素晴らしい日々だ!
カスタムに戻ってから一週間と経たずにセナは、ヨークス姉妹と一緒に冒険の旅に出た。挑戦旅行──ミリ命名。一体何の挑戦だろうか──と銘打たれたこの旅は、すでに二か月に及んでいた。
迷宮探索、野党退治、食べ歩き、野宿、たまに喧嘩を混ぜ込んだこの旅は、まず間違いなくセナの人生で一番の旅だった。
その日もセナ達は冒険者ギルドを訪れた。ここ最近世話になっているキースギルドは、自由都市地帯のアイスという町にある。ランスやシィルが通常拠点としている町であり、キースギルドを利用するようになったのは、つまるところその縁故だった。
「これとかどう? 幻のぶたバンバラ料理を作りたいって。面白そうじゃない?」
「おいおい、食うのかぶたバンバラ。オレは嫌だぞ」
「そもそも、先週似たような依頼で騙されてたじゃん。セナも懲りないね」
「騙されても別に死にはしないし、美味しいものを食べられるならOKじゃない?」
「だから、食いたくねぇってぶたバンバラ。こっちはどうだ? 眠り姫のために薬を作りたいって依頼だ?」
「気になったのは薬? それとも眠り姫?」
「どっちも」
「でも、ねーちゃん。この材料だときつけじゃなくて……多分毒薬になると思うよ。こう、うわー眠れなーいみたいな薬に」
「よし、眠り姫の安眠のためにも、これはスルーだ」
「うーん。面白そうなの、面白そうなの……」
「ていうか、ねーちゃんもセナも面白そうだけじゃなくて、お金になるかどうかも判断基準に入れてよ。資金が心もとなくなってきてるんだからさ」
「主治医先生からのお達しだ。ちゃんと探せ、セナ」
「これとかどう? すっごい簡単な仕事でたくさんお金もらえる。女の子限定で────」
「「却下」」
「でも、全然怪しくないって書いて────」
「「却下」」
がやがやと掲示板の前で話している背後から三人を呼ぶ声がする。振り向けば、このギルドの長であるキース・ゴールドの姿があった。
執務室から出ている所を見るのは珍しい。セナ達が各々挨拶をすると、キースは笑顔で──しかし、成り上がりもの特有のエネルギーを持った表情で返した。
「お前ら、まだ今日の依頼は決めてないのか? だったら一つ頼まれてほしいんだが」
「いいです────」
「────待て待て待て。話を聞く前から安請け合いするなよ」セナを遮ってミリが言う。「で、ギルドマスター。依頼ってのはどんな内容なんだ?」
「AL教からの依頼でな。ちぃと難易度が高そうなんで実力のある奴にやってほしいんだ。大河でトラブルがあってな」
自由都市地帯とゼスの間には二つの地域を隔てるように巨大な川が流れている。大河と呼ばれるその川の真ん中には川中島という島が浮かんでおり、そこはAL教が支配する土地だ。必然的に大河周辺にはAL教の影響力が広く行き届いている。大河周辺で何かあるとこうしてAL教が冒険者ギルドに依頼を出すことがあった。
「大河のほとりに、ひきしおの迷宮ってのがあってな。基本ずっと水の中に沈んでて、十年に一度しか地上に顔を出さない迷宮なんだが、それが時期でもねぇのに出てきてるそうだ。おかげで近くでやってる塩作り作業が完全にストップしちまって困ってるらしい」
「原因を探って、解決しろってのか? まぁ、出来なくはないだろうが。迷宮か……」
「な、なによ、ミリ。なんでこっち見るのよ」
「いやいや、原因はもうわかってるんだ」キースが補足する。「中で記録にない魔物が発見されてる。こいつが迷宮に流れ込む水に悪さをしてるみたいだ。お前たちへの依頼はこの魔物の討伐だよ」
「なら、問題ないか」
「そうね。討伐なら任せておいてください!」
「おう、悪いな。本来ならラークあたりにでも頼む要件なんだが、いまは別の依頼で遠出してるからな」
