燕少女は漢字を知りたい 作:sasugani
僕は面倒臭い事は嫌いだ。
体力は効率的に使いたいし物事は合理的に考えた方が正解へと最短で辿り着く。結果ではなく過程が重要、とか宣いながら途中式を書かなかったことで減点してくる数学教師に中指を立てるのが僕のライフスタイルだ。
人生は最適化されるべきなのだ。例えば駅の階段は一段飛ばしで上った方が約1.35倍速い。帰りのHRの前に荷物を纏めておいた方が終わった瞬間に教室を出られて早い。ソシャゲのデイリークエストはトイレや料理中などながらでこなした方が効率的だ。
何事も効率が重視される、それが僕の信念で、生き方だ。
「よく来てくれたな
無駄なことはやらない主義である僕だけど、後々のことを考えて放課後の教師からの呼び出しに応えて職員室に来ていた。ここで無視すると後に厄が回ってくる、経験談だ。
僕を呼び出したのは女性の多い現代文教師で唯一の男性教諭である浜田先生。何故か少し疲れたように缶コーヒーを仰ぐと、息を吐きながら書類に目を通すような仕草をした。
「いえ。それより何の要件ですか?」
「そんな畏まる必要はないぞ。別に叱るわけでもないしな」
気を遣うようにそう声を掛けられる。
まあ僕も校則に触れる様な事をした記憶は無い。赤で呼ばれたかといえば成績だってかなり優秀な方だ。浜田先生とは授業以外での繋がりも無いし、本当に呼ばれる理由が思いつかない。
眠たそうな浜田先生の瞳を呆然と見ていると浜田先生は手元の書類を見ながら口を開いた。
「
「はあ」
そんな褒める為だけに呼んだのだろうか。
探るように見ていると、続けて言う。
「いや、な? 書面上じゃともかく、実際に改めて見ると実物はなんかダウナーだなっと感じてな。他意は無いから気にすんな」
「突拍子もなく生徒の悪口ですか?」
「公明正大な俺の評価だ」
どこが公明正大なんだ。どう聞いても先生の偏見で塗れてるでしょそれは。
結局何の用件なんだか、と思いながら後ろ髪をカリカリ掻いていると浜田先生は「まあ大丈夫か」と言って書類を机に投げた。何が大丈夫なんですかね。僕の人間性ですか?
「さて、じゃあ本題を切り出そうかね」
「早くして下さい。遅くなったら家で飼ってるメダカがお腹を空かせて餓死してしまいますので」
「何だそれ? メダカはそんくらいじゃ死なないから安心しろ。で、だ。国語の成績優秀な華表に頼みたいことが1つある」
国語の成績が良いのが頼みごとに何か関係してくるのか? 何だろう、僕に国語の補修教師の代打でもやらせるつもりだろうか。ならば速攻拒否だけど。
「お前2年生だよな?」
「まあ、2年5組ですけど」
「じゃあ知らないかもしれんが、俺の担当してる1年2組にこの前転校生が来てな?」
「この時期にですか?」
今日は5月12日。一年生でこんな時期に引っ越してくるなんて相当変わってるな。いや、変わってるのはその生徒ってよりかはその両親か。
浜田先生は頷くと空き缶を指で弾いた。
「そうだな。実はその転校生の女子生徒なんだが、留学生でな。その面倒をお前に頼みたい」
「留学生? 僕は英語はそんなに得意じゃないですよ」
高校英語なら試験で毎回8割取れるくらいには出来るとは言え、実際に意思疎通をするとなれば話は違う。留学もしたことなければ海外の人と話した機会など学校のネイティブの教師相手くらいなものだ。レベル1の勇者が最強装備でラスボスに挑んでも勝てないように英文法が多少分かっててもトーキングはてんで駄目なら会話は難しいだろう。
「安心しろ。日本語は完璧だ……面倒なほどな」
「面倒なほど?」
どういう意味が含まれてるのか分からず馬鹿みたいにオウム返ししてしまった。浜田先生は僕の発言には反応せず徐に立ち上がると着いてくるよう無言で促した。
「まあ来れば分かる」
「まだやるとは言ってないんですけど……」
「良いだろうが、お前部活も入ってないし暇だろ? 少しは今日も残業で午後10時帰宅確定してる俺のことを労れ」
「……分かりました」
