「どうしてお前はいつも厄介ごとに巻き込まれるんだよ」
日も暮れた頃、二週間ぶりにCITYに帰還したラークは、友人であり恩人であるセナに向かって呆れた顔でそう言った。マカット酒場のテーブル越しに見る友人の顔は、初めて会った時を思い出させる恥じ入るような表情だ。
「仕方ないでしょ。だって、シィルちゃんの一大事なんだから。ランスくんにも元気出してほしいし」
「お人好しだな。相変わらず」ラークは手元のジョッキに口を付ける。「そこがいいところだけどな……で、なんでわざわざ酒場に呼び出したんだ? そういう話なら、ギルドの受付でよかっただろ」
「……だって、ギルマスの耳があるじゃない」
「愚痴か」
「愚痴よ。それだけじゃないけど」
「よし来た。キースの旦那には黙っておいてやるよ。で、ギルドマスターになるんだって? じゃあ、旦那は引退ってことか?」
「違うわ。ここのギルドが安定してきたら、アイスにあった元々の建物を配下の冒険者ギルドとして運営するんですって。私はそこのギルドマスターにって話」
「そりゃいつぐらいになるんだ?」
「大体二年後の予定よ」
「二年か」
若者たちから見ても決して長いとは言えない期間だ。新人受付が支部のギルドマスターになるにはどう考えても足りないだろう。
「出来るのかよ。戦いならともかく、ギルド経営なんてさ」
「無理よ無理! 私、いまだって任されてる仕事でいっぱいいっぱいなのよ! ギルドマスターなんて絶対無理!」
「じゃあ、キースの旦那にもそう言えよ」
「言ったわよ! そしたら、キースさん、こーんな怖い顔して、お前をスカウトしたのは最強の冒険者やらせるためなんだぞ。真面目で明るい受付やらせるためじゃねぇって」
「はは」
ラークは笑いながら酒を飲んで誤魔化した。彼自身、セナが冒険者ではなくギルドの受付をしていることには勿体なさをいつも感じていたのだ。
精一杯しかめっ面をしてキースを真似るセナ────あとそれをチラチラと覗き込んでいる酒場の女主人とを横目に見ながら、しばらくラークはセナの愚痴に相槌を打っていた。
やがて、その愚痴がランスのことや彼女の同居人であるミル・ヨークスのことに飛び火しだした頃、ようやくラークは自分から話題を切り出した。
「で、セナ。愚痴以外の要件があるんだろ? 教えてくれよ」
「……そうね。そうよね。そうなのよね……聞いてくれる? ラークくん」
「もちろん。俺がお前の話を聞かない理由なんてないな」
セナはその言葉に微笑みを浮かべる。
「実はね。ギルドマスターになれっていう命令のほかにいくつかやらなきゃならない仕事……クエストがあるのよ」
「おう。それを手伝ってほしいんだな。どんなだ? なんでも言ってくれ」
「……ラークくん。私の部下になってくれない?」
少しだけラークは驚いた顔をしてから、まるで何でもないことのように言った。
「いいぜ」
「そうよね、そう簡単には……え?」
「いいぜ。部下でもなんでもやってやるよ」
今度はセナが驚いた顔をする。
「ほ、ほんとに!?」
「なんで嘘つくんだよ。ほんとだほんと。いずれギルドマスターになるセナ・ベリウール、最初の部下に俺がなってやるよ」
「あ、ありがとう、ラークくん」
「おう」
あまりにあっさりした承諾にセナはかえって脱力した。実はラークに声をかける前、ミルに同じ打診を断られていたのだ。
そういうのは専業の冒険者にやってもらうべきでしょ。私は薬屋との兼業で、しかも月の半分はカスタムにいるんだから。
そう言われてしまっては諦めざるを得ない────というよりも、セナがミルの言葉に逆らうことなど出来ない。そんな前例もあって、ラークへの勧誘も断られるのでは、という不安があったのだ。
セナがわたわたとしている一方で、ラークの心は実に落ち着いていた。セナの部下なんて考えたこともなかったのに、答えは初めから決まっていたようにするりと彼の口から出ていった。
ミリが死んでから、ようやく次の目標に進み始めるんだな。よかった。最近のお前はどうにも元気がなかったから。
ラークはそんな風に行動を振り返るも、やはり釈然としない。ともすると、自分はずっと前からセナの下で働くことを望んでいたのかもしれない。ラークにとって、セナは英雄だが友人で────しかしやはり英雄なのだ。彼女がただの受付で終わることなどあってほしくなかった。