「いえいえ! いい感じの依頼がなくって困ってたところですから!」
「まったくありがたいよ。ランスの奴もセナぐらい素直だったらいいんだが」
「それは無理だろ」
「無理だね」
「まぁ、無理ですね」
「わかってる。じゃあ、頼んだぞ」
〇
ひきしおの迷宮はアイスの町から見て南西に存在する。そこでまず一行はまっすぐ西に行き、大河とぶつかったら、そこから南下するというルートを取ることにした。川をまっすぐ下る。その単純さでセナの迷子を防止するためだ。
「セナは大河に行ったことはあるの?」召喚した幻獣の背に鞍を付けながらミルが言った。
「あるわよー……いや、たどり着いたことはあっても、行ったことはなかったかしら?」
「おーけー、それだけで大体どういう状況なのかわかったよ。私の幻獣に乗るか、絶対後ろをついてきてね」
「しっかし、便利になったな。お前の召喚魔法も」ミリが同じく出発の準備をしながら言う。「前はこんなに移動用として使えなかっただろ?」
「誰かさんたちを運ぶためにいろいろ練習したからね。感謝して!」
「おう、ありがとよ」
「ありがとうね」
幻獣たちの背に乗って、三人はぐんぐん西に進む。
結構な揺れがあるが、不思議とセナは乗り物酔いすることがなかった。
もしかするとうし車が苦手なのは荷車が苦手なのかもね。そんなミルの言葉に、ミリが「じゃあ、今度うし車に乗るときはうしに跨った方がいいな」と冗談を言った。だが意外にもセナが乗り気で、うしに付ける鞍まで考え始めたので、姉妹は呆れて笑い声をあげた。
「そういえばさ」アイスを出てかなり経った頃、思い出したようにセナが言った。「ミルは大河行ったことあるの?」
「ん? ああ……何度かな」
「へー、ねーちゃん行ったことあるんだ。どんなとこ?」
「びっくりするくらいでかい川だよ。視界いっぱいの水もすごいが、何より川の先に地面が見えないのがすごいぞ」
「確かに。あれは初めて見た時、驚いたわ。こんなにたくさんの水って存在するの!? って」
「ああ。他にも変なとこだらけだ。知ってるか? 大河の下流の方はどういうわけだかしょっぺぇ水が流れてるんだ。AL教はそれを使って塩を作ってる」
「知識としては知ってるけど……実際に舐めてみたことはないわね。私がたどり着いたところは上流だったから」
「今向かってるところは、ちょうど水がしょっぱくなる境目あたりだ。あそこらへんで作る塩は他と風味が違うらしい。普通の水としょっぱい水が混ざり合ってるから、何とも言えない香りがするそうだ」
「へー……今回の依頼のお礼とかでちょっと分けてもらえないかしら」
「どうだろうね。キースさんは塩づくり止まっちゃってるって言ってたから……セナ、ちょっとならいいけど塩水なんだからごくごく飲んだりしないでね」
「え、駄目なの?」
「駄目だよ。死んじゃうよ」
「主治医の言うことはちゃんと聞けよ。後はそうだな……」
ミリは考えるように、思い出すように、上を向いた。しばらくそうしていたが、不意に言葉を続ける。
「綺麗なとこだよ。セナ、お前夕暮れ時に大河に行ったことあるか?」
「ううん。ない」
「もったいねぇ。夕暮れ時になるとあそこはすごいんだぞ。オレンジ色が広大な水面にキラキラ反射してよ。でっけぇ太陽が水の中に溶けてくみたいに沈むんだ。あんなのを毎日見ることになるんだ。川中島の連中が神を信じたくなる気持ちもわかるね」
「それは、見たいな」
「運が良ければ見られるだろうよ」
会話はそこで終わった。だが三人の脳裏には大河に沈む太陽が映し出されていた。記憶あるいは想像で描かれるその景色には、全員が欲求を刺激される。
だから、いざ大河に着いた時、それが見られなかったことには、少なからず全員が落胆した。日はもう沈んでしまっているし、そもそもひどい曇り空だった。
