それは深夜のことだった。誰もが寝静まっている頃、一人の奇妙な背格好の男がアイスフレームに侵入した。
男の名はドルハン・クリケット。まだセナがお銀だった頃、サーベルナイトと共に彼女を不意打ちした男だ。ドルハンはセナによって切り捨てられたが、ムシ使いの驚異的な生命力によって生き残った。
そして、主であるエミ・アルフォーヌの命に従い、アイスフレームから子どもを攫いに来たのだ。エミはその子どもを使って、憎きランスをおびき寄せる算段らしい。
ドルハンとしてはこのようなことをしたいとは思わない。だが主の命は絶対だ。己の忠誠心を言い訳にドルハンはここまで来た。
ムシ使いにとって夜に紛れることは造作もないことだった。暗闇でもムシたちが道を教えてくれる──危険もまた教えてくれる。
ドルハンの体の中ではムシたちが警鐘を鳴らし続けていた。アイスフレームにはドルハンが遭遇したことのない危険な何かがあるのだ。
おそらく自分は死ぬ。
その確信がドルハンにはあった。だが足は止まらない。ドルハンには決して失われぬ忠誠心があるからだ。
そうして、子どもたちがいるであろう家を眼前にした時、ドルハンの体内で鳴り響いていた警鐘が止んだ。危機が去ったのではない。まったくその逆だ。
もう間に合わない。ゆえにムシたちは諦めた。少しでも苦痛を減らすために自らの生への執着を捨てたのだ。
ドルハンの前に女が現れる。この女が己の死神であることは、すぐにわかった。
「前に……見た顔ね」
〇
わずかな月明りしか光源がないにも関わらず、セナの目にはしっかりと男の顔が映っていた。そして、以前サーベルナイトと共に自分を不意打ちした人物であることも理解した。
男からはあまり悪意や害意は感じられない。偶々、孤児院の子どもたちに乞われて一緒にベッドで眠っていたがために、接近に気づいた。
たとえ、悪意や害意がなくとも、こんな夜更けに忍び込む人間が味方なわけがない。セナは剣を抜く。
「それで、一応聞くけど何しに来たの? アイスフレームに参加しに来たんだったら、リーダーに紹介してあげるわよ」
「主君の命故に……人質を攫いに来た!」
男は──ドルハンは体から毒針を飛ばした。不意打ち以外に彼に出来る手はなかった。
セナは毒針を一閃で斬りはらう。視覚など不要だ。ドルハンの動きと気配だけで、どこに攻撃が飛んでくるかなどすぐにわかる。
「ライトニングレーザー」
指先から放たれた魔法がドルハンの足を貫く。通常の刺客ならば膝をつくだろう。だが、セナにはそうならない確信があった。
「ぐぅうう!!」気合の声をだしながら、ドルハンはセナに向かって突っ込んできた。
そうなることは雰囲気で分かっていた。命を捨てる覚悟のある者特有の気配。相打ちになってでも倒すという強い気迫だ。
しかし、二人の間にある差は覚悟などでは埋められないものだった。
殺さず、だが動けないように手加減して剣を振るう余裕がセナにはあった。
足と肩口の二か所を斬りつけ、ドルハンを地に倒す。何が起きたかわからない様子のドルハンに、セナは剣を突き付けた。
「……ここから出て行って。人さらいを命じる主の下にも戻らず、どこかに消えなさい。そうすれば、見逃してあげる」
「……断る!」
「どうして? こんなこと、あなたも望んではいないでしょう?」
「たとえ、己の意に添わずとも、主が望むならば命を捨てる! それが忠義というものだからだ!」
ドルハンは普通の人間には不可能な反撃、皮下のムシたちによるノーモーションでの攻撃を敢行した。
当然のようにセナはそれらを容易く躱す。たとえ何度繰り返しても結果は同じだろう。
もはやこれまでと、死を覚悟したドルハンだったが、いつまで経っても意識が断たれないので、思わずセナの方を見た。
「う、ぐぅっ、ひっぐ……うう」
泣いている。理解不能な光景だった。自分を容易く屠れる存在が、精一杯声を押し殺して涙を流している。
理解できるはずがないだろう。アイスフレームにいる誰にもセナの涙の訳はわからない。
セナはいま己の剣の師であり、父の奴隷であったメルドロスを思い出していた。
彼はセナを連れてゼスを離れる際に、ムシ使いの襲撃にあい、結局はその傷が原因となり命を落とした。だから、セナはムシ使いを嫌っていた。