「よし! ラークくんが参加してくれたから、あと一人!」
「ってことはギルマスのクエストは部下を二人作ることってわけか」
「そうそう」
「誰か俺以外に心当たりはいるのか?」
「もちろん! まぁあと一人しかいないんだけど」
「……言っておくが、ランスの奴だったら反対だぞ。冒険者としてはすごいと思うが、絶対に同僚にはなってほしくない」
「私もランスくんを御しきる自信はないから大丈夫……他に誰も居なかったら、誘ってみるかもだけど……」
「そうならないように頑張ってくれ。で、心当たりってのは誰なんだ?」
「多分、ラークくんも会ったことあると思うけど」
セナは楽しそうに笑顔を見せて続ける。
「セピア・ランドスターって人だよ」
〇
セピアは兄の尻ぬぐいのために生まれた。そう思わずにはいられないような人生だった。
風向きが変わったのは四年前のことだ。当時、セピアと兄のロバートは故郷ヘルマンで軍人をしていた。皇子パットン派閥に所属していた二人は、魔人と共に隣国リーザスに侵攻し、負けた。
最悪なのは敗北のきっかけになったものの一つに、セピアが漏らした──とある男からの性的な尋問の末にだが──情報があったということだった。
戦争が終わり、リーザスに女王が即位すると、セピアと兄は恩赦を受けて釈放された。だが、ヘルマンには帰れなかった。帰れば、二人とも処刑は免れない。
いや、本当のところはそうではない。
ロバートは控えめに言っても気が狂っていたが、それでもなお軍籍から外されない程度の能力を持っていた。
ただ負けただけの──しかも、相手はあの人類最強の女戦士だ──ロバートだけなら、ヘルマン軍で再起することも出来たはずだ。あの物好きな第五軍の隊長あたりなら、喜んでロバートを受け入れただろう。
しかし、二人はリーザスを逃れ、あろうことか自分たちが攻め込んだ自由都市同盟に転がり込んだ。言葉にはしなかったがロバートが妹の尻ぬぐいのためにそうしたことは明白だった。
セピアはひどく心を動かされた。心のどこかで憎み、しかし尊敬していた兄にも、自分を思う心があったのだと喜んだ。
それでも、それからの四年間のゆっくりとした地獄を耐え抜くには心許ない喜びだった。
当然の話ではあるが、自由都市同盟の人間が元ヘルマン軍に向ける目は厳しいものだった。初めの二年間は一つの町にとどまり続けることも出来なかったし、ほとぼりが冷めてからも、ヘルマン出身というだけで眉を顰められた。
それだけならば、セピアも耐えられただろう。気持ちは十分に理解できる。自分が逆の立場でも同じようにするだろう。
彼女の心を削ったのは、あれほど狂人然としていた兄が、少しずつ萎んでいく様を見続けなければいけなかったことだ。
彼自身ほんの少しの自覚もしていなかったが、ロバートは故郷を愛していた。生まれ育った土地を愛し、国のために戦えることに充足感を得ていた。国の裏切り者となって、ただ生き残るために生きるうちに、故郷への思いと己への失望は大きくなっていった。
ロバートの精神性が常人のそれとは違ったことは、幸運であり同時に不運でもあった。
妹と故郷。天秤に乗せて唯一釣り合う二者択一を選んだこの結果は、ロバートをひどく傷つけたが、彼はそれに怒りも悲しみもしなかった。
ただ許容した。不服だが、それが自分の終わり方なのだと受け入れたのだ。
その結果、一年ほど前からロバートは酒を飲み、虚空に視線を飛ばして思考を巡らせるだけの存在になった。たまに昔のように調子はずれの声をあげることがあったが、大抵はずっと椅子に座っているか、眠っていた。
セピアは兄を養うために冒険者になった。大した特技もない妹には、命を使って稼ぐ以外に二人分の食い扶持を手に入れる手段がなかったのだ。
そんな生活も限界に近付いている。疲労は徐々に溜まってきており、次の冒険、あるいは次の次の冒険で、自分は致命的なミスを犯し、兄の待つ家に帰ることが出来なくなる。そんな予感がここのところずっとセピアの頭について回っていた。
突然、セナから声をかけられたのは、そんなことを考えている帰り道のことだった。
「セピアさん。ちょっといいかしら?」
「!!? え、ええっとなんの用でしょうか? なにか失礼なことでも?」
「え、いや、そんなことはないわ! ちょっとお話したいことがあって」
ついにこの時が来たか!
