ふと幸せを感じてしまった。
それがどうしようもなく卑しいことに思えて、しかし、首を振ってその考えを追い出す。
そういう卑屈な考えは結果的にすべてを台無しにする。
特に自分のように人より大きな力を持つ者がそうなると、たいへんな不幸が起きる。そう肝に銘じて表情を取り繕うが、目の前のダークランスは心配そうにこちらを見た。
「どうしたんだよ、師匠。また腹でも減ったのか?」
「ちがうわよ。ただ……ちょっと考え事してただけ」
「ふーん、なら今日こそオイラが一本とれそうだな」
再び木刀を構えたダークランスだったが、結局はいつも通り地面に転がされて修行は終わった。
セナとダークランスの二人は、近くでその光景をずっと見ていたフェリスの側に座ると、休憩しながら、なんでもない話を始める。
フェリスが廃棄迷宮から助け出されて三週間が経ち、セナを取り巻く状況はかなり変わってきていた。その最たるものがこの親子である。
彼の母親であるフェリスは人間との子どもを産んだ罪で、悪魔に命を狙われていた。そして、悪魔であるが故に天使にも命を狙われている。
そんな親子をセナは用心棒のように守ることを提案したが、これは断られてしまった。
セナとて一生二人を守り続けるわけにもいかない。そう言われれば、引き下がるしかないだろう。
その代わり、セナはダークランスに戦い方を教えることになった。そうすれば、セナと別れた後も、自分たちの力で生きていけるからだ。
「オイラ強くなったよな?」水筒の水を飲みほしたダークランスが言った。
「そうね。見違えるくらいだわ」
フェリスが優しく言って、その言葉にセナも同意する。母の、あるいは師匠の贔屓目があることは間違いないが、それを差し引いても、ダークランスの成長速度は凄まじいものがあった。
あのランスでさえも、ちょっと危機感を抱くレベルである。しかも、彼にはランスと同じく才能限界というものがない。このペースで成長を続けていれば、いつかは自分よりも強くなるかもしれない。セナはそう思った。簡単に抜かされるつもりはないが。
「ありがとね、セナ」不意にフェリスが言った。「ダークランスにこんなに良くしてくれて」
「いいんですよ、そんなこと。むしろ優秀な弟子が取れて、私の方がありがたいくらいです」
「あなたが師匠として優秀だから、この子も優秀に思えるのよ。本当に剣を教えてくれるのがあなたでよかったわ。我が子ながら、すごい動きをするから」
二人に褒められて照れくさそうにするダークランスを見ながら、セナは彼の戦い方に思いを馳せていた。一見、めちゃくちゃな動きに見えて、その実、大きなパワーと対応力を内包するその戦い方は、父親にそっくりだ。
この剣技を指導出来るのは、セナを除けばランスだけだろう。それはつまり、師匠役をこなせるのはセナだけしかいないことを意味している。フェリスにも──またダークランスにも──そのことが分かっているので、こんなにも感謝しているのだ。
「……それじゃあ、ダークランス。さっさとシャワーを浴びてきちゃいなさい」
「うん!」フェリスの言葉でダークランスは素直に立ち上がる。「じゃあ、師匠! ごしどうありがとうございました!」
「はい。お疲れさまでした」
たーっと駆けていくダークランスを見送って、セナはなんていい子なんだろうと思った。自分の弟子にはもったいない。
「また浮かない顔」フェリスが言う。
「へ?」
「二、三日前からそんな感じよね。ちょくちょく暗い顔して、一体どうしたの? なにか困りごと?」
「いや、そんな、そんなことはないのよ。別に……」
「──前よりも随分引っ込み思案になったのね。遠慮しないで教えて頂戴。お互い、命の恩人でしょ?」
「…………なんか、幸せ過ぎるなぁって。私、大分やらかしてるのに、なんだかなぁって」
「…………わかるわ。いまちょっと幸せ過ぎるわよね」
思わぬ返答にセナはフェリスの方を見た。彼女もまた妙に難しい表情をして思案している。
「ちょっと前まで、あんなにひどいことばっかだったのに、今ではあの子がいるし、ここの人たちは優しいし……信じられる? あのランスが昨日調子はどうだ? なんて聞いてきたのよ? こんな幸せな状態信じられないわ」
フェリスは再びセナと目を合わせる。
「でもまぁ、どうせすぐにでもとんでもない苦労が舞い込んでくるんだから、今のうちに楽しんでおきましょう?」
