエロい妄想してごにょごにょしてたわたしと同じように彼も?! わたしで!? 何なら運命の悪戯でホワイトアウト(?)のタイミングが重なったことも!? もうこれツき合ってるだろ!!
うひょー!! こいつぁえらいこっちゃ!! ワンちゃんあるどころの騒ぎじゃないわ!! ニャンコちゃん級(?)じゃない!!
やばい、ちょっと濡れてきた。
でも大丈夫!! かわいいの穿いてきたから!! ビビらずにガンガン濡らしてけー!! ヒャッハー!! 大洪水だぜー!! 秒で準備完了(♡)なりー!!
──イくか?
ここは女のわたしが口火を切るべきだろう。
わたしは、空の彼方からあきれ顔で自分を
「あ、あの、綾崎、その、わたし本当は、前から綾崎のことが──」
「ぷぷっ」
と噴き出しかけた綾崎が口元を押さえたのを見て、わたしの頭は一気に冷めた。たぶん、情欲にふやけきっていた顔も無に至っていることだろう。
綾崎はからかっていたのだ。わたしの下心も何もかも見透かして、彼の手のひらの上でわたわたするわたしを見て楽しんでいたのだ──推理作家が読者に対してするように。
わたしにはわかる。なぜって、わたしもそれが楽しくてミステリーを書いているから。
読者を騙して手のひらの上で踊らすのは楽しいよなァ、わかるよォ、綾崎ィ……、
──ちぃっ!!
「あ、ぷぷっ、ごめん、ぷぷっ、どうぞ続けて」
綾崎は、愉快で仕方がない、というようなニヤニヤ顔で言ってきた。
もちろん答えは、
「大っっっ嫌い!!!!」