燕少女は漢字を知りたい 作:sasugani
「本当、なのでしょうか?」
比良橋先輩が去って、数秒ほど膠着した空気を解すようにシンシアは唇を戦慄かせた。先程の和気藹々とした空気は一転、すっかり昼飯を食べる空気では無くなってしまっていた。
シンシアの瞳は普段のような恬淡さはなく、代わりにあるのは憂いと不安。その気持ちは痛いほど分かる。
「それは僕には分からない。シンシアは何か聞いてないの?」
「全く聞いてないです……これからどうなるんでしょう、この部活」
僕は生徒会のことなんて良く知らないけど、比良橋先輩が嘘を吐いた気もしなかった。だって意味が無い。こんな昼時にこんな部員二人の部室まで来て嘘の宣告をする必要性なんて皆無のはず。なら嘘を吐いたのはやはり……。
「浜田先生に聞くしか、無いんじゃないかな」
その言葉にシンシアは顔を上げる。
僕はこの時までシンシア1人で部活を作ったと思っていたけど、比良橋先輩は部活を作るには3人以上部員がいると言っていた。つまりシンシアが正攻法で作ろうとしても作れないし、あるいは不当占拠したということになるが……シンシアはそんな女の子じゃないのはたった一日の付き合いでも分かる。
ならば元からある部活だったかと言えば、多分違うはずだ。何せ僕が入学した時に見た部活案内のパンフレットに漢字部なんて掲載されていなかった。校長の長い話の暇つぶしに隅々まで見ていたから間違いない。漢字部なんて部活動は確かに去年の今頃には存在しなかった。
となれば消去法的に。浜田先生がこの仮初の部活動を作ったのだ。留学生で日本の高校の一般的な知識に欠けていたシンシアを巻き込んで。
けれど分からないのは、そんなことをして何になるのかという点。
浜田先生だって何れはこうなると予期していたはずだ。使用申請してない教室に生徒が居れば生徒会だって不審に思う。何かしらの思惑があったのは確かだろうけど……駄目だな、情報が足りないな。
「そうですね……先輩さん、放課後空いてますか?」
「ああ……。問いただしに行こう」
僕とシンシアは視線を交差させ、頷いた。
─── ─── ───
「華表。一つだ、たった一つ。お前に聞きたいことがある」
昼飯を済ませてシンシアと再び放課後に落ちあう約束を交わし、早めに教室に戻った僕の目の前には真剣な眼差しでこちらを睨んでくるクラスメイトの姿があった。ツンツンと不細工に跳ねた茶髪が特徴的で、一応僕も名字だけなら知っている。
「川端、どうしたんだ?」
「康成じゃねえから!
「ごめん。まだクラス替えして二か月だから覚えてなかったよ」
どうやら違っていたみたいだ。
「一年の頃から同じクラスなんだが……まあ良い。それより、あの超絶外人美少女ちゃんは誰だ?」
「そんなこと聞きに来たの?」
「ああテメエ!? そんなことじゃねえよ!! 誰だよあの清楚系金髪美少女シスター様は!」
「様って……ただの後輩だよ。部活動の」
実際には部活動の後輩ではないことが判明したんだけど、目の前で騒ぎ立てる男に言う必要性は無いだろう。
「何で後輩様が上級生のクラスに来たんだよ!? ああん!?」
「一緒に昼飯食べないって誘われたからね。集合場所決めてなかったから来たんじゃないかな」
「リア充か!? リア充なのか!? クラスの片隅で本読んでるだけの根暗野郎だったお前にもチャンスが来るなんて……クソォ!! 俺にも降りてこい来い天啓!!」
「唾飛ばさないでよ、汚いからさ」
「マジでどうなってんだ……この世界は残酷すぎる!」
絶望した!、とばかりに膝が崩れ落ちた田端を避けて僕は自分の席へと戻る。変な人間に絡まれたな。無駄に暑いし。
「あ、雪色。戻ったよ」
雪色は昼前と同じように自分の席にいた。
たださっきの田端とのやり取りをずっと見ていたようで、白い目で僕のことを凝視すると。
「……このリア充。死ね。死んで死んで死に晒せ」
「開口一番でそれは酷くない?」
「コンクリで固められて東京湾に沈んじまえ」
なんかさっきより酷くなってない? 雪色になんかしたっけ僕。
「はあ……んで。目麗しい後輩と一緒にイチャイチャした感想はどうだったんだよ?」
「イチャイチャって……。何もないよ。ただの後輩だって」
「どうだかな」
「何でそんな機嫌悪いの……本当に僕なんかしたっけ?」
「知るか馬鹿」
ふん、と大きく鼻息をついて相変わらず機嫌を損ねたように手元のスマホへと視線を落とした。良く分からないな……やっぱりアレかな。友達を赤の他人に取られた感覚がしてジェラシーでも感じてるのか、そう思うと素っ気無い態度も可愛く感じる。何て言うんだっけ、ツンデレ? まあいいか。
ともかくこの話はちょっと地雷っぽいしなぁ。気を紛らわせようと話題を転換する。