僕は仕方なく了承の意を示してその後を追う。ホントは行きたくないけどその言葉を聞いてしまうと幾許かの同情が無くもない。高校教師は本当に激務なんだな。絶対に目指さない職業リストに追加しておこう。
一階の廊下に出ると窓の外から春の暖かな空気が流れ込み肌を刺激する。ついでとばかりに風に乗ってランニング中の野球部の猛々しい掛け声が聞こえてきた。授業は終わってるというのにご苦労である。
そのまま階段も上がらずに廊下を進み、浜田先生はふと立ち止まると、他の教室と同じく簡素なドアがある方へと向き直る。
「確か……ここだったな」
「ここにその生徒がいるんですか?」
「ああ」
見る限りでは空き教室だ……もしかして部活動か? 一対一ならともかく突然大人数の中に放り込まれるのは勘弁してほしい。
「先生。発作的に人と話したくなくなったので帰って良いですか?」
「躁鬱かお前。とにかく入るぞ」
生徒の体調不良を無視するなんて酷い教師だ。本当に教育者なのだろうか疑わしい。
じとじとと睨んでいる合間にも浜田先生は取っ手を掴み、ドアを開けた。
「おーい。シンシア、入部希望者連れてきたぞー」
……は? 冗談じゃないんだが。
即座に反駁しようと僕は視線を上げて、出すべき言葉を失った。
教室の中央で本を読んでいた女子生徒の姿に目が吸い込まれる。
金色の長い髪に一切日焼けの無い妖精のような白い肌。幼い頃に見たビー玉みたいな青い瞳は馴染みのない海外生まれの証。
春の景色の一部を切り出したかのようにその女子生徒は自然に存在し、それは完成された一枚目のようだった。窓の外で散った桜がひらひらと舞い落ちていくのが脳内で勝手に再生される。陳腐な表現は全て消え去るほど、言い表せない衝撃。
シンシアと呼ばれた女子生徒は本────よく見れば国語辞典だ────に栞を挟み込んで閉じると、浜田先生のことを見て、その次に釣られるように僕へと視線をスライドさせた。するとぷくりと膨らんだ艶やかな桜色の唇を動かした。
「浜田先生、また
「遭逢ってお前な……普段使わない表現だぞ」
「そうなんですか?」
目を丸くするシンシアに浜田先生は溜息を吐いた。
「そちらの方は?」
「ああ、コイツな。入部希望者の華表一貴だ。おら自己紹介しろ」
「は、はあ。どうも2年5組、華表一貴です」
そう言うとシンシアはふわりと優しく舞い上がるような笑みを浮かべた。
「わあ、本当に入部希望者なのですね! 僭越の極みです! 私、シンシア・テルリナットと言います! 日本に来てからまだ浅いですがよろしくお願いします!」
「うん。────────浜田先生、ちょっとどういうことですこれ」
それはもう心から。本当に嬉しそうに言い放つシンシアに若干の罪悪感を覚えながら浜田先生に小声で抗議した。
「どういうことってそういうことだろ。俺、顧問。お前、入部。皆、幸せ」
「何で片言なんですか……。嫌ですよ入部なんて」
「え? 入部嫌なんですか…………?」
小声で抗議していたのにシンシアはその僕の声を拾ってしまったらしい。僕の目を下から覗き込む、いわゆる上目遣いの姿勢。
……なんだこれは。めちゃくちゃ断りづらい。試練か何かか?
僕は後頭部をガシガシと擦って、仕方なしに口を開く。
「……分かった。入るよ入る、それでおけだよね?」
言質は取られてしまったけどあとから「ごめん、来週から予備校通うんだ」とか適当な嘘で誤魔化せば退部なんて簡単にできるだろう。そもそも入部届だって出してないし。
逃げ道の算段を付けていると僕の発言におかしなことでもあったのか、シンシアはこてんと首を傾げた。
「おけ…………?」
「
「なるほど……!」
訂正する浜田先生の言葉を聞いて星みたいにキラキラと目を輝かせるシンシア。あーもう、これ完全に断れないパターンじゃん。どうすんのさ全く……。
「じゃあ俺は仕事に戻るから、後は二人で頑張ってな」
「え。ちょっ、浜田先生!?」
「じゃな。あ、入部届は明日持ってくから心配しなくて良いぞ」
そんな心配微塵もしてない、というか持ってくるな……!!