セピアは縮み上がる。少し前からセナがCITYに来ていることは当然知っていたし、顔を合わせたこともある。セナ側は覚えていないようだったが、セピアが忘れるわけもない。彼女はたった一人でセピア達の隊を壊滅させた戦士なのだから。
気づかれれば、自分たちの命は終わる。そう思ってもCITYから出られなかったのは、そうするだけの資金が溜められなかったからだ。
「ど、どうするつもりですか?」震える声でセピアが言う。
「どうするつもりって……お願い……?」
パニックになったセピアの頭ではセナがどれだけ友好的な笑顔を向けても、すべての言葉が脅迫的なものに感じられた。
逃げるべきか戦うべきか、思考が一瞬横切って、どちらも不可能なことを思い出す。たとえ、自分が百人いたとしても、目の前の怪物に勝つことは出来ない。
死ぬ。情けなく生き延びて結局死ぬ。
「ううう……」
思わずセピアは涙した。リーザスの牢から出された後、ずっと耐え続けた涙がついに流れた。それが安堵なのか、無念なのか。彼女にはわからない。
そして、セナはそれはもうパニックになった。ぜひ部下になってほしいと思っていた冒険者に会いに来たら、急に泣かれる。そんな経験は初めてで、あまりに想定外だ。苦戦するかもとか、意外とうまくいくかもとか、そんな想像何の役にも立たなかった。
なんでここで泣くの!? そんなに嫌だったの!!? それともなにかしちゃった!!?
セナの脳内には見当違いな意見が飛び交い、肉体はフリーズする。意識を取り戻したのは、周りに人が集まり始めてからだった。
女が二人。片方は泣いていて、片方は固まっている。一見すると修羅場にも思えるその様子を見に、騒ぎ好きのCITY市民はどんどん集まってくる。
あ、やばい。絶対噂になる。キースさんにまた小言を言われる。やばいやばいやばい。どうしようどうしようどうしよう────攫っちゃえ。
セナはセピアを抱きかかえると、目にもとまらぬ速さで、その場を後にした。そんな速さで動ける人間はこの町に一人しかいないことにも頭がいかず、ただただ走った。
〇
まずいことをしたと気が付いたのは、セピアを自宅に連れて行って、しばらく経った頃だった。
彼女の涙は止まっていたが、今度は恐怖で震えていた。
どうして自分はここに連れ込まれたのか。まったくわからない。そんな困惑が表情から見て取れる。そして、厄介なことにどうしてここに連れてきたのか。その答えはセナ自身にさえわからないのだ。
どうしよう。
セナはセピアへ視線を投げる。びくりと肩を跳ねさせたセピアはカタカタと震えながら、何かを決心したように服を脱ぎ始めた。
「なんで!!? どうして!!!?」思わずセナが叫ぶ。
「命だけは……どうか命だけは……」
「とらない! とらないわよ、命なんて!! どうしてそうなるの!!? ていうか、どうして命の代わりに脱ぐの!!?」
「うう、あなたの女色は有名……ぐす」
「有名なの!!?」
なおも脱ごうとするセピアを止めながら、セナは自分の評判がどうなっているのか気になってしょうがなかった。
なんとかセピアを宥めたセナは非常に気疲れしながらも、ようやく落ち着いたセピアの正面に座った。
「なんで私をそんなに怖がっているのか、まったくわからないんだけど、とにかく私にあなたをどうこうするつもりはないわ。私はただ本当に頼み事があるだけなのよ」
「……死の踊り子が私に?」
「…………ええ」
「どうして私なんかに? あなたが望むようなことなんて、私には何も出来ないと思うけど」
「そんなことないわ。私、ここしばらくずっとセピアさんには目を付けてたんだから────どうして体を抱くのよ! そういう意味じゃないわ!」
「ご、ごめんなさい……」
「ごほん。と、ともかくね。ちょっと話を聞いてみてくれないかしら。このために練習してきたから」
セナはギルドマスターになるために部下を探していること。その候補としてセピアにお願いしに来たことを話した。拙いながらにセールストークのように話す姿は、その拙さゆえにかえってセナの裏のなさをセピアに感じさせる。
本当にこの人は私を部下にしたいと思っている。本当に────私を殺しに来たわけじゃない。
安堵と共にセピアには複雑な感情が沸き上がった。自分の人生を大きく変えたにも拘らず、少しもそのことなど理解していないセナへの逆恨みめいた怒り。そして、英雄であるセナが純粋に自分を評価しているという喜び。