「次の授業って何だっけ」
「あー? ……数Ⅱだな。ラッキーだぞ一貴、寝れる授業だ」
「それは雪色でしょ。もうちょっと真面目に受けたらどうなのさ」
「あたしが真面目? はっ、冗談じゃないぜ。その気にさせたいならもっと難しい内容持ってくるこったな」
あんな児戯に頭使ってられっか、と怠そうに吐き捨てる。
少しムカつくが桜庭雪色は確かに天才だ。小柄ゆえに見た目はグレ始めた中学生みたいだけどほとんど勉強をしないくせに学年首位の座は揺るいだことは無い。真面目で優秀な生徒の多いこの学校でそうだというんだから認めざるを得ない。その頭脳の明晰さは天稟の才と言って他ならないだろう。
ただ、だからこそ勿体ないとも思ったりする。雪色が勤勉に勉学に励めば誰もが到達しない領域にすら踏み込める気がするんだけどな……。雪色は一切学校の授業には関心を寄せず、授業中は日々寝るか上の空のどちらかだ。かと言って学外で予備校に通ったり独学で何かを学んでいるという様子もない。天才だからこそ、本当に勉強に興味が無いのだろう。思えばその行動と思考、かなり矛盾している気もする。勉強に興味が無いなら何でこの高校に来たんだろうか……進学校だから宿題もそれなりにあるのに。
「どうした一貴、急に辛気臭い顔しちまって。腹痛か?」
「いや、何でもない」
心配するように目線を上げた雪色に手を振る。どうやら少し考え込んでしまったみたいだ。
「そうだ。この前新しくクレープ屋が出来たんだが今日一緒に行かね? タピオカクリームクレープとかヘンテコなもん出してんだぜ」
「ごめん、今日の放課後は用事があるんだ」
「……またあのシンシアって一年か?」
再び、ムッとしたような口調で顔を顰める。雪色があまりシンシアに対して良く思っていないのは知ってるけど、嘘をつく気もない僕は肯首した。
「うん。どうしてもやらなきゃならないことが出来ちゃってさ。その予定、明日でも良い?」
「……しゃあねえな、我慢してやるよ。ただし明日はぜってえだからな?」
「分かったよ」
「あと暇だから放課後家で寛がせろ」
この友人、ついでとばかりにそんなことまで宣い始めた。
まあ家に入れる自体は問題ない。雪色のことは信頼しているし、そもそも合鍵を唯一与えてる相手である。ただ一つ気になることが。
「別に良いけど……というか最近勝手に入ってない? 部屋の中の物が知らない場所に置いてあったりするんだけど」
「そ、そんなことしねぇよ!? 流石に断りくらい入れてるぜ!」
「それなら良いんだけどさ」
ついジトっと観察してしまった。これはアレですね、黒寄りのグレーってやつですね。僕には分かる。雪色がどもる時は大抵何か隠し事をしている。不良っぽい割に嘘が凄まじく苦手なのであるこの少女は。
まあ特段気にしてる訳でもないし追及すべき事柄でもないな。
「よっし、じゃあゲーム機借りっからな」
「ああ。……上書きセーブだけは止めてね?」
「安心しろ。あたしは今日クリアするまで帰る気はない」
「帰って? お願いだから普通にゲームして帰って?」
雪色の家は少し事情があってゲーム機の類が1つも無い。でもだからとは言え、ゲームのために居座り続けるのはどうかと思う。寧ろ最近なんてゲームのためだけに僕の家に来ている感じすらあるのだ。この前なんかゲーム機に勝手に外付けハードディスク繋いで遊んでるし、アレ僕のだからね? 僕の所有物だからね一応。殆ど触ってないけどさ。
午後の授業は数学Ⅱ、そして英語だった。真面目にノートを取っている横で雪色は相変わらず内職……というかスマホをバレないよう教科書を盾に弄っている。いつも通りだ。
ふと雪色の顔をバレないように覗き込む。
思えば雪色という少女がいつも何をしているのかあまり詳しくない。学校を良くサボっているのはそうだけど、その間何処にいるのだろうか。僕の家にもサボり場として僕が登校した後に来るけどそれも毎日じゃない。実家に住んでいる以上家には居れないはず、とするとやはりゲームセンターとか適当なカフェとかファミレスとか? 今度聞いてみるのも良いかもしれないな。
放課後になると雪色とは直ぐに分かれた。雪色は何か中古ゲームを漁ってから僕の家に行くらしい。買うのは良いけど結局自分の家には持ち帰らないから僕の部屋に雪色の買ったゲームが溜まる一方なんだよね……。
「んだお前ら、揃いも揃って」
僕はと言うと、職員室の掲示板前で早速シンシアと合流して早速浜田先生と対面していた。
シンシアは難しい顔をして浜田先生を凝視している。……多分だけど、信頼していたのだろう。転校してきて友達もいないとなれば、校内で一番親しかったのはきっと顧問である浜田先生に他ならない。推し量ることは出来ないが、今のシンシアには裏切られた気持ちも多少はあるはずだ。
