ネルソンと合流したセナ一行はネオペンタゴンを目指して再度歩き始めた。先ほどよりも進みは遅い。ネルソンのせいだ。セルが時折手を貸したり、なにがしかを話して歩を進めさせてはいるが、効果は薄いようだ。
セナはあえてネルソンを助けることはしなかった。彼は間違いなく罪人であり、またネルソン自身もそう扱われることを望んでいるからだ。しかし、彼に手を差し伸べるセルを止めることもしなかった。敬虔なシスターである彼女に人助けをやめろなどと言えるはずがない。だが心の奥底にはネルソンが救われてほしいという気持ちも確かにあった。
セナは神を心から信じたことはなかったが、友人の人柄は信じていた。ゼスに生まれ、ゼスに翻弄されてきたセナ達よりもセルの言葉がネルソンには必要だろう。
「ここだ」セナの思考を中断するようにネルソンが言った。「まだここを使っているならばな」
セナ達は立ち止まり、注意深くあたりを見る。入口は地面にあった。ネオペンタゴンの秘密基地は地下に存在していた。
カロを先頭にしてセナ達は秘密基地の中に入る。カロのセンサーとセナの超人的な感覚が中に何者かがいることを察知した。パーティは警戒レベルを一段階引き上げる。
広い施設だった。だが内装が所々はがれていて、床には薄く砂が積もっていた。
すでにセナの感覚は研ぎ澄まされている。感覚に従って天井を見たセナは雷の矢を放つ。そこに設置されていた極小の監視カメラは魔法によって機能停止した。
「こっちが来たのはバレたわ。ここからは素早く進みましょう。おじ様、どこに指導者がいるかわかる?」
「おそらく指令室だろう。奥だ」ネルソンは廊下の向こうを指さす。
「ありがとう、おじ様。カロちゃん、警戒お願いね」
「うん」
一行は秘密基地内を進む。いつものようにセナが単騎駆けを仕掛けないのは、事前にペンタゴンの元幹部について情報を聞いていたからだ。生き残っているロドネー・ロドネーは毒物のスペシャリスト。五感により異常を察知できるセナであっても、無味無香の毒物を知覚できるかは確証がなかった。
進み続けると当然ネオペンタゴンの構成員たちが行く手を阻んでくる。だがなんの障害にもなりはしない。セナ一人でもどうしようもないほどなのに、他メンバーも一人一人が精鋭である。構成員たちはすぐに床に転がされた。
ネルソンはセナの強さにも、その静かさにも驚嘆する。
圧倒的な実力を持ちながらも、セナの戦いには威圧感が無く──もっともこれは相手のレベルが低すぎるということもある──舞のような優雅さがあった。いつかガンジー王すら凌ぐ魔法剣士にセナはなるという、ゲイルの酒の席での口癖は現実のものとなっていたのだ。
いやそれ以上だ。
歴史上彼女より強い人類は存在しなかっただろう。だからこそ、セナは英雄となった。
しかし、その肩書は記憶の中の少女と繋がらない。もっとあの子は明るくてお転婆で、言うならば普通の────
「────ネルソンさん?」セルが心配そうに声をかけた。
「あ、ああ……すまない。呆けていた。進もう。指令室はもうすぐだ」
「ううん。止まって」カロが言った。「毒があるってあげは(カロのムシ。センサーを持っている)が言ってる。多分、かなり強いの。吸ったら死んじゃうと思う」
「私とセルちゃんで解毒は出来るかもだけど、呪文唱えられないような効果だったらまずいね。うーん、どんな毒かわかる?」
「……笑って笑って死んじゃう毒?」
「馬鹿みたいだけど魔法使い対策としては理に叶ってるわね」パパイアが言った。
「……ちょっと怖いけど散らすわ。ガスっぽいし」
「空気の流れを作って霧散させるってことですか?」千鶴子が言う。「いくら何でも無茶じゃ」
「難しいけど出来なくはないと思うの。天井に穴開けてもいいけど、ここが壊れないか心配だし。小さい爆発をたくさん起こして空気の道を作れば、安全に分散できるんじゃないかな?」
「……セナちゃん何個同時に出せるの?」
「小さければ二十くらいは」
「……出来そうじゃない? 千鶴子、こういう計算得意でしょう? どこを爆破すればガスが逃げていくか割り出してあげてよ」
「…………まず────」
