「うわっ、やばっ! めっちゃきれいな子じゃん! たぶん女の子じゃないよね? 男の子だよね?」カフェ店員の三葉杏奈は、玄関扉を開けて綾崎先輩を一目見るなりその大きな瞳を見開き、声を高くしてまくし立てた。綾崎先輩から性別を聞くと、「そうだよね、ごめんね、あんまりにも現実離れした美形だったから性別がわかんなくなっちゃって。……ん? あれ、君ってもしかして天才推理作家の──」
松原のアパートを後にしたわたしたちは、三葉のマンションを訪ねた。短めにした茶髪のかわいらしい女性で、中肉中背だけど胸はそれなりにあるようだった。松原に比べれば元気そうに見える。
綾崎先輩は先ほどと同じようにアドバイザーを名乗り、事情聴取を始めた。
「煎豆さんとのご関係は、雇用主と被用者ということで相違ないですか?」
「相違ないよー」
軽薄な声色で三葉は答えた。プロの小説家とはいえまだ子供とも言える年齢の綾崎先輩が大人ぶった硬い表現を使うのがおもしろいのか、含み笑いをにじませている。
「プライベートでの付き合いはありましたか?」
「ないねー、悲しーけどね」
「では、三葉さんから見た一野の印象を教えていただけますか?」
「んーとね」人差し指を顎に押し当てて舌足らずに言って、どことなくわざとらしく考える仕草をすると、「どんくさい子!」と無邪気そうに笑った。「悪い子じゃないと思うんだけど、ちょっと足りないってゆーか──」
言いたいことわかるでしょ? と目で同調を求められ、神妙そうに取り繕った仮面の裏で舌打ちしつつわたしは首肯した──ワタシ、コイツ、スキジャナイ。
わたしの内心など知る由もない三葉は、満足そうに目に嘲笑の色を浮かべた。
綾崎先輩が姉と煎豆の仲を尋ねると、
「フツーぐらいだったんじゃない? だから驚いたよね、風花ちゃんがあんなことをするなんてこれっぽっちも思ってなかったから」
「一野には殺害の動機はなかったということでしょうか?」
「そう強く言われると自信なくなるけど、たぶん」三葉の物言いは、含みがあるように聞こえた。
「何か気になることでもあるんですか?」と、これはわたしが聞いた。
「気になるってほどじゃないんだけど」三葉は少しだけ声を落とし、「風花ちゃん、たぶん翼さんのこと本気で好きだったんだと思うの」
三葉の言いたいことがわかり、胸がざわついた。
「──でも、翼さんは鏡子さんしか眼中にないのがわかりきってたから何もできなかったみたい。ただちらちら盗み見てるだけだった。
ま、これくらい珍しいことじゃないけどね、女の恋愛は負け前提だから。
ただ、今になって考えてみたら、風花ちゃんの中で何かがあって悪いほうに感情が爆発しちゃったってことはあるかもって、ちょろっとは思うわけ」
あたしのものにならないなら殺してやるー、みたいなね──三葉は茶化すようにそう続けて結んだ。
そんなことで殺人なんてするわけない、お姉ちゃんはそんな人じゃない、と姉を信じたい心が、弱気な軋み音を立てた。
その一方で、
「なるほど、参考にさせていただきます」綾崎先輩の声はどこまでも平静で、微塵の揺らぎもない。「ちなみに、ほかに怪しいと思う人物はいますか?」
「わかんないけど、いないんじゃない?」
「では次に、死亡推定時刻の行動を聞かせていただけますか」
「あー、アリバイ調べってやつね」三葉は気分を害したふうもなく、「夜の十二時ごろでしょ? フツーにこのマンションでごろごろしてたからアリバイはないのよねー」
時間が時間だし仕方ない。綾崎先輩も深く追及しなかった。
三葉への聞き込みを終え、マンションの正面玄関口を出る。見上げれば、どこか切ない夕方の気配が空を漂っていた。