どちらもここ最近は感じることのなかった感情だ。ただ生きるためだけに生きている者には生まれない感情だ。
「────というわけで、ぜひセピアさんには、私の部下になってほしいのよ!」期待のこもった瞳でセナが言った。
「……いくつか質問をさせてください」
「もちろん!」
「どうして私を?」
「一番報告書がきれいだから!」
「報告書?」
「え、はい。報告書。あるでしょ? 冒険者ギルドのクエスト完了報告書。あれが、一番きれいだから、です」
「それだけ?」
「それだけって、重要なことよ! 受付やってると思うけど、皆あれ適当に書いたり、出さなかったり、大変なんだから! 私の部下にするなら、そういう手続き部分がしっかりできる人がいいなって思ったのよ! その点、セピアさんは最高ね!」
褒められたのが本当に久しぶりで、セピアは自然と口元が緩んでしまう。だが、すぐに表情を戻して、次の質問を投げかけた。
「給料は出ますか?」
「もちろん! 冒険者ギルド職員でしかも幹部候補扱いだから、それなりに出るわ」
「……いま働けない兄が家にいて、それなりにお金がいるんです」
「……お金で困るようなら、私がギルマスに交渉するわ。多分そういうのもクエストの内だろうし」
「それは、いいですね……あとは────」
それから、しばらく二人は質疑応答を繰り返した。冒険者ギルドの職員としての会話は、二人の間にあった緊張をほぐしていき、お互いが普通の人間であることを再確認させた。
セピアの暗い日常がセナによって変わっていく。そんな予感がしたせいで、彼女の頭にやはり暗いものがよぎり、止めることが出来ずに口から漏れ出した。
「────私を……兄を覚えてますか?」
少しだけ驚いた顔をしたセナを見て、セピアは心の底から後悔した。どうしてこんなことを言ってしまったのか。今すぐに取り消すための言葉を続けなければ。そう思っているのに、セピアはセナの言葉を待ってしまった。
「……ごめんなさい。覚えてないわ。セピアさんとお兄さんがヘルマン軍人だってことはわかるけど」
「どうしてそれを?」
「私のことを死の踊り子って呼ぶのはヘルマン軍の人たちだけだから。セピアさん達は昔私と戦ったことがある。そうですよね?」
セピアは頷いた。憂いを帯びたセナの表情が、イメージする英雄のそれとはあまりに違ったので、困惑している。
「やっぱり、私とは働きたくない……ですか?」セナがおずおずと言う。
「え」
「ほら、私たち敵同士だったから、やっぱり……こう……嫌かなって」
下手に出られている。それだけはセピアにもはっきりわかったが、どうしてそんなことをしているのか理解できなかった。自分たちは侵略者だ。嫌悪や憤りを向けられることはあっても、機嫌を伺われることなどない。それなのにどうして、この女は自分よりも下の立場で物を言うのだ。
理解不能な状況にセピアは答えを見出した。
セナは自分に、ヘルマンに怒りなど毛ほども抱いていないのだ。あの戦争から負の感情なんて持ち帰っていないのだ。
彼女にとってヘルマン兵と自分の間には何の負債もない。対等な取引相手で、だからこそ、ものを頼むときは頭を下げる。
あまりに見当違いの逆恨みにセピア自身、己を恥じる気持ちが生じる。それでも、感情は止まることなくセピアに力を与えた。
ヘルマンが脅威でもなんでもなかったから、セナは何も感じない。路傍の石に怒りを覚えないのと同じように、セナは純粋な視線で自分を見ている。そう思うだけで、自分の人生の軽さを嘲笑われている感覚になった。
セピアは立ち上がる。セナは不思議そうにその様子を見ていた。
「受けるわ。その話」
「え、ほんと────」
セピアはセナの言葉を待たずにビシっとセナを指さす。「思い出させてやる。私のことを。兄さんのことを」
どういう心の動きがあったのか。セナにはよくわからなかったが、その顔を見て、ともかく彼女の中に何かが芽生えたのは察した。
戦いの中でそういった心の変化を目にすることはよくある。打ち倒すべき敵を見定めた者の覚悟。つまり、セピアにとって自分は打ち倒すべき敵となったのだ。
そしてどういうわけか、セナはそういう敵意が嫌いではなかった。
セナは目の前に出された手を無理やり握手するように掴む。そして挑戦を受けるように笑顔を浮かべた。
好戦的な笑みだが、それを見たセピアは今までで一番セナに親しみを覚えた。
「よろしく」
ランドスター兄弟好きです。
3以降は全く出てこないのも納得の性能ですが……。