千鶴子は淀みなく十八か所を指定した。セナも感覚的には合っていると思ったが、どうしてそうなるのかまではわからなかった。それでも一切の躊躇なく爆破を実行する。他のメンバーは魔法バリアを張り、またセルを最優先で守るような陣形を取った。失敗した場合、彼女だけでも生き残っていれば、解毒の可能性があるからだ。
「死爆」
セナが魔法を放つ。指定された場所、指定されたタイミング。すべてが完璧である。セナよりも強力な魔法が放てる者は少なくともゼスだけで二人いるが、セナほど正確に魔法を扱える者はこの世に一人もいないだろう。
「……どう?」セナがカロに問いかけた。
「……うん。大丈夫。ほとんど散ったみたい。ちょっと残ってるけど平気だと思う」
「それじゃあ、急ぎましょう。こういう危ないものを使ってきたってことはあっちも相当追い込まれてるはずだから」
一行は進むペースを上げた。何人か構成員の襲撃や、いくつかの罠を乗り換えて、結局は誰一人目立った怪我無く指令室へとたどり着く。
セナはいつかやったように指令室の扉を蹴り飛ばした。相当頑丈に作られているはずの鉄製の扉は、部屋の中に吹き飛び、壁に叩きつけられる。中に居る者たちは反応できなかった。というよりも戦う準備さえ出来ていないようだった。セナ達が秘密基地に入ってから、この指令室にたどり着くまで、本当にわずかな時間しかなかったためだろう。
セナは指令室に飛び込んだ。他のパーティメンバーも次々と指令室になだれ込む。
それを見た一人の男が試験管を数本セナに投げつけたが、それらがすべて破壊されることなく剣先によって勢いを殺され、床に転がされたので、驚きで体を固くした。
この男がロドネー・ロドネーか。セナは一瞥する。だが脅威ではない。すでに間合いの中に居るのだ。どんな動きをしたとしても、自分の剣が先に届くだろう。他の数名も問題にならない。すでにセナの勝利は確定した。
「提督……どうして……」集団の中心にいる女が呟いた。
「エリザベス……」ネルソンが悲痛な声を出す。
「エリザベス・レイコック。やはりあなたが今回の主犯だったのね」千鶴子が淡々と告げる。「おとなしく降伏しなさい。ガンジー王は寛大なお方よ。降伏すれば恩赦をくださるはずです」
「黙れ! 卑怯な魔法使いめ! 貴様の言葉など信じるか! 我々から最後の反撃の機会すら奪うつもりだな!」エリザベスと呼ばれた女が叫ぶ。「お前たち、攻撃を────」
手を振り上げたエリザベスが後ろに控えていたペンタゴンの構成員に頭を殴りつけられる。突然の裏切りにエリザベスは抵抗することが出来ず、地面に倒れた。
エリザベスが仲間のはずの構成員を見上げながら言う。
「な、なにを……」
「う、うるせぇ! お前らのせいだ! こんなことになったのは、お前やネルソンのせいだ! せっかく王が恩赦をくれるっていうんだ! いまさらお前なんぞの命令など聞けるか!」
「そ、そんな……」
「そうだ、お前の首を渡せばもっと恩赦を──」
「──不要よ」音もなく二人の間に割って入ったセナが言う。「離れて」
「ひぃ!」
「……他に投降する人はいる? あなたはどう? ロドネー・ロドネー」
「いらないよ。恩赦なんて僕には」
「そう」
「僕はただ────」
言葉で気を引きながらロドネーは隠し持った最後の毒を使おうとする。それは自爆用の毒であり、使えば周辺の生き物はおろか無機物にまで害が及ぶ強力なものだった。
どうせ捕まるなら、これで最後の実験をするもの悪くないな。
ロドネーがそう思った瞬間だった。
「甘えるなロドネー!!」
ネルソンの力強い声が部屋を支配する。ロドネーの腕を斬り落とそうとしていたセナもその声で止まった。
「……提督?」ロドネーがネルソンの方を見る。
「お前たちもだ。こんな時に仲間割れなどと愚かなことをするんじゃない」
「……お、愚か? 愚かだと! 俺たちはお前に誑かされてこんなことをしちまったんだ! それなのに、裏切ったお前が俺たちを愚かだと言うのか!」構成員の男が怒りのままに叫んだ。
「取り違えるな。ペンタゴンの愛すべき同志よ。お前が愚かなどとは言っていない。誇り高きペンタゴンの一員として、愚かなことをするなと言っているのだ」