それでも一日は終わっていく。
セナは夕食にカレーマカロロを作った。そして、ミルはもうセナと冒険して二か月だというのに「こんなにおいしいごはんをセナが作れるなんて信じられない」と言った。
〇
一行はひきしおの迷宮にたどり着く。あたりには自分たち以外に人間の姿はない。入口あたりに溢れてきている魔物たちのせいだろう。セナは瞬く間に彼らのすべてを切り刻んだ。
「やっぱり、水系が多いね」セナが剣を納めながら言う。「イカマンとかさ」
「よかったじゃねぇか。好きだろ?」
「まぁ、好きだけど」
「いま食べるなよ」
「食べない……よ」
「おい」
「どうする? こっちも水系の幻獣だしとく?」
「んー……どちらかというと土系かな。多分、迷宮内の水はかなり少なくなってるだろうから、水系よりは動きが良さそう」
「おーけー」
三人はひきしおの迷宮に足を踏み入れた。
セナの想定通り、ひきしおの迷宮は所々水たまりが残っているものの、ほとんど水は残っていなかった。地面はどういう原理なのか薄っすらと青みがかっており、神秘的な雰囲気を纏っている。一行は迷宮の複雑な構造に苦戦しながらも、セナの強さを起点としてどんどん進んでいった。
大体四階分ほど地下へ進む階段を下った頃だ。ミリの脳裏には嫌な考えが浮かんだ。
今いる迷宮は本来であれば水の中に沈んでいる場所だ。表に姿を現している原因である最奥の魔物を討伐した瞬間に、再び水の中に沈んでしまうのではないだろうか。
もちろん冒険者の必需品である帰り木は持っている。しかし、帰り木はあくまで高速で迷宮を脱出する道具だ。瞬間移動するわけじゃない。迷宮が深ければ深いほど、脱出するまでに時間はかかる。
ミリの経験から言って、現時点でも三十秒ほど脱出に時間を要するだろう。自分やセナはこの時間が二倍、三倍になろうと問題はない。だが妹は別だ。肺活量は体格に依存する。小さなミルと自分たちではどうあがいても息を止めていられる時間に差があった。
十個目の階段を見つけたとき、ついにミリはその懸念を口に出した。
「確かに。もう随分降ってきたし、ミリの考えが合ってたら、ミルちゃんはちょっと危ないかもしれないね」
「ここでミルは脱出した方がいいんじゃないか?」
「えー! いやだよ! 私も最後まで冒険したい!」
「バカ。死んだら元も子もねぇだろ。ここで引くのも冒険者として正しい判断だ」
「……でも、ミルちゃんがいた方が良いかもしれないわ」
「おい、セナ」
「いや、ミルちゃんが可哀そうとかじゃなくって。現実的な話よ。ミルちゃんどころか、私たちも息が持たないくらいこの迷宮が深かったら?」
ミリは想定してなかった危険を指摘されて黙った。迷宮の中には二十階分の深さを持つ大きなものもある。決して多くはないが、ここがそうではない保証はなかった。
「くそっ、ぬかった。キースのおっさんに聞いとくべきだったぜ」
「もしくはキースさんも知らなかったのかもね。十年に一度しか出てこない迷宮だし。AL教の管理物ってことは……情報も絞られてるだろうし」
「でも、ねーちゃん達の息が持たない深さなんて、私じゃどうしようもないよ?」
「ミルちゃんは無理でも、幻獣の方はそうでもないんじゃない?」
「! たしかに! 私が気絶しても、少しの間なら幻獣を召喚し続けられるよ」
「水系の幻獣なら、私たちが気絶した後も帰り木から手を離さないように出来るんじゃないかな? こう、手と帰り木を固定するとかで」
「出来るかも!」
「でもよ。少しの間っていうのはどれくらいなんだ? 十秒や二十秒じゃそんなに役には立たないだろうよ」
「戦闘用の子じゃなきゃ、五分は持つよ! 簡単な応急処置も出来る子だから、むしろ今の状況にはピッタリじゃない?」