最後の店員、長戸鞠子は家族と住宅街の一戸建てで暮らしている。
わたしたちが訪れた時には、家の奥から甘じょっぱいような食欲をそそるにおいがしていた。時刻は午後五時半前、夕食の準備をしているようだった。
長戸は、百七十センチ近くはありそうなモデル体型の松原ほどではないにしろ、背の高い女性だった。ただし、不健康そうな青白い肌のせいか、スレンダーというよりも痩せぎすという印象を受けた。
もう慣れてきた、綾崎先輩の性別を超越した美しさに驚愕するやり取りを経て事情聴取に移ろうとすると、
「わたしは煎豆さんと何もありませんでしたよ」長戸のほうからそう言ってきた。冷たく突き放すようなぶっきらぼうな口調だった。「親しくもなければ特別険悪でもなかったですから」
「ほかの店員の方と煎豆さんの関係はどうでしたか?」と綾崎先輩。
長戸は小首をかしげて少し考えてから、
「いや別に。松原さんは婚約してましたが、仕事中はみんなそれなりの距離感でやってましたから。近すぎず遠すぎずで無難な関係だったかと」
「警察は一野が犯人だと見ていますが、彼女の動機は推測できますか?」
考えるときの癖なのか、また首を傾けてから長戸は、自信なげに答えた。「……痴情のもつれ、ですかね」
長戸も姉の実らぬ恋──片想いに気づいていたらしかった。けど、それが原因だと断言する根拠はないという。
「それを言うなら、わたしたちだって似たようなものですし。煎豆さんみたいな魅力的な男性と同じ職場で働いていたら、普通の女なら一度ならずそういう気持ちを抱くでしょうよ」
そうですね、わかります、とわたしと法橋がうなずく。
綾崎先輩は質問を続ける。
「一野のほかには煎豆さんを殺害しそうな人物に心当たりはありませんか?」
「ありませんね」
「ところで、長戸さんは事件の日は風邪でお休みしていたそうですが、病院へは行かれましたか?」
長戸はあからさまに顔をしかめた。「疑われているとは思っていましたが、実際に面と向かって言われると嫌なものですね」と皮肉げに零しながらも、「病院には行っていないし、アリバイ証言は母と妹のしかないですね」
家族の証言だけではアリバイは成立しないんですよね? と問われた法橋が、
「絶対に成立しないわけではありませんが、証明力は低いというのが実情です」
と答えると、
「ですよね」長戸は溜め息まじりに肩を落とした。「でも、わたしはやってませんよ」
「その日はずっとこの自宅にいたのでしょうか?」綾崎先輩は質問を変えた。
長戸は一度怪訝そうに小首をかしげ、「そうですね、文字どおり休んでいたので」
長戸から嘘のにおいはしない。素人判断ではあるけど。
「ぼく、お腹空いちゃった」
長戸と別れて車に戻ると綾崎先輩が、「まだちょっと早いかな」とささやいたかと思うと出し抜けにそう言った。
「何が食べたいですか?」法橋がすかさず問い返した。
男性から空腹を訴えられたらエスコート中の女性は所望の食事をご馳走するのが絶対のマナーであるため、常なら何もおかしくはないのだけど、今はそれどころではないのではないか?──とはいえ、その鉄の掟に異を唱える勇気はわたしにはないのだけど。
「肉寿司のおいしいお店、知らない?」
と綾崎先輩が言うので、法橋とわたしはスマホでお店を調べ、予約を入れた。ここから車で二十分は掛からない場所にある高級路線の創作居酒屋だ。
代金は法橋が出してくれた。タダで絶品料理を食べられる──ご相伴に与る幸運を噛みしめる気分でもなかったけど、おいしいものはおいしいし得は得である。
しかし綾崎先輩は、「これ、すっごくおいしいね」と言いつつあまり食べていなかった。どうしたんだろう?
