「カオルちゃんには話したことあったっけ?」
「なにがでしょうか?」
「ああ、うん。私、前に勇者と会ったことがあってね」
「……まぁ。そうなんですか?」
「もしかして信じてない?」
「まさか。
「そ、そんなこともないけどね」
カオル・クインシー・神楽は実に平静を装って、お銀のことを注視した。特にこれといって変わった様子はない。本当にただ何となくその話題を出したように見えた。
まさか。思い出されたのでしょうか。
一瞬、そんな考えが頭に浮かんだが、そうではないようだった。
お銀がぼーっとした様子で言葉を続ける。
「ま、そんなに大した人じゃなかったけどね」
「そうですか。もしかすると偽物だったのかもしれませんね」
「あはは。そうかも。でもまぁ、確か……いい奴ではあったかな。じゃあ、やっぱり勇者だったのかも」
一呼吸おいてから、お銀はカオルの方に顔を向けた。
「それで今日はどんなことが起きるか知ってる? ホワイト隊が全滅したってのは聞いてるけど」
カオルとお銀は革命集団アイスフレームのメンバーだ。
しかし、ただのメンバーではない。
二人はガンジー王から命を受けてこのアイスフレームに潜入したスパイだった。
諜報をカオルが、戦闘をお銀が主だって担当しているので、何か騒ぎが起きると必ずこうして二人の間で情報共有が行われた。
「どうやら、ホワイト隊を全滅させたのは、新しくアベルト様がスカウトされた戦士の方だそうです」
「えー!? 味方に引き入れた人にやられちゃったってこと!?」
「はい。ホワイト隊の方々はあまり素行の良い方達ではありませんでしたから、襲い掛かって返り討ちにあった。と言ったところでしょう」
「うへー、結構なことがあったんだね。じゃあ、私たちはその戦士をやっつければいいの?」
「いえ、どうやらその方を隊長として新たな部隊を作るとのことで、おそらくはその部隊に入ることになるのでしょう」
「ええ!? だって、ホワイト隊のみんなを殺しちゃったんでしょ!? そんな人を隊長にするの!? アイスフレームの人材不足も相当だね……でも、気に入らないな。私、ダニエルさんに文句言ってくる!」
「ですから」何度目かわからない指摘をカオルはする。「あまり目立たないようにお願いします。我々の目的をお忘れなく」
お銀は口を尖らせてしぶしぶカオルの言うことを了承した。
そんな子供っぽい仕草に、思わずカオルの顔が綻んだ。真っすぐな正義感は出会ってすぐの頃の彼女を思い出させた。
お銀が──セナ・ベリウールが完全な精神崩壊状態から脱してから一か月余りが経過しようとしていた。
ある日突然、整然と話すようになった彼女は、一見すると普通の状態に見えたが、そうでないことはすぐにわかった。
記憶喪失、認知障害、人格障害。
とにかくたくさんの病名が与えられたセナは、自分のことをお銀という名のゼス国民だと認識するようになっていた。
カオルやウィチタ・スケートのように王の身辺警護を行う側近の一人。そんな風に記憶を組み替えたのだ。
このことはガンジー王派の人間にひどいショックを与えた。彼らはセナの心が砕けてしまったのは、自分たちに責任があると考えていたからだ。
自分たちのせいで心を壊した英雄が、そうとも知らずガンジー王派のために身を粉にして働く忠臣に変わってしまった。
このグロテスクな状況を受け入れるには、王とその家臣たちは人情を持ち過ぎている。
特にガンジー王はこの現状にひどく心を痛めた。
まだセナがアリオスと共に行動していた頃、ゼスの今を変えるために英雄と名高い彼女に王直々に依頼を出したことがあった。
お銀という名前は、依頼の際に余計な混乱を避けるために、偽名を欲したセナへガンジー王自身が送った名だったのだ。
『その時の記憶が絡み合い、いまのような自己認識になっているようです』