「全員気絶しても、迷宮の外で目を覚ませてくれそうね。どう? ミルちゃんが絶対必要な気がしない?」
ミリは考えた。その思考時間がパーティの最善のためではなく、愛する妹の安全のみを考慮したために生じる時間であることは、薄々気が付いていたが、それでも考え、決断する。
「わかった。全員生き残るにはお前の力が必要そうだ。頼んだぞ、ミル」
「うん!」
おおよその方針を決め、一行は冒険を再開した。そうして、どんどん下にもぐり続け、ついに最奥へたどり着いた時、降った階段はちょうど四十個になっていた。
地下四十階にある最奥の洞窟は、どこから光源が発生しているのかはわからないが、松明がいらないほどに明るい。その明るさで地上一階からあった青みがかった岩々が、いままで以上に煽情的な青色を放っていた。
美しい光景ではあるものの、セナ達にその光景を楽しむ暇はなかった。
巨大な洞窟の半分程度を占めるほどに、これまた巨大な魔物が鎮座していたからだ。くらげmk2に似た姿をしているが、あまりにサイズが違う。さすがのセナも変な笑いが出てくるほどだ。
「ハイパーくらげ……的な?」
「バカなこと言ってるな! あいつもうこっち見てるぞ!」
ハイパーくらげは巨大かつ膨大な触手を動かして、セナ達を攻撃した。くらげmk2の生態と同じく女の子モンスターを捕獲する性癖があるのか、殺すというよりも捕らえることを目的とした動きが多い。そのあまりの巨大さから動きは緩慢だ。それでも、その大質量が動くだけで、十分に驚異的だった。
セナは触手の間を縫うように進みながら、ハイパーくらげの身体を斬りつけた。
硬い。まるで鉄を斬っているようだ。
しかし鉄程度の硬さでセナの剣を受け止めることは出来ない。ハイパーくらげの身体にその大きさに対してはあまりに小さい傷が出来た。
セナの背筋に凄まじい悪寒が走る。咄嗟にその場から身を翻すと、セナがいた場所に向かって、ハイパーくらげの傷から体液が凄まじい速度で噴き出した。
すぐに傷はふさがり、体液の噴出も収まったが、体液は鋭い斬撃が通った跡のように洞窟の岩に傷を残した。
迷宮の水はどこに消えたのか。その謎が解けた。四十階にも及ぶ巨大な迷宮の水は、すべてこのハイパーくらげの体内に収められているのだ。ハイパーくらげが恐ろしく大きいとはいえ、ひきしおの迷宮の広大さを考えれば、どれほどの力で水が圧縮され格納されているのか想像もつかない。当然、少しでも穴が開けば、猛烈な勢いで出口を求めた水が噴き出し、意図しない必殺の攻撃となるわけだ。
それでも、たった一度の攻撃で、セナはこの魔物の攻略方法を思いついた。
「ミリ! 私たちを守って!」
「何秒!」
「二秒!」
「無茶言うぜ……!」
セナはミルの傍に立ち、全身の魔力を練り上げ始めた。ミリは二人を守るように立ちふさがる。
一方で自身の身体を傷つけられるとは思ってもいなかったハイパーくらげは、怒りのままに触手を振り上げ、三人に向かって振り下ろす。
ミリはそれを何とか逸らした。その重さに剣を合わせるだけで、体がバラバラになるかと思ったが、まるで防御姿勢を取らないセナを見て、腹の底から力を沸き上がらせた。この信頼に答えられずに、この女のパーティメンバーと言えるだろうか。
セナの溜めが完了し、最強の女は再び跳躍する。その威圧感にハイパーくらげは死の雰囲気を嗅ぎつけたのか、触手を動かし始めた。
だが巨大すぎるその体では、とてもセナのスピードを捕らえることなど出来ない。剣先はまたもハイパーくらげの身体に達した。体液が噴き出し、反撃を行うよりもずっと速く、セナの体内を巡っていた魔力が解放される。
「雷神雷光」