無情にもドアはバタンと閉められ、タイミングよく鳥の鳴き声が窓の外から聞こえた。
シンシアと二人きりにされ、繕った表情の裏で僕は焦り始める。おかしい、今日のタイムスケジュールでは既に僕は帰宅して自習しているはずだったというのに、何でこんな妙な事情に巻き込まれてるんだ。
「あの、聞いても良いですか?」
どうしようかと考えていると。パン、とヒマワリみたいな満面の笑みを浮かべながら両手を合わせてシンシアが言う。
「あ、ああ。別に良いけど」
「私の部活を知ったきっかけを知りたいです……!」
きっかけ……………………。
「何か色々あって浜田先生に紹介されたんだ」
「そうなんですか!
「幸甚って……」
留学生なのに何故か難しい表現使うな……まあ良いけど。
微かな罪悪感が心に影を落とすけど、嘘は言ってない。部活であるという話すら聞いていなかったし、当然何部かすら僕は知らない。取り敢えずお茶を濁した。
「それより僕も聞きたいことあるんだけど」
「何でも聞いてください!」
「この部活って何をする部活なんだ? 教室には何もないっぽいけど」
改めて周囲を確かめるように教室の中をぐるりと一周見渡す。
ここは何をする部活どうなのか……文化系なのは分かるけどそれ以上の情報は無い。特殊な道具もないことから文芸部とか数学部とかその辺りが脳裏を過るけども、目の前のシンシアがさっきまで国語辞典を読んでたのが気になるんだよな。
シンシアは頷くと溌溂と答える。
「はい! ここは漢字部ですので、その漢字について
「貪婪……?」
漢字部とかいう摩訶不思議な部活名も気になったけどそれ以上にシンシアの発言に首を傾げた。
また難しい表現だ。こんな言葉、普通に生活している上で使わないような……。
ただここで話を折るのも悪いし、一先ずは部活について聞いておくか。
「漢字部って……あんまり聞いたことない部活だけど、普段何してるの?」
「そうですね……漢字のお勉強です?」
何故疑問形?
「すみません。まだ私自身部活動なるものに慣れていなくて……
「そ、そうなんだ……」
……何で中途半端に語彙レベルが高いんだろうか。それともこれが漢字部の実力って言うのだろうか?
で、加えて国語辞典を読むのが好きなことと……滅茶苦茶変わった女の子だな。
「そう言えばシンシア以外の部員が見えないけど……今日は休みだったり?」
「いえ、この部活は今は私だけですよ? 作ってからまだ一週間しか経っていませんし」
え?
驚いて思わずシンシアの顔をまじまじと見る。笑みを絶やさずに言っており、一見しても嘘を吐いている様子はない。
「えっと、浜田先生からシンシアは留学生って聞いたんだけど……」
「はい」
「転校してきたばかりとも聞いたんだけども……」
「そうですよ?」
常識を語っているみたいに特に表情を動かさずシンシアは言い放った。つまりシンシアは転校したての一年生なのにも関わらず、すぐに部活を設立したと。……嘘だろ? 行動力の権化過ぎる。海外の学生は確かにアクティブなイメージはあるけどここまでなのか……。
戦慄していると、シンシアは「あっ!」と何か思いついたかのような声を上げた。
「私のことばかりでごめんなさい! 私、華表さんのことも知りたいです。華表さんのことを知ってからずっと気になってることがあるんです」
「そ、そうなの?」
「はい! なので私からも質問しても良いですか?」
また純粋無垢な視線……!