だがよりにもよって、そのムシ使いが、命をとして自分を逃がしてくれたメルドロスと被る。セナの精神の混迷は許容範囲限界になりつつあった。
「なぜ泣く?」思わずドルハンが言った。
「ひっぐ……あなたを殺したくない。うう、でも、殺さない理由がない」
セナは曲がりなりにも冒険者として生きる人間である。生きる上で誰も殺したくないなどという楽観的な考えは持っていない。それゆえに、この場でドルハンを殺さない選択肢を見出すことが出来なかった。
思考がぐちゃぐちゃになり、感情と混ざり合っていく。危険な兆候だったが、これまでの経験と治療が一年前とは違う選択肢を選ばせた。
「私ひとりじゃ無理……!」
〇
朝日が昇らないうちに、訪問者があるなんて思っていなかったにも関わらず、ウルザはセナがムシ使いの男を抱えて屋敷にやってきた時、かなり冷静に対応することが出来た。
感情が爆発しているせいで──実際は結構いつものこと──要領を得ないセナの説明を聞き終わった後、ウルザはドルハンの方を見た。
「それであなたはどうする気なのですか?」
「どうするも、こうするもない。そこのお嬢さんには悪いが、任務失敗など許されない。私にあるのは成功か、死だ」
「そ、それをどうにかみんなで回避できるように考えようって話じゃない!」セナが言う。
「お嬢さん……我々は敵同士だ。そんな会話をするべきじゃない」
「ふぎぎぎ……そこをなんとか!」
精神の安定を取り戻し始めたセナのむちゃくちゃな言動に、さすがのドルハンも呆れ気味だ。
そんなセナを見ながら、ウルザは考えていた。セナと違い、ウルザにはドルハンを生かすメリットが見えている。それはセナだ。彼女の精神安定にドルハンが一役買うことは明白だった。
問題はその手段である。ドルハンの命を助ける術はいくつか思いついているが、いったいどの手段を取るべきか決めかねていた。
「ほら! ドルハンさん! 死んじゃったら、もう美味しいものとか楽しいこととが出来ないんだよ!?」
「わしの喜びは主の望みを果たすことだ」
「強情な……!」
「強情はそっちだ」
次々と表情を変えながら話すセナを見て、ウルザは決めた。
「わかりました」二人の言い合いを止めるようにウルザは言った。「私に考えがあります」
「ほんと!?」セナがウルザを見た。
「はい。ですが、この方法にはセナさんの協力が必要です。出来ますか?」
「もちろん!」
「……では、ドルハンさん。あなたが死んだら、あなたの主人であるエミ・アルフォーヌも殺します」
「なっ……!」ドルハンが目をむいた。
「なぜ驚くのですか? アイスフレームに対して攻撃を行ったのはあなた。それを命じたのはエミ・アルフォーヌ。どうして二人とも無事でいられると?」
ドルハンがわずかに身じろぎした瞬間、首筋にセナの剣が当てられた。
「動かないで。お願いだから」
セナの声はいままでで一番底冷えするようなものだった。
無理を通すには、その代償への覚悟と、責任を取る必要がある。ウルザはセナにそれを示し、セナはウルザから受け取った。
それこそが、近頃セナに失われていたものの正体だった。
「わかったわ、ウルザさん。もしそうなったら、私がやる。けじめをつけるわ」
「待て……!」
「無駄です。もはやあなたに選択肢はありません。主人の命と主人の命令。どちらが重要ですか?」
ウルザの言葉にドルハンは呻き、首を垂れる。エミはゼスの大貴族の娘。その身柄は堅牢な館にある。しかし、セナが本気になれば、守り切れないだろう。加えてこのアイスフレームにはランスがいる。状況は絶望的だ。
「……恨むぞ」ドルハンはセナをにらんだ。
「ええ。恨んでちょうだい」
言外に交渉が成立するのを確認してから、ウルザが言う。
「安心してください。あなたの主人は捕らえられるでしょうが、無体な扱いはされないことをお約束します。運のいいことに我々にはその当てがあります」
厳めしい表情を浮かべるドルハンに構わず、ウルザは話を続ける。
そうして、三人は秘密裏にエミ・アルフォーヌを捕える算段を立てた。
しかし、この時全く想像もしていなかった事態が後々起こることは、誰も知る由がなかった。
この女、老年男性好きすぎるだろと思いながら書いてます。