今度は雷となった魔力がハイパーくらげの体内を巡る番だった。最上級の雷系魔法のすべてが、たった一匹の巨大な魔物を蹂躙する。塩分を含んだ水を伝って、電撃が素早く肉体すべてに浸透すると、ハイパーくらげの命はあっという間に尽きてしまった。
「よし!」ミリの声が洞窟に響く。「さっさとここからおさらばしようぜ、セナ!」
「うん! ミルちゃん、幻獣の子お願い!」
「もう出したよ! みんなこっち来て!」
三人は急いでお互いに近くへ寄った。セナが斬った傷から──あるいはそれ以外の場所からも──水が漏れ出しているのか、猛烈なスピードで洞窟内の水位が上がっていく。
大急ぎで帰り木を起動させる。三人と幻獣は帰り木に捕まって迷宮外へと脱出し始めた。
事前の打ち合わせのおかげで、はじめのうちは水が通路内に満ちないうちに動くことが出来ていたが、やがて追いつかれる。意を決して息を止める三人だったが、感覚的にあと三分程度は脱出に時間がかかる見込みだ。
一分と少しが過ぎた後、ミルの限界が来た。セナは事前の打ち合わせ通りに素早く彼女の意識を奪う。そうした方が水を飲まずに済むためである。これはミルの提案だった。彼女の幻獣は当初の見込み通り消えることなく、帰り木と自分の主人たちとを繋いでいた。
二分程度経過したとき、ミリにも限界が来た。直前まで全力の運動を行っていたので、いつもよりも息が持たないのは想定内である。ミリがセナの方を見て、小さく頷いた。セナもまた頷き返し、彼女の意識を奪う。
問題はいよいよ三分が経とうする時に起きた。突然、帰り木の動きが止まったのだ。
集中したセナにパニックはなかったが、どうしてという気持ちは湧く。この時は知る由もなかったが、迷宮が完全に水没しきったことにより、今いる場所が迷宮ではなく大河の中という判定になったためであった。
それはともかく、このままただただ溺れることを待つセナではない。どうにか脱出しようと頭を回そうとした瞬間、次の出来事が起きた。
ミルの幻獣がまるでセナ達を見捨てるかのように傍から離れていったのだ。これにはさすがのセナも一瞬固まった。だが、その意図を理解する。
これは離脱ではなく、先導だ。
召喚された幻獣はミルの精神と強く繋がっていると聞いたことがある。この状況、彼女ならこう言うはずだ。
『セナじゃどうせ迷子になるんだから、幻獣の後ろに着いてきてね!』
戦闘用ではないこの幻獣では、きっと三人を引っ張ることは出来ないだろう。だったら、セナに二人を任せて、先頭を行く方が脱出の可能性は残る。
本当はそんな意図はないのかもしれない。ただ本能的に逃げ出したのかもしれない。
そんな可能性はいま考慮するだけ時間の無駄だ。
セナはミリとミルを自分の傍に引き寄せた。体内の感覚としては、せいぜいあと一階分程度戻れば、地上に着くはずだ。
先を行く幻獣の背を追って、セナは泳ぐ。その速度はあまりにも遅い。常人では考えられないほどの肺活量を持つセナであっても、脱出の見込みは全くないように思えた。
私の終わりは戦いではなく溺死か。そんな考えが脳裏をよぎった。でも、冒険の中で死ぬ。それは冒険者として当たり前のことなのかもしれない。
無酸素状態が都合の良い言い訳を考え始めたとき、ぎゅっとミリがセナの手を握った。それで正気に戻る。気絶しているはずのミリは、確かにセナを勇気づけた。
(必要なのは推進力だわ。手足で水をかく以上の力)
セナは残った気力でミリたちを体に括り付けると、左手を前に出す。そして、黒色破壊光線を今しがた泳いできた方向へ放った。
それは格別の推進力だった。瞬間的な加速はミルの幻獣を追い越すほどのものだ。これを続けていれば、間に合うかもしれない。再び幻獣に抜き返されながらも、セナは希望を見る。
そこから、さらに三度同じようにして迷宮を進む。
(光が……! 光が見える! で、でも、息が……!)