「誇り? 誇りなんてペンタゴンにあるもんか! 存在していることが間違いなんだ!」
「それは違う! 断じて違う! 思い出せ同志よ! ペンタゴンはゼスのために存在していた! 我々はゼスのために立ち上がった!! 立ち上がったのだ!!」
気づくとネルソンの顔に血色が戻っていた。背筋が伸び、はっきりとものを言えるようになっている。その姿は先ほどよりも十歳以上若返ったようにさえ思えた。
「そうお前は立ち上がったのだ!! あの絶望と退廃の時代に自分以外の誰かのために立ち上がったのだ!! いまの景色に惑わされるな! 誰もが前を向き、一丸となって平和を目指す今の景色は時代の流れが生み出した流行に過ぎん! だがあの日々の中で、嬲る者と嬲られる者しかいなかったあの中で、お前は立ち上がったのだ!! 確固たる意志で──味方など数えるほどしかいなかったあの時に! それを誇りに思わずなんとする!!」
「だ、だが、あれは、あなたが……」
「それでもお前はその足でこの組織についてきたではないか」ネルソンが無念そうにうつむく。「確かに我々は手段を間違え、失敗し、当然受けるべき批判と汚名を受けた。だがそれだけなのか? 我々は驕り高ぶった悪でしかないのか?」
静寂が場を支配する。ネルソンが次に話す言葉を誰もが待っている。
「────否だ。やはり断じて否なのだ。我々は立ち上がり、挑戦した。差別が蔓延する国を救おうと挑戦した。そして失敗したのだ。成功した者たちは勝ち誇り、どれほど自身らがうまくやったのかを、どれほど我々が下手を打ったのかを十分に記憶し、我々を見下すだろう。それは仕方のないことだ……我々は敗北したのだから。呆けてただ流されるままに平和を手に入れた者たちは、我々を嘲笑うだろう。無駄なことをした馬鹿な連中と噂し、そして忘れていくだろう。仕方ない……我々は敗北したのだから! だからこそ! 敗北した我々自身だけは! 記憶し続けなければならない! 我々は傍観者ではなく! 挑戦者であったことを!! 誇り高き挑戦者であったことを!!」
ネルソンが放つ熱気は部屋の温度が上がっていると錯覚するほどだった。セナですら、ネルソンに釘付けだった。
「そうだとしても、どうすればいいのですか……?」倒れたままのエリザベスが言った。「失敗した我々はどうすれば?」
「少なくとも失敗した方法を繰り返すべきではない」ネルソンはきっぱりと言った。「……私が思うに今はこの組織を解散させる時なのだろう」
「どうしてですか! やはりペンタゴンはもう不要というのですか!」
「……民衆は赤子だった」
「……どういう意味でしょうか?」
「私がラグナロックアークに基地を構えたとき、民衆に呼びかければゼスに革命を起こすという崇高な目的を理解してくれると信じていた。だが結果は……民衆は欲望のままに略奪を繰り返し、恐怖のままに魔人から逃げた。彼らに意思や信念などありはしなかった。彼らは赤子だったのだ」
魔人が攻めてきていた時、ラグナロックアークに居たことのある人間は当時のひどい街の状況を思い出した。さんざんな言いようだが、あの惨状を思うと納得もできる。
「しかし、いまは違う。彼らは自ら協力し、ゼスを守った。民衆は立ち上がったのだ。我々と同じように。ならばもう、指導者も教師も彼らは求めておらず、我々も担うことなど出来やしない。必要なのは
「……僕はそんなもの求めてはいない。僕はただ……」ロドネーが後ろめたそうに言った。
「その言葉にはすでに答えている。ロドネーよ。甘えるな。民衆が変わったようにお前にも変わる時が来たのだ。快・不快ではなくもっと大きなことのために生きろ。努力し続けろ。お前は……我々は……いや、すべての人間はそうしなければならんのだ」
「それでも、何もできなかったら、どうすればいいのですか? 理想は何もかも現実にならなかったら? 何もかもが無駄だったら?」エリザベスが縋るように言った。「怖いのです。自分が何も為せぬことが、どうしても恐ろしいのです」
「……私の言葉を思い出せ、エリザベス。お前はもう為したのだ。挑戦という尋常ならざる偉業をな」
