これは同時投稿の一話目です。
「ふむ、いいだろう。とてもよい」ダニエルが珍しく目尻を下げながら言った。
「ほんとですか? ダニエルさんにそう言ってもらえると安心します」セナがうれしそうに言う。
「お前さんが発症していた多くの病状は、ほとんど見られなくなっている。よく頑張ったな」
「……頑張ってくれたのは私以外のみんなですけどね」
「そんなことはない。お前さんはここにいた頃から、自分自身で良くなろうし、トラウマと向き合った。それは並大抵のことではない。確かに皆はお前さんを助けるために大変な労力をかけたが、セナ自身の力も重要だったことを忘れるな」
「わかりました」
ダニエルは診察の結果を紙にまとめる。精神的ショックと魔導書によって引き起こされたセナの病状は非常に稀な症例だ。記録は実に事細かにされている。
「しかし、トラウマとの向き合い方には驚かされたな」
「すごいんですよ! なんかこう、思い出の世界を旅するみたいで」
「おそらくノミコンとやらに寄生されていたことが原因なのだろう。驚嘆すべきはそれを解決するパパイア・サーバーの技術力だな。さすがは四天王といったところか」
セナはパパイアのことを思い浮かべる。
あの時、ランスに抱きかかえられながら、パパイアのことを見た。彼女は昔見た面倒見のいい笑顔を浮かべたまま、こっちに手を振っていた。なくなった左腕や右肩の傷が痛々しい。
もう一度会って、話がしたかった。
しかし、怖いという気持ちもある。アイスフレームには戻ってこなかったカオルを筆頭に、また会おうと言ったくせに、王国の面々と次会った時どうすればいいかわからなかった。
「ええ」それでも随分柔らかい表情でセナは答える。「すごいんですよ。パパイアちゃんって」
ダニエルはその表情を見た。医者ゆえに色々なタイプの憂いを帯びた表情を見る機会があった。その経験から考えて、この顔は悩みながらも時間と勇気によって良い方向へ進める顔と判断できた。
ダニエルは自身の患者が一つの峠を越えたことを確信する。
「ほれ、これが今回の薬だ」
「まだ飲むんですね」
「当然だ。お前さんは確かに快癒に向かっているが、油断してはいけない。精神の負傷は肉体の負傷より軽く見られがちだが、同じくらい厄介で治療に時間がかかるものだ。ましてやお前さんのそれは、腕と足を切り落とされたようなもの。一生付き合っていくものとして考えるべきだな」
「一生……ですか」
「ああ、だがそれほど深刻になりすぎるな。杖をついて歩く者が必ず不幸になるなどありえないように、お前さんが幸せになれるかはお前さん次第だ」
「ありがとうございます。ダニエルさん。これからもちゃんと頑張ります」
「いい心がけだ」
セナはダニエルから薬を受け取る。するとダニエルは親身な医者の顔からパリッとしたアイスフレーム参謀の顔へと変わった。
「お前さんに礼を言う。セナ・ベリウール」
「え、な、なにがですか?」
「お前さんの心と向き合い続ける姿勢が、ウルザの心を変え、立ち上がらせるに至った。儂にはできなかったことだ。本当にありがとう」ダニエルは頭を下げる。
「ええ! そ、そんなことないですよ! 頭を上げてください! ウルザさんが立てたのはあの人自身の強い意志のおかげで……私は、どちらかというと乗り越えるべき危機だっただけですよ」
「お前さんはそう言うだろうな、だが主治医である私から言わせれば、ウルザは危機のために立ち上がったのではない。自分以上に熱心にリハビリをしていたお前さんの努力を無にしないために、ウルザは立ち上がったのだ。そう自分を卑下し過ぎず、感謝を素直に受け取れ、己を肯定することもいまのお前さんには必要だ」
「……わかりました。えっと……どういたしまして……?」
「うむ、心より感謝する」
ダニエルが顔を上げる。その顔はアイスフレーム参謀とも違う、ただの年長者の顔になっている。
「では」ダニエルが咳ばらいをしてから言う。「感謝は伝えられたので、いまから少し注意をする」
「え?」
「本来であれば、二日前お前さんたちが帰って来た時に、診察を受けるべきだ。お互い憎からず思っているようなので、そこに関してはとやかく言わんが、二日も部屋から出てこないような節度のない行動は控えるように」
「ハイ……ホントスミマセン」
「過ぎたるは猶及ばざるが如し。体のためにも心のためにもな」
「オッシャルトオリデス……ハイ」
大分年上からの心配が過分に混じったガチ説教は、久しぶりにセナの心へ湿ってないダメージを与えた。
〇
「ううう……反省しなきゃなぁ」
ダニエルの説教はスパッと終わった。明らかにセナの病状を気にして切り上げてくれたようだが、まだまだ言いたいことはありそうだった。
セナは老年の男性に弱い。さらには真っすぐ自分を思って説教されることにもとても弱かった。
「あー、恥ずかしい……ていうかミルちゃんにも同じようなこと言われたなぁ……なぜ同じことを繰り返してしまうのかな……」