セナを見た医者の一人がそう言ったのをカオルはよく覚えている。
『様々な刺激を受けることで、もしかしたら記憶を取り戻すことができるかもしれません。以前やっていたこと、セナ様ですと戦いや冒険……になるのでしょうか。それらの刺激を与えるのがよいでしょう』
そう言ったのも同じ医者だった。
「ちゃんと気を付けますよ~」カオルの思考を止めるようにセナの呑気な声が響いた。「せっかく王に無理言ってカオルちゃんについてきたんだから、へまはしないようにね」
「お銀様はそんな失敗はしませんよ」
「ふふ~ん。褒めるね~」
カオルは気を引き締めた。彼女をこの国の汚泥のような闇に触れさせた責任は自分にある。
そう思っているからこそ、忠臣として同行を申し出たお銀を受け入れたのだ。本来、細心の注意を払う潜入任務にいまだ精神的不安を抱える彼女を。
たとえどんなことが起こっても、自分はセナ・ベリウールを取り戻さなければならない。
そんな気持ちを新たにして、カオルはお銀と共に集合場所へ向かった。
二人が集合場所に着くと、中にはすでにアイスフレームのリーダーであるウルザ・プラナアイス、参謀のダニエル・セフティがいた。
「どういうことですかダニエルさん! 新しい隊長はホワイト隊をみんな殺しちゃったって聞きましたよ!」
釘を刺したにも関わらず、開口一番お銀は言った。すぐにハッとなってカオルに目線をやる。
カオルはこの展開を予想していたので、先ほどの会話などまるでなかったように言った。
「ダニエル様にも相応のお考えがあるのですから、そうまくし立てないと約束したと思いますが?」
「うう……ごめんね、カオルちゃんつい……」
「これも大儀のためです。そうですよね。ダニエル様」
話を振られたダニエルは一度髭をいじると「耳が早いなお銀」と言った。「確かに奴は問題のある人間だ。しかし、いまアイスフレームには致命的に戦力が不足しているのも事実。皆がお前のように正義感にあふれる人間ではないのだ。選り好みはしていられん」
ダニエルの実に落ち着いた説明にお銀はしぶしぶ頷いた。
だが納得はしていないだろう。お銀はセナよりもずっと潔癖だ。正義のために蛮行を許容するにはそれ相応の理由を必要とする。
このアイスフレームに参加してからわずか三週間程度しか経っていないにも関わらず、そんなお銀の性格は皆に把握されていた。彼女はやはり以前と同じくわかりやすい性質だった。
だからこそ、カオルが突然連れてきた凄腕の戦士という怪しい経歴であっても、すぐに彼らに受け入れられたのだ。
ダニエルはこの猪突猛進の戦士の手綱を握る方法をすでに大分つかんでいた。
「だからこそ、お前が新たな部隊に必要なのだ」
「んん? どういうことです?」お銀が首をかしげる。
「奴がどうしようもない悪党だと分かった時、その蛮行を止める必要がある。それが出来るのはいまアイスフレームで一番の武力を持つお前だけだろう」
「おお、なるほど!」
「理解できたか。頼んだぞ」
「任せといてくださいよ!」
「カオル、お前には新部隊……グリーン隊の副隊長を務めてもらいたい。お銀は実力はともかく、そういう仕事には向かんからな」
「承りました」
「奴を斬るかの判断は必ずカオルの指示に従うように。いいか、必ずだぞ」
お銀は神妙に頷いた。そこまで念押しせずとも問題ないだろう。お銀は口や足は好き勝手動くが、剣だけはそう簡単には抜かない。
そうしてダニエルの話に納得した後、多少興奮はしているものの、お銀は落ち着いた様子で新隊長を待った。
次々と新部隊員と思わしき人がやってくる。そのたびにお銀はハツラツと挨拶を交わした。ロッキーという名前の見知らぬ戦士──おそらく新隊長と共にアイスフレームに加入した──に対しても、何ら臆することなく話した。
そうしてようやく新隊長が会議室にやってきた。