セナは限界に達していた。もはや息は持たず、体の内を巡る魔力はガタガタになってきている。
幻獣が姿を消した。タイムリミットが来たのだ。セナにもすぐに同じように時が訪れるだろう。
(いま魔法を撃ってどうにかできる? こんな状態で? ……出来るかじゃない! やるしかない!)
ミリとミルの顔に目をやる。それだけで底力が沸き上がった。
最後の魔法がセナの手から放たれる。光に向かって三人はまっすぐ進んでいく。ギリギリのところで三人は水面を飛び出した。
空気だ! セナは肺に溜まりかけていた水を勢いよく吐き出して、代わりに空気を思いっきり吸い込んだ。感慨深く堪能しなかったのは、すぐにでも二人の手当てを始めなければいけなかったからだ。
幸いなことにすぐに気絶した二人は、ほとんど水を飲んでいなかった。軽く応急処置をし、神魔法をかけるだけで、二人は目を覚ました。
「がぁ! オエっ! はぁはぁはぁ、なんとかなったか、セナ────」
「ゴホゴホっ! セナ、よかった────」
セナは目を覚ました二人を思わず抱きしめた。命の危機を感じたのは久々だったが、喪失の危機を感じたのはもっと久しぶりだった。びしょ濡れのまま、三人はお互いの無事を無言で喜んだ。
どれだけそうしていたのだろうか。歓喜に包まれた沈黙はミリによって破られる。
「あれだよ」セナに抱き寄せられたまま、自由な方の手でミリは何かを指さした。
その方向には太陽があった。地平線──三人は知らなかったが、この場合は水平線と言った──の向こう、オレンジ色した太陽がその姿を隠そうとしている。地面に消えるそれと違うところは、揺れ動く水面に光が反射して、水面すべてが宝石のように輝いていることだ。太陽の輪郭が大河に溶けていく。どれもこれもミリが語った通りだった。しかし、言葉だけでは想像しえなかった光景だ。
不意にセナが立ち上がって、ミリに向かって手を伸ばした。「踊りましょう、ミリ」
「踊ろうってお前、いきなり」
「こんな素敵な場所で、踊らないなんてもったいないわ!」
「オレ、踊りなんて急に出来ねぇよ」
「リードするから!」
結局、セナとミリは手を取り合って踊り始めた。スローなテンポだ。お互いびしょびしょで不格好。だが世界は輝き、足元に溜まった水を静かに蹴る音さえも天上の音楽を奏でているように思える。
セナはとびっきりの笑顔だった。先ほど死にかけたことなど、もう忘れてしまったかのようだ。プラチナブロンドがオレンジ色を受けてキラキラと光っている。ブルーの瞳が世界の色から際立っている。そのブルーはただミリをまっすぐと見つめていた。
それがあまりにも美しかったせいで、ミリの心の中にずっとあった固い決心が、ほどけていってしまった。セナの手を握ったまま、ミリは止まった。不思議そうな顔をするセナを見つめて、言葉を絞り出す。
「セナ……オレさ……病気なんだ」
「────え?」
「……多分、もう長くない」
太陽は大河の向こうに消えていく。もはやそのことにさえ、セナは気が付かなかった。