「ありがとうございました」
いやに丁寧なお辞儀に見送られて店を出た。
「うん、ちょうどよさそうだね」
と言う、私立探偵こと綾崎先輩の指示で次に向かったのは、現場の都市公園だった。到着したころには街はすっかり闇夜に沈んでいた。
「広いですね」
来たことのない公園だったけど、思いのほか大きくてわたしはそう洩らした。
出入り口は東西に一つずつあり全体をぐるりと回るように歩道が延びているけど、高さのある木塀が敷地を囲んでいて、さらにブナの木やツツジがたくさん植えられているため外からは中の様子がほとんどわからず、殺人が行われていても、特に夜間は、気づくのは難しそうだった。
淡い光を落とすだけの頼りない公園灯が並んだレンガの歩道を歩いて煎豆が倒れていたという場所へ移動する──と、
「うえぇ……」わたしは顔をしかめた。
一週間も経っているのに、血の海だったことが窺える広範囲の血痕が歩道のレンガにこびりついていたのだ。普通に生きていたらまず遭遇しないだろう凶行の面影は、想像していたよりも何倍も生々しい。
──ざしゅっ、ぐちゅっ、ざしゅっ……。
何度も何度も人肉を突き刺す音が耳に響き、塩味まじりの鉄錆の臭気が鼻を突くかのような錯覚に陥る。途端に気分が悪くなり──ふいと声が聞こえた。
「大丈夫?」
少し背の高い法橋が、小首をかしげるようにして背の低いわたしの目を覗き込んでいた。黒縁眼鏡の奥の瞳が心配そうにしている。
こんなことで取り乱した自分が恥ずかしくて、
「す、すみませんっ」謝罪の声も上擦った。「もう大丈夫ですっ」
「無理はしないでくださいね。つらかったら車で休んでいてもいいですよ」法橋が優しくそう言うのと、
「二人ともここの血痕の真ん中に来て」と綾崎先輩が手招きするのが重なった。
美少年に振り回されるのは女の幸せといってもタイミングが絶妙すぎて、顔を見合わせたわたしと法橋は同時に微苦笑した。
指示どおり二人して煎豆が倒れていたとおぼしき場所に立つと、綾崎先輩は言った。
「法橋さん、現場から逃げていったらしい松原さんと同じように動いてくれる?──小春はぼくと一緒にここからどう見えるか確認ね」
なるほど、だから犯行時と同じように暗くなるまで時間を潰したのか、とその意図を理解した。綾崎先輩は姉の目撃証言の信憑性を確かめたいのだ。
結果は──、
「微妙だね」綾崎先輩の判定に、
「そうですね……」わたしもうなずいた。
公園灯や繁華街の明かりがあるおかげで走り去る人の姿がまったく見えないということはないけど、公園内が薄暗いのに加えて距離もあって人相を正確に把握するのは簡単ではなかった。法橋がこちらを向いて立ち止まっていてくれたらできそうだけど、背を向けて逃げていかれるとなるとその難易度は跳ね上がる。
わたしの胸にざらつく恐れが去来し、脳裏には不都合な推理が浮かんでくる。
姉は、なぜこの場所にいたのかという問いに動揺を露にして返答に困っていた。ようやく答えたかと思えば、犯行時は雪が降っていて星なんて見えなかったはずなのに、「星が見たかったから」などと明らかな嘘をつく。
まさか本当にお姉ちゃんが殺した?
三葉や長戸が言うように、煎豆が相手にしてくれないことに逆恨みして凶行に走ってしまったというの?
走り去る松原を見たというのも、警察の読みどおり罪を逃れ、さらに憎い恋敵を陥れるための嘘だったの?
頭が痛い。
「どうでしたか?」戻ってきた法橋が尋ねた。
綾崎先輩が口を開きかけ──と同時に呼び出し音が聞こえた。法橋のスマホだ。綾崎先輩が、どうぞ、とうなずいて示すと、彼女は、
「すみません」
と軽く頭を下げてから数歩離れて電話に出た。
「──っ!」
すると突然、法橋の顔つきが険しくなった。
嫌な予感がして心臓がおびえる。
電話を終えて戻ってきた法橋は、眉間に苦悶の皺をこれ以上はないというくらい深く刻んでいた。
「風花さんが自白したそうです。腐れ縁──知り合いの刑事からの確かな情報です」
その言葉は、わたしの希望の糸を容易く断ち切った。
法橋はその自白の内容を説明する。
自分が煎豆を殺した。あの時間にあの場所にいたのは煎豆をつけ回していたから。松原の目撃証言は真っ赤な嘘で、本当は誰も見ていない。彼を思う気持ちを抑えられなかった──姉はそのようなことを涙ながらに語ったという。
「あちゃー、自白調書取られちゃってるだろうし、ちょーっと面倒だねぇ」
綾崎先輩の軽薄とも取れる軽い台詞は、絶望の淵に落ちていくわたしには、現実感のない夢のように遠く聞こえた。