「へ? あ、うん……確かに。……確かに?」
「人生山あり谷あり……実のところ、谷ばっかだけど、だからこそ山のうちは満喫しとかなきゃね」フェリスはいたずらっぽく微笑んだ。「山のうちはダークランスをよろしくね」
「……わかった。ありがとう」
「もう、どうしてそっちが感謝するのよ」
フェリスは朗らかに笑う。
皮肉なことに事態が急変するのは、この日の夜のことだった。
〇
すべての主要なアイスフレームメンバーがウルザの屋敷に呼び出された。もう日がどっぷり暮れた夜のことだ。
異常事態であることは誰の目にも明らかだった。なにせこういった場に呼び出されることがないセナやドルハンさえも、会議に参加している。
「事態は急を要します」明らかに余裕がない状態でウルザが言う。「ペンタゴンがマナバッテリーの破壊を目的とした作戦行動を開始しました」
会議室はざわついた。セナの一件でマナバッテリーの重要性はアイスフレームに広く知れ渡っている。あれが無くなれば、マジノラインの動力が消失し、ゼスに魔軍がなだれ込んでくるだろう。
近頃、全く動きを見せていなかったペンタゴンだったが、この作戦のための準備期間だったのだろう。
ウルザの復帰とペンタゴンが接触してこなくなった時期が被ることから、彼女に作戦がバレないように注意していたことは明白だ。
「マナバッテリーが残っている三つの塔に戦力を送ります。部隊は現地に到着し次第、ペンタゴンの勢力を排除してください。部隊の振り分けは──」
ウルザがテキパキと指示を出す。それが終わると皆はそれぞれ準備のために会議室を去っていった。そうして残ったのは、セナとドルハン、ウルザの三人だった。
「どうして、セナはともかくわしに指示を出さなかった? いつものようにランスやカロについていくものと思っていたが」
「理由があります。お二人には王者の塔へ行っていただきたいです」
「どうして王者の塔へ? グリーン隊は弾倉の塔担当だよね? ああ、行くこと自体には全く文句はないのよ。むしろ、行かなきゃいけないと思ってるくらい」
「どうしても戦力が必要なためです。グリーン隊とそれ以外と分けても、あと一つに回す戦力が足りませんから」
「確かに、私なら一人でもある程度は止められるね」
ウルザはうなずき、また深刻そうな顔になった。
「それだけではないのです。お二人を残した理由は」ウルザはドルハンの方を見る「王者の塔にはエミ・アルフォーヌが幽閉されています」
「なに!?」ドルハンが叫ぶ。「で、ではエミ様の身に危険が」
ウルザは静かにうなずいた。
「我々の契約には彼女の安全が含まれています。それが脅かされている以上、あなたに命令をする資格はありません。ただ、彼女を助けるのならば、確実にセナさんと一緒に行くことが最善であることは確かです」
ドルハンがセナの方を見る。セナはどういうわけか、最近で一番冷静だった。
「ずるい言い方だけど」セナは前置きする。「私と来てくれるなら助けられるよ。その代わり、この任務が終わるまで手伝ってくれないかしら? ドルハンさん」
「……いいや」ドルハンは首を振る。
セナは彼の拒絶に気を落とすが、すぐにドルハンは続けた。
「お前さんはわしと行かなくともエミ様を助けてくれるさ。ゼスが魔軍に襲われれば、それこそエミ様の身が危ない。わしも、一緒に戦うよ」
ドルハンの笑顔はセナの強さと性格を信頼してるが故のものだった。
「しかし、塔までの案内役がいるのではないか? わしもあまり道を知っているわけではない」ドルハンはウルザを見ながら言った。
「ええ、わかっています。……塔までの案内役は私です」
「ウルザさんが!?」
いままで任務に出たことがないリーダーが直接赴くと聞いて、セナは驚愕した。
「ええ。ここの指揮や防衛はダニエルの方が向いていますし、最前線で指示が出せる者の中で、強行軍に耐えられるのは私しかいません。ですが私を入れても三人。マナバッテリーを守れるかどうかはセナさんにかかっています。出来ますか?」
ウルザにしては無茶な作戦だ。計画性というものが全然ない。
しかし、セナはこの作戦が心から気に入った。
「……もちろん、出来るわ」
頼られたこと、やるべきことが出来たこと。そのどちらもがセナに力を与える。
そうしてセナの、ゼスを守るための戦いが再び始まった。