ネルソンは微笑みを浮かべる。先ほどまでの卑屈な老人の顔でも、決意にみなぎるペンタゴン提督の顔でもない。いつかセナが見た穏やかな理想家の顔だった。
「それでも足りぬというならば、ゼスの人々と生きろ。ただ生きるのではない。よりよく生きるのだ。それこそが何かを為すということではないか?」
〇
うし車の中で千鶴子は考えごとをしていた。すぐそばでは薬を飲んでダウンしているセナ、それを介抱するセル、そして自分と同じく考えごとをしているパパイアがいた。カロに任せた手綱は順調そのもので、無事にラグナロックアークまで戻ることが出来るだろう。
そして後ろを付いてくる何台かのうし車にはペンタゴンのメンバーが乗っていた。あの基地に居た全員ではないものの、ネルソン・サーバー、エリザベス・レイコック、ロドネー・ロドネーの主要幹部を含めた十数人が乗っている。基地内すべての人間が投降したので、うし車の数が足りなかったのだ。
「当ててあげましょうか?」不意にパパイアが千鶴子に声をかけた。「憂いが潰せてよかった三割、納得いかないが四割、共感が三割でしょう?」
「……そうよ。あの大演説。確かに思うところはあったわ」
国側がゼスの改革に大きく動けていなかったのは事実である。ペンタゴンやアイスフレーム等の革命組織が今回の身分制度の撤廃に大きく寄与したのも事実。現状に諦めていた元二級市民や甘い汁を啜ることしか考えていなかった元一級市民よりも、彼ら革命組織に参加した者たちの方が、志を持っていたのも事実だろう。
だが違法な方法──暴力を用いた革命を選択していたこと、それを美談のように語るのが気に食わなかった。
千鶴子はおそらくゼスで最も正攻法で国を変えようとした人物である。
身分制度や貴族の汚職に怒り、義憤を持って高い地位へとたどり着いた。それまでの努力、そしてそこからの努力は計り知れないものだった。
その努力を無駄なものだったと言われたようで悔しかった。
しかし、そもそも努力を積み重ねられたこと自体、かつてのゼスでは幸運なことだったのではないだろうか。魔法が使えず、二級市民に生まれていたとして、自分が同じだけ努力することが出来たのかはわからない。ネルソンたちのように立ち上がることが出来たのかがわからないのだ。
「あんた真面目だから考えすぎてるだろうけど、私から言わせればあんなのお決まりのリップサービスよ」
「ちょっとパパイア」
「だって、一級市民と二級市民の立場を入れ替えることがペンタゴンの目的だったじゃない。確かに口では平等を唱えてたけど、少なくともここ数年、実質的にはずっとそれを狙ってた。崇高な理念とか言っても、結局は権威と栄光が欲しかっただけじゃないの」
「……本当にそうかしら、私には違うように思えるわ。以前あったあの枠。身分制度という強固な枠を破壊するには暴力が必要だった。有無を言わせない力が必要だったんじゃない?」
「それこそ結果論よ。魔軍という力によって、ゼスは変わった。でも、あんたがずっと目指してきた正攻法での改革じゃあ、それが為せなかったなんていう証拠はどこにもないわ。自信を持ちなさいよ、千鶴子。あんたはこの国で誰よりも……多分征伐のミトなんてやってた王様よりも、真っ当にゼスを変えようとした人間なのよ。そんな人間がしょぼくれてなんかいないで」
「…………励ましてくれるのはうれしいけど、次ガンジー王を乏したらひっぱたくからね」
「ありゃ」
「……私たちとペンタゴン。どっちが本当に勝ったのかしら」
「どっちでもいいわ。国民のための国だもの」
話題は次第に何でもない内容へと移っていく。荷車の反対側で体を横にしながらセルに介抱されるセナは聴覚への集中を薄れさせていった。
「大丈夫ですか、セナさん。気分はどうですか?」セルが優しく問いかける。
「大丈夫。大丈夫よ。まだ気持ち悪いけど……マシになってきたの。結構マシになってきたのよ」
原作のパパイア、ナギは論外として、マジック、ガンジーら王族も大分身分制度撤廃については無力な存在だったと思っています。
誰も彼もが腐敗したゼスを立て直すほどの力と気力を持っていない。
だからこそ、ランスくんが必要だったわけですね。