美少女の上目遣いに勝てる理由もなく「うん、どうぞ」と秒で返してしまう。
……にしても今のシンシアの言葉はまるで口説き文句みたいだ。外国人だからなのか平然と言うけど、純粋たる日本男児の僕にとってそのストレートな物言いは心の臓に悪い。辞めてくれそういうの、普通の男子高校生なんだから勘違いしたらどう責任取ってくれるんだ。
勝手に気まずくなって視線を右斜め上に逸らしているとシンシアはゆっくりと頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
「……ああ。まあ僕は先輩だからな、ドンと来い!」
「では……華表さんって漢字でどう書くんですか!?」
遊園地に来た子供みたいに目をキラキラさせながらシンシアは尋ねた。
漢字……ねえ。
シンシアの質問に意外さを感じながらも、僕としてはそれも分からなくもない。華族の華、表札の表で『とりい』と読むのは自分で言うのも何だけど相当難しい。知ってなければ分からないのも無理はないし、留学生であるシンシアならなおさら無理だろう。
「因みに書いてもらっても良いですか?」
「良いけど……この黒板使って良いのかな?」
「はい!」
快く許可をもらったので置かれていた白いチョークを片手に華表と書いてみる。シンシアはその書かれる過程を見て、更に手元に置いていた国語辞典を物凄い勢いで引き始め段々驚きを顕わにした。
「読み方もそうですけどこんな漢字見たことないです……! 国語辞典にも『
「だろうね……。因みに辞書じゃなくてググればヒットするよ」
「ホントですか!?」
投げ捨てるように国語辞典を机の上へと乱雑に置くと、机の脇に備え付けられていた取っ手に掛けられていたスクールバックからスマホを取り出して閃光みたいな速さでタップし始める。
何と言うか、本当に漢字に対する興味が人より強いらしい。漢字部とかいうものを作っているのだから当然かもしれないけど、この時初めて僕の中でシンシアに対する印象がそう定義付けられた。
「なるほど……
「まあ一説では神社にある鳥居は中国の
爺さんの受け売りだ。でもだからって何でこんな分かりづらい読み仮名を名字にしたんだか……初見の人でマトモに僕の名字を呼ぶことが出来た人なんてほぼいない。大抵の人は『はなおもて』と読んでくる。
「す、凄いですね……! ご自分の名字の起源を知っているんですか……!?」
僕の話を聞いて、よりグイグイとシンシアは興奮した面持ちで近づいてきた。てか顔が近い……!?
「ま、まあね……幼い頃とかこの名字あんまり好きじゃなくて、その時に身内に聞いてみたりしたんだ」
未だかつてないほど女の子の香りに胸をドギマギさせながら全力で能面を装う。流石外国人、パーソナルスペースがグローバリゼーション!
耐えているとシンシアに手を握られた。すべすべな感触に更に心臓が高鳴る。何で僕がこんな目に、と思う傍らで存外悪い気分でもない自分に若干嫌気が差す。
「素晴らしいです……!! その好奇心は漢字部には相応しいものだと思います! 華表さん……いえ先輩さん*5、是非漢字部に入部してください!」
「うん……入るけどさ」
口ぶりがまるで宗教勧誘だな、とか思いながら渋々肯定する。
入部するのはもう諦めてる。プラスなことを考えれば男の気持ち的に言えばこの後輩は可愛いし、文化部だから多分活動も週に1、2回だろうしまあそれなら悪くはないと思う。……本音を言えばこんな無駄な時間はしたくないんだけど、そう言ってシンシアにNOを突きつける度胸が無い僕は無理矢理自己肯定する方向にもっていくしかないのであった。
ふと予感がして時計を確認する。午後4時半……なるほど。
「シンシア、申し訳ないけど今日は帰って良いかな? これから用事があるんだ」
「用事ですか? そうですか……もっとおしゃべりしたかったのですけど……
僕はバックを持つと部屋を後にした。
実際のところの話、シンシアに面と向かって言えないが僕はまだ入部していない。だからアレは口上だけで、本心を言えば反故にしても良いと考えている。
しかし何故か。そんな合理的な自分とは別に自分でも理解不能な未練を感じる僕が心の隙間に立っていた。金髪美少女であるシンシアの容姿に釣られたのか、或いはその人の言動を疑わない純粋無垢さに惹かれたのか。或いは、或いは、と要因を突き詰めてみるけども明々白々とした回答は一向に出てはこない。一朝一夕では出てこない予感すらしていた。
ふう、と一息ついてバックの紐を肩に掛け直す。
────とにかく五時半からソシャゲのイベントあるし、忘れよう。