ミリとミル、スーやセルと一緒に暮らしていた二か月間のことを思い出す。
その日々が二年近く前であることに気が付いて、改めて長い時間ゼスにいることを実感する。
しかもその時間のほとんどを崩壊した精神で過ごしていたと思うと、悲しみと悔しさが押し寄せてくる。もし、ランスと情を交わさなければ、この痛みには耐えられなかっただろう。
「あれ、私って結構……? いやいや、大丈夫大丈夫。冒険者はそういうところあるよね? いやでも、年上からも年下からも注意されるって……」
自分を誤魔化しながら、セナは顔を上げる。ランスの声が聞こえた気がした。
耳を澄ませ、ランスの部屋の方を向く。やはり、聞こえる。怒気──というよりはよくランスが発するわがままを言っている時の声だ。
自然とセナはそちらへ足を運んだ。その気持ちに期待が含まれていることなどない。絶対ない。
部屋のすぐそばまで行くとランスが何を話しているのか、その内容まで聞こえてきた。
「だー! なんで、セナちゃんを連れていけんのだ!!」
「だから、言っているでしょう?」言い合いの相手はウルザだ。「危険だからです」
心臓が締め付けられるような感覚がした。
どんな話をしているのか、気になったが、それが己の罪をさらけ出させるような内容だと想像すると、全身が震え上がるようだ。
二日前のノミコンから解放されたばかりのセナならば、そのまま自分の部屋に逃げ帰っただろう。
しかし、セナはハイだった。ものすごく心が満たされていた。
勢いに任せてセナは扉を開く。
「危険! って……」いきなりセナが現れたことで中にいたランス、シィル、ウルザの驚いた顔が一斉にこちらを向いた。「……どういうことなのかなぁって……ごめんなさい、失礼します……」
おずおずと扉閉めようとする手をウルザが止める。
「聞かれたからには、セナさんにも認識してもらいたい問題があります。一緒に聞いていただきたいです」
「は、はい」
「まったく、盗み聞きとは……そんなに俺様が恋しかったのか?」
「そんなんじゃない! そんなんじゃないわよ!」
「……いいでしょうか?」
こほんと咳ばらいをしてウルザが皆の顔を見渡す。
「前提として、我々アイスフレームは先の作戦でガンジー王ら王国側の人間と共同戦線を取りましたが、今後は彼らとのやり取りは最低限にとどめ、今まで通り活動を続けていくことになりました」
「え、あっちと合流して一緒に国を良くしていくんじゃないんですか?」セナが言った。
「ガンジー王が持つ今の影響力では、とてもアイスフレームの掲げる平等を実現することが出来ない。それが私とダニエルの結論です。それだったら、あちらにはできないであろう変革を私たちが担う方がいいでしょう」
言いたいことはわかる。しかし、その在り方はテロリスト集団と呼ばれても仕方のない在り方に思えた。
セナの微妙な表情に、なにを言いたいのか察したウルザが言った。
「そうです。私たちはこれからも決して正道とは言えない道を進む。それがこの国を根本から変える唯一の手段だと信じているからです」ウルザはブレない瞳で言い切った。
「わ、私は……その、えっと……」セナはウルザの言葉に何か答えを探す。
モゴモゴしながら考えても、何を言うべきかわからずにセナは黙ってしまう。
ゼスの改革に問答無用の暴力が必要ではないなどとは言えなかった。
「志を共にしていただけるならばうれしいですが、そうでなくとも、ここを追い出したりすることはないので、安心してください。すでにあなたは対価を払っています。好きなだけここに居てくださっていいのですよ」
「いーや、ただ飯喰らいはいかんぞ。俺様が働いてるんだ。セナちゃんも働け」ランスが唇を尖らせて言った。
「……そのことについてが本題です。よろしいですか?」
わずかな記憶の中にあるウルザとは違う、迫力を帯びた表情にセナはコクコクと頷いた。
「もしアイスフレームに滞在したいのでしたら、いくらでもここに居てくださっていいです。しかし、たとえセナさん自身が希望したとしても、アイスフレームの活動には参加させられません。これはセナさんやほかのメンバーの安全のためです」
「安全、ですか?」セナが言う。
「はい。そうです」
「だー! 俺様とセナちゃんがいて危険なことなどあるか! 何が来たってちょちょいのちょいで勝利するわ!」
「ダメです。実力の問題ではないです」
「や、やっぱり、私がまた気が触れる可能性があるからですか?」
「……違います。最も懸念しているのはアベルトの干渉です」
アベルト・セフティ。アイスフレームのブルー隊隊長であった男は、共同作戦の前に姿を消した。
ウルザとパパイアの綿密な情報共有によって、パパイアへのノミコンの寄生、ウルザへの策謀、そして十二月革命時にセナを誘導したことが炙り出される直前であったことから、自身が悲劇の黒幕であったことが看破されるが故の失踪であることは明白だった。