浜田先生は怪訝そうな面持ちでこちらを見ると、シンシアが口を開いた。
「浜田先生、聞きたいことがあります。
「漢検準一級レベルの漢字を日常会話で使うなよシンシア。俺とか華表以外に通じないからなそれ」
「答えてください」
シンシアはいつもより引き締めた声音で言った。それは僕も同じ気持ちで。
仕方ないといった様子で浜田先生は大きく息を吸った。
「はぁ。放課後から早々に何を聞きたいってんだ?」
「先程生徒会の方が来て言いました。漢字部は正式に部活動として認定されていないので部室から退去してください、と」
「……なるほどな。思っていた以上に早かったな」
至って冷静に浜田先生は返答する。
やはりと言うべきかこの事態を予期していたのだ。自然と視線の圧が強まる。
「なるほどということは知っていたんですね?」
「まあな」
「どういうことでしょうか?」
「決まってんだろシンシア。俺だってな、事情があったんだ。せざるをえない事情がな」
「事情…………?」
シンシアは欠片も心当たりが無さそうに反芻した。こてんと首を横に倒す様を見て、まあそうだろうなとも思う。勝手に部活として設立したのは浜田先生なのだ。
しかし、次の瞬間。
浜田先生の言葉を聞いたシンシアはまるで、表情がすっぽり抜け落ちた人形みたいに立ち呆けた。
「あんまり言いたくないんだがな。なあシンシア。お前、前の学校で問題起こしたろ?」
「…………!」
問題……? 前の学校……?
全く理解できずにシンシアを見ると、シンシアは驚いたように声を上げて一瞬視線を下に落とした。えっと、シンシアが問題を起こした……? 全く持って僕の知っているシンシアとは結び付かないけど雰囲気的に嘘と断じることは出来なさそうだ。でも何で……。
呑み込めずにいると、浜田先生は溜息を大きく吐いて話を続けた。
「だからなシンシア。華表がいるからここでは詳細は言わねえけど、俺は校長から注意を向けるよう言われてたんだ。だからクラスも俺のところになった。だけどそれだけじゃお前の性格傾向が掴めないことに気付いた。まあそれで都合良く部活動をしたがってたから適当にでっち上げたって訳だ」
「何でそんなことを……?」
そう言うシンシアの声はピンと張った弦を弾いたみたいに震えていた。
「決まってんだろ。俺もあぐねてたんだよ。ぶっちゃけ言やあ、問題を起こしたお前は俺からすれば問題児だった訳だ。この学校での出来事じゃなくともな。その認識は今も変わっちゃいないし、もっと観察する必要もあると思ってる。だから部活動という、言わば鳥籠で俺はお前のことを測ってたんだ」
最早、何も返す言葉が浮かばないのかシンシアは俯いてしまう。
率直に言って、僕は多少ながら浜田先生に憤りを感じている。確かにシンシアは問題を起こしたのかもしれない、けどその言い方が無いでしょ。過去は過去、今は今。過去を追求するにもそれはこの場ですることではないはずだ。
しかし僕は口を開けなかった。僕はこの件に関しては第三者であって当事者じゃないのだ。だから口を挟むことは出来ない。踏みとどまる。浜田先生だって無意味に生徒を傷つけるはずもないと信じて。
だがその期待はすぐに裏切られる。
「ま、分かったろ? 部員が集まれば勝手に部活動として申請しておくつもりだったし、今まで通り暮らしてくれ。部活に関してはもう今は無理だけどな」
「───失礼します!」
シンシアは耐えきれなくなったみたいに、唐突に踵を返すと駆け足で職員室から出て行った。騒然とした様子に気が付いたのか職員室中の視線が突き刺さる。
やっぱり。僕には分からない。
「……ここまでやる必要性、あったんですか?」
「さてな。だがこれが現実だ」
「正論で武装して現実を押し付けるのが、貴方の教育なんですか?」
「教育なんかしてるつもりねえよ。解決できるように動こうとしてるだけだ」
どう見ても今の会話はそんな風には見えなかった。寧ろ、トラウマを刺激しているみたいにも見えた。
……もう話しても無駄だろう。まさか言いっぱなしでほっておくなんて。信じた僕が馬鹿だった。
シンシアの後を追おうとして「まあちょっと待て」と呼び止められる。
「なんですか」
「丁度いいからこれだけは言っておく。アイツは自分の言葉、というか難しい熟語やら言葉だな。それが分からない人間を無意識に見下している。外国人である自分でも知ってんのに日本人の癖に知らねえの、って感じでな。だからこそ、学年主席じゃなくて国語首位のお前にこの件を頼んだんだ」
「それが何なんですか」
「解決できんのはお前だけってこった」
そんだけだ、と浜田先生は今度こそ引き止める気が無くなったらしくパソコンへと向き直った。