現代魔法術はアプリで効率化!私は私の魔法術を極めたい 作:サモア リナン
もう走れない
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三重県南部――
湿気を孕んだ重苦しい森の奥、春佳奈は濡れた地面に足を取られながら、一歩ずつ慎重に進んでいた。
衣服の裾は泥で汚れ、まとわりつく空気が呼吸さえ重たくさせる。
その先に――
信じたくない光景が、広がっていた。
「……星璃愛……ほんとうに……あなたなの……?」
しぼり出すような声だった。けれど、その問いに、彼女は笑みを浮かべる。
懐かしいはずのその微笑み。けれど、瞳の奥に宿っていたのは、もう、あの頃の無邪気さではなかった。
代わりにそこにあったのは、深く沈んだ澱のような、静かな哀しみ。
その隣に立つのは、かつて心から憧れた先輩――奏。
誰よりも優しくて、強くて、真っ直ぐで……何より、信じていた人だった。
けれど今、星璃愛と奏は、黒いオーガと巨大なスライムを従えて、
春佳奈の目の前で、まるでこれまでの捜査のすべてを嘲笑うかのように、施設の前に立ちはだかっている。
「はる、久しぶり」
「待ってたのよ、春佳奈ちゃん」
星璃愛は穏やかに言った。けれどその声には、どこか優しさと痛みがないまぜになっていた。
「……あのとき、ちょっとやりすぎたかもしれないって思った。でも……生きててくれて、本当によかった」
「……星璃愛……奏、先輩……」
言葉にならなかった。
目の前に立つふたりが、どこか遠くへ行ってしまったように見える。
絶対に助けると、あの日、心に誓った友。
その星璃愛が、いまは敵のように並んでいる――
その現実が、春佳奈の心を、静かに、確実に壊していく。
(なぜ……どうして、そんな顔ができるの? どうして、そんな目をして……)
(私が、どれほどの思いで今日まで生きてきたか――知らないくせに……!)
胸の奥が、ぎゅうっと絞られるように痛い。
拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、唇からは、噛みすぎた血が滲んだ。
(落ち着いて……私。ネオノアが冷静さを保ってくれてる。大丈夫。まだ話は、聞ける……)
背後にいた黒峰とふとしが、春佳奈の変化に気づいていた。
「……こりゃあ、一体どうなってんだ……?」
黒峰の低い声が、湿った空気に沈んでいく。
「……こんなの、あんまりすぎる……」
ふとしの声は震えていた。けれど、その瞳にはどこか、事実を知る者の痛みが浮かんでいた。
まとわりつく湿気が、怒りと困惑の熱を笑うかのように、体にまとわりつく。
春佳奈はもう一度、星璃愛の名を呼んだ。
「……星璃愛……」
その名を呼ばれた星璃愛は、ふっと目を伏せ、どこか哀しげに、けれど優しく微笑んだ。
「……私がいなくなってから、いろいろあったんだね。今日はね、はるに……どうしても、伝えたいことがあるの」
「……なにを言って……」
奏の瞳が春佳奈を射抜く。
かつては穏やかだったその目に、今は影が宿っていた。
「星璃愛の話を聞いてあげて。……あなたは、“真実”を何も知らなすぎる」
星璃愛の背後で、黒オーガが低くうねるように身を揺らす。
不定形のスライムは、波のようにその輪郭を曖昧にしながら、じっとこちらを見つめていた。
「――21年前、“境界が崩壊して魔族が人間界に侵攻した”って、授業で習ったでしょ?
あれね……嘘なの。私たちが生まれる前のあの“大災禍”は、ただの侵略なんかじゃない。
本当は――奪われた子どもたちを、仲間を、取り返しに来ただけだったのよ。復讐を胸にした者たちも、いたけど」
春佳奈、黒峰、ふとしの三人が、息をのんだ。
「魔族の子どもたちは、誘拐されて、人間たちの手で実験された。弄ばれて、壊された。
その命は、“材料”として使われたのよ。何にって……“魔法術アプリ”の開発に」
「……うそよ……そんなの……」
「嘘じゃないわ」
奏の声が、鋭く切り込んだ。
その目は、まるでかつての奏とは別人のように、冷えていた。
「黒オーガは、そのときの生き残り。家族を殺され、仲間を奪われて、ひとり逃げ延びた。
あのスライムも同じ。いくつもの種族の子どもたちを、“混ぜすぎた”結果――最強のキメラを作るという狂った計画の、犠牲者たちの成れの果てよ」
黒オーガが、喉の奥で呻くように、低く、悲痛な咆哮を漏らした。
どこか遠くの森の鳥たちが、その声に驚いて飛び立つ。
「去年、あなたと突入したあの施設。……魔族の隠れ家だと思ってたでしょ?
でも、違うの。あれは、人間の上級階級が魔族を“飼って”いた場所よ。
“人類繁栄”なんて、お題目のもとに、実験を繰り返し、飽きたら壊して、壊すことにも飽きたら――
人間の子どもにまで、手を出した。ただの娯楽よ。快楽のためだけに、命を弄んでいたの」
春佳奈の中で、なにかが崩れ落ちる音がした。
信じてきた常識が、積み上げてきた正義が、足元から崩れていく。
ネオノアが再びアドレナリンの分泌を抑えようとするが、追いつかない。
春佳奈の心は、真実の重みに締めつけられていた。
そのとき――
「……私たちばっかり話しちゃってごめんね。でも、私たちも少し驚いてるの。まさか、こんなところで出会えるなんて」
星璃愛が、ふと横目でふとしを見る。優しく、しかし鋭く。
「――ねぇ。神宮寺 太くん」
ビクリ。
ふとしが大きく肩を揺らし、顔を青ざめさせる。額には、びっしりと冷たい汗がにじんでいた。
春佳奈は混乱したまま、その様子を見つめる。
なぜ――彼に?
「ねぇ、聞かせてよ。
10名以上の魔族の子ども、そして同種の人間の子どもの、“命”で<命>を繋いだ体って……どんな感じなの?
何を思って、生きているの?」
「う、うう……っ、うあああああ……!」
太が頭を抱え、膝を折った。嗚咽のような叫びが、森の奥に響いていく。
春佳奈は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
(なにこれ……なにが……どうなってるの……)
もはや、思考が追いつかない。
ただ、重く、湿った空気が、全てを包み込んでいた。
歩くか