「どこからともなくノミコンなどという危険物を調達できるのですから、同じような精神汚染系の道具を持っていないとは限りません」
ウルザの懸念通りになれば、今度こそセナはゼスを滅ぼすだろう。
「それに任務で外に出れば、ペンタゴンと接触する可能性があります。それはセナさんの精神に負担をかけるので控えるべきというのが、ダニエルの意見で、私も賛成しています」
「あの爺なんぞ、息子が裏切り者だったんだから信用に値するか! あいつも裏切り者だろ!」
「そんなことないわ!」思わずセナが言う。「ダニエルさんは立派なお医者さんよ! アイスフレームを裏切ってなんかいないわ!」
「わ、私もそう思います……」シィルもその言葉に賛同する。
「ええい、お前が勝手な意見をするな!」
ポカッとランスがシィルに拳骨を落とすので、セナは素早くシィルを抱き寄せた。
「もう! シィルちゃん師匠をいじめないでよ!」
「うるさいうるさーい! 俺様が俺様の奴隷をどう扱おうと勝手だ!」
がるると威嚇するランスに全く寄せ付けないように抵抗するセナ。
その姿を見て、セナの善性と実力を再確認するウルザだったが、それだけにより彼女をアイスフレームの任務に参加させることはできないと思った。
それは冷徹な組織の長としての判断である。
ウルザが本当に警戒していることは、セナがペンタゴンに接触し、精神的なダメージを負うことではない。彼女がペンタゴン指導者、ネルソン・サーバーによって感化されることだ。
ネルソンは天才的な弁舌家である。その彼に理想や現実を説かれたとき、セナがそれを受け入れる可能性は大いにあり得る。セナは身をもってゼスの闇を知っているのだから。
しかし、そうなれば最後、セナは善意でゼスを滅ぼす。
ペンタゴンは腐りかけた善意の幹に、暴力と破壊の枝が付いた大木だ。そこにセナという究極の戦闘力が加わった時、いったいどれだけの悲劇を生むかは計り知れない。
ウルザは心の底からセナを慮っているが、それと同時に彼女の影響力の高さを恐れている。
出来れば静かにこの拠点で療養していてほしい。それがウルザの本心だった。
ランス、シィル、セナのじゃれ合いがちょっといちゃつきに発展しそうな空気が出てきたので、ウルザは再度言った。
「とにかく、セナさんは──」
ウルザの言葉の途中で唐突にセナが部屋を飛び出した。転身の速さにランスでさえ目で追うのがやっとだ。
セナは感覚に任せてあたりを探る。しかし、手ごたえはない。一瞬感じた悪意は気のせいなどではないが、セナが捕えられる距離からは出てしまったようだ。
実はアイスフレームにはもう長いことオーロラという魔軍側のスパイが、郵便屋として度々訪れていた。魔人ジークの使途であるオーロラは、魔族の気配さえも消せる変装──本人曰く変身──の達人だったが、セナは隠された気配をも敏感にキャッチした。
しかし、それはオーロラも同じだった。気が付かれたことに気が付いた彼女は一目散に逃げだした。もしいつものように手紙をキムチやウルザに届けようとすれば、セナによって捕らえられていただろう。
セナを追って、部屋の中の三人が外に出てくる。
「どうしましたか!?」ウルザは必死の形相だ。
「ごめんなさい。何か嫌な感じがして……でも、もう逃げられちゃったみたい」
「珍しいな」ランスが言う。
「うん。出来る奴が偵察に来てたのかな?」
しゃんと背筋の伸びたセナがウルザに向き直る。その姿にウルザはやや面食らった。
先ほどまでの落ち込んだ雰囲気が霧散している。戦いの香りがセナに活力を与えたのだ。
「私もウルザさんの言う通り、アイスフレームの任務には参加しない方がいいと思います。そういうことをして、結局いろんな人に迷惑をかけちゃったから」
憂いを帯びた笑みでセナは三人を見た。
シィルとウルザはその顔にドキリとしたが、ランスは文句を言った。
「なにー!? では、俺様にだけ仕事をさせてセナちゃんは遊ぶつもりか!?」
「……うん、そうする! ちょっとお休み!」
ランスはむきーと怒ったが、セナはそれを見て声をあげて笑った。ウルザはセナが思惑通りに療養を選んでくれたことに安心した。
「あ、ウルザさん、片手剣ってありますか? 私のはこの前壊れちゃって」
「え、ありますが、どうして?」ウルザが尋ねる。
「お休みといっても剣のキレは落とせないですから、それに──」
セナはランスとシィルを見る。思い出すのはカスタムの町でのやり取りだ。
無事に帰ってきたら、ダンスを見せる。その約束はいつの間にやら有耶無耶になってしまっていた。あの時の約束を果たす時が来たのだ。
あの日あの場に居て、今日このアイスフレームに居ない人を──ミリのことを──思い浮かべたが、それでもセナは笑顔を浮かべる。
「──踊りたいんです。私、すっごく踊りたいんです」
その日、アイスフレームは美しき舞に大人も子供も沸き上がった。
いまだ心配すべきことは多く、悲しむべき出来事もなくなっていない。
それでも、人々は笑った。
笑いあった。