どんな奴か見極めてやる。お銀はそう意気込んだが入ってきた男がお銀を見るなり、大声でこんなことを言ったので、思考が停止してしまった。
「おお、セナちゃんではないか! 久しぶりだな!」
カオルは自分の心臓が大きく跳ねる音を聞いた。新隊長──ランスはセナの知古なのだ。そんな可能性考えもしなかった。
こんな時、彼女がどんな反応をするのかはわからない。もし再び精神が崩壊したら、そんな心配が頭をよぎった。
そんな心配をよそに、お銀は本気の困惑を浮かべた様子でランスに対応した。
「えっと、どちら様でしょうか? セナ……? 私、お銀って言います。よろしくお願いします、ランス隊長」
「む」
ランスはじろじろとお銀を見た。第一印象は自分の知るセナと全く同じだったが、よく見れば彼女が持っている隠しきれない威圧感というものが全くない。それなり以上に強そうだが、体の訛りが取れれば自分の方に分があるだろう。
なにより、セナはこういった嘘をつかないし、つけないタイプだ。
結論として、ランスはお銀をセナとはよく似た他人だと判断した。そして、自分の部下で美女だ。申し分ない。
「ぐふふ、すまんすまん。お銀。よく似た美人を知ってるんでな。よろしく頼むぞ」
そう言いながらランスはお銀の肩を叩こうとした。しかし、その手はいつの間にか近くに立っていたカオルによって遮られる。
「? カオルちゃん?」不思議そうにお銀が言った。
「ランス隊長。お銀様に触ることはおすすめできません」
「どういうことだ?」ランスはやや不満そうな表情で言った。
「お銀は男に触られると防衛本能が働き、意図せず反撃してしまうのだ」
ダニエルがランスの疑問に答えた。
アイスフレームに入る際、参謀であり医者でもあるダニエルはお銀と顔合わせを兼ねた診察を行った。その結果、ダニエルは彼女の症状をおおよそ把握している。
一つ一つの症状は珍しいものではない。その性質上、傷ついた者が集まる革命集団の中においては、彼女以外にも問題を抱えた人間──リーダーすらそれに該当する──はいる。
だがその数は異様だった。いくつもの症状が重なりあい、正義感の強い女戦士を複雑な状態へと変えてしまっている。とても正常とは言えない状態に。
そのうえで、ダニエルはアイスフレームにお銀を迎え入れた。それほどまでに、いまのアイスフレームは余裕がないのだ。それ以外の理由ももちろんあるが。
「えーと」ひどく困惑した様子を見せながらお銀が言った。彼女には自分の異常についての話題がほとんど認識できない。「どうしたの、皆? 私なにかまずいことしちゃった?」
「いえ、お気になさらずに。ランス隊長に私の知りうる限りの事を、説明しようとしたところです……その前に隊員の自己紹介をした方がよろしいでしょうか?」
「ん? まー君の名前は教えてもらおうかな」すでに目の前のカオルが美女であることに気が付いたランスは、先ほどの不満顔など吹っ飛んで、鼻の下を伸ばしていた。
カオルは心の中でホッと一息つく。なんとかランスの注意をお銀からそらすことができた。
突然、彼女の過去を知る人間に出会って、何かしらの発作が起きることを心配したが、杞憂だったようだ。
安心と同時に少しだけ落胆する。こんなシチュエーションとは想像していなかったが、知人による効果を期待していなかったわけではない。
この時、カオルは気が付かなかった。ランスとの再会はお銀の中に眠っているセナとしての部分を確かに刺激していたことに。
ブルーの瞳の奥で思い出は現実と重なり、無意識の中に流れ去っていく。
カオルが口を開く。お銀が覚えているよりもずっと前に、確かに聞いた名を名乗るために。
「私は──────」
〇
「──カオル・クインシー・神楽? では、その人に直接依頼されたのですか?」訝しむようにコーラが言った。
現在短